第17話

城島のアパートからの帰りの電車の中で小島が送ってくれたという情報に目を通す。やはり現金のやり取りがあったとはいえ直接城島のアパートまで足を運ぶ必要がったのか考えてしまう。結局でメールで情報を送られてるのを目の前にするとどうしてもそう思ってしまうのだ。


的場寛治は今年で27歳。非常勤の予備校講師をしているらしい、出身地は長野県T市。勤め先は関東圏の同系列の予備校をあちこち移動しているとのこと。

受験向けというより定期試験対策で高校生に現代文を教えているらしいがそこまでの実績はない。

「実際現代文講師って何教えるんだ? 高校の教師と一緒かな」

二年前を振り返ってみるが古文漢文は必死になって勉強した記憶があるが現代文は、ない。下手したら課題以外で一秒も勉強していないかもしれない。

的場の情報の下に同僚の連絡先も載っているが注意書きで「君の知りたがっている情報は的場の同僚は知らないと思う。彼はプライベートのことを極端に話さない主義だったらしい」と付されている。

「じゃあ最初から載せるなよ」と思ったがよく見ると連絡先0×0-××××となっている。

携帯の番号なのに中か下の四桁が消されているのだろう。

「私が調べればこれくらいわかるが、君が知る必要はない」と自分自身の能力を誇示したのだろう。


気が付くと電車内の人が増えてきた、立っている乗客も自分の膝のすぐ前に立っている。念のためスマホの角度を立てて見られないようにする。

誰も見ようとはしないだろうが視界に入らないわけでは無い。見られてもいい、とまでは言い切れない。なんせ個人情報だ。

しかし今のところ得た情報では被害者の身辺調査のようなものだ。しかも「これじゃあより殺された理由がわからない」素行が悪いわけでも犯罪歴があるわけでもない。

瀬川との接点がまるでないように思える。


集中していて気が付かなかったが目の前に立っている男、とんでもない臭う。100キロを優に超えているであろう巨漢だ。特別不衛生な格好をしているわけでもなければ大量に汗をかいているわけでもない。

「体臭、自分では気が付いてないんだろうな」悪気はなくとも電車のような密閉空間だとどうしても気になってしまう。

「自分でも気が付かない匂い」か。ふと先日の汗臭い自分を思い出し服の匂いを確認したくなったがさすがに我慢する。


匂いをばら撒いていた男はそれから二駅過ぎたところで降車していった。乗客はあれからさらに増えたが車内は快適になった。

乗り換えの駅までまだしばらくあるので再び小島からの情報を確認する。

小学校も中学校も高校も地元の公立校、大学は都内の私大。どこでも特別目立つ存在ではなかった。

スポーツの才能があるわけでもなく目立った能力があるわけでもない。スポーツは小学生の時に野球クラブにちょこっと所属していただけでそれ以降は帰宅部のようだ。「そんなことあるか?」目立たなすぎる。


いい意味でも悪い意味でも目立たない。そんな自分を想像してみた。それこそ空気なような存在。

だがそれならば「空気みたいな奴」だったり友人の記憶に残らなかったり、そもそも友人が少なかったりとそれ自体が特徴になるはず。

確かにそこにいる、でも何者でもない。

そして大学を出た後は予備校へ就職し、今に至る。


メールの最後に一人の人物の連絡先が記載されている。電話番号もメールアドレスも他の人物とは違い完璧な形で載っている。

ここに連絡すればいいのか? AからBへ、BからCへ。これをあと何度繰り返せば瀬川までたどり着くのだろうか。

終わりのなかなか見えない旅、夏休みの間に終わるのかな。


「お兄さん、降りてください。降りて」

呼ばれて顔を上げると駅員が目の前に立っている。周囲を見ると誰もいない。

「すいません、すぐ降ります」

終点だった。眠ったつもりもないがここ十数分の記憶がない。


大学から近いが普段来ることのない大きな駅、せっかくなのでここで降りて近くを歩いてみることのしてみた。

上京して何度か利用しているが駅だが東京の中でも1,2を争う迷宮。どうせ地図を見ても分からないので構内の標識を頼りに外を目指す。


さすがに人の数が多い、都会人と田舎人の大きな違いの一つに人とぶつからないで歩くがあることを知ったのも上京してからだ。

この中にも自分と同郷、瀬川と同郷の人間がいるのだろうなと考えると不思議な気分だ。東京都民の約半分は地方出身者、そう聞いた記憶があるがそれも古い情報だ。今はどうなってるのかわからない。

躱す技術でふらふらと構内を歩いていると目的と同じ方向ではあるが違う出口から外に出ることできた。東口だけで数種類の出入り口があるなんて迷うに決まってる。


一時間ぶり程度だが久しぶりに日の下に出た気がする。

「さて、どうしようか」

遊ぶ場所も食べる所も十分すぎるある街だがそんな気分にはなれなかった。臨時収入で懐の潤っているので普段行かなそうなところで食事をとってもいいのだが一人で外食はあまり趣味ではない。この間の姫子さんとの探索と今日の順が逆だったらよかったのだ。そうすれば姫子さんを誘ういいきっかけにもなったのだから。

「調子に乗らないで」そう冷たく言われてお仕舞いだろう。


慣れない土地なのであまり駅から離れたくない。駅自体が相当に大きいので多少の範囲なら離れても方向を見失うことはない。

高い建物が多く日陰は多いが風もなくコンクリートから放たれる熱気が不快指数を青天井に上げている。

「そろそろ限界だ」と思い始めたころ右手に大きな書店が目に入った。

驚くことにビルのテナントを全部使っている。吸い込まれるように書店の自動ドアへと足が進んでいく。


適度に効いたエアコンの風が火照った肌を優しくなでる。気温よりも湿度が快適なのが何より助かる。入ってすぐにエスカレーターがありその脇に各階の案内がある。

特に目的があったわけでは無いので雑誌コーナーの一階を飛ばし二階から順に見て回ることにした。


資格の教本、自然科学、社会科学、小説、写真集画集と一通り見て回ったが品揃いに圧倒されてしまった。高校時代は漫画もライトノベルもそれ以外の小説もたしなむ程度に読んでいたが大学に入ってからは少し遠のいてしまった。

「せっかく来たんだし何か買って帰ろうか」買うにしても古本屋をよく利用していたが今日は財布が厚い。

いざ買おうとすると悩んでしまう。漫画ならまとめて買いたいが帰り道を考えるとカバンを重くするのは億劫だ。では小説にしようかとも思ったが以前愛好していた作家の名前が思い出せない。現役で作品を今でも出してるのかも定かではない。

大して悩んではいないがこの書店で最も力が入っているであろう学術書にすることに決めた。

しかし興味が薄かったり内容が難しすぎると読まないで積むことは火を見るより明らかだ。

先輩の影響で古典関係にしようかと思い社会科学のコーナーがある階に移動する。


社会科学のコーナーだけで並の書店以上の広さがある。その階を地図を見て目的の本棚を目指す。

目指して歩いていると「あの事件から60年」というキャッチコピーが目に入った。

「どの事件だ?」と振り向いて確認すると「狭山事件」というシンプルなタイトルの本がそこにはあった。

「狭山事件」昨日瀬川のレポートで見たが稚拙で内容が薄かったためたいして覚えていない。

その重いハードカバーを手に取ってみる。バーダーマインホフ現象、今回は正しい使い方な気がする。

結局古典関係の本は買わずに書店をあとにした。

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