第40話 泣くなよ
そして一時間後、無事に配信を終えた紺がやってきた。
「お疲れ様」
「はい……疲れましたぁ……」
「今日も凄い声量だったな」
「そうですか? いつも通りですけど?」
本人は自覚がないらしい。これが才能というやつか。
傷付くといけないので、あまり寝坊のことを話題にしないよう俺は心掛けた。
「まあいいや。ほれ、水だ」
「ありがとうございます……」
コップを手渡すと、彼女は一気に飲み干した。
「ぷは……生き返ります……」
「もう一杯いるか?」
「いえ、大丈夫ですよ、シューチさんは優しいですね……」
「そうか? これくらい……えっ?」
ふと、俺の胸元に身体を預けてきた。
思わず受け取ったコップを落としそうになる。
「え……どうしたんだ?」
「すみません、少しだけこうさせてください……」
彼女の柔らかい髪が顔に触れる。甘い匂いが鼻腔を満たした。
突然の出来事に頭が混乱する。
なんだこれは……どういう状況なんだ……?
俺があたふたしている間にも、彼女はすり寄ってくる。
「こ、紺……?」
「もう少しだけ……お願いします……」
その言葉を聞いて何も言えなくなってしまった。
きっと何か理由があるに違いない。
ここは大人しくしていた方が良さそうだ。
「……」
黙って頭を撫でてみる。すると彼女はビクンと反応を示した。
嫌がられるかと思いきや、そのままじっとしている。
紺を宥めるようにしばらく撫でていると
「ごめんなさい、急にこんなことをして……」
「あー、別にいいよ。気にすんなって……紺?」
啜り声のようなものが聞こえたので見てみると、彼女が小刻みに震えていた。
「怖かった、怖かったよぉ……」
「こ、紺……」
泣いていたのだ。ポロポロと涙を流しながら嗚咽を漏らしている。
俺は慌てて彼女を抱きしめた。
「よしよし……もう大丈夫だからな……」
背中をさする。少しでも安心してくれればいいのだが……。
「うぅ……ぐずっ……」
それからしばらくして、紺が泣いた理由を察した。
恐らくは、9時頃のコメントを読み上げたのだろう。
自分の寝坊で炎上しかかっていたことに気付いたのだ。
寝坊と聞けば可愛らしいものかもしれないが、実際はそうではない。
俺のようなコアなファンが貴重な時間を割いて来る者もいる。
つまり、非難の声が自分に向けられている——。
アンチの声は一つでもなかなか耐え難い。
ゴキブリのように、一つあれば百あるように思えてしまうのが人間の心理。
想像してみればわかるだろうが、誰かに怒られた時って嫌な気持ちになるハズだ。
たとえ、自分が良い悪いを抜きにしても、マイナスな感情を向けられた時は、必ず心が落ち込むわけだ。
それが何十、何百にも膨らむ可能性を秘めているこの仕事は、いわば綱渡り。
俺がベランダを伝って紺の部屋に侵入するよりも、よっぽど危ない橋を渡る仕事なのだ。
配信業は人気の仕事でもある。
その裏側では、どうしようもないほどに疲労を抱えていて、起きることが叶わなかった。
俺はVtuberは楽な仕事だと思っていた。
座ってただ楽しく雑談をすれば良い仕事。
だけど、人気稼業ゆえに、一つ間違えば批判的な声を受けやすい大変さもある。
それは俺みたいな素人でも分かることだ。
ましてや、プロである彼女なら尚更のこと。
そんな不安と今まで必死に戦ってきた。
この19歳という若さで。
「あの……シューチさん、ありがとうございます……」
落ち着いたのか、彼女は身体を起こした。
だが、まだ涙の跡が残っている。
「おう……気にするな……」
本当はすぐに泣き止んで欲しいと思うべきなのに、俺は嬉しかった。
普段は気丈に振る舞っているが、まだ若い女の子であることに変わりはないのだ。
こうやって弱みを見せてくれるということは信頼されている証拠だと思う。
少なくとも、俺には頼ってくれているはずだ。
「シューチさん……私……頑張りますね……」
「ああ……応援してるぞ」
紺の瞳からは強い意志を感じた。
俺は、彼女のためにも応援していこうと決意を新たにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます