第15話

姫子さんから借りた元瀬川のノートパソコンに充電器を差し込みしばらく放置した。

充電しながら操作すれば早いのはわかっているのだが、疲れているうえに慣れないデバイスを触るのは気が重い。

何よりそもそも瀬川が姫子さんに渡す前にデータを消去していないとは思えない。

徒労に終わってしまう可能性のほうがはるかに高いのだ。


疲れた体を癒すために数か月ぶりに浴槽に湯をためた。冬が終わり暖かくなるとどうしてもシャワーで済ますことのほうが多くなる。浴槽が少し汚れている気がしたが見なかったことにする。

「最後に風呂掃除したのいつだっけか」

家賃の都合上あまり贅沢は言えないがどうしてもユニットバスというものは風呂に入る意欲を大きく減退させる。

お湯が腰の半分くらいの位置までたまったのを確認してコンビニで買った入浴剤を入れて服を脱ぐ。


浴槽に身体を沈める前に蛇口をひねり直接水をがぶ飲みする。顔中濡れてしまうがどうせ風呂に入るのだ、関係ないだろう。

どこで覚えてきた知識か忘れたが風呂に入る前にコップ一杯分の水を飲むほうがいいらしい。


湯につかると頭の中がまっさらになる。人によってはアイデアが出る貴重な場所らしいが俺にとっては汗以外出るものはない。

少しボーっとしているだけで汗がとめどなく流れ出てくる。

一通り頭と身体を洗い泡を湯で流すと栓を抜き浴槽から上がる。

根が貧乏性なのか、わざわざ湯を張る時間と水道代を出している以上はある程度湯に浸からないと損だと感じてしまう。


下着一枚で部屋をぶらつきエアコンの前を陣取ると瀬川のノートパソコンの充電が終わってるのがわかった。椅子に腰を掛けコップに注いだ牛乳を一気に飲み干す。

そうして意を決しパソコンを起動すると馴染みのない画面と起動音とが控え目に主張する。

自分の有線マウスを接続してホーム画面のアイコンを一つずつ確認していくがどうやら初期化はしていなかったらしい。もっとも一度も使っていないであろうアプリのほうが多い。


タスクバーのメールアイコンをクリックしてみるが案の定ログイン画面が出てきた。パスワードはともかくIDは全く見当もつかない。

しかも使っていて日の浅そうなこのノートパソコンでメールのやり取りをしていたかもわからない。

あいつの部屋にあったのはこれとは違うメーカーの物だった。入学時に見栄を張って買ったはいいが合わずに姫子さんに譲ったのかもしれない。


その後他のアプリも触ってみたが目ぼしいものはほとんどない。時計もそろそろてっぺんを示そうかという時間だ。諦めて寝床に着こうかと思っていたところファイルに一つだけPDFで保存されているものがあった。

タイトルはおそらく瀬川の学籍番号だ。最終保存時期は去年の8月。

開いてみると「文章表現法講義夏期レポート」とある、副題は「狭山事件? 何の授業だったんだ?」

文章表現法は通年の必修講義だったが俺は違う教授だったためレポートなど一回もなかった。瀬川の場合は試験ではなくレポートだったのか試験が芳しくなく追加課題をもらったのかは定かではないが、少なくとも講義内容とは関係なさそうな副題が付されている。


レポートの文字数を確認すると3000字程度。この時期の瀬川はまだレポートに慣れてないのか記述がやや稚拙でしかも文末表現で統一されていない。

「まぁどうせ必修だし出せば単位は貰えるんだろうけどさ」

全てというわけでは無いが必修講義は単位認定が若干甘い。


「狭山。あいつの出身地か」

狭山事件自体は勉強不足で知らない。このレポートを読めば多少わかるのだろうか。

風呂上がりでかいた汗も収まってきた。

3000字なら寝る前の読み物にちょうどいいだろう。

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