第35話 ヘトヘト

 金曜の夜というのは、なぜこんなにも素晴らしいのだろう。

 明日は休みだから? いや、それだけではない。

 週末という区切りがあるからだ。

 その先に何が待っているのかわからないとしても、今日という日を乗り越えれば、とりあえず週明けまでは自由でいられる。

 それがわかるだけで、金曜日の素晴らしさは何倍にもなるのだ。


「あー……」


 床に寝転んで目を瞑ると、自然と声が出る。

 仕事帰り、今日もヘトヘトな俺は帰宅次第倒れ込んだ。

 そのまま眠ってしまいそうになるが、歯磨きもしていないし、風呂にも入っていない。

 それに配信を聴き逃すわけにはいかない。

 コンちゃんの声は俺の癒しなのだ。


「ぶひぃ……ぶひぃ……」


 これぞ配信中毒。

 人の声は耳の温もり。

 一人暮らしの寂しさが紛れるからいつも聞いてしまうのかもしれない。


『あっ、あっ、あぁぁぁっ!! やっ、やめてえええ~~!!』


 コンちゃんが敵に追いかけられている。

 今日はフリーゲーム実況だった。

 基本的に操作は下手くそで良くて、トークが楽しければついつい見てしまうものである。

 だけど、今日のコンちゃんは何かが違った。


「あれ?」


 コメント欄を見ると、どうも様子がおかしい。

 いつもなら、敵に追われたら助けを求める声を上げるのだが、今回はそうじゃないらしい。

 むしろ逆だ。


『やっ……あっ、だめ……あぁん……まってぇ……っ』


 コンちゃんが敵の攻撃を受けまくっている。

 そしてダメージを負っていく度に、彼女は悲鳴を上げた。

 これはまるで——。


「んほぉおおおっ!?」


 突如として聞こえた奇声に、俺は飛び上がった。

 慌ててパソコンの方を見る。

 そこには信じられない光景が広がっていた。


『あっ、あっ、あぁぁん……! それ、だめ……っ、ご、ごめんなさいぃ……あっ、やだっ……あぁぁん……ッ!!』


 泣きながら謝り続けるコンちゃんの姿があった。

 敵の攻撃を喰らって吹っ飛ばされても、何度も立ち上がって攻撃を続ける。

 その姿はまさに狂気である。


『も、もう……らめっ……ゆ、ゆるしてよぉ~……っ』


 そんな風に叫ぶ姿はとても可愛い。

 しかし、その声色からは煽情的なモノしか感じられなかった。

 俺が疲れているからだろうか——


「だ、だめだこれは……っ!」


 俺はすぐさま画面を切った。

 あまりにエロすぎて聞いていられなかった……。

 まぁ、最近はASMRとか流行ってるみたいだし、ありっちゃありだろうが、俺は彼女の本当の姿を知っている。

 あの紺が、俺の知らない所で喘いでいると思えばこそ、恥ずかしくて聞くに聞けなかったのだ。


「考えすぎだろうけど……うん……」


 とはいえ、今日のコンちゃんは少し変だったとも思う。


「……なんだか元気がないのか?」


 視点を変えれば、疲れているような気もした。

 声に抑揚がなかったし……難しいゲームに集中してるだけなのか?

 俺が疲れているからそう見えただけかもしれない。


「いいや変な詮索は良そう」


 コンちゃんの声で目が覚めてしまった。

 せっかくなのでご飯も食べ始める。

 紺に作ってもらったミートソースが今日で尽きた。今回も美味しかった。


「明日は何食うかなー……」


 手っ取り早く紺に作って貰うのもいいかもしれない。

 だが、明日から土日なので紺に作ってもらうわけにはいかない。

 配信で忙しいからな。

 俺はどう休みを過ごそうか……そう考えている時だった。


「ん……?」 


 プルルル……

 着信が鳴った。

 画面の表示には『榛原紺』と書かれてある。


「……ッ!?」


 ドキリとしてしまう。

 さっきあんな妙な声を全国に配信していたのだから、何事かと思った。

 珍しいな……と思って出てみる。


「は、はい」

『あっもしもしー?』


 聞こえてきたのは、いつも通りの落ち着いた口調だ。

 そのことにホッとする。


「どうした、何かあったか?」

『ううん、特に用事はないんですけど……あ、今時間大丈夫でしたか?』

「え?ああ、まぁ暇だけど」

『よかったです。何となく声が聴きたくなっちゃって』


 紺は照れくさそうに言う。

 その言葉を聞いて嬉しく思った。


「奇遇だな、俺もだ」

『ふふっ、じゃあ気が合いますね』


 嬉しそうな声で笑う。

 丁度良かったので、尋ねてみた。


「最近は忙しそうだな」

『えっ?』

「声に出てるぞ、疲れてるんじゃないのか?」


 そういうと、苦笑交じりに返ってくる。


『あ……さっきもゲーム配信していたんですけど、ちょっと出ちゃったかもしれないですね、あはは……』

「……っ!」


 思い出し、俺は頭をブンブンと振り雑念を消した。


「やっぱり疲れてる証拠だろ、まぁまだ観てないけどな」

『そうでしょうか……でもちゃんと配信は出来て良かったですけどね』

「そうなのか、まぁ、俺はまだ観てないけどな」

『すごく観てない事を強調しますね……?』


 まだ雑念が取り払われていなかったのかもしれない。

 深呼吸をし、言ってやった。


「意外と知らない所で頑張ってるみたいで偉いと思うぞ」

『えへへ……ありがとうございます。でもシューチさんの料理も頑張りたいところなんですけどね』


 あ、この流れは分かる。

 無理矢理この話題に切り替えてくるこの感じ。


『次もどこかでご飯を作りに行きたいです♪』


 だが、疲れを感じている相手と分かっていて、そんな無理なことはさせられない。


「そこまでしなくていい、お前だって仕事で忙しいだろ」

『配信は仕事じゃないですよ』

「古い価値観のオッサンみたいなことを言うな」

『むぅぅー……』


 紺は不貞腐れてしまう。

 だが、これでいいのだ。

 お互いに生活があるのだから、無理な交流は良くない。


 その後、話題を変えて他愛のない話をし、楽しい時間を過ごした。

 通話を切る間際、徐々に紺の声が小さくなっていく。


『また……おは——、しま——ね……』

「ん……? おう、ゆっくり休むんだぞ」

『そうで——ね……そろそろ、——……』


 また電波が悪いのか、どこか歯切れの悪い返事だった。


『……いです……待っ……いね』

「おう、じゃあな」


 プツッ。

 最後の声が聞き取れなかったが、電話が切れる。

 そして、俺たちの夜は更けていった。

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