最終話

「すいません、長々とお邪魔して。時間も遅いのでまた出直してきますね」

「ごめんね、あの子どこまで行ったのかしら。もう」

彼女は本当に申し訳なさそうに溜息をついた。残されたこの人のことを考えると瀬川に対してただ同情だけするということは出来なかった。だからと言って全否定してやることもできない。

ただ無力なことを噛み締めながら彼女に挨拶をして瀬川家をあとにした。


調べてみると少し走るか早歩きで帰りの電車にはちょうどいい時間である。

「次のでいいや」

とてもそんな気分にはなれなかった。

姫子さんは俺に瀬川を止めて欲しいと頼んだ。「何を?」その疑問は今も変わらない。仮に分かったところで今の俺に出来るだろうか?

「探さないでって言うけどさ」

世界中どこまでも探し出して皆の前に連れ出してこう言ってやりたい。

「あまり手間かけさせるなよ」


もっと高尚な人生訓や感動的な説諭も俺には出来ない。出来たとしてそれがあいつの救いになるのかな。あいつはもう手遅れだと思っているらしいし、きっと世間的にはそうだと思う。俺が許す許さないの次元はとうに過ぎている。

それでも帰ってきてほしい。

たった1年、しかも決して密度の濃くはない1年だけの付き合いの俺がそう思うんだ。姫子さんや母親はどう思うだろうか。

決して早まったことはしてほしくない。


歩いているとこのあたりでも外国人があちこちを歩いている。学校内でもよく見るので珍しいとは思わない。俺と彼らは違う。だがの差異にどちらが上か下かはない。もちろん外国人である以上この国では全ての恩恵を得られなかったり拘束があったりと不便な面はあると思うしそれの善悪も俺にはわからない。

そうわからないんだ。


過去に起きた悲惨な差別。それに対して「悪い事」「汚点」など評価を下すことは誰にもできる。じゃあ現在、今この瞬間どうするべきなのか? その選択肢、答えで尽くされた議論の中でどれが正解でどれが可能か。

若く無学な俺にはわからない。きっと俺に限った話ではない。そう簡単にはわからないだろうし、岩城さんが言ってた通り多くの人は無関心だと思う。

記憶に止めることをやめて考えることをやめて歴史から消してしまう。それも確かに選択肢の1つなのかもしれない。

でもここまで来た俺はそうしない。決して忘れない。

正義感や信念なんてたいそうなもんじゃない。瀬川に対してそうしてやりたいという他人からすればちっぽけに思える友情の為だ。


ぽつぽつと小雨が降ってきた。傘は持ち歩いていないため強くならないことを祈りながらも歩調は変わらない。

瀬川は差別を憎んでいた。その一方で誰もが差別してしまう素質があることにも気が付いてしまった。彼自身が身をもってそれを体験してしまった。

自分の身を振り返ってみると大事な偏見は持っていなかったが細かいことまで含むとやはり素質はあると思う。そのことに気が付かされた。


祈りは通じず雨はどんどん強くなる。仕方なしに遠目に見えるコンビニまで走って雨宿りする。

被差別者に対して俺のできること。一人でできることなんて大したことないし、いくら俺一人頑張ったところで根源が残る以上いつか同じことが起きると思う。

じゃあ根源を断つには? それも簡単には断てない。俺がとにかくいうよりも歴史は雄弁に語っている。

通り雨は勢いを弱めまた小雨へと戻っていく。

諦める、きっと1か月前の俺ならその選択をしたと思う。

俺にもできること。それはきっと誰にでもできるひどく簡単なことだと思う。

正解を、答えを出すことが大事なんじゃない。「ああするべきだろうか、これはよくないだろうか」とあれこれ考えてみること。

自分の頭で考えて先駆者たちの考えを読んで聞いて、そしてまた自分で考える。

「俺はそうするよ」

ふと見上げると雨は止み雲間から控えめに月が顔を覗かせていた。

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