第38話 タイムリミット

 —— 私は真っ暗な中で丸まっていた。

 今日は何だか調子が重い。

 体調が悪いわけじゃないけれど、どこか調子が悪い。


(会いたい、会いたいよ……)


 手をぎゅっと握りしめる。

 でも、会いたくない気もする。

 だって今日も配信があるから。

 視聴者の皆を待たせてしまう。

 だから、私は無理矢理体を起こさなきゃいけないのに。


(おはようございます)


 私が挨拶しても誰も返してくれない。

 私の声はこの空間に響くだけ。

 もう慣れたはずなのに……。

 やっぱり寂しい。


(ここはどこ? 私は何をしているの?)


 私の視界を暗闇が覆う。まるで夢の中みたいで。

 このまま目を覚まさないんじゃないかって怖くなる。


(——い、——きろ)


 ふわりと温かいモノが降りてきた。

 誰かに声をかけられた気がしたけど、返事をすることが出来ない。

 口を動かすことすら億劫だった。


(…………)


 声は出なかったけど、何となくありがとうと言いたかった。

 こんな私でも、見てくれてありがとうって。

 その言葉が届いたのか分からないけど、その声は徐々に大きくなる。


「——おい! 紺ちゃん! 起きてくれ!」

「え……シューチ、さん……?」


 意識が覚醒すると、目の前には心配そうな顔を浮かべるシューチさんがいた。

 どうしてここにいるんだろう。

 まだ夢を見ているんだろうか。


「良かった……」


 瞼を開けると、そこはいつも通りの寝室だった。

 夢じゃなかったのだ。

 何故なら、そこには私の大好きなシューチさんが——



 ———————————————————————————



 紺の意識は徐々に覚醒していく。


「ん……」


 カーテン越しに差し込む光を眩しそうに眺めている。

 ほっとした表情を見せると、紺は慌てて身体を起こした。


「んへ……へっ!? しゅ、シューチさん!?」


 そして、辺りを確認するように見渡すと、いつもの配信部屋だと分かったらしい。


「どうして、ここに……?」

「お前が寝坊したんだと思って起こしに来たんだ」


 勝手に入った事も謝罪するのだが


「ご、ごめんなさい……」


 彼女も寝落ちしてしまったことに謝罪した。

 最近疲れていたせいか、眠れなかったのだろうか。

 それよりも、頭を撫でて安心させた。


「俺のことは大丈夫だ、それより——」

「——はっ、配信時間がっ!?」


 時計を見ると、既に11時を回っていた。

 しかし、慌てる彼女に俺は伝える。


「それなら大丈夫だ、今頃イズミが繋いでくれているだろう」

「……へ?」


 紺はその事実に驚き固まってしまう。

 確かに、彼女の気持ちも分かる。

 遅刻したことより視聴者を待たせてしまった、炎上してしまうという常識の方が強いのだろう。

 だが、イズミのお陰で時間稼ぎが出来た。

 既に解決済みである。


「そんな奇跡のようなことって……」

「でもそんなに時間はない、準備できるか?」

「は、はい……」


 何もない状態からのトークは流石にしんどいだろう。

 イズミの為にも、紺を起こしてやらないといけない。


「身体も大丈夫か?」

「ちょ、ちょっと痛いかも、です……」


 椅子に座って机に突っ伏して爆睡していたのだ。

 そりゃあ身体も痛めて当然である。


「仕方ないよな、ひとまず顔を洗って身体を伸ばしてくるんだ」

「は、はいっ!」


 紺はすぐさま洗面所に向かって、俺は一息ついた。


「……寝起きもあんな顔とか、反則だろ」


 彼女が見せてくれた無防備すぎる姿を思い出しながら。


 頬っぺたに机の跡をつけながら微笑む彼女が可愛くて。

 少しドキッとしてしまったのは内緒にしておこう。


「さて、あいつの配信準備もあるだろうし片付けておいてやるか」


 その辺に散らばったゴミや、ペットボトル。

 部屋から出ないとこうなるのだろうなぁと思いつつ。

 片付けをしながら、彼女が戻ってくるまで待とうと思った……が、俺は固まってしまった。


「え……なんだこれ」


 まず勘違いして欲しくないのは、紺の部屋は汚部屋ではない。

 たとえば、とんでもない汚物が落ちていたとか、強烈な異臭をする何かがあるとか、そういった事象は今、一切発生していない。

 ではどうして俺が固まったかと言うと、理由は1つ。

 部屋の中に置かれた『あるもの』が原因だった。


「おいおいおい…………!」


 そう呟くと俺は青ざめた。

 ——ブチッと、どこかの線が切れていたからだ。


「ふぁぁ、戻りましたぁ~……」

「こ、紺大変だっ!」

「どうしたんですかっ!?」


 俺は配信機材を指差し言った。


「どこかの線が切れている、今から点検しないと!」

「えっ……あっ、はい!」


 すぐさまPCを起動する。

 切れていたのがPCの電源ではなく安心した。

 しかし、配線がゴチャゴチャしているので、どこが壊れているのか分からない。


「えっと、ここがこれで……」

「そこは触らない方がいい! ここはこうして——」

「えぇ!? そっちなんですか!?」

「そうじゃない! このケーブルを繋げてから……!」

「あっ、はいはい……って、あれ?」


 こんな調子なので、全く先に進まない。


「うぅ……私機械音痴なんですよぉ……」

「マジか……」


 紺の意外な弱点だった。

 確かにPCとなると扱いが難しいかもしれない。


「大丈夫だ、まだ時間はある。だからこれが何の機材か俺に教えてくれないか?」

「……っ!? は、はい……頑張ります……っ!」


 彼女は真剣に取り組んでくれた。

 そんな姿を見守りながら、俺はただ頭を凝らすだけ。

 そうして、故障の機材が判明した。


「マイクが壊れていたのか……」


 きっと寝ている時に踏みつけたりしてしまったのだろう。

 しかし、困ったことがある。


「予備の機材とかってないよな?」

「な、ないんです……」


 時計を見ると、もう12時を迎えようとしていた。

 しかも追い打ちをかけるように着信が来ている。


『おい! もう喋ることがなくなるぞ、早くしろ!』


 イズミのタイムリミットが、刻々こくこくと迫っていた。

 マイクを電気屋に買いに行く手もあるが、時間がかかり過ぎる。


「ど、どうしよう……今から買いに……」


 ……いや、そんなことしなくていい!


「紺、PCにスマホを繋げるコードはあるか!」

「えっと……確か付属品の所に……」

「貸してくれ、もう時間がない!」

「はいっ!」


 俺はケーブルを受け取ると、素早くコードを“そいつ”に差し込む。

 応急処置としては十分だろうと、その後を見守った。

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