第38話

渡された名刺に載っていた連絡先にメールすると返信は早かった。

「明後日19時に構内でもう一度」

連絡を済ますとカメラを起動する。動画撮影の時より低いテンションでそれっぽい挨拶を済ますとあらかじめSNSで集めておいた質問を一つ一つ答えていく。

的場と会う予定を明日ではなく明後日にしたのは理由がある。明後日の夜にはYouTubeでライブ配信を行う予定だからだ。秘密を隠すのは俺の今を守るため。他の理由で失ってしまっては意味がない。


このアリバイ工作には自信があった、その時は。

だが会社によってアーカイブが消されているのを見るとバレバレだったのかもしれない。考えてみれば当然なんだ。だってこれは実際に過去に海外で行われたことのあるアリバイ工作でそれ自体バレてしまっている。業界の人間であれば知っていても不思議ではない。


当日は大学の最寄り駅を一つ過ぎた駅で降りて徒歩とバスで現場へ行くことにした。少しでも小細工を弄さなければ不安で仕方なかった。この時間の大学にはほとんど学生は残っていない。

的場が構内に居るのは目立ち過ぎる。その隣を歩けば嫌でも俺も目立ってしまう。スマホで的場を大学から徒歩数分のファミレス前まで誘導した。


数分とはいえ山がちな土地にある大学だ。ようやく現れた的場はジャケットを腕にかけ汗だくだった。日は既に沈んでいるとはいえむせかえるほどの熱気が漂う夜だった。

「すいません、お待たせしました。それにありがとうございます、またお会いできて本当にうれしいです」

さわやかな笑顔だった。こんな人が俺を脅したりするだろうか? 俺はずっと冷静だった気がするが狼狽していないだけで少しも冷静じゃなかった。


俺たちは駅には向かわずその付近を大きく半円を描くように歩くことにした。

「人にあまり聞かれたくない」と言うと「そうですよね、一昨日は僕が不用意でした。申し訳ありません」と俺の発言を深読みして的場は謝罪した。

学校と駅を結ぶ直線から少しでも外れると途端に視界に入る人の数が減っていく。

日暮れ時とあって街灯にぽつぽつと明かりがついていく。車もグッと数を減らし民家から漏れるテレビの音すら聞こえてくる。


「東京とはいえこの辺りは武蔵野って感じですね、なんだか落ち着きますね」

「僕の生まれ故郷と少し似てます。駅まで行くと全然違うんですけどね」

「狭山ですよね? 僕にも馴染み深い土地で好きですよ」

長い沈黙に耐えきれなくなって的場は世間話を始めた。しかしどこまで俺のことを知っているんだろうか。さりげない会話の中にある俺の個人情報がチクチクと首筋に刺さるようで落ち着かない。

この不快感は俺の悪意をより強固なものへと変えていく。


小さな橋に差し掛かるころには日は沈み切り夜空には星が点々と輝いている。

「月がないのに明るいですね」

「星月夜を東京で見られるなんて珍しいこともあるもんです」

俺は星に誘われたふりをして道を外れ川沿いへと歩を進めた。的場が後ろで止めようか悩んだ後俺に続いた。


その小さな川は規模に反して護岸工事が綺麗にされており雑草の類はほとんど見られない。おかげで綺麗な星空が水面に映し出され美しい風景を俺たちに見せてくれた。

「綺麗なところですね。こういう穴場というんですかね、ところを知ってるのって尊敬しますよ。それとも瀬川さんの大学の学生の間では結構有名なんですか?」

「学生がこんなところに興味持ったりしませんよ」

偏見がほとんどだが実際間違いないと思った。仮に有名だったら俺はこの場所を選んだりはしない。


「ちょっと失礼しますね」

カバンからスマホを取り出しYouTubeで自分のアカウントを確認する。問題なくライブ配信は行われている。

「いえいえ、お気になさらず。どうぞゆっくりと、あっ」

俺は手を滑らせたふりをしてスマホを川べりのコンクリートに滑り落した。

「ああ、大変だ」

的場は比較的緩やかになっている傾斜からゆっくりと下に降りて行った。予定では俺が先に降りて見つけられないふりでもしようかと思っていたが人のいいこの男は自ら降りて行った。

俺は下ろしたままのカバンからスマホの充電ケーブルを引っ張り出す。この場で手間取らない様にわかりやすいようサイドポケットに入れておいた。


転ばぬようにゆっくりと左手にはケーブルを持ち右手をコンクリートに付き的場のもとへ降りていく。計算したわけでは無いがスマホカバーの色が闇と同化して見けるのに手間取っている。意図的に落とした俺には既にスマホの位置はわかっている。

「そんなに遠くには行ってないはずなんでこの辺にあるとは思うんですが」

的場は少しもこちらに注意を払っていない。屈みこんでいる的場の首の右側からケーブルを回し右手でしっかりと掴む。

呻くように息を吸うような音が彼の喉から漏れ出る。的場は何とかまとわりつくケーブルを剝がそうと必死に首をガリガリと引っ搔いている。


いったいどれくらいの時間が経過しただろうか。死んだという確信が持てずにずっと両手で握り込んでいたが握力の限界が来てついに手を離した。

恐る恐る的場の顔を覗きこむと彼の両眼は俺を見ていた。まだ生きていると勘違いして腰を抜かしそうになった。

暗く人気が無いとはいえ住民が寝付く時間にはまだ早い、誰かが来ないとも限らない。夏場は日が沈んでからランニングしたり犬の散歩をさせる人も珍しくはない。


的場を橋の下まで運ぼうとするが既に前腕が筋肉痛で手に力が入らない。いくら俺が殺したとはいえ死体に密着するのは抵抗があったが羽交い絞めのようにして運んだ。

スマホを拾い上げカバンを担ぎ急ぎ足で来た道を引き返す。汗で濡れたTシャツが冷たい。

初めてすれ違った通行人が的場に見えたときは全て終わったと思った。だが非日常が俺の認識能力を予想以上に奪っていただけだった。よく見るとスーツ以外の共通点はなくこちらに一瞥もくれていなかった。

この滑稽な出来事が俺の頭を冷やしてくれた。ひどい汗、痛む両腕に手のひらに残ったケーブルの跡。急に夢から醒めたように自分のしたことを思い出した。

本当は帰りも最寄り駅を使わない予定だったが体力とメンタルがそれを許さなかった。あまりにきつくてタクシーを呼び留めようと思ったくらいだ。


スマホを操作しライブ配信の状況を確認する。不満なコメントが目に付くが許容範囲に思えた。カバンに乱雑に突っ込んでいた充電ケーブルを引出し駅の改札口にあったゴミ箱へ捨てた。不用心とは思うがこれ以上持ち歩きたくなかった。

長い長い一日。最悪の一日。間違った勇気を振り絞った一日。ただ俺の悪夢はこれだけで終わってはくれない。

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