第2話 目力と男女の視線

 営業所の帰り道、目指す喫茶店が見えてきてからというもの、歩きが急に遅くなった。目指しているものが見えてくると、えてして歩が進まないことは今までになかったことではない。前に踏み出す一歩に力が入り、足が急に重たくなってしまったのか、上げた足がすぐに地に着いてしまう。

 そんな時は、足元を見ることができない。

 一度、頭を下げて足元を見てしまっては、なかなか頭を上げて、進行方向を見つめながら歩くことができなくなる。香澄は、なるべく頭を下げないようにして前を見て歩くようにした。

 目の前に広がっている光景が、次第に小さくなっていくような気がするのが気がかりだった。

――近づいているはずなのに――

 普通に歩いていれば、見えてくるはずの光景を最初からイメージしているのかも知れない。イメージしている光景ほど、実際の景色は小さく見えている。それだけ思ったよりも前に進んでいない証拠であり、認めたくないという思いが、イメージだけを、正直に映し出していたのであろう。

――こんな思いを、今までに何度したことだろう?

 近づきたくないという思いから、目の前に来ているはずのものが、視界から消えてしまったという妄想を抱いたことで、いつの間にか夢の中にいたようで、現実に帰った時、夢から覚めた時の感覚をわざと意識するようにしていた。そのため、現実逃避を認めたくないと思っている意識が、妄想を夢として片づけたいという意識を駆り立てていたのかも知れない。

 以前に一度感じた妄想は、

――自分が外から見られている――

 という感覚を覚えた時だった。

 なるべく前を見て歩かなければいけないと思って、視線を正面に据えていたが、どうしても気になるのが空だった。

 その時の空は、今までに感じたこともないほど、灰色が深く、色に対して初めて、

――深い――

 と感じた時だった。

 雲が空を支配するかのように、幾重にも厚く張り巡らされていて、色は灰色の一色なのに、厚みを感じることができるほど、同じ灰色にも、種類があったのだ。

「迷いこんでしまったら抜けることができないイメージを色で表すとしたら?」

 もし、そう聞かれたとすれば、

「灰色ではないでしょうか?」

 と答えるような気がする。

 グレーと呼ばれる色は、ハッキリとしない時の代名詞のように呼ばれていて、ハッキリしないというのは、奥に引きこまれるだけの要素を満たしているということだ。

 グレーの雲は、まわりから次第に濃くなっていき、中心部分は、ほぼ暗黒の世界である。同系統の色が、木の年輪のようになっていたとすれば、見えてくるものは、立体感である。そして中央に行けば行くほど濃くなってくるということは、中央が奥深くなっているということであり、まるでブラックホールを思わせる。

――それが、平面と立体の違いであり、平面に見えていたものが、立体的に感じられるようになる時の錯覚を呼び起こすものなのかも知れない――

 と、感じるようになっていた。

 下を見て歩いてしまうと、頭を上げられなくなってしまう。かといって、上を向いて歩いていると、ブラックホールのような雲に吸い込まれそうになり、足が竦んで動けなくなりそうで怖い。やはり、正面を見て歩くしかないのだ。

 ただ、正面を見ていると、空を見ないようにするのは困難だった。香澄は子供の頃、友達と遊んでいて、

「足を開いて、股の間から見てみると、世界が変わって見えるわよ」

 と、言われて、実際にやってみたことがあった。

 さすがに、子供の頃だったので、日本三景の一つである「天橋立」を知るわけもなく、ただの好奇心で股の間から覗いてみると、

「本当だ、空がこんなに広いなんて」

 と、感動したのを思い出した。

 普通に見ていれば、空は地平線の向こうに見えるだけで、山や建物よりも上にしか見えので、視界のほとんどが地平線の延長であり、空はおまけにしか見えなかった。

 それが、股の間から見ると、まったく違って感じられる。

 自分が見ている真正面は、空しかない。すべてが空に支配されているように見えていたが、地平線は、頭のさらに上の方にしか見えなかった。視界のほとんどを支配している空は、普段見ている空とはまったく違っていて、おまけであっても空を見ると、いかにも地平線の向こうに広がっていて、遠くにしか感じなかった普通に見ていた空だが、股の間から覗いてみた空は、地平線と同じ位置に存在しているようにしか感じられない。つまりは、――股の間から見た景色は、立体的には見ることができない――

 ということである。

 さらに、ちょうどその時に見た空は、雲一つない真っ青な時だった。股の間から見たのは、それから何度かあるが、見る時というのは、そのすべてが雲一つない真っ青な空の時だったというのは、偶然であろうか?

――確かに、真っ青な空の時以外、股の間から見たいとは思わない――

 と、感じていた。

 それはやはり股の間から見る景色が、平面的にしか見えないからだろう。雲があり、その雲が灰色だったりすると、普段の角度から見ていても、雲の奥深さが感じられるのだから、平面にしか見えない股の間から見た鈍色の空が、どのように写るのか、想像もつかない。

 その日の空は鈍色だったので、本当なら股の間から見た風景など、想像するはずのない日だった。ただ、空が鈍色ではあったが、雲の合間から、光が漏れていた。ちょうど傾きかけた夕日の近くには、雲はなかった。まるで、太陽を避けるかのように、その部分だけ雲がなかった。この時とばかりに日差しが差してきて、雲のまわりは、まるで後光が差したかのようになっていた。

 空が鈍色に輝いていると、いつもは鈍色の雲に対して深いブラックホールを感じていたのに、同じ深さは感じるが、太陽がもたらす光は、掘られた深さというよりも、

――光が鈍色の空を避けているようだ――

 と感じさせるような深さがあった。

 鈍色の雲に「避けられた」光が、自分の目指す喫茶店を照らしている。ここまで考えてくると、確かに来た時とは、条件的にもまったく違った光景を醸し出しているように見えていた。

 店の中に入ると、今度はまた昼間に入った時と雰囲気が違っていた。

 昼間入った時に感じたのは、店の中の広さに関してだったが、広さに関して、もう一度改まって見てみたが、今度は、表から見たイメージとさほど変わらなかった。

――でも、何かが違うんだわ――

 と感じていたが、それは何なのだろうか?

 店の中で、空気が流れていないのを感じたからだということに気が付くまでに少し時間が掛かった。段階を追って考えないと分からなかったからだ。

 最初に感じたのは、店の中に入った時の不自然さだった。

 何が不自然なのかというと、配置が不自然だった。最初に来た時と、配置が変わっているはずはないので、同じ空間にいるはずなのに、なぜ配置に不自然さというものを感じたのだろうか?

 配置と言っても、そこに並んでいるものの並びではない。距離感だった。

 それは、目の錯覚と言ってしまえば、すべてを解決できるだけのものだったはずなのに、香澄は、目の錯覚という言葉で到底片づけることができないものを感じたのだ。

 それが、「距離感」だった。「距離感」とは、言い換えれば遠近感とも言える。自分の記憶の中にある距離感よりも、遠かったり、ものによっては近かったりしている。

 記憶の感覚というのは、時間が経てば少しずつ鈍ってくるもので、最初に感じた意識がどこまで正しかったのか。数時間も経てば怪しいものだ。しかも、同じものを見て、

――違っている――

 と感じるのだから、今目の前にあるものこそ真実なのだ。

――真実?

 そういえば、真実のものであっても、絵に描こうとした時、思い切って省略して描いたりするものだというのをまたしても思い出した。

――今、自分が目の前にしているものが、本当に真実だなんて言えるのかしら?

 それは、まるで絵に描いた風景を見ているかのようで、

――絵に描いた風景なら、そこに空気なんて存在しないわ――

 と感じたことから、目の前の光景に、空気の流れを感じないという思いに駆られたのだろう。

――不可解なことであっても、少しずつでも、考えを順序立てて見ていけば、それなりの矛盾のない考えを引き出せるものなのかも知れない――

 と、香澄は考えていた。

――まるでさっきまでいたような気がするわ――

 店内に入り、入り口で立ち止まって、まわりを見渡すと、そこに見えるものは、最初に立ち寄った昼下がりに見た光景を再現しているかのようだった。店内にいる客もまばらで、さっきとほとんど変わっていない。まるでデジャブのようではないか。ほとんど誰も動こうとはしない。誰もが本を読んだり、携帯を弄っているのか、微動だにする様子もない。

 しかし、集中しているようにはどうしても思えない。いくら動かなくとも、何かに集中していれば、何かしらのオーラのようなものが滲み出てくるものだ。それなのに、オーラはおろか、人の気配まで感じない。まるで部屋全体が凍りついてしまったかのように感じられた。

 それでもその感覚は、香澄が、

――自分の指定席――

 と決めている、カウンターの奥の席に座るまでのことだった。

 それまで、歩きながらでも、凍り付いてしまったと思った空間には、空気が流れていなかった。しかし、席に座った瞬間、急に空気が流れ始めたのか、喧騒とした雰囲気がよみがえってきた。人の声は聞こえないまでも、何かがこすれるような音や、息遣いに似ている、

――空気の流れ――

 を感じることができた。BGMも流れていて、

――どうして、これが分からなかったんだ?

 と感じると、一瞬、耳鳴りがした時に感じる痛みを耳の奥に感じた。

――まるで耳栓をしていたのを外した時のようだわ――

 と感じた。

 海岸で、巻貝を耳に当てた時に聞こえる音を、

――潮騒の音色――

 と、子供の頃に聞いたことがあり、実際、海岸で巻貝を探して、自分の耳に押し当ててみたことがあったが、

――本当だ――

 と感じたのを思い出した。

 あの時にも同じような耳鳴りを感じたが、同じ思いをまさか、海岸以外で、しかも大人になって感じることになるなど、思いもしなかった。

――そういえば、ここに来る途中に、空気の流れがないのを感じたような気がするわね――

 と感じたのを思い出したが、それがひょっとすると、

――海岸で感じた巻貝を耳に押し付けた時に感じた思いであったのではないか――

 と、今になって感じた。

 感じたのは、ついさっきだったはずなのに、かなり前に感じたことのように思えてきた。同じ思いをしたことが今までにもあって、思い出していたのは、さっきのことではなく、ずっと前のことを思い出していたのかも知れない。

 ついさっきのことを飛び越して思い出したのだから、思い出した時は、さっき感じたことを忘れてしまったのか、同じ思いを二度したと思わなかったようだ。

 もちろん、今それを感じたわけではなく、後になって同じような感覚を覚えた時、以前に感じたことで時間的に矛盾があったということが気になっていたことで、思い出すことになったのだろう。

 席に着いてからというもの、それまでの凍っていた空気が一気に解けてしまっていた。凍っていた空気は、完全に乾燥していて、

――湿気などありえない――

 と、感じるほどだった。

 しかし、凍り付いた空気を抜けると、そこには暖かさが戻ってきたせいもあってか、さっきまでの乾燥とは打って変わって、湿気を帯びた空気を感じる。

 凍り付いた空気と、湿気を帯びた空気、

――どちらが重たいのだろうか?

 と、香澄は考えていた。

 凍り付いた空気は、自分にはなぜか影響しておらず、

――まわりの空気――

 が、凍り付いていただけだった。

 しかし、凍り付いた空気が一気に瓦解し、湿気を帯びた空気に一変してまうと、今度は急に自分にも影響してくるのを感じた。

――まるで水の中を歩いているようだわ――

 空気の中にある湿気は、水圧を伴うもので、空気の中に感じたものを湿気だと思ったのも、

――水圧を感じたからだ――

 と言えるのではないだろうか。

 店の中で湿気を感じると、もう寒さは感じなかった。そのはずなのに、なぜか指先に震えを感じた。

――寒さからくる震えではないのかしら?

 震えは、しばらくすると痺れに変わり、指先の感覚をマヒさせていた。

 そういえば、指先に痺れを頻繁に感じるようになったことがあったが、あれは高校の頃のことだったように記憶している。

 あの頃は、時々体調を崩して学校を休んだりしていた。元々身体は丈夫な方だと思っていただけに、高校時代の自分はどうかしていたのかも知れない。

 時々でも体調を崩していたのに、それほど心配はしていなかった。一時的なものだという思いが強かったからである。別に根拠があったわけではない。体調を崩した時にパターンがあったからだ。しかもそのパターンはよくもなることはなかったが、それ以上悪化するということもなかった。

――治るとすれば、忘れた頃に体調を崩さなくなったと思えた時なのかも知れない――

 体調を崩す時、前兆のようなものがあった。

 まずは、喉が痛くなる。扁桃腺が肥大というわけでもなく、乾燥した空気に反応することはあったが、いきなり喉が痛くなるということは、それまでにはなかった。

 一度、喉が痛み出すと、熱が出てきそうな予感に襲われる。本当に熱が出るかどうかはその時でまちまちだったが、半分くらいは発熱せずに済んでいたように思う。発熱しない時は、身体が急に熱くなり、気が付けば、汗をぐっしょりと掻いている。熱が出る時は、熱くなった身体から褪せは出てこない。そのまま意識が薄れてきて、発熱していることを悟ると、そこから先は、安静にすることだけを考えた。

 問題は、発熱しない時である。

 身体から出てくる汗が、熱を発散させているという理屈は分かっていた。汗を掻くことで、身体も楽になってくるのだが、身体に纏わりついた汗は、着替えるまではなかなかスッキリとはできない。

 そんな時、空気の匂いを感じる。匂ってくるのは、鼻を刺激するような臭いで、アンモニアのような臭いであった。アンモニアの臭いを感じると、指先に痺れを感じさせる。そなある時、指先を鼻に近づけて臭いを嗅いだことがあった。思わずの行動だったのだが、臭いは明らかにアンモニアの匂いだった。

――指先から匂ってくるものだったんだ――

 と感じた。

 指先から匂ってくるアンモニアの臭いを嗅いだその時、一気に気が遠くなった。その時に、

――私はこのまま気を失ってしまうんだ――

 と感じた。

 どうしてそのことを意識したことを覚えているのかというと、気を失うまでの過程が、自分の中で意識できたからだ。

 アンモニアの臭いを嗅いだ瞬間、まず、鼻に痛みを感じた。鼻の通りが一気によくなり、今度は、吸い込んだ臭いを反対に吐き出そうとする意志が働いた気がした。

 ただ、その意志は勘違いだったのかも知れない。鼻の通りがよくなった時、その時以外でも、鼻の奥から表に出てくるものを感じたことがあったからだ。その時の記憶を意識したことで、意志だという錯覚を引き起こしたとしても、別に不思議なことではないような気がした。

 気を失うまでに感じたのは、身体の奥に熱を感じたことだった。熱が籠っているのを感じることがどうしてできたのか、それは、身体に纏わりつく湿気を感じたからだということを、最近になって意識するようになった。

――身体のまわりに湿気を感じた時、その時、自分の身体に異変が起きる時ではないだろうか?

 と、香澄は感じるようになった。

 雨が近づいたりすると湿気を感じることもあるが、身体に纏わりつくような湿気を感じるわけではない。身体に纏わりつく湿気というのは、

――空気の重さ――

 を感じる時であった。

 天気が悪く、雨が近づいたとしても、空気の重さを感じることはない。人によっては、

「雨が降ってくる時に、腰や身体の節々に痛みを感じたり、古傷が痛んだりすることがある」

 という話を聞いたことがあった。

――そんなのウソだわ――

 と、信じようとしなかったが、

――年齢にも関係があるのかしら?

 と思うようにもなっていた。

 身体の節々や、古傷というと、ある程度年齢の行った人のセリフに思えたからである。自分のように、まだ高校生だった頃、感じるようなものではないと思っていたのだ。

 しかし香澄は、空気の重さを、

――湿気を含んでいるからだ――

 ということを感じてはいたが、天気とは直接関係がないと思っていた。空気の重さや湿気を含んでいるように感じる空気は、あくまでも香澄が感じている感覚であり、漠然としたものだというだけのことであった。

 高校時代の記憶があまり残っていないのは、この時の思いがあったからなのかも知れない。

 確かに、記憶するようなことがほとんどなかったのも確かだが、体調を崩したりしていることが多かったので、何かを継続して行うということが困難だった。だが、それは、自分の中で何かを納得させるための言い訳だったのかも知れない。自分で意識していないトラウマのようなものが存在し、トラウマが、記憶の奥で、決して呼び起こしてはならない何かを隠そうとしていたのではないだろうか。

 高校時代のことを思い出すなど、今までになかっただけに、少し戸惑っていた。

 同じ喫茶店なのに、最初に来た時と数時間が経ってきた時とで、これほど感覚が違っていると思ったことで、高校時代を思い出してしまった。そのキーワードがこの時は、

――重たい空気――

 であり、その重たさを感じさせるのが、

――湿気を含んだ空気――

 だったのだ。

 ただ、今回は、その前に乾燥した空気というものを、間違いなく感じていた。高校時代のあの頃、乾燥した空気を本当に感じることができたのかと言われれば、今思い出そうとしても、その意識は思い出すことができない。

――高校時代との違いは、乾燥した空気を感じることができたということになるのかしら?

 本当にそれだけのことなのかどうか、香澄は考えていた。

 そしてもう一つ今回感じたこと、

――どこか平面のような感覚がある――

 というものである。

――平面は、立体感を出すために、平行線を平行線でないように描く――

 というのが、香澄が絵を見て感じたことだった。

 香澄に絵心があるわけではないが、

――もし自分が絵を描こうという意識があったとすれば、最初に感じることが、平行線のイメージだわ――

 と、考えていた。

 さらに、ここまで来る時に感じた、

――股の間から見た空の感覚――

 を思い出していた。

 あの時も、立体感というよりも平面をイメージしたような気がした。要するに、

――どこに重点を置くかによって、見え方がまったく違ってくるということは、そこに平面なのか、立体なのかのどちらを感じるか――

 ということを感じさせるということであろうか。

「絵を描く時は、目の前に見えていることを忠実に描くだけではなく、時として大胆な着色も必要だ」

 という考えを思い出した。

 平面を立体のように描こうとすると、見えているものをいかに立体感を出すようにするかと考えれば、自分の目を真正面からだけではなく、いろいろな方向から見せる工夫も必要だということである。

――今、ここにいる私は、絵の世界の中に入りこんでいるのではないかしら?

 そう思うと、違和感の原因が何であるか、少し分かったような気がする。

――そうだ、左右対称なんだ――

 昼間来た店で感じたイメージと、夕方来た店では、左右対称に感じられた。

――鏡の中の世界?

 そこまで考えてくると、自分の発想が留まるところを知らないことに気が付いた。これは高校時代に体調を崩した時に、時々感じた思いだった。

――夢を見ていたんじゃないかしら?

 本当に夢だったのかどうかは別にして、明らかに意識は別の世界に行っていたことを示していたようだ。

 以前、見た夢を思い出した。

 それは鏡の中に、閉じ込められた夢だった。

 最初は、鏡に自分が映っているのだと思った。左右対称のいつもの動きで、何ら違和感がない。

 しかし、違和感を感じたのは、鏡から顔を背けた時だった。

――違和感を感じるのを分かっていたような気がした――

 と、その時に感じた。鏡から目を逸らした瞬間から、誰かに見つめられている気配を感じたからだ。しかも、その気配が鏡の中からのものだということに気付いていたのに、気付いていたことを後になって悟った。

――本当は分かっていたのに、それを認めたくないという気持ちが働いたに違いないわ――

 と感じた。

 鏡の中から感じる視線というのは、当然自分しかいないはずである。香澄も、自分の視線を感じたと思い、気持ち悪さはあったが、それだけ自分の目力が強いことで、鏡に写った自分の顔を想像してみたが、簡単に想像できるものではなかった。

 そのことを思い出して、時々鏡を見る時、自分の顔を睨んでみたりしたものだったのだが、

――おかしいわ、目を逸らした時に感じてしまうほど、自分の目力が強いとは思えないわ――

 しかも、目を逸らした時に感じるということは、少なくとも時間差がある。時間差があるということは、目を逸らす前に見ていた視線の強さを、目を逸らした瞬間に感じるということであり、いくらそんなに時間が経っていないといえども、残像が残るほどの強い眼力を持った人間に今まで出会ったこともない。自分の眼力の強さをどうこう言う前に、眼力の強さだけで、残像を感じるものなのか、実に疑問であった。

――ひょっとして、鏡の中に自分以外の誰かがいるんじゃないのかな?

 と感じるようになった。

――鏡の中にいるのは、自分一人だという考えだけを持っていると、理解できることもできなくなってしまう――

 と、感じた。

 最初は、考え方に幅を持たせることで、不可解なことを少しでも自分に納得させようとする柔軟な考えが必要だと感じたことから始まった考えだった。

 しかし、鏡の中に自分がいるという考えも、そう簡単に納得させられるものではない。

――夢の中だから――

 と考えれば、いくらでも納得させられるかも知れないという考えも、少し危険な気がしていた。

 いくら夢の中だとは言っても、納得できることとできないことがある。それでも、無理やりに納得させようとすると、それは、

――怖い夢を見た――

 として、意識の中に残ってしまい、本当は忘れてしまいたいことだという意識があるにも関わらず、どうしても忘れられないこととして残ってしまうのだろう。そのことをトラウマとして感じることで、今度は、

――忘れたくない覚えておきたい――

 と感じる楽しい夢を、覚えておくことが不可能になってしまうのだ。実に皮肉なことである。

 香澄は、この時の鏡を見たと思っている夢を、反対に考えてみた。

――鏡の世界を見ていたと思っていたんだけど、本当は、鏡の世界にいたのは自分の方で、本当の世界を見ていたのではないか?

 普通なら考えられないことだが、

――夢を見た――

 という発想であれば、許されるのではないかと感じたのだ。

 同じ、夢を見たという発想であるなら、無理な発想を思い浮かべた時であればあるほど、夢というものを正当化して見ることができるような気がした。

――夢というものを、安易な発想で使ってはいけない――

 そう思うことで、自分をどれだけ納得させられることが増えるのかと思うと、発想の転換が不可欠であることを認識できるだろう。

 鏡の中から、現実の世界を見たのであれば、視線が他の人であったり、複数であったりしても不思議はない。元々、現実の世界を中心に考えていたのだから、鏡の世界から見た現実の世界がどのようなものなのか、発想したことがないと思えて仕方がない。しかし、実際には意識していないだけで、思い浮かべることはできるはずだ。意識していないというのは、覚えていないということと同じではないのだろうか?

 元々見た夢は、左右対称だという意識を持った夢だった。

 左右対称というだけで、鏡の世界を思い浮かべたのは無理のないことだが、考えてみれば、左右対称という考えを鏡の中の世界だけだと思うのは、思い込みに過ぎないのではないだろうか。だから、鏡の世界に思いを馳せ、鏡の世界と現実の世界という二つだけの世界を思い浮かべ、理屈に合わないことを、自分に納得させるためという名目で、

――自分が鏡の中にいて、鏡の中から現実世界を見る――

 という発想に行きついた。

 もし、それが、

――誘導された発想であったとすれば?

 一体誰に誘導されたというのか、そして、その理由は?

 と、考えれば、いろいろな発想が思い浮かんでは消えていく。

 本当に消えていくのかどうかも定かではなく、消えて行くように見えて、意識の中に格納されているのかも知れない。

 ひょっとすると、二度と出てくることのない発想なのかも知れないが、一度は自分の中で考えたことである。ふとしたことで思い浮かぶ発想であり、

――以前にも、同じことを考えたような気がする――

 というデジャブを引き起こすのかも知れない。

 自分の考え方が一つの道の上にしか存在しないという発想を持っているとすれば、それは常識という範囲から抜け出すことのできない自分を分かっているからなのだろうか。分かっていなければ、一つの道の延長線上の自分すら見失ってしまうだろうと思えてきた。まずは、目の前に見えている自分の発想が、自分をどれほど納得させているかということを、理解できている必要がある。そうでなければ、

――鏡の中から、現実の世界を見る――

 などという発想が生まれるわけもない。

 もし生まれるとすれば、何かの力が働いているとしか考えられない。そもそも、何かの力など、自分を納得させられるものではないはずなので、存在を意識することができたとしても、その正体を確認することは、永遠にできないに違いない。

 複数ある視線を感じていると、鏡の中の世界にいるという意識が強まってきた。その時は夢だと思っていたので、目が覚めた時、次第に意識が戻ってくるにつれて、忘れていったのであろう。鏡の中から表を見るという発想が、その時から芽生えていたのに、本人の意識がない。

――無意識に何かを感じていたような気がする――

 と、それまで他のことを考えていたりしてボーっとしていたわけでもないのに、我に返った気がする感覚に陥ることがあった。それは、自分に納得いくいかないの問題ではなく、ただ、意識できるかどうかということに気持ちが行っていたのだ。

 一つのことを思い浮かべただけで、こんなにもいろいろなことが、発想として浮かんでくる。

――まるで「わらしべ長者」のようではないか?

 一つの発想が、いくつもの発想を生むというのは、それだけ可能性が広がってくるということで、この日の香澄は、それまでにないような頭の回転をしていたのかも知れない。

 回転が早い遅いの問題ではなく、どれほど広げて考えることができるかということであり、ただ気になったのは、発想がネガティブな方に偏っているように見えるところがあることだった。

 その日の香澄は、朝から目覚めがよかったように思えた。

――目覚めのいい時というのは、得てして悪いことを考えてしまうことが多かったような気がしたわ――

 それは怖い夢を見たからなのかも知れない。

 怖い夢というのは、覚えていたくなくても、忘れることのできないものであり、忘れられない夢を見ただけに、目覚めはしっかりしている。夢を見たという意識も残っていて、目が覚めるにしたがって、怖い夢を見たという意識がよみがえってくる。

 ただ、その日は、怖い夢を見たという意識は残っていたが、どんな夢だったのか、思い出せないでいた。

――目が覚めるにしたがって、意識の中で何かと融合したのかも知れない――

 と、感じると、

――見た夢は一種類ではなかったのではないか?

 と思うようになった。複数の夢は複数の視線を思い出させたのかも知れないとも思い、どちらかの夢がどちらかを覆い隠すような役目を果たしているのではないかと思わせるに至った。

 香澄は今までに、

――一晩に、複数の夢を見たことが何度かある――

 と感じたことがあった。

 一晩に何度も目が覚めていれば、複数の夢を見ることの方が自然なはずである。一度目が覚めてしまうと、それまで見ていた夢はリセットされる。たいていの夢というのは、目が覚めるにしたがって忘れていくものだが、楽しい夢であれば、

――続きが見たい――

 と思うものだ。

 それは、楽しい夢であればあるほど、ちょうどいいところで目が覚めてしまうからであって、目が覚めてしまうことを何とか思いとどまらせようとしたこともあったくらいである。

 しかし、本当に夢はちょうどいいところで目が覚めてしまうものなのだろうか?

 ひょっとすると、実際は最後まで見ていて、目が覚めるにしたがって、肝心なところの記憶を最初に失うのではないかと思った時、人間というものの記憶には、何かの見えない力が働いているのではないかと思えて仕方がなかった。

 ただ、そこまでの考えはあまりにも飛躍しすぎているように思えるので、自分の中でも信憑性のないものだと思っていた。

 逆に目を覚ました時、

――いい夢だった――

 と思える夢が、本当にちょうどいいところで目を覚ましてしまったのかどうかを疑問に感じることもあった。本当は夢を最後まで見ていて、覚えていない部分で「大どんでん返し」があったのではないかという発想である。

――ちょうどいいところで目が覚めた――

 と思っているのは、実は錯覚で、

――ここで目を覚まさなければ、きっと恐ろしい夢としてしか意識に残らない――

 そう思うと、怖い夢であっても、もう一度見てみたいと思うほどのいい夢であっても、結局ハッピーエンドなどありえないということになる。

 何ともネガティブな発想であるが、香澄の中で納得できない範囲のものではない。むしろ、夢に神秘性を感じているとすれば、その半分は解明されたような気がするからだ。

――夢なんだから何でもあり――

 と、香澄は最初から思っていない。

 怖い夢は、忘れたくても忘れることはできないし、いい夢であっても、ちょうどいいところで目が覚めて、消化不良の感覚に陥ってしまう。

 特に目が覚めてから覚えていないというのは、夢には現実の世界から入りこむことのできない別世界であるということが確定している。そこには結界があり、まるで昼と夜の世界が共存できないことと同じではないだろうか。

 それだけに、夢が現実の世界で達成することのできないものを叶えてくれる特別の世界だなどというのは、あまりにも都合が良すぎる。

 実際に夢を見ていて、現実の世界でできないことをしようとしてもできないことはいっぱいある。

 夢の中で空を飛ぼうとしても飛ぶことはできない。宙に浮くのが精いっぱいだ。無理にでも高いところから飛び降りようなどという勇気もない。夢だと分かっているのにできないのだ。

 現実の世界でできないことをやってみようと試みるのは、一回の夢で必ず一度は感じるもののようだ。やってみようとしてもできないことを理解した時、香澄はその時初めて、自分が夢を見ていることに気付く。何とも皮肉なものだと感じるのだった。

「夢というのは、目が覚める寸前の一瞬で見るものだ」

 という話を聞いたことがある。

 どんなに長い夢であっても、実際には一瞬に近い感覚。そんなものを目が覚めるにしたがって覚えているという方が無理なことだというものだ。

 夢から覚める時、初めて夢を、

――まるで紙のように薄っぺらいものだ――

 と感じる。

 それは毎回のことで、お約束と言ってもいいのだが、夢に対して一番「的を得た」解釈ではないだろうか。それだけ現実の世界に引き戻される時というのは、自分の意識の中で必ず何か納得できるものを感じることができる瞬間なのかも知れない。

「夢は潜在意識が見せるものだ」

 という話を聞いたことがあるが、潜在意識はウソをつかない。自分が納得できることでなければ、意識が自分の中に存在できるはずがないと思うからだ。

 夢の中というのは、鏡の向こうの世界と似ているところがあるのかも知れない。

 夢に結界があるのだとすれば、鏡の中の世界の結界は、まさに鏡そのものではないだろうか。夢の結界を見ることができないが、鏡というのは目の前に存在している明らかなものだ。

――でも、鏡というのは、本当に明らかなものなのかしら?

 確かに、こちらのものを反射させて写っている。そこは間違いのない事実である。しかし、本当に忠実にこちらの世界を再現できていると言えるのであろうか? 鏡の中にも世界があって、こちらの世界を映し出すという「使命」を持っているのかも知れない。

 ただその「使命」が絶対的なものであるという保証はない。そう思うと、鏡の世界からこちらの世界がどのように写っているのか不思議だった。

 鏡の中の世界でも、こちらの世界を映し出していて、「使命」という意識を持っていないとするならば、

――本当に現実の世界こそ、鏡の中にあるのではないか――

 というのは、あまりにも危険な発想であるが、この発想から派生したいろいろな発想を思い浮かべることができるのも事実だった。

 鏡というのは一つではない。いろいろなところに無数に存在している。一つの部屋に、いくつも鏡を置いている人もいるくらいだ。

 そこで気になるのは、

――こっちの鏡を見ている時は、こちらが本当の世界なのだが、違う鏡を見た時は、向こうの世界が本当の世界だったりしないだろうか?

 鏡を見る時に、何かの催眠状態に陥り、本当は現実の世界から鏡の世界を見ているつもりでも、本当は鏡の世界に入りこんでいて、向こうから現実の世界を見ていることがあってもおかしくないのではないかという発想である。

 そうであるなれば、鏡の中から複数の視線を感じることも説明がつく。向こうが本当の世界で、鏡を見つめる視線を感じてしまうのだ。自分たちの世界が現実の世界だと思っているから、他の人の視線があっても感じることはない。少しでも自分のいる世界が鏡の中の世界だと思ったのであれば、それが他の人の視線を感じることができる場所の入り口に立っていることになる。

 また、香澄は鏡の世界について、もう一つ疑念があった。

 それは、鏡を自分の前後に置いた時のことを考えた時に、自分がどのように写るかを考えた時である。

 前の鏡は、ます自分の姿を映し出すが、それと一緒に、後ろの鏡を映し出す。そこに写っているのは、自分の背中である。そして、さらに自分の背中の向こう側に、正面からの自分を映し出している鏡を見ることができる……。

 つまりは、無限ループの発想である。

 どんどん小さくはなっていっているが、まったくなくなってしまうわけではない。どんなに小さくとも、鏡は果てしなく、自分を映し出そうとしているのだ。

 それも、鏡を置いた瞬間に、その現象は確定してしまう。確定した状態は、

――まるで時間が止まってしまったようだ――

 と感じるに違いない。ただ、それでも、時間は動いている。どんなにゆっくりであっても動いているのだ。それは、どんなに小さくとも写し続ける鏡の中の世界のようではないか。

 時間は止まってしまったのではない、「凍り付いてしまった」のである。

 凍り付いてしまった時間という発想に立つと、思い立つのは、夢の世界での時間のことである。

「夢というのは、目が覚める寸前の一瞬で見るものだ」

 という発想に至る時の考えが、ここに応用できるのではないだろうか?

 夢が別の世界のもので、平面のように薄っぺらいものだと思っていたが、実際には、凍り付いてしまった世界が影響しているのではないだろうか。夢を見ている時の自分は、夢の中で、ものすごいスピードで見ている夢を普通に見ていたように感じるために、夢の中の世界の時間を凍らせていたのかも知れない。

――限りなく止まっているかのように感じる時間――

 それが、夢の中でのできごとだ。

 そう考えれば、夢から覚めるにしたがって忘れてしまうのも理解できる。これだけ時間の感覚が違っていると、当然、夢と現実の違いを納得できないまでも、覚えていることができないことは理解できるというものだ。

 ただ、時間が凍ってしまった瞬間を、感覚で感じることができない。

――熱い冷たい――

 などの感覚が時間にはないのだ。

 いつも同じ感覚で刻んでいくものが時間というものである。それを誰もが当たり前のことだと感じ、いつしか時間への感覚がなくなってしまう。

――普通、時間の長さについて考えることはあっても、時間の中の間隔について考えることはそんなにないはずだ――

 そう、考える必要などないからである。

 鏡の世界と時間への感覚、そして夢への妄想、この三つをそれぞれに考えることはあっても、一つにして考えることなどない。しかし、考えてみると、それぞれの特性が、納得の行かなかったことを納得させる力になっていることは分かってきた。

 そのことを、香澄はこの店に来て、考えていた。しかし、なぜ急に考えるようになったのか、最初は分からなかったが、それが、絵を見ていて感じたことだということを思い出した。

 いや、思い出すも何もないのである。香澄は絵を見ながら、ここまで発想してきた。完全に自分の世界に入って発想していたので、目の前に絵が写っていても、

――心ここにあらず――

 で、意識はまったく違うところに行っていたのだ。

 まず、夢の発想から鏡の発想に入り、そして、そこから時間に思いを馳せていた。

 香澄は、少しずつ意識が戻ってきたような気がした。夢を見ていたわけではないし、意識が飛んでいたと言っても、眠っていたわけでもない。しいて言えば、

――自分の潜在意識を見つめていた――

 というのが、一番近い発想なのかも知れない。

「お客さん?」

 我に返っている間に、どこからか、こちらに声を掛けてくる人がいた。その声は女性のもので、「お客さん」と呼ぶ時点で、その声は店の人であることは分かった。

 昼下がりに立ち寄った時にはいなかった女の子である。

「あ、え、何?」

 完全に我に返ったわけではなかったので、曖昧な返事しかできなかったが、目の前にいる女の子が心配そうに覗きこんでいるのを見ると、余計な心配を掛けてはいけないという発想だけは思い浮かんだ。

 それでも、いきなり現実に引き戻されたような気がした香澄は、うろたえての返事しかできなかった。

 すると、女の子は何がおかしいのか、クスクス笑いながら、

「いえ、お客さんがあまりにもボーっとしていたので、声を掛けた方がいいのかなって思ったんですよ」

「それはありがとう。ちょっと考え事をしていたので、ボーっとしていたのよね。ごめんね、心配かけちゃって、でも、声を掛けなければいけないほど、異様だった?」

 聞くまでもないし、答えは決まっている。それでも聞いてみたかったのは、彼女の口から、自分の表情が異常だったことを聞きたかったからだ。

「ええ、かなり深刻そうな表情でしたよ。私が声を掛けなければ、向こうの世界に行ってしまって、戻ってこないんじゃないかってくらいの表情でした」

「向こうの世界というのは?」

「意識をあまりにも集中させすぎると、自分の中にあるもう一人の自分と重なってしまうような気がしたんですよ。ごめんなさい、私の勝手な妄想のようなものなので、気にしないでください」

 面白いことをいう娘だった。しかし、今の香澄もかなりハイテンションな意識になっている。今なら異様な発想をする彼女と話が合うのでないだろうか?

「もう一人の自分というのが気になるわね」

 香澄は彼女の顔を見ていると、かなりの勢いで現実に引き戻された気がした。

――でも、本当に引き戻されたのは現実なのかしら?

 という発想も生まれてきた。それだけ彼女の発想と、雰囲気は異様だったのだ。

 彼女のどこにそれほどの力があるのか、最初は分からなかった。しかし、

――どうして気付かなかったんだろう? それだけ私自身がいう「向こうの世界」に入り込んでいるせいなのかしら?

 とも思った。

 彼女を見ると一目瞭然、もし最初に見たのが正常な精神状態であれば、すぐに分かったことなのかも知れない。それは、ちゃんと目の前にあることだったからだ。

――彼女の目の力はすごい――

 と思ったからだった。

 しかし、

――あれ? 目力の強さはさっきも感じたような――

 忘れていたが、それは鏡を見た時に感じる自分に対してではないだろうか。

 そういう意味で、彼女が自分に視線を向けているのを、もっと前に気付いていたのかも知れない。それを感じさせないほど、深いところまで香澄は落ち込んでいたのかも知れないが、それでも、後になってそのことを思い出させるのだから、彼女の眼力もかなりのものである。

 香澄は、彼女の顔を見ると吸い込まれそうに感じた。それだけ目力が強いのだが、目力が強い人というのは、

――得てして、あどけない表情を普段は見せている人が多い――

 という思いがあったのも事実で、彼女を見ながら。目力を感じさせない普段の表情をなるべく発想してみることにした。

――あれ? どこかで会ったことがあるような気がするわ――

 と感じた。

 それがいつどこでだったのか分からないが、香澄は一生懸命に思い出そうとしていたのだ。

――ひょっとして、彼女がクスクス笑ったのは、私が一生懸命に思い出そうとしているのを見て、それがおかしかったのかな?

 とも感じた。

 香澄は、自分が何かに集中している時、完全に我を見失っていることは分かっていた。そんな自分を想像してみたことはなかったが、今想像してみると、彼女がクスクスと笑ったわけも、分かるような気がしたのだ。

「もう一人の自分というのは、たぶん、誰もが意識していると思うんですけど、意識しながら意識しないようにしようという思いを無意識に感じているのが特徴じゃないかって私は思うんです」

 おかしなことをいう女の子だと思ったが、言われてみれば、その通りだった。ただ、このことは、香澄も考えたことがなかったわけではない。誰もが持っているもので、そして意識しているにも関わらず、それを発想するところまでは行っていない。つまりは、

――自分を納得させる――

 という以前の問題で、

――本当に納得しなければいけないことなのか――

 そんな発想すら出てこない内容だった。

 そんな時の意識は、普通の意識ではない。さらに自分の中にある

――潜在意識――

 というものであることを香澄は感じるのであった。

 潜在意識というものは、隠れているものであり、引っ張り出さなければなかなか感じることはできない。しかし、それは確実に存在していて、自分の意志に関係なく動いているものだ。

――まるで心臓の動きのようだ――

 心臓の動きは、誰も意識しているわけではない。無意識ではあるが、確実に動いている。動かなければ、死んでしまう。つまりは、

――重要なものほど、無意識に自分の中で動いている――

 と思っていた。

 しかし、彼女に出会って、もう一つの考えが生まれてきた。

――彼女のいうもう一人の自分というのは、この潜在意識のことではないだろうか?

 と感じたのだ。

「ねえ、あなたのいう自分の中にある『もう一人の自分』というのは、潜在意識のことなんじゃないの?」

 と、聞いてみた。

 いつもなら、

――思い切って聞いてみた――

 というところなのだろうか。そういう発想ではない。自然に出てきた言葉だった。

「ええ、そうなのよ。あなたもいろいろ考えているんですね」

 冷静に見えた彼女だったが、香澄が潜在意識という言葉を口にしたのを聞いた時、少し興奮したような口調で答えた。

――どちらが本当の彼女なのかしら?

 と香澄は考えたが、

――どっちも彼女なんでしょうね――

 とすぐに結論に持って行った。

――彼女の考えていることが分かってくるようだ――

 と思えてくると、どこまで自分の発想に近いのか、大いに興味を持った。もっとも、今日、新たな発想が生まれたのも事実で、この店に来たおかげであったが、その店にいる女の子に興味を持つというのも運命めいたものを感じた。それは今までの香澄なら感じなかった思いであり、今まで自分で自分を納得させてきたことについても、ひょっとして違った発想があったのかも知れないことに気付くような気がしてきた。

「いろいろ考えているというよりも、あなたを見ていると、何かを感じないといけないという気持ちになるんですよ」

「そんなに私って、押しつけがましく見えますか?」

 と、少しはにかんだような表情を見せた。その時の彼女に目力を感じることはなかったが、目力を感じさせないその表情は、それまでの彼女とは違い、しっかりして感じられた。

 目力の強さは、二種類あって、一つは、自分の中にある力を表に出そうとする感覚である。そして、もう一つは、相手に対して委ねたい気持ちを表すための目力である。彼女の場合は、後者の方に思えた。

 香澄が今までに出会った目力の強い人は、前者の方が多かった。目力の強い男性というのを香澄は見たことがない。そのすべてが女性だった。何とか自分をまわりの人に分かってもらいたいという気持ちが、自分の中にある力を表に出そうとする気持ちだったのだろう。そう思うと前者が多いと感じたのは、

――私が女性だからなのかも知れないわ――

 ということなのだろう。

 もし、香澄が男性の目で見たとすれば、

――自分に対して委ねる気持ちになっている――

 と思うに違いない。

 香澄は、たまに自分が男性の目で相手を見ていることがあることに気が付いていた。あくまでも漠然としてであったが、男性の目として相手を見ると、ほとんどの女性がこちらを見上げていることに気付く。女性として相手を見るのと男性の目線で相手を見るのとではどれほどの違いがあるかということに気付いていたのだ。

 男性の目線と女性の目線で相手を見る時、かなりの違いがあることは分かっていたが、目力の強い人が相手だと、ここまで違ってくることに初めて気が付いた。

 もっとも、男性の目から相手を見た時、目力の強い人を感じたことがなかった。無意識に避けていたように思う。つまり、相手が目力の強い相手だと思うと、男性の目線から相手を見るということを、最初から避けていたに違いないからだった。

 香澄は彼女の目力を女性の目からしか見ていないにも関わらず、

――相手に委ねたい――

 という気持ちになっているからに違いない。

「押しつけがましいなんて思っていないわよ。いやあね」

 と今度は香澄が照れ笑いをした。完全に、女性としての態度の表れだった。

――彼女に対して、男性目線になっては失礼なんだわ――

 と、感じるようになった。

 いや、そう感じたのは、男性目線になってしまうと、彼女の慕おうとする態度に目を奪われて、自分の感覚がマヒしてしまい、彼女の術中にはまってしまうような気がしたからだ。

「お客さんは、このお店初めてですよね?」

「ええ、今日立ち寄ったのが初めてです。でも、正確に言えば、今が初めてではなく、今日が初めてだということですね」

「え? じゃあ、私がいない時間に来られたんですか?」

「ええ、昼すぎくらいに来たんですが、店にはマスターが一人だけだったですね」

「そうなんですね」

 というと、彼女は黙りこんでしまった。何かを考えているようだったが、彼女の中でそれを香澄に悟られないようにしようという意志が働いているのは確かだったが、彼女はそのことを意識していないのかも知れない。

 しばらく彼女が何も話さない間、香澄はまたしても、空気の流れが変わったような気がして仕方がなかった。

 目の前で必死に何かを考えている彼女が、部屋の空気を一瞬重たくした。しかし、それは本当に一瞬で、すぐに時間が元に戻ってきた。

 しかし、その戻ってきた時間が、

――本当に進むべき時間だったのか?

 という保証はどこにもないではないか。

 進むべき時間は、今の時間の延長線でしかない。少しでもずれてしまえば、それは進むべき時間ではない。つまりは、今この瞬間の次の瞬間には、末広がりのように無限に可能性が広がっているとすれば、それは今から一瞬前に作られた無限に広がる世界のそのうちの一つでしかない。

 そう思うと進むべき時間を間違いなく進んでいくのは、

――薄氷を踏むようなものだ――

 と言えるのではないだろうか。無限に広がっている世界を間違えることなく進むのは、可能性の問題として、そんなに簡単なことではないような気がする。

 時間の進み方に違いがあるという発想を持ったことはあったが、無限に広がる可能性の世界があるという発想の元では、

――両立できない考え方――

 としか思えなかった。

 どちらが考え方のウエイトが重いかと言えば、無限に広がる世界を想像する方が、香澄にとって、遥かに信憑性があり、自分を納得させることができるものだった。

 どちらも、まるでSFの発想のようだが、考え始めると、結論の出ないものであり、考え始めると、堂々巡りを繰り返してしまうのだった。

 堂々巡りを繰り返していると、考えが元に戻ってくる。それは時間が戻ってきたわけではないのに、時間までもが戻ったような気になってしまう。それを先に進めようとすると、再度同じところまで自分を納得させながら、早いスピードで考えを巡らせなければいけなくなる。

――元に戻ってきた時、最初にいた自分がそこにいるのを感じることになるのだろうか?

 香澄は自分が今までに見た夢で一番怖いと感じたのは、

――もう一人の自分を感じた――

 そんな夢だった。

 それは最初、

――自分のことを見られているので怖い――

 と思っていたが実は違った。

――自分が向かったその場所に、もう一人の自分がいる。そして、それが最初からいた元の自分である――

 ということだった。

 つまり、後からやってきたのは考えている自分なのである。

 最初からいた自分も、確かに後から来た自分の存在に気付いているが、それよりも、後から来た自分が、前にいた自分を見つけることの方がショックが大きいため、前からいた自分の意識がその時に飛んでしまうのだった。

 香澄は、彼女が黙りこんでしまってからの少しの間に、ここまで頭を巡らせていた。普段であれば、ここまでの発想はなかなか起こることはないが、できない発想というわけではない。

「あなたは、この店で何時からの勤務になるんですか?」

 香澄は思いきって聞いてみた。聞かれた彼女も、香澄の質問の意味がどこにあるのか分かったみたいで、

「昼前から入るようにしているんですけど」

 と、恐る恐る答えた。そして、その時の彼女の目力は最高潮に見えた。

――私も、自分の中で、男の目線で見たような気がしてきたのかも知れないわ――

 と感じた。

「あの、もしかして、私の考えていること、分かります?」

 と、彼女の方から香澄に聞いてきた。

「ええ、分かっているつもりなんですけど」

 と答えると、一瞬彼女の表情が緩んだような気がした。

 それはどこか「どや顔」に似ていて、

――まるで私が彼女の術中に嵌ったみたいだわ――

 と、感じたのだった。

――術中に嵌るってどういうことなのかしら?

 香澄の発想は、かなり深いところまで行っていた。彼女がそこまで考えているとは思えない。相手にすがるような目をしているのがその証拠ではないかと香澄は感じたが、考えてみれば、

――相手にすがるような目線でいるということは、自分の考えが深みに嵌ってしまい、何とか助けてほしいという発想に繋がっているのかも知れないわ――

 と感じた。

――いや、私の方が、より深く考えている――

 と、自分に言い聞かせたが、結局どこまで行っても、一旦我に返ると、原点に立ち戻ることになる。そう思うとさっきの発想の、

――堂々巡りを繰り返す――

 というところに戻ってくるのではないだろうか。

「でも、私もいろいろ考えていながらでも、結局同じところに戻ってくるんですよ。堂々巡りを繰り返しているんですが、それが次第に怖くなってきて、なるべく考えないようにしようと思ってもそれができない。そう思うと、自分の考えていることなんか、他の人から見れば、一目瞭然なのかも知れないって感じるんですよ」

 彼女はそう言いながら、さらにかしこまったように小さくなっていた。

 香澄は、彼女と似た女の子を知っていた。それが誰だったのか今思い出そうとしているが、すぐには思い出せない。しかし、数時間前にここに訪れた時のことが、頭から離れない。

――あの時に何かを閃いた気がしたんだけど、それが今実を結びそうな気がしているんだわ――

 と感じた。

 その時に何を感じたのか、すぐには思い出せない。

 香澄は時間が経てば、少し前のことでも忘れていることが多い。その間に何か考えが一瞬でもリセットされてしまうと、思い出すまでにかなりの苦労がいる。それは以前の自分と変わっていないはずなのに、なぜ以前はその意識がなかったのか分からない。

――余計なことを考えるようになったからなのかしら?

 余計なこととは何かのか、それはその時々で違っている。しかし、一つのことを考えることで、何か一つを忘れていくような気がしていた。それは、自分の中にある記憶装置には限界があるということを意識していることで、勝手に限界を作っているからに他ならない。

 記憶装置を意識するようになったのはいつからだったのだろうか?

 今から思い出してみれば、夢について意識するようになった頃とかぶっているように思えて仕方がない。

 夢について意識したというよりも、目が覚めていくにしたがって、夢の内容を忘れていくということを意識し始めた頃といってもいいだろう。普通に考えてみれば、すぐに分かりそうなことなのに、意識まではしていなかった。すぐに分かることだけに、意識する必要がなかったというのも真理なのだろうが、意識することで、見えていなかったものが見えてくるということに初めて気づかされたのが、夢を意識するようになってからのことだった。

 夢を見ることが、

――余計なこと――

 だとは思わないが、忘れてしまうということは両極端な発想をすることができる。一つは、

――忘れてもいいような夢を見ているから忘れるのだ――

 と、忘れるということに重点を置いた、ある意味普通の発想であるが、もう一つは、

――忘れなければいけないような夢であり、現実の世界に引っ張ってはいけないものだ――

 という発想である。

 これも二種類の考え方があり、

――現実の世界と、夢の世界の結界が、それほど厚いものなのだ――

 という考え方と、

――本当は夢の世界のできごとが現実の世界に影響しているのだが、それを悟られると、夢と現実の境目がなくなってくる――

 という考え方である。

 どちらも結界を意識するものではあるが、後者は忘れることで逆に夢の世界を意識させるという効果がある。それだけ夢の世界を意識し続けなければいけないということを意味している。裏を返せば、

――夢の世界での出来事とは、現実世界と紙一重のところで成立しているものなのかも知れない――

 と言えるのではないだろうか?

 香澄は、自分で発想を膨らませながら、留まるところを知らずに考えている自分にどうすれば歯止めが効くのか考えてみた。

――歯止めという意味での堂々巡りは絶対に必要なんだ――

 と思うようになった。

 堂々巡りは、そういう意味では、決して悪いものだとは限らない。ある意味、歯止めであったり、保険であったり、香澄は自分の発想が怖くなることがあった。

 忘れるということが大切だと思うようになると、頭の中をリセットさせることも大切だということになる。しかも、それはいつリセットを掛けてもいいというわけではない。きっとタイミングというのが必要なはずだ。そのタイミングを計っているのが、

――夢の中の世界――

 と言えるのではないだろうか。

 今日の香澄はいつになく、そのタイミングというものを感じているような気がしていた。夢の中の世界で忘れてしまったことをもし思い出せるのだとすれば、

――今日のように、タイミングを分かっている時――

 であった。

 数時間前にここにいた時思い出していた学生時代によく立ち寄ったクラシック喫茶。そこでクラシックを聞きながら、いろいろな場面を思い浮かべていた。

 香澄は、静かな曲よりも、大オーケストラが奏でる交響曲が好きだったこともあり、発想には壮大なイメージが付きまとっていた。

 大海原であったり、大草原であったり、何もない大地が果てしなく続いている風景であったりと、ただ、基本は空が中心だった。

 暗闇に近い店内で妄想というよりも、瞑想していた香澄は、壮大な風景の中で、浮かんでくるのが、絵画のような平面であることは意識していた。逆に平面でなければ、ここまでの壮大さは自分の中で想像できないと思っていたからである。

 なぜなら、立体を想像してしまうと、そこにはリアルさが強調されて、想像の入り込む余地は非常に少なくなってしまう。

 香澄は、油絵も好きだったが、時として、鉛筆画に近いモノクロのデッサンに魅了されることが多かった。

 それは油絵のような立体感を示したものではなく、モノクロのイメージが、限りない想像力を掻きたてられる思いを感じたからだ。

 モノクロのデッサンは、それだけでは立体感をイメージさせることが難しい。たくさんの線を用いて、影や光の部分の境界線を作っている。実に繊細な部分が必要であり、実際には、全体を遠くから見ることで、立体感を感じさせるものとなるのだが、本当は近くから見ると、細かい線が正確に平行線を描いていることに気付かされる。乱雑に描かれているように見えるのは、どうしても遠くから見て、立体感を感じようとするからであって、モノクロのデッサンの命は、

――近くから見た無数の平行線――

 なのである。

 そのことを香澄はクラシック喫茶に赴くようになって知った。それが、妄想するわけではなく、瞑想に耽ることなのだ。

 妄想とは、何かを題材にして、想像力を深めるものだが、瞑想とは、題材にするものはすべて自分の中にある。自分に言い聞かせながら想像力を確かめていくわけなので、自分で一つ一つ納得しないと先に進めないものである。瞑想や妄想をあまりよく言わない人が多いが、実際には、かなりの集中力が必要で、さらには、一旦入ってしまったスイッチを制御するには、堂々巡りが必要であることは、前述の通りである。

 香澄は、クラシック喫茶のことを今さらのように思い出していた。

 そこで瞑想した時に一体何を思っていたのか、もう少しで思い出せそうだった。その答えのカギを握っているのが、目の前のカウンター越しで話をしている彼女であるということに気が付くと、

――思い出すとすれば、一気呵成にいろいろ思い出すのかも知れない――

 と、記憶の復活の一撃を感じていたのだった……。

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