第24話

隣にはトラ君がいる。

いつ以来だろうか。正直思いっきり怒鳴りつけたやりたいという感情に支配されていた時期もあったが、いざ対面してみると安堵で涙がこぼれてきた。

彼と今までのこととこれからのことを話し合った。彼は理由を言いたがらない。当然だと思う反面私にも話してくれないのかという落胆もある。

無学な私にはわからないが排斥されるとは少し考えにくい。でもそれは安全地帯にいる人間の考え方。だから彼の考え方を尊重したい。


彼のしたことは確認した。次は私のしたことを知ってもらう番だ。

トラ君のただでさえ悪い顔色が真っ白になっていくのがわかる。でも理由を話すと少しは納得した表情だ。もう一人も二人も変わらない。

を知る連中は一人も残さず消してしまえばいい。

「さすがにそれは極端だ」と窘められた。私だって物の例えで本気で言ったわけでは無い。


とりあえずはここから逃げなくてはならない。

ずっと逃げ切れるかどうかはわからない。きっと無理だろう。だが今すぐ捕まるつもりはまったくない。

トラ君は自首も選択肢にあったようだが私が現れたことでその道も諦めたようだ。

「少なくとも関東からは逃げよう。そうだな……どこか行きたいところある?」

「九州にしようよ。私行ったことないし」


私はいつでも逃避行できるように車に必要なものは全て詰め込んでいたがトラ君はそういうわけにはいかない。

しかしトラ君はいったいどこに隠れていたのかと散々頭を悩ませていたが狭山の実家にいたとは。想像できたとしても狭山のどこかわからない以上一人できて探すわけにはいかないので十分と言えばそうなのかもしれない。


トラ君を助手席に乗せて案内に従い彼の実家へと向かう。

勝手に田舎のイメージを持っていたが全然そんなことはなかった。都会までいかないくともこのくらいなら東京にもいくらでもあるであろう。

数分程度で彼の実家についた。

「ここに止めて大丈夫?」

駐車スペースは空だが家人が留守なだけかもしれない、見る限り1台分のスペースしかない。

「平気平気。最初から客人用のスペースだから」


彼の家は綺麗な一戸建てで入口とは反対側が大きな道路に面している。しかし道路はちょうど坂道に当たるためか一階には面しておらず二階から僅かに道路が覗ける程度だ。

「あれ最悪だね」

二階のベランダの正面には近くの飲食店の看板が出ており直射日光を完全に遮断している。

「あれ、俺がいたときはなかったんだけどね。二階使うのは俺くらいだし大したことないよ。腹は立つけどな」

少しずつトラ君の口調は軽くなってきた。


玄関に近づくと生臭い臭いがする。玄関の傍の水道にクーラーボックスが置かれいる。

「トラ君、あれ何? すごい臭いだよ」

「……洗ってる最中に呼び出されたんだよ、まったく」

「なんであんなものがあるの? もう夏場にこんなもの放置してたら病気になりそうだよ」

実際にかなり鼻が馬鹿になったような気がするし、臭いが服についてないか心配になる。

「車で待っててくれよ、すぐ取って来るからさ」

「じゃあそうするね、早くしてよ」

車に戻りTシャツの匂いを嗅いでみる。

「うわぁ、ちょっとついちゃったかも」


「車どうしようか? 私のマンションまで一回戻る?」

「さすがに面倒だし、疲れるでしょ。駅前の駐車場に置いておこう。お金の心配はないよ」

「本当? じゃあお願いしちゃうね」

彼の荷物は少ない。ボストンバッグ一つにおさめてしまっている。

「荷物それだけ? 男だとそんなもんなの?」

「夏だしね、冬場ならもう少し増えたさ。それに現地調達でも構わないわけだし」

「それもそうか。私が多すぎたのかも」

「そうだね、手軽なほうがいいから駅に着いたら厳選しなよ。調べたら大宮駅から出る新幹線は夜だ。時間には余裕、というより持て余すし道中も荷物がかさばると大変だ。どうせ俺が持つことになるんだろ?」

「いつも持たせてるみたいな言い方しないでよ。偶にじゃん」

逃避行というより旅行のような気分になってきた。どうせ逃げることに変わりないのであれば少しでも気が楽なほうがいい。


駅に入り切符を買おうとするとパスモという物を買わされた。

「スイカなら知ってるんだけど、同じような物? あと切符買うより高かったんだけど」

「同じようなもんだし、使わなくなったら返せばその500円も戻って来るよ」

新狭山駅から西武新宿線に乗り所沢駅まで行きそこから少し歩く。

「電車に乗るなんていつ以来かな、トラ君は?」

「通学で毎日使ってるよ」

「面倒じゃない? 車買えばいいじゃん。どうせ乗らなきゃ運転は上手くはならないよ? ペーパーなの勿体ないよ」

「大学に駐車するのもいろいろ面倒なんだ、それに必要な時は葵が運転してくれよ」


大宮駅までつくと構内は複雑でトラ君と少しでも離れると不安を覚えた。

「これで複雑だったら葵は新宿駅行ったら『ターミナル』みたいになるな」

「何? 『ターミナル』って」

「実話をもとにした映画。空港に住んでた男の話。もっとも迷って住んだわけじゃないけどな」

二人分の新幹線のチケットを買い改札を通る。


「二人で遠出の旅行って初めてだね」

「そうだな、自由気儘に思えてYouTuberも忙しくそのうえ大学まであるとなると」

「この状況に感謝だね」さすがに口には出さなかったが本心だった。

「ねえ、私臭わない? 生臭くない?」

「大丈夫だよ、あれくらいじゃ付かないって」

確かに鼻で匂いを感じることはない。だが記憶に鮮烈に残った臭いが常に存在を主張している。トラ君はあれを洗っていたのに鼻がしっかりしているんだ。


そろそろ新幹線が到着しようかという時間になりホームに降りる。

「そうだ、飲み物買って来るよ。待ってて」

「車内で買えばいいじゃん」

「売ってないよ、今は車内販売って無いんだよ」

そういえばそんなニュースを見たような気がする。


二人で座席に腰を掛けるが他の乗客はほとんどいない。

「ゆっくりできそうだな、俺はちょっと寝ようかな」

「どれくらい時間かかるの?」

「5時間くらいかな」

「じゃあ私も寝ようかな」

「それなら俺が通路側に座るから窓際にきなよ」

トラ君が買ってきてくれた紅茶を半分ほど飲みブラインドを下ろす。

悪臭で麻痺したせいなのか味も少し生臭く感じた


目を覚ますと人工的に光がいやに眩しかった。

隣を見るとトラ君の姿はない。「トイレかな」私を置いて先に降りてしまったのかもしれないとも思ったが次の新大阪まで止まらないはず。

「窓から飛び降りでもしない限り無理よね」

ブラインドを戻し窓の外に目を向ける。

真っ暗な外界は視認できず窓に映る自分の顔だけが不気味にそこにいる。

ひどい疲れた顔をしている。なんだか気分が悪いし胸も苦しい。

あの時は夢中だったが落ち着いてくるとストレスを自覚してしまったのかもしれない。飲みかけの紅茶で気持ち悪さを流し込もうとする。

急に強烈は吐き気が襲ってきた。やっぱり生臭い。

急いでトイレに向かおうとしたが足が言うことを聞かない。足がもつれて倒れ込む。

息苦しいから呼吸がままならないところまで来ている。どれだけ息を吸っても酸素が肺まで届かない。

助けを呼ぼうとしても声が出ない。限られる力で床を叩き自分の現状を誰かに知らせようとする。しかし一気に酸素を使ってしまったことで目の前が暗くなる。

視界とともに遠のく意識の中で車内アナウンスだけが聞こえた。

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