第26話 有給
先輩はいつも厳しい。
だけど、紺の家での食事の後、少しだけスキンシップが増えたような気がする。
挨拶でボディタッチしてきたり、昼休みに食事を誘ってきたり、仕事中の雑談なんかも増えた。
俺のことを何かと気にかけてくれている。
まぁ、いつも厳しいけれど。
「はい、今日もこれだけの仕事やってね」
ドサッと大量の案件を振ってきた。
相変わらずヤバイ量である。
「これは愛のムチなんですかね」
「ううん、愛しかないよ」
おかしいな、精神はすり減ってるのにな?
だが、今日はヤケに耳障りの良い声で言ってくるのだ。
「でもね、これはイイコトなんだよ」
「い、イイコト……!?」
何やら意味深なことを告げてくる。
「ほら、よく言うじゃない。"頑張れば報われる"ってさ」
「は、はぁ……?」
あれか、よくドラマとかアニメであるアレのことだろうか。
どうせ頑張ったけど報われない的な感じになるヤツだろ?
すると、先輩は俺の耳元で囁いた。
「これが達成したら臨時ボーナスが——だけ出るんだよ」
「な……ッ!?」
とんでもない額の報酬額が耳打ちされた。
「しかも昇給に昇格、こんなイイ話はないよね?」
上に交渉を持ち掛けて出た話らしい。
焼津先輩はやっぱり出来る人だ。
「これだけ出たらちょっとは遊んでもいいかもしれないね」
確かに。
これまでやってこなかったスパチャというものをしてみようか。
あれって意外と金が飛ぶらしいからな。
「あ、お金のことだけじゃないよ? もっと他にも遊べる方法があってね」
「ん……? それはなんですか?」
尋ねると、クスリと笑って言った。
「——有給全部使っちゃおうか」
「なに……ッ!?」
だが、実際の所は人事部が従業員の会社に対する忠誠心をモニターするために導入している制度である。
基本的に有給休暇取得率が高ければ高いほど、人事の評価は下がる。
いわば、踏み絵のような制度でもある
だから俺には分かる。
この上司は後輩である俺にとんでもない事を告げたのだと。
「いい、いいんですか……!?」
「いいんだよ」
「ほ、ほんとうに……!?」
「うん」
動揺する俺。
一方で、先輩のキレイな声に磨きがかかっていた。
「有給休暇にどっか行く?」
「あ、えっと……」
まだ予定は決めていないけど、俺はコンちゃんのアーカイブを漁ろうと思っていた。
だから先輩の誘いはあんまり乗り気ではなかった。
「じゃあ考えといてね」
「え、何をですか?」
だけど先輩は答えないで仕事に取り抱える。
仕方ないので、俺もさっさと今日のタスクを終わらせることにした。
…………………………………………………………
紺ちゃんと関わってから嬉しい事が増えた気がする。
体調が良くなったし、疲れを感じにくくなった。
それに、今日なんか昇給の話が出た。
これを感謝しない奴などいない。
「マジで俺恵まれてるな……」
感慨深げに呟いてしまう。
想像していただろうか、俺にこんな日常がやってくることに。
本当に幸せでいいのだろうか、いや良いに決まっている。
だからこんな日常がまた崩れ去るとは、思いもよらない所であった。
「ん……?」
突如、後ろから足音がした。
しかし振り返ってみるのだが、誰もいない
「……ん、気のせいか?」
確かに気配を感じたのだが、疲れているのだろうか。
早く帰って寝よう。
そう思って早足で家まで向かうと足音が徐々に大きくなる。
「……はっ!?」
気になって仕方なかったので振り返る。
だが、誰もいなかった。
確かに足音が聞こえたハズなのに……。
「まさか、紺か? いや違う、あいつは配信中だからな……」
スケジュールを把握している俺なら分かる。
だが、予定がなかったとしても、今の関係値的にそんな事をするとは……いや、100%な事は言えないが、全く思い当たる節がない。
だったら誰だ……?
少し怖かったので軽く走って家に着く。
「はぁ、はぁ……」
バタンと扉をすぐ閉めた。
運動不足の俺にはキツい帰り道だった。
さっきのはなんだったのだろう……。
「うーむ……」
まぁ気にしないようにしよう。
どうせ明日になれば忘れていつも通りの生活が始まるはずだ。
だけど……不安だった。
「……」
俺はスマホを取り出し、とある人物に電話を掛けてみた。
機械的な着信音が響く。
そして、そいつは出た。
『はーい?』
「あ、配信もう終わったか?」
『終わりましたけど……どうしたんですか?』
特に用事はない。
ちょっとお前の声が聞きたくなってな、なんて言ったらどうなるだろう。
えへへ、ありがとうございますって答えそうだな。
『えっと、どうしたんですか……?』
「あっ」
ヤバイ、何にも考えてなかった。
開け俺の会話デッキ。
今日は何があった……ストーカー、残業、空腹……はっ、飯!
「あ、あのさ、料理ってどうやって作ったらいいんだ?」
『えっ!?』
突然、素頓狂な声を上げる紺。
そりゃそうだろう。
普段料理作って貰っている人間に向かって何を言っているのだ俺は。
『わ、私に聞くよりネットで調べた方が良くないですかね……』
「あっ、それもそうか……」
完全に盲点だった。
確かにネットの方が確実だし、色々載っていたりする。
だが、紺は訂正した。
『あ……だったら来週のどこか開いてたりしませんか? 教えますよ』
「え」
突然の申し出だった。
だが、俺が切り出した話題なのに断るのはおかしすぎる。
なので聞いてみた。
「じゃあ平日の火曜って開いてるか?」
『平日ですけど大丈夫なのですか?』
良い所に目を付けてくれる。
俺は自慢げに言った。
「聞いて驚け、夢の有給だ。使えって言われてて、そこが一番迷惑掛からないから使おうと思ってたんだ」
『なるほど、私も配信がないのでその日にお邪魔しますね♪』
もちろん紺がオフの日だって予想し言ったのだ。
難なくアポイントが取れた所で通話を切ろうとした。
「じゃあそろそろ切るぞ?」
『はい! ……あの』
「なんだ?」
一呼吸おいて、紺が言った。
『久しぶりに声が聞けて良かったです♪』
「……っ」
不意打ち気味に言われた言葉にドキッとした。
そして同時に思った。
今日の紺ちゃんも可愛いなと。
「バカ言ってないで、さっさと寝ろよ」
『はーい♪ じゃあおやすみなさい』
電話を切る。
来週の予定が決まってしまった。
有休を使わせてくれる上司に感謝する。
「さて、明日も頑張るか」
——だが、俺は知らなかった。
窓から俺を覗き込む女の存在に。
『あいつ紺って言った……? わたしの紺ちゃんを、紺ちゃんを……っ!!?』
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