第17話 何をしているんだろう

 肉じゃがを食った後、俺は帰り支度を始める。

 おすそ分けとスマホを持ったことを確認し、立ち上がる。

 紺は「もう少しいていいんですよ」と言うのだが、そういうワケにはいかない。

 俺も男だ。

 女の家に長居するのは、良くないだろう。


 誘惑を断ち切り、玄関先で靴を履き替えるとやはり視線を感じてしまう。


「なんだ、別に見送りなんかしなくてもいいぞ」

「せっかくですので……それに、また会えなくなると思うと寂しくて」


 そう言って笑う、紺の顔に陰りはない。

 だが、どこか悲しげにも見える表情だった。

 その顔を見て胸が痛む。


 なんせこの子はまだ19なのだ。

 この歳の頃、俺はまだ親のすねをかじって生きていた。

 だからわかる。

 まだ遊びたい盛りなはずなのに、彼女は自分のやるべきことをしっかりとこなしているのだ。そんな彼女を見ていると、自分が情けなく思えてくる。


「……どうしたんですか?」

「あ、いや、なんていうか……」


 配信者とはいえ、仮にも社会の荒波に飲まれる一人の社会人。

 こんな可憐な子がいつも頑張っているんだよな。

 俺以外に誰か支えてくれる人がいてくれれば、きっと彼女の負担も減るんだろう——


「そういえば、今日は家に誰もいないのか?」


 野暮なことを聞いてしまったかもしれない。

 紺の家は結構広かった。

 それは家族と住んでいるといっても過言ではないほどの広さであり、両親の姿が見えなかった。


「そうですね、私以外誰もいません」

「そうか、だったらちょっと寂しいかもな」

「そうです、だから一緒に居て欲しかったです」


 相変わらずな反応。

 俺は「はいはいもういいよ」という返事を見せると怒られた。


「まぁ、寂しいですけど、視聴者の皆さんがいるのでその時は気が紛れますかね」

「だったら今日一日中配信していてくれよ」

「今ここに絹川コンがいるのに!?」


 紺の指摘はごもっとも。

 なんで画面越しで推しの話を聞くんだよって話だ。

 だけど、その冗談もあまり笑ってくれなくて


「でも本当は両親がいてくれたらなって思います」


 紺の声色が変わる。

 どこか物憂げで寂しさを感じさせるような口調だった。


「別で暮らしているのか?」


 すると、彼女は首を横に振った。

 また、顔を伏せて苦笑する。

 何かまずいことでも聞いただろうかと思った矢先、彼女が口を開く。


「まぁ……二人は天国で暮らしていますかね」

「えっ」


 予想外すぎる答えに言葉を失う。

 一瞬、聞き間違いじゃないかとも思ったが、彼女から発せられた言葉が脳裏から離れない。


「両親は、私が14歳の時に亡くなりました。それからずっと一人で生きてきました」


 彼女は淡々と言葉を紡ぐ。

 そこには悲しみの色は見えない。

 ただただ事実だけを語っているように聞こえた。


「最初は親戚の家に引き取られて生活していましたが、早く自立したくて家を出たんです」

「そうだったのか……」


 正直、想像していなかった。

 彼女の境遇がそこまで重たいものだなんて。


「……あっ、しんみりさせたくて言ったんじゃないですよ!?」


 紺は慌てて取り繕った。


「悪い、ちょっと意外で」

「あはは、そうですよね。両親がいなくなってから始めたのがスマホの配信でしたかね……当時はお金の稼ぎ方とか分からないし、学校も行ってないからあるものでどう生活しようかなって試行錯誤していましたねぇ」


 それは配信でも見せなかった一面だった。

 いつも彼女は明るい雰囲気を纏っている。

 だが、今はその真逆。

 笑顔の裏には辛い過去があったのだ。

 そんなこと、誰が想像できる?


「今はこんなに稼いじゃって、良い部屋に過ごしてますけど……やっぱり良い想いをさせたかったなぁ……って思います」


 それはつまり、何かを渇望していて。

 それが叶わないことを嘆いているようで。


「だから私を見てくれる、食べ物なんかをくれる人に恩返ししないと、いつかどこかに行っちゃうかもって、不安で……」


 俺は何も言えない。

 童貞で豚だし、なんて声をかけてあげればいいのかわからない。

 俺みたいな人間には、あまりにも無責任な言葉しか出てこないだろう。


「まぁそんな感じです。だから、もしよかったらこれからも私の配信を見に来てください! それでは——えっ」


 ……だから、血迷ってしまったかもしれない。

 俺は紺の頭を撫でてしまった。


「え、え、どうしたんですか」

「いや……その……」


 言い訳を考えていると紺は俺の手のひらの下で身じろぎをする。

 そして、彼女は俺の顔を見た。


「えへへ……」


 照れくさそうな、それでいて嬉しそうな表情を浮かべる。

 その顔を見て心臓が高鳴る。


「あのさ……」

「はい……」


 温かくて柔らかい、女の子の香りがする。

 今になって下心が湧いてきた。

 男の愛情と下心って一致しているんだなと思って離れた。


「……ごめん、なんでもない」

「なんですか、もう……」


 紺ちゃんは今日も可愛い。

 だけど、可愛いと可哀想は紙一重。

 小さくて、脆くて、儚げな様子を指しているから、勝手にそう考えてしまう。


 ホント、何をしているんだろうと思った。

 こんな年下の子に、叫ばれたら捕まるぞ。

 同情してしまったのか? 欲情してしまったのか?

 ——いや、違う。


「逆に、お前がどこかに行ってしまいそうな気がして、つい……」


 俺は救われたかったのかもしれない。

 この儚げな姿を見て、何もしないではいられなかったのだ。


「あ……えと、あはは」


 すると、紺は笑い出し。


「行くワケないじゃないですか、だってシューチさんへの恩返しがまだ終わってないんですから♪」


 まだ終わってない。

 その言葉が何よりも救いだと思ってしまう。


 今日だって本当は紺を突き放すべきだと思っていたのだが。

 俺はその言葉を受け入れてしまうのだった。

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