第36話

最初葵は間違いなく瀬川虎児ではなくYouTuberとして俺を見ていた。当然不満だった。だがそれをきっかけに俺自身にも少しづつ興味を持ってくれるようになった。

そうなると最初の印象なんてどうでもよくなる。もはやお互いの笑い話までに昇華させたくらいだった。

「もし俺がYouTubeを辞めるって言ったら?」

「へー、じゃあ大学卒業したら何になるの?」

答えに窮してしまった。ちょっとした意地悪で試したような質問をしただけだがやめること自体には不満はないらしい。


学業から目を背ければ充実した毎日だった。彼女に申し訳ないと思ったのは自分に課した動画投稿ペースのせいで纏まった時間が取れず一緒に旅行などは出来なかった。

「トラ君が忙しいから全然一緒に旅行出来ないじゃん」

そう毒づくが彼女は楽しそうに笑っていた。

「どこか行きたいところあるの?」

「時間が取れてから考えるよ、目的地まで決めちゃったらいけないことがもっと不満になっちゃう」

いつか一緒に旅行に行きたい、そう切実に思った。


大学生活1年目を終えた。銀行残高は1年前から桁が0の数が3つも増えた。

ただいたずらに贅沢はしないよう心掛けた。いつ人気が失墜してもおかしくはない。

数年前大人気だったYouTuberが今では目も当てられない状況になっている。一度上げた生活水準を下げるのは苦労すると以前調べた大減俸を食らったプロ野球選手の発言にもあった。


同じようにあと3か月でYouTube活動も1周年を迎える。特に特別に何かをしようとは思っていないが数日間の動画投稿を休もうかと思った。別に誰かに投稿ペースを約束したわけでなじゃない。わざわざ視聴者に説明しなくても勝手に休んでも構わないのだが今日まで熱心に応援してくれた視聴者もいる。出来ればそういう人たちの理解を得たかった。


まずは事務所に相談してみた。予想に反して積極的に休養を勧めてくれた。今思うとこの頃から大手のYouTuberの離脱が目立ち少しでも待遇面を改善しようとしていたのだろう。

葵にも当然相談した。

「大丈夫なの人気商売は水物だよ?」

彼女の反応も予想とは違った。

「休むと言っても一週間くらいさ。ちょうどいいしさどこか旅行にでも行こうよ」

「あなたがそう言うならこれ以上休むなとは言えないよ」


それから二人で旅行の話をした。どこに行くかはなかなか決まらなかった。二人とも希望が多すぎた。

遅々として進まない旅行計画をよそに二度目の夏休みが目前まで迫ってきた。

「トラ君、大学は大丈夫なの? よくわかんないけど単位取れないと退学になるんじゃない?」

「少なくとも今は大丈夫」

「今は?」

数少ない友人にも注意されているし全然大丈夫ではなかった。だが取得単位数が少なすぎても勧告はされても即時退学とはならない。4年間で卒業が出来なくても最大8年まで在籍出る。それまでに単位数が足りないと除籍処分される。だから当面は大丈夫なことに嘘はなかった。


それでも取れそうな単位は取ろうとその日は大学に向かった。友人のいない講義は諦めていても友人のいる講義では希望はあるし、こんな俺にまだ友人でいてくれる奴に無駄に心配をかけたくはなかった。

「日本文学論考」出席も取らないし友人もいる数少ない講義。

この日も大幅な重役出勤をし講義室に入るとまずは友人を探した。ようやく見つけた友人は呆れた目でこちらを見ている。

そいつは必要以上に踏み込んでこない。俺のYouTubeの活動を知っていても聞こうとしないし余計な嫉妬もしない。他人を尊重して生きることを心得ているやつで尊敬している。恥ずかしいから絶対に言わないが。


講義終わりに飯に誘ったが「もう帰る」といて付き合ってくれなかった。尊重し過ぎて距離を置きすぎるのが玉に瑕だ。

俺も午後の講義に出席するのが億劫になり帰ることにした。昼休みも始まってすぐだと構内のバス停は目を背けたくなるほど混雑するが3限直前だとかなり空いている。漫画を読みながら時間を潰していると、駅から到着したバスが数人の乗客を吐き出す。

わざと講義ぎりぎりに登校する効率的な学生の中に一人風変わりな男がいた。

この暑さでスーツを着込み手には大きな紙袋を持っている。外来教授かとも思ったが若すぎる。スクールバスはわざわざ乗客の身分確認なんてしない。言ってしまえば誰でも利用できる。


男は降りるときもスマホをじっと見ている。スマホを操作しているというよりは画面をしっかり確認している様子だった。

俺は横目でそれを見ながらバスに乗り込む。

男がはっとしたように視線を上げこちらに目を向けた。「さすがに見過ぎたか」自分の行為が恥ずかしくなり急いでステップを上がり近くの座席に腰を下ろした。

定刻より遅れていたためバスはすぐに発進した。「もう大丈夫かな」最後にもう一度車窓の外に目を向けると男はまだ俺を見ていた。

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