第39話
俺は追いつめられるように大学へ退学届を提出した。的場は大学構内を歩き回っていた。誰かが覚えていればあの時の男が死んだとことに気が付いてもおかしくはない。
1時間に満たない短い時間とはいえ俺はあいつの横に並んでいた。今まで全く気にしなかった監視カメラも構内にはあったかもしれない。
当然誰にも相談することは出来なかった。出来るわけがなかった。
数日もすると友人から何度も連絡が入っていた。あまり関心を持たれないように素っ気なく退学した旨だけが伝えたがせめて嘘でもそれらしい理由を告げてやるべきだった。せっかく俺を心配してくれたのに申し訳ないことをした。
今後最も怪しまれない行動は何事もなかったかのように動画を投稿し続けること。俺は溜まっている脚本を開き撮影の準備をした。
「……」
何も言葉が出てこない。カメラの録画中を示す赤いランプが鼓動を早める。いったん休憩を取ってもう一度カメラの前に座る。
唾液が止め処なく溢れ何度も喉を鳴らす。一言もしゃべれない。こんなこと一度もなかった。試しにカメラを止め壁に向かって台本を見ると言葉が出てきた。
次に止めたカメラの前に座ってみる。
「……」
やはり言葉が出てこない。
この活動を諦めたくないがための凶行が俺に撮影をさせてくれない。
その後何度も何度も撮影を試みたが結果は同じで数時間を持つカメラのバッテリーが尽きてしまった。諦め半分でカメラのバッテリーを充電器にさし脚本を見つめる。他の脚本でも試してもダメだった。脚本の内容は関係ない。
「終わったのか? 俺は」
そう思うと全てに苛立ちを感じた。殺人を犯した俺に始まり、的場。そして毎回中途半端な脚本送ってくるやつにも。
少しでも苛立ちを何かぶつけようとした俺はメールアプリを開き脚本家に解雇通知を送った。今までの仕事を労うこともなく今後の活動を応援することもなく、ただただ冷たい文言でそれを告げた。
椅子に浅く座り頭を抱える。「これは一時的なもので慢性化はしないはず」そう何度も自分に言い聞かせる。
俺は明らかに疲れていた。半端に狂った奴は人を殺し苦しみ、徹底的に狂った奴は殺しても平気でいる。この半端な理性こそ俺の目下最大の敵だった。
とはいえとことん狂気へ向かうわけにはいかない。僅かとはいえ残った理性を回復させるために俺はここから離れることにした。
キャリーバッグに適当に荷物を積み込んでいく。仕事を彷彿とさせるものは置いていこうかとも考えたが1年間ずっとYouTubeのことを常に頭に生きていた人間だ。結局編集くらいならこなせるノートパソコンと、外でもいつか撮影するかもしれないと思いそれだけのために買ったiPhoneも持っていく。
行先はいくつか候補はあった。葵のマンションに厄介になってもいいし一足先に遠出してそこから葵との旅行先に合流でもしようかとも思った。
ここまで不相応な贅沢を慎み倹約してきたので資金は潤沢にある。
だが結局実家に戻ることにした。俺の心休まるのはそこしかないと思った。
せめてと思い事務所にしばらく動画投稿を休むことを伝える。だがどうも先月辺りから反応が悪い。一瞬頭に疑問符が浮かんだがすぐに理由は分かった。
今年度に入ってからDESIから離脱するYouTuberがやけに多い。
大手はもちろん、中堅も数多く辞めている。それもそのほとんどがYouTuberを引退してるわけでは無く個人で活動を続けている。
このタイミングで俺まで休むと視聴者や関係者、スポンサーに疑惑を持たせることになる。
それでも真実を話すわけにはいかず体調不良だと言い張り休むと伝えると、電話がかかってきた。知らない番号だったので一度目は出なかった。一応番号を確認してみると過去に一回だけ通話履歴のある番号だった。
風間さん、葵の兄で組織においてどのような地位にいるのかは知らない。だが偉い事だけは知っている。
こんな時恋人が会社の関係者だと不利に働いてしまう。舌打ちを一つしてこちらからかけ直す。
「本当に体調不良なのかい?」
開口一番挨拶もなく疑いを口にする。もしかして葵との関係で俺のことをよく思っていないのかもしれない。そういえば最後に会ったのも確か葵と付き合う前だった気がする。
「そうか、もう学校が夏休みかい?」
俺の虚言に納得してくれたのか話題が変わった。用が済んだのあればすぐ切ってくれればいいのに。
「昨日、君の通う大学の傍で遺体が見つかったみたいだよ。どうやら殺人らしい。……君も気を付けるんだよ」
そういうと電話は切れた。
こいつは俺を疑っているのか? スマホが持つ手が震える。いやそんなはずはない、もし仮に分かったとしてもこんなに早くわかるわけがない。俺の思い違いだ。
「君も気を付けるんだよ」いやそんなはずは……。
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