弟子入りと命名


 俺は今胸ぐらを捕まれて木に押し付けられている。胸ぐらを掴んでいる相手は黒髪の美女アトラだ。


「あぐっ……はな…せ…よ」


 俺の身長は170cmちょっと、アトラは165cmよりも少し高いくらいだがほぼ同じぐらいの俺を悠々と片手で持ち上げている。木に押し当てる力も胸が潰れそうなほど強い。凄い筋力だ。




 経緯はこうだ。


 俺は路地裏で不覚にも気を失い、アトラがここまで運んできたらしい。

 そこで人格の違う俺が出て来て、アトラの緑色の眼の片方を奪ってしまった。その眼を取り戻せるのは2年後、それまでに俺を鍛え上げなければならないとのことだ。



 いや、なんのこっちゃねん、もう一人の俺?はい?

 まじで訳がわかりません。


 俺が起きた時、アトラは俺の火傷した左腕を踏みにじりながら、汚物を見るような目で睨んでいた。起きたのはこの時の激痛のせいだ。


「黙れクズがっ誰の所為だ!あぁ!?」


 路地裏では堅苦しくても、もう少し女の子らしかった…今はその欠片も見当たらない。


「お…れも…しらな…い」


 本当に知らない、誰だよそいつは。転移前も、転移後もそんなやつがいた記憶がない。いや一人だから知らんかっただけかもだけど。

 ほんと、なにしてくれてるんだよ。


「ちっ、ゴミ虫がっ」


 そう吐き捨ててアトラは俺を地面へ叩きつけた。


「あがぁっ!」


「喚くな虫、耳が腐る」


 投げといて酷い言われようである。まだ研究所の方が優しく感じてきたぞおい。

 これでも俺ってアトラの命の恩人とかじゃないの?それに返すって言ってるのにここまでするか普通。


「そんなに嫌なら…ほっとけば…いいだろ」

 もう声を張る体力もない。いまもまた気を失いそうだ。


「できるなら、私もとっくにそうしている…」


 また胸ぐら掴まれるかと思ったが、堪えているのか拳を強く握りながら低く唸るような声でアトラは言葉を返した。

 アトラは俺から離れた場所に脱力するように腰を下ろす。


「………」

「………」


 沈黙が重い。まだ罵りあってる方が幾分かマシだ。


 俺の中にいるもう一人の俺よ、やるなら自分で処理しろよ…くそっ。

 まぁでもこういう時は『大体男が全部悪い』が正解だ。俺は知っている。

 納得はいかんが俺から切り出すしかないよな。


「その、アトラ…さん。悪かった、俺は知らないが、もう一人の俺がだけど、本当にすまな━━」

「その汚い口で私の名前を二度と呼ぶな」


 もう泣きそう。

 パパは心が折れそうだよ■■■


 あれ?■■■なんで、■■■!■■■!!なんでだ!?なんで言葉にならない!!

「■■■っ!!!」

「おい!うるさいぞゴミ!」


 アトラが悪態をついてくるがそれどころではない。娘の…

「娘の…子供の名前が思い出せない…」

「む、むむむむむむすめ!?」


 アトラは目が飛び出そうなほど驚いているがホントにそれどころではない。

 なんで…なんでだよ。

 どんどん…消えていくのか?向こうでの名前も家族も想い出も…。


 早く帰らないと。そう思った。





■□■□■□■□■□■□■□■

□■□■□■□■□■□■□■□





 アトラは女王様モードから一転。何故か借りてきた猫のように急に静かになった。

 よくわからんがこれはチャンスだと思い、俺の今までの経緯を説明することにした。

アトラはもう一人の俺のことをめちゃくちゃ怒ってはいるけど、たぶん悪い人間ではない…と信じたい。いや、暴力受けているのは俺の方なんだけどな。


 俺は嘘はないからと前置きだけして話し始めた。アトラはまた沈黙の構えだ。


 ━━━先ずは、俺が違う世界からきたこと。年齢が若返ってしまったこと。翼人だけどリバースとストレージしか使えないこと。そして何故かリバースだけ規格外かもしれないこと。

 後は研究所でなにがあったか、どうやって脱出したのか…


 洗いざらい全部話した。


 それを聞いたアトラはというと

「そ、そんな…父上と…3歳しか…」

 とか呟きながらチラチラこちらを見てくる。


 いや、そこはいま一番どうでもいいからな?


 それからしばらくの間黙考し、口を開いた。


「…わかった。信じがたいが、と言うか貴様を信じたくないが…わざわざこんな嘘を付くメリットもないだろう…筋も通っている。リバースについてはこの身で確認済みだしな。貴様は信じないが合理的で証拠も揃っている。不本意だが信じてやる」


 信じたくない、から信じないにかわってんぞ、言葉の端々から嫌悪の感情出まくりですよ、でもまぁ。


 俺はアトラの目の前に立ち頭を下げた。

「これが俺の全部だ。もう一人の俺のことはホントに知らん。だけどすまなかっ━━」

「許さん」


 あーこの人 全然許してくれない。…でもさっきよりは…


「成り行きは聞いた。だからどうした?絶対に許さん。お前は必ず殺す」

 アトラの目は真剣だ。真っ直ぐこちらを見据えている。


「…二年後だ。二年後緑煌眼りっこうがんを取り戻して、私は貴様を必ず殺す」


 必ずて…相当恨みが深いな。やっぱりさっきと何も変わって━━━


「殺されたくないならこの二年で私より強くなれ。ちゃんと鍛えてやる」

「………」



 きっと、これはアトラなりの譲歩なのだろう。心境が変わったのか、それともさっきより落ち着いただけなのか。

 なんにせよ閻魔様からチャンスをもらったわけだ。


「感謝するアト━━」

「私の名前を二度と呼ぶなと言っただろう糞虫、私のことは師匠と呼べ」

 あ、はい。

 なにこの子、今どき師匠呼びされたいタイプの子なの?


「…それで、し、師匠。俺の名前なんだが…」


「ああ、確か思い出せないんだったか?難儀なものだな。もう糞虫でい━━「嫌だが?」」


 被せ返してやった。

 もう一人の俺は糞虫でもいいが、俺は断じて違う。


「チッ、面倒臭いやつだ。それなら…」

 アトラはそう言うと辺りを見回す。そして俺を、正確には俺の服を見て指を指す。

 え、もしかしてピチピチとかMサイズとか変態とか、そんな感じ…?まじで嫌ですが…


「貴様の名前は今から”キューロ”だ。以後その名を名乗れ。フフフッ」

 名前を決めて一人笑うアトラ。

 なんだよ機嫌戻ってるんじゃないか?


「…にしても安直だ。でもまぁ糞虫よりかは幾分かはマシか」


 俺が着ていたメアの部屋着、その胸の真ん中には96の数字がでかでかとプリントされていた。よくあるユニフォームチックなやつだ。


 名付け人が殺す殺すと宣う人間ではあるが、俺は漸く自分の名前を手に入れたのだった。



 異世界の翼人改め、キューロ誕生である。





━━━どこかで、糸の切れるような音が、また聞こえた気がした。

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