鏡の中の妖怪少年
森本 晃次
第1話 出張先の喫茶店
部長の命令で、田舎の営業所へ一人で行かされる羽目に陥った如月香澄は、
「今時こんな田舎が存在するなんて」
と、ぼやきながら、いつになったら着くのかと思いながら、いつまで経ってもまわりの風景に変化のない田舎風景を、半分呆れた気持ちで歩いていた。
もしこれが部長の命令ではなく、たとえば知り合いのところに遊びに行くということであれば少しは精神的に違ったかも知れないが、それでも、今まで見たこともないような田舎の風景にはウンザリしていた。なぜなら、
――もし――
という前提があったとしても、知り合いなどほとんどと言っていない香澄にとって、
――遊びに行く――
などという設定は、あまり考えられないことだった。
友達が少ない自分にウンザリするというよりも、友達が少ないことを分かっていながら、――何を今さらのように友達のところに遊びに行くなどという設定を思い浮かべたりするんだ――
という自分にウンザリしていたのだ。
会社の同僚にしても先輩にしても、親しく話をする人はいない。
短大時代にも、友達はほとんどおらず、親友と呼ばれる人もいなかった。自分から話しかけることなどありえない。人との交流において、積極性という言葉は、香澄の中に存在するものではなかった。
家族関係もあまりしっくり行っていない。厳格な父親に、ただそれに従う母親。人に自分の考えを押し付けようとする父親も嫌いだが、それに抗うこともなく、何を考えているのか分からないようにしか見えない母親は、もっと嫌いだった。
父親に自分一人でも抵抗を試みようとしたが、どうして父親の牙城を崩すことはできない。
――やはり自分よりも長く生きていて、社会に揉まれている相手に、適うわけなどないわ――
という思いが強いからなのかも知れない。
香澄は、そんな両親を見ながら育ってきたこともあり、自分の中で強い部分があることも感じていた。しかし、それでも父親に対して結局逆らうことのできない自分に対してのもどかしさと、母親に対して感じるじれったさから、香澄は次第に自分を感じることがなくなってしまった。
――何かを感じるということは、怒りしか生まない――
と感じるようになったからだ。もどかしさやじれったさが、いずれは怒りに変わってしまい、何かを感じることが怒りに通じるという結論に至っていた。
何かを感じないようにしようとすると、気が楽になっていった。
――何だ、何も感じないということがこんなに楽だったなんて、どうしてもっと早く感じなかったんだろう?
香澄は、そのことにいつ頃気付いたのかハッキリと覚えていないが、この時に、香澄の中の原点が生まれたと言っても過言ではないだろう。
高校時代は、この思いが自分を支配していた。特に受験という避けては通れない問題に直面した時、この性格がどれほど自分の役に立ったか計り知れない。
まわりの同級生は、
――孤独な自分との闘い――
という受験戦争から、どのようにして逃れようかと考えていた。やらなければいけないことは分かっていて、それでも逃れようとするのだから、一本筋の通った思いが存在するわけはなかった。香澄から見ていると、
――真剣みが感じられない――
としか思えなかった。そんな人たちに自分が負けるはずもなく、受験という難関を、それほど辛い思いもなく、乗りきることができた。
――やらなければいけないことが分かっているのなら、逃げることはできないはず。「逃げる」という発想があるから、却って受験というものを恐ろしくしか感じないんじゃないかしら?
と思っていた。
中に入ってそこから活路を見出すという発想の方が前向きで、しかも効率がいいように思ったのだ。
ただ、短大を卒業する前に訪れた就職活動。この時初めて香澄は自分の考えに少し疑問を感じた。
それまで感じたことのなかった「孤独」というものを感じるようになったのだ。
成績も悪くなく、それなりに就職活動にも自信があったが、なぜか内定がもらえない。まわりも決まらないのなら、それでも納得がいくが、学生時代、チャラチャラしているように見えた同級生たちが、どんどん内定を決めていく。
――どうしてなの?
何とか、香澄も就職先を決めることができて、事なきを得たのだが、それでも、今までに感じたことのない焦りと、自分への疑念。短大を卒業する前と後とでは、考え方が結構変わってしまったのではないかと思う香澄だったが、まわりから見ると、まったく変わっていないようにしか見えなかった。
それは、短大を卒業してからの香澄が、さらに孤独が増したからだった。それは自分でも感じていることで、まわりが感じているよりも、余計に本人が感じているに違いない。
まるで開き直ったかのように孤独を何とか自分の中で正当化させようとしている。そうしないと、何も感じないことが楽だということから進化した考えとして、行きついた先が孤独だったということを、自分で納得できなかったからだ。
孤独というものを正当化させるのは、さほど難しくなかった。元々頭が悪いわけではない香澄は、
――順序立てて考えれば、、少々のことは理解できる――
と思っていたからである。
ただ、それが本当に正解なのかどうか、誰にも分からない。そのことを、まだ香澄は知らなかった。
香澄が入った会社は、決して大きな会社ではない。県内の主要地域に営業所を持っているような会社で、本社と言っても、事務員が十数名いる程度の会社だった。大きな会社ではなかったが、小さいというわけでもない。どの会社にも言えることだが、満足できるかどうかは、その人の感じ方ひとつなのだろうが、香澄は満足しているわけではないようだった。
香澄は本店勤務で、たまに営業所に行く程度だったのだが、その日は部長から、
「悪いが、ちょっと南部営業所に行ってくれないか」
と言われた。
その日は、確かにそれほど忙しい日ではなかったが、こんな時こそ、普段忙しくて整理できないパソコンの中を整理しようと考えていたので、朝いきなり部長に呼ばれて言われたことは、完全に出鼻をくじかれた気分になっていた。
南部営業所というのは、本店からも結構離れている。もちろん、香澄は一度も行ったことがないところで、県内でも一番の田舎に位置しているところだという話は聞いていた。
何よりも気になったのは、田舎のローカル駅を降りてから、さらに徒歩で一時間近く歩くところだという。しかもタクシーがあるにはあるのだが、ほとんどが出払っているということだった。
「タクシーを使っても構わないが、片道だけだ」
と、部長から言われた。
出張に行く時の決まりごとになっていて、当然、香澄だけ特別扱いはできない。
駅に着いてから、タクシーは出払っていた。駅は無人駅なので、駅員にタクシーを呼んでもらうというのも、無理だった。駅の柱にタクシー会社の電話番号が書かれていた。そこに電話してみると、
「隣の駅から行きますので、三十分くらいかかりますが、よろしいですか?」
と言われた。さすがに田舎のローカル駅だけのことはある。
「それなら、いいです」
さすがに三十分は長すぎる。歩けばかなり掛かるはずなのだろうが、それでも、こんなまわりに何もない駅で、三十分近くも待たされるのは、耐えられたことではなかった。
行先は分かっている。一本道だということも聞いていた。
――一時間かかるという話だったけど、ちょっと大げさよね。私の足なら、四十分くらいで行くんじゃないかしら?
というのも、一つの理由だった。それに、どうせ片道しかタクシーが使えないのなら、帰りに使えばいいと思ったのだ。
香澄は、タクシーを諦めて、歩き始めた。最初はタクシーに乗れなかったのがショックだったが、一旦歩き始めてしまうと、タクシーに乗れなかったことなどすぐに忘れてしまった。これを頭の切り替えと言っていいのかどうか分からないが、少なくとも忘れられたことはいいことだった。
季節は二月の後半の頃だった。先週まで雪が降る日があったりと、まだまだ冬の気配が残っていた。朝夕の冷え込みはさすがにまだ真冬並みだったが、昼頃になると気温はかなり上がっていて、歩いていると汗が出てくるほどであった。
南部支店への道のりは、一本道だと聞いていた。しかも田舎道、
「まわりには、何もないからね」
と聞かされていたが、冗談抜きに本当に何もないところだった。
歩き始めて少しだけ店舗らしいものがあったが、途中からそれもなくなり、田舎の風景が広がっていた。
――小学生の頃に、以前こんなところを歩いたような気がしたわ――
と、感じたが、今から思えば、
――あれは本当に自分で見たんだろうか?
ひょっとしたら夢に見たことを記憶の中で、本当に見たと思いこんでいただけなのかも知れないと感じた。ただ、もしそうであれば、
――なぜ、そんな思いこみをしたのかしら?
と感じた。
想像しただけのことを、どうしてわざわざ自分の記憶として覚えておく必要があるのか、その必然性がまったく思いつかない。だからこそ、記憶していることだということを、今までに一度も疑わなかったのかも知れない。
この道は、確かに一本道になっていて、まわりに何もないという表現が一番であった。見た目そのまま表現すると、そのままの発想することになるが、実際と違っていても、それくらいどうでもいいような気がしてくるような風景だった。
山と呼ばれるようなものはどこにもない。しいていえば、小高い丘のようなところが見える程度だが、よく見ると、遠くに山が見えているような気がする。山に見えるその部分は、雲と一緒になっていて、雲なのか山なのか判断できない。
――小学生の頃に見たという記憶は、山と雲のハッキリとしない境目を見た時に思い出したのかも知れない――
と、感じた。
ただ、山を感じない平原は、田舎の代名詞でもあるかのように感じられた香澄は、歩き始めた時から、
――本当に目的地に辿り着けるのかしら?
と感じていた。
途中に、森のようなものが見えた。少しだけ歩いてみると、そこは森ではなく、交差した道になっていて、道の両脇に林立している木を、森のように錯覚しただけだということに気が付いた。
交差している道に気が付いてみると、次第にそこに気が集中してくるのを感じた。
――なぜかそこにいて、こちらを見ているのを感じることができる――
と思うと、自分の実際に見えている目とは別に、自分の意識の中にも目があって、それが別の景色を映し出していることを知った。
――なんか不思議な感覚だわ――
歩き始めは、
「今時こんな田舎が存在するなんて」
と感じ、ウンザリしていたのだが、自分の意識の中に目があることを感じてくると、今度は自分が何を感じてくるのかということに、少しずつ興味を抱くようになっていた。
田舎の風景を感じていると、またしても小学生の頃を思い出した。
小学生の頃であっても、ここまでの田舎に来たことなどなかったはずだ。ただ、こんな田舎が存在していることだけは意識していた。なぜだったのだろう?
そのことに気が付いたのは、しばらくしてからだったが、おそらく学校の中に飾ってあった絵を見たからだったように思う。
香澄が通っていた小学校は、結構芸術的な絵が置かれていた。小学生だった香澄に絵のことが分かるはずもなかったので、飾っている絵のことを意識したこともなければ、当然、どんな絵が飾っていたかなど覚えているわけもない。
ただ、芸術的なものは絵だけではなかった。音楽も芸術的で、授業中以外は、ほとんどクラシックが掛かっていた。
聴く意思がなくとも、掛かっていると、意識しないわけにはいかない。クラシックの調べは壁に掛かっていた絵のイメージとも合致していて、クラシックを聴いていると、小学校の壁に掛かっていた絵を自然に思い出して聴くようになっていた。
田舎の道を歩き始めた時、最初はまったく音もなく目の前に広がっている光景にウンザリしていたが、次第に小学校の壁に掛かっていた絵を思い出してくると、耳の奥からまるで耳鳴りのようにクラシックが流れてくるのを感じた。
それまでは、ちょっとした風だったにも関わらず、耳元で、
「ビュービュー」
と音が鳴っていたのを感じていた。
その音が余計にだだっ広く横たわっている光景を、ウンザリさせるものに変えていた。
風の音は、横殴りの音ではない。吸い込まれるような音だった。
どこかに見えない穴のようなものがあって、そこに何かが吸い込まれていく。目の前に広がっている光景に吸い込まれるものなど何もないのに、吸い込まれていく感覚だ。
――吸い込むものがないのに、さらに吸い込もうとする力?
そこには、自分さえも吸い込もうとしているのではないかと思う強力な力を感じ、風というものが、
――本当は恐ろしいものではないか――
と感じさせるものになっていた。
風が次第にクラシックの音に変わってきていたが、不思議なことに、クラシックの音が、それほど大きなものではないような気がしてきたのだ。
風の音に比べて、クラシックの音楽の音がそれほど大きく感じられないのは、錯覚でしかないのだろうが、そのことが自分の中の思考能力とどのような関係があるのか、まだよく分かっていなかった。
少なくとも、一度も来たことのない場所で、ここまでいろいろなことを短い時間内で考えられる自分にビックリしていた。
子供の頃から歩いていると、いろいろなことが頭の中で巡ることがあったのも事実だった。その時は、結構クラシックの音楽が耳鳴りのように響いていたような気がする。
子供の頃から考えていたことは、成長するにつれていろいろと変わっていったが、少々の長い道のりでも歩いていて苦痛に感じることがなかったのは、考え事をしていたからだと言えなくもなかった。
考え事をするのは嫌いではなかった。時間を感じることがないというのが一番の理由だが、時間を感じることがないから嫌いではないのではなく、その間に疲れを感じないことが一番の理由だったような気がする。
考え事というのは、目的地に到着すると、それまで考えていたことを忘れることが結構あった。我に返るということなのか、忘れてしまっても、別に嫌な気はしなかった。その時に考えていたことがそれほど自分に重要ではないと思うからだったが、もう一つの思いとして、
――そのうち必ず思い出すことがある――
ということだった。
しかも、思い出す時というのは、考えていたことを一番いい時に思い出すというタイミングの良さを孕んでいると思っている。だから、その時忘れていたとしても、それは大した問題ではないということである。
歩いていくうちに、目の前に見えていることが、虚空に見えてくることがあった。しかし、本人はさほど意識していない。むしろ、
――虚空のように見えてきた――
と感じると、そんな自分にハッとしてしまうくらいだった。そんな時、
――また、何かを考えていたんだわ――
と、たった今まで考えていた内容ではなく、考えていたということすら、自分の意識の中から消えてしまうのだった。
部長に言われて出かけてきたその日は、最初から何かを考えていたわけではない。気が付けば何かを考えていたというのが正解で、気が付けば、考えながら歩いていたのであった。
――それにしても、どれくらいの時間歩いたんだろう?
時計を見ると、一分ほどしか経っていない。なるほど、目の前に広がる光景に何ら変わりはない。とりあえずの目標にしている交差する道の、林立している木のところまで、近づいたというイメージはまったくない。
だが、何か違和感があった。目の前の光景と、時間の間には、何もおかしなところはないはずだった。
だが、少しすると、その理由がハッキリとしてきた。
――そうだわ。何か疲れているのよ――
少ししか歩いていないはずなのに、疲れ方が少し早い気がした。特に足の裏など、すでに攣っているかのようになっていて、歩きづらくなっていた。
――そんな分かりやすいことに気が付かなかったなんて――
と、考え事をしていたことが、身体の疲れを凌駕したとでもいうのだろうか。疲れは感じていても、それを頭が理解していないという不思議な感覚に、しばし酔った気分になっていた。
それでも、歩みのペースは変わらない。立ち止まろうという気にはまったくならなかった。なぜなら、そこで立ち止まったら、そのまま進めなくなってしまうような気がしたからだ。
――歩くペースは、まるでクラシックのようだわ――
風の音しか聞こえていなかった時から、そう思っていたような気がする。この時にクラシックを想像したことで、クラシックの音楽が聞こえてきたわけではないことを、その時に香澄は分かっていた。
何はともあれ、約束の時間よりも、このままなら相当早く着いてしまう。しかも約束の時間が昼すぎだということもあって、昼食をいつ摂るかという問題もあった。
「どこか、食事ができるところ、ないんですか?」
会社を出る時、部長に聞いてみた。何しろ田舎のことなので、しっかり聞いておかなければいけないと思った。
「営業所の近くに、確か喫茶店があった。名前はハッキリと覚えていなかったが、私が半年前に行った時、そこで食事を摂ったので、そこに行ってみればいい」
と、教えてくれた。
場所も、駅から営業所に向かう道の途中から見えるところにあるという。迷うことはないということだったので、詳しい話を聞かなかったが、歩き始めてから見えるところにあるわけではなかったので、少なくともあるとすれば、正面に見える交差する道の向こう側になるのは間違いのないことだった。
――そういえば、短大の頃には、学校の近くにあった喫茶店によく寄ったものだわ――
短大の近くには喫茶店がたくさんあった。香澄の通っていた短大は、学校の密集地帯と呼ばれるところにあり、同じ駅で降りて通学する学校が、四年生の普通大学、同じく四年生の女子大、さらに短大と、それぞれ合わせて五個の学校があった。駅前にはいくつもの喫茶店が乱立しているのも頷けるというもので、どこの喫茶店も、いつも学生で溢れていた。
その中でも香澄がよく通っていた喫茶店に、クラシック喫茶があった。店内はあまり明るいとは言えないが、クラシックの雰囲気にちょうどいい。店内には客がリクエストした音楽が流れていて、それが気に入らない人には、ヘッドホンにて個別に聴けるような心遣いもされていてありがたかった。
マスターのコレクションであるCDの数もかなりのもので、そこから選んで聴くのだが、かなりの枚数があることもあり、選ぶだけで、結構な時間が掛かってしまう人もいた。
クラシック喫茶という特性上、気が短い人には向かないかも知れない。時間と気持ちの両方にゆとりを持っていないと、ここで時間を過ごすのは苦痛でしかないだろう。
ほとんどの客が単独だった。香澄のようにいつも一人でいる客はもちろんだが、普段は友達とつるんでいる人が、たまに一人になりたいと思ってここの常連になっている人もいるようだ。最初は区別がつかなかったが、次第に香澄は見ていると、どちらのタイプの客なのか、分かってくるように感じられた。それは、
――自分から分かろうとしないと永久に分かるものではない――
と感じるもので、自分がどうして分かろうとしたのかということを、香澄は自分で分かっていなかった。店に入ってしまうまでは、
――一人孤独を楽しもう――
と考えているにも関わらず、中に入ってしまうと、いつの間にか、まわりが少しずつ気になるようになっていたのである。
店の雰囲気が独特だということもあるのだろうが、この店に対してのイメージが香澄の中ではあった。そのイメージに合う人というのは、かなり限られているように思えた。いつも客がたくさんいるのを見ていると、その全部が自分のイメージに合う人ばかりだとは思えなくなっていた。そう思うと、どうしても、まわりが気になってしまったとしても、それは無理もないことなのだろう。
ただ、一つ言えることは、
――誰もが、一人孤独を楽しもうとしている――
ということに間違いはないということだ。
それは、その人の元々の性格如何に関わらず、
――一人孤独を楽しむという感覚は、普段まわりの人との関わりを大切にしている人にもあるのかも知れない――
と感じたことだった。
もっと考えていくと、むしろ、普段まわりの人と関わっている人の方が、一人になりたいと思う感情が強いのではないかとさえ思えてきた。香澄の知っている人の中にも同じような人がいる。その人は一年先輩だったが、いつもまわりに気を遣っている人でありながら、自分から中心になろうと考えるようなことはなかった。
数人のグループの中には、一人はいるようなタイプの人だった。決して目立つことはないが、いないとグループ自体が成立しないような重要な役回りを演じている人、あくまでも演じているだけで、その人の考えている心理までは想像がつかない。
――中には、いつかは自分が目立ってやるという野心めいたものを持っている人もいるんだろうな――
と香澄は考えたが、自分になれるものではない性格なので、必要以上に考えることは時間の無駄であることも分かっていた。
クラシック喫茶の常連客は、皆寡黙にクラシックだけを楽しんでいる。香澄も最初はそうだったが、それは音楽を聴きながら、目を瞑って瞑想している時間を感じていたからだった。
しかし、次第に目を瞑るのを止めるようになった。なぜなら、他に気になるものを見つけたからである。
この店ではほとんどの人が自分の指定席のようなものを持っていた。それだけ、常連がほとんどの店だということなのだが、香澄にも同じように指定席があった。
香澄が行くと、その席は必ずと言っていいほど空いている。いつものようにその席に座って、瞑想を繰り返していると、何かが気になるのを最初は分からなかった。
店内は薄暗くなっているので、目が慣れてくるまでに時間が掛かる。目が慣れてきても、瞑想するために目を瞑っていることが多かったので、気にすることもなかったが、目を瞑っていても、次第に何かが気になっていた。
少しずつ目を開けている時間を長くしていくと、目が暗闇に慣れてくるのを感じてきた。目が慣れてくると、それまで感じなかったものが浮かび上がってくる。それは、ちょうど香澄の前にある壁に飾られている一枚の絵だった。
暗闇と言えど、真っ暗にしてしまうわけにはいかず、ところどころに明かりを灯すようになっていたが、それが、絵を中心にした四隅から、絵に対して光を当てることで、明るさを保っていたのだ。
目が慣れてきても、違和感が抜けなかったのは、浮き上がっている絵に気が付かなかったからである。しかし、一旦気が付いてしまうと、今度は気になって仕方がなくなり、絵から視線を逸らすことができなくなってしまった。
――こんなにも目立つのに、どうして最初に気付かなかったのだろう――
それは、クラシックを聴くという目的に合致した明るさが店内のバランスをうまく保っていたからであって、
――どこに違和感を感じる必要などあるのだろう――
という思いがあったからなのかも知れない。
喫茶店の絵に明かりが集中していたとしても、それはバランスの中で浮き上がっているものであり、その場にあまりにも嵌ってしまっていては、却って目立つことはない。
それは、河原の石に似ている感覚だった。
「木を隠すなら、森の中」
ということわざがあるが、一つのものを隠すのに、同じものが密集しているところに隠すのが一番だという考えだ。
さらに、「保護色」という考えがある。
保護色とは、動物や植物が自分の身を守るために、まわりと同化させるため、同じ色を身体に植え付けている生態系のことをいうものだ。あまりにもまわりに染まってしまっていると、普段は目立つかも知れないことであっても、決してまわりが気付くことはない。いわゆる「自然の摂理」というものだろう。
だが、それも気づかれないことが基本である。
一度気付いてしまうと、これ以上気になるものはない。それを証明してくれたのが、クラシック喫茶の中に掛かっていた絵だったのだ。
それまで、あまり絵というものに造詣が深くなかった香澄が、急に気になるようになったのは、やはりクラシック喫茶という環境の中にいるということと、暗闇の中に浮かび上がっているという相乗効果が、香澄を掛かっている絵から離れることのできない感覚にさせてしまったのだろう。
もちろん、その場所にいるからであって、一歩店を出れば、完全にそれまで考えていた瞑想は吹っ飛んでしまう。
――まるで夢のようだ――
そこまで考えることはなかったが、もし考えるとすれば、最初に思うのは、「夢」という感覚に違いない。
ただ、一つ気になっていたのは、それまで絵画というものを気にしていなかったのは、ただ気にしなかったというだけではなかったのだ。
香澄の家には、絵が何枚も飾られていた。父親が時々買って来ては、家の通路や、リビングに飾っていた。母親は何も言わなかったが、買ってくる絵が、さほど安物でなかったということは分かるようになっていた。
これは母親が愚痴っていたのを、たまたま聞いてしまったのだが、
「お父さんは、別に絵に興味があるわけでもないのに、あんなに高いものを買ってきて、どういうつもりなのかしら?」
母親は分かっていなかったようだが、香澄には何となく分かった気がした。
――自分に納得したいからだわ――
客を家に頻繁に連れてくるわけではなく、むしろ、お客さんは少ない方だった。
絵に興味がなくて、それでも絵を飾るということは、考えられるのは、
――人に自慢したいから――
という考えだったが、父にそんなつもりはないようだった。
もっとも、厳格な父というイメージの中で、人に自慢したいなどという考えがあるとすれば、それは、香澄にとってはNGだった。もしそんな考えを持っているとすれば、その考えだけで、香澄は父親を自分の父親として認めることができないと思うほど、決定的な軽蔑対象になっていたことだろう。
厳格な父と、人に自慢したくないと考えている父との間で、香澄はどちらの父を信じていいのか分からなくなった。
考えてみれば、厳格の延長が、
――人に自慢したくない――
という発想であり、逆から考えて、人に自慢したくないという考えが、厳格な父を示しているのだと思うこともできなくはなかったはずだった。
――どうして、そんな簡単な理屈が分からなかったんだろう?
そんな理屈を考えさせようとしている父に対して、勝手に自分が面倒臭くなり、父を嫌いになった理由だったのかも知れない。それは、父の中に自己満足の思いがあったからで、厳格な性格の人が自己満足をするなど、その時の香澄には許せなかった。
だが、自分はどうなのだろう?
自己満足を、あまりよくないと言っている人もいるが、香澄はそうは思わない。
――自分で満足できないことを、他の人に満足させるなどできるはずがない――
と考えるようになった。
自分に対して余裕を持った考えでいたいという思いからだが、それは、
――人の妥協を許さない――
という姿勢を、まわりにも押し付けようとしていた厳格な父親に対しての反発心の表れだったに違いない。
反発心であり、反面教師として見ていることで、香澄は自分と父親との間に存在する確固たる「結界」のようなものを感じた。
――他人にも感じたことのない「結界」――
親子だからこそ感じるという理屈は、なかなか飲み込めないものだった。
家に飾っていた絵を気にするようになったのは、クラシック喫茶で浮き上がってくる効果のある絵を感じたからだった。
後になってマスターに訊ねると、
「あの絵は、確かに暗い店内で目立つような演出をしたつもりだったんだけど、意外と気が付いてくれない人が多かったと思っているんだよ。香澄ちゃんが気が付いてくれたのは、本当に嬉しく思う」
と、言っていたが、
「そんなことないですよ。きっと気付いている人も結構いたような気がします。このお店は、そういう効果が結構ちりばめられていたような気がしますよ。私が気が付かなかったことでも、他に気付いた人もいるかも知れない」
とマスターに対して答えた。
確かに、もっと他にも演出を凝らしていたのかも知れない。だが、マスターはそのことを香澄には言わなかった。言ってしまうと、せっかく凝らした演出が、紙きれのような薄っぺらいものになってしまうような気がしたからだ。
「マスターは、この絵をどこで手に入れてきたんですか?」
「最初は、店に飾る絵を数枚買えばいいと思っていた程度だったんですが、クラシック喫茶にしようと考えた時、すぐにこの演出が最初に浮かんできたんです。絵を見ていると、吸い込まれるような感覚になってきたって感じですかね」
遠くを見るような目で、懐かしそうにしているマスターに向かって、
「えっ、そうなんですか? てっきり私はマスターが最初からクラシック喫茶にするつもりで店を構えたと思っていました」
「違うんだよ。最初は普通に明るいお店にして、店内でクラシックを流すつもりでいたんです。ただ、こだわりがあったのは、店の壁を赤レンガにしたいという思いだけだったんですよ。でも、赤レンガを見ているうちに、次第に内装を暗くしていきたいという発想が生まれて、それでこんなムードを大切にするお店にしたというわけです」
「でも、絵は最初から今飾っているような感じの絵を買ってくるつもりだったんですか?」
「ええ、絵に関しては、明るい店でも暗い店でも、私が好きな絵を飾るつもりでしたから、そこは意識していませんでした。暗い店にも結構映えていると思っているんですよ」
「もちろん、私も素敵だと思います。でも、お話を聞くまでは分かりませんでした。やっぱり確かめて見るものですね」
と、香澄は自己納得したのだった。
真っ暗な部屋の中で、額縁を少し前のめりにするように下部を固定し、そして、上部を紐で引っ掻けるようにする。そして、その後ろに明かりをつければ、まるで額縁から後光が差したように見える効果を用いていた。
さらには、同じやり方で、額縁の裏を透明なガラスのようなもので固定すれば、今度は絵自体が浮き上がったように見える効果があった。
マスターはこの二つをうまく利用していたようだ。
絵自体が浮かび上がるやり方は、あまり絵に対して評価が薄いものを当てていた。絵自体を浮き上がらせる効果は、評価の高い絵に対しては逆効果である。せっかくの絵が死んでしまうからだ。
逆に絵に自信のあるものは、額縁に後光が差すことで、絵をさらなる高貴なものへと変えることができる。
マスターの思惑は見事に成功した。香澄も店の常連となったのは、その手法にも感嘆したからだった。
真澄以外の客も、やはりマスターの手法に感嘆していた。実際にその手法について分かっている人がどれほどいたのか分からないが、よく見ると、どのような手法を凝らしているかということはすぐに看破することができる。
しかし、わざわざ看破する人がいるだろうか?
人というのは、
「知らない方がいいというものを、無意識に悟ることができるものだ」
ということを、香澄は何かの本で読んだような気がしたが、どの本だったのか、忘れてしまった。難しい心理学の本など読むことのない香澄だっただけに、たまに忘れた頃に読むミステリーだったのかも知れない。
香澄は、読書は嫌いではないが、あまり集中して読む方ではない。
急に読みたくなって、本屋で物色した本を読むこともあったが、
――同じ作家といえど、この本以外の小説が面白いとは限らない――
という思いからか、一冊読めば満足する。続けて本を読むというのは、稀なケースだった。
――そういえば、前に読んだ小説の中で、喫茶店を舞台にしたものがあったな――
というのを思い出した。
喫茶店をいかに盛り立てていくかというのがテーマだったが、その本を、喫茶店の中で読むというのも皮肉なものだった。
その小説を読んだのは、クラシック喫茶ではなかった。もっと明るいところで、その小説を読み始めてから読み終わるまで、その喫茶店に通った。数回だけだったが、行かなくなってからしばらくはあまり意識していなかったが、数か月経ってから、その喫茶店が思い出として意識されるようになると、月日の経過の指標としての思い出というものが存在することに気が付いたのだ。
その本は、自分で決めた喫茶店でしか読まなくなったのは、その時からだ。自分の家や学校、あるいは、移動中に読むことはなかった。なぜそうなったのか、自分でもハッキリとはしないが、喫茶店の利用価値が自分の中で固まったのは事実だった。
そういう意味で、クラシック喫茶以外の喫茶店で、コーヒーを飲むだけのために立ち寄ることはなくなった。本を読むというのも一つだが、勉強したり、何か自分の目的がなければ寄ることはなくなったのだ。
逆にクラシック喫茶では、何もしない。クラシックを聴きながら、ただ壁に掛かった絵を見るだけだった。他の喫茶店とはまったく利用価値の違うこの場所は、香澄にとって、
――喫茶店であって、喫茶店ではない――
と思うようになっていた。
ただ、喫茶店の利用価値は、学生時代までだった。
社会人になってからは、喫茶店の利用目的に、
――朝食を摂る――
というのが加わった。
もちろん、朝食を摂りながら新聞を読んだり仕事で使う資料を読んだりしているので、朝食を摂りながら他のこともしていたりする。だが、本来の目的は朝食を摂ることなので、やはり、目的が加わったということには変わりはない。別に喫茶店の利用目的が自分の中の信念だったわけではないので、それほど気にすることではなかったが、それでも、どこかに一抹の寂しさを感じた。
――社会人になるというのは、何かをなくすことになるというのは、本当のことなのかも知れないわ――
と、以前就職活動中に企業訪問で訪れた先輩が話していたのを思い出した。
喫茶店のことなどは、些細なことなのだろうが、香澄にとっては、それほど些細なことではなかったのだ。
朝食を摂ることが加わったおかげで、喫茶店を気分転換に使う時間は減ってしまった。会社に入ってすぐの頃は、喫茶店を気分転換に使うこともあったが、今ではほとんどなくなった。今回、出先に出向くことで喫茶店を利用するというのは、久しぶりに違う店に行くことができて、一種の気分転換のように感じられた。この気持ちは、まわりの環境が田舎であればあるほど、強いものになってきそうだった。それだけ普段自分が都会に染まりきっていることを意識している証拠であろう。
横切る道と交差しているところが近づいてくると、その向こう側の景色が次第に明らかになっていった。
――ここまで、だいぶ歩いたわ――
どれくらいの時間が経ったのか、ハッキリとは意識していなかったが、歩けども歩けども目的地に近づいたという意識がない中での疲れは、結構溜まってくるものだった。それでも疲れが身体に馴染んできたかのように思えて来た時、さっきまであれだけ遠く思えていた横切る道との交差点が、目の前に見えてきたような気がした。
遠くに見えていた木が、見上げるところまで近づいたのを感じると、
――いつの間に――
と、一気に近づいたことを感じる。
ここまで近づいてくると、思わず時計を見てしまう。
――さっきから十五分しか経っていない――
と、感じると、足の疲れがスーッと抜けていくのを感じた。
足の疲れが抜けてくるのと同時に視力がよくなったような気がしてきた。
――あれが、話にあった喫茶店かしら――
さっきまで、まったく見えていなかったと思っていた目の前の世界が開け、店が見えてきたことで、それまでの意識とはかなり違ってきたのを感じたのだ。
元々、香澄はあまり視力のいい方ではない。遠くに見えていた木がなければ、そこに道が通っているということも分からずに、ただ、目標もなしに、ただ歩いているという、疲れが溜まるだけの展開になっていたことだろう。
しかも、歩いても歩いても、目的地はおろか、中間地点までも、近づいているという気配を感じない。
まったく変わることのない風景をまわりに感じながら歩いていると、得てして、距離的な感覚がマヒしてしまうものだが、特に田舎の風景には、まったく感じるものが何もないことで、疲れだけが残ってしまうという、
「暖簾に腕押し」
のような効果があるに違いない。
それでも、目的地が見えてくると、それまでの疲れが一気に引いていく感じがするのも、その時でなくとも分かるような気がした。
――以前にも、同じようなことを感じたことがあったのかな?
それがいつのことだったのかハッキリとは思い出せないが、小学生の頃だったのは分かっていた。歩いていて懐かしさを感じたことでも、目的地が見えたことで疲れが消えていったのも分かる気がした。
――この光景自体が、癒しになっているのかも知れないわ――
と、気分転換よりも癒しの方を感じた香澄だった。
香澄にとって、子供の頃のことを思い出すのは久しぶりだった。
今なら、短大の頃のことは結構思い出すことはあるが、それ以前のことを思い出すことはない。短大時代には、高校時代や中学時代のことを思い出すよりも、小学生の頃のことをよく思い出していた。
――どうして、中学、高校時代のことを思い出さないのだろう?
思春期だったはずなのに、香澄は思春期らしい思い出として、インパクトのあるものはほとんどなかった。
確かに好きな男の子がいたり、男の子から告白されたりしたことはあったが、すべてのタイミングがうまくいかなかった。好きな男の子からは見向きもされず、好きでもない、むしろ毛嫌いしてしまいそうな男の子から告白されるのだ。タイミングが悪いと思っても無理もないことであった。
暗い時代だったと言っても過言ではないが、好きな男の子から告白されなかったり、嫌いな男の子から告白されるというのは、香澄に限ったことではないだろう。それなのに、香澄はタイミングの悪さを嫌な思い出として頭の中に残してしまった。忘れることもできたであろうに、敢えて忘れようとせずに、記憶の中に残したのだ。
「どうしてなの?」
自問自答してみたが、自分の中から答えが返ってくるはずもなく、暗い時代のイメージは、意識の中で通り越し、次に感じるのは、小学生の頃のことだった。
小学生の頃に、
――癒し――
などという言葉を意識したことはなかったが、その場所が憩いの場のような気分になっているのを感じながら、地平線の延長線上に沈む夕日を見ていたのを思い出していた。
――身体のダルさが、心地よさを運んでくる――
ということを、初めて感じた時だったような気がしていた。
元々、身体のダルさを感じる時というのが、夕日が沈む時だというのは、小学生の頃から感じていた。ちょうど空腹時であり、一日の疲れのピークを迎えるタイミングが夕方だったということもあり、余計に身体のダルさが、夕日を連想させる影響を持つようになっていたのだ。
香澄が夕日を感じている時というのは、汚染された空気を感じていた。
――まるで砂が混じっているようだわ――
砂混じりの空気は、呼吸困難を引き起こし、身体のダルさだけではなく、喉の痛さをも同時に感じさせた。ただ、咳が出たりするわけではなく、息が絶え絶えになっていくのを感じるだけだった。
さらに今回は、夕日ではないのだが、交差点の横に生えている木の枝の間から差し込んでくる日差しが、まるで小学生の頃に見た夕日のように、砂混じりの空気を感じさせた。それは風によって引き起こされる光の角度の微妙な違いが、目に差し込んでくるタイミングを若干狂わせることで、身体に疲れではない「ダルさ」を植え付けているのだった。
身体のダルさが目から来るものだと知ると、なるべく、光を見ないように歩くことを心掛けた。だが、目指す喫茶店は、白壁であることが分かると、喫茶店自体も、直視できないと思った。それでも何とか近づいて店内に入ると、中は表の明るさとは反対に、木目調になっていて、それまで感じることのなかった湿気を、感じないわけにはいかなかった。
その日はまだまだ寒さの残っていた日で、駅に着いた時も、
「寒い」
と、思わず叫んでしまったほどだったのだが、歩いているうちに次第に汗を掻いてきたのか、それとも、日差しの強さのせいなのか、次第に背中に汗が滲むのを感じていた。
夏の時の汗と違い、不快感があるわけではないが、身体が汗に馴染んでくると、冷えてくる汗に身体が反応してしまい、震えが止まらなくなるのではないかと思えてならなかった。
午後に入って少し時間が経っていたが、店の中の客はそこそこだった。表には十台くらいの車を止めるスペースがあるが、止まっているのは、二、三台だったので、店の中の様子は想像ができたが、思ったよりも多かった。
店の中に入ってまず感じたのは、
――表から見ているよりも、中がこじんまりとしている――
ということだった。
本当なら、まわりが雄大な景色なだけに、表から見える店の全体像は、実際よりも小さく見えてしかるべきだと思う。だから余計に中に入ると、思ったよりも広く感じられるものだと思っていたが、実際には、表から感じた中の広さに比べて、実際に中に入ってみると、さらに小さく感じられるから不思議だった。
ただ、湿気を帯びている分、身体に纏わりついてくる汗が気だるさを誘い、そのせいでこじんまりと見えているのかも知れない。
まず、普段なら店に入ってから、店全体を見渡すようなことはしない。せめて、軽く見上げる程度で、天井の高さを意識するなど、今までであれば考えられないことだった。
――あの時、もう少し上を見ておけばよかったかな?
天井を気にはしていたが、店がこじんまりとしていることを意識できれば、それ以上見ようとはしなかった。中途半端な気持ちだったのである。
ただ、天井をもっと気にしておけばよかったと思ったのは、それから少し経ってからのことだった。何日も先のことではなく、それから数時間後のことだったのだが、まだその時は、まったく気にもしていなかったのだ。
喫茶店での自分にとっての指定席は、きちんと空いていた。ほとんどの客がテーブル席に座っている。二人連れの客以外にも一人の客もテーブル席に座っている。カウンターに座る人はいないので、どの人が常連なのか、分からない。
――そもそも常連などいるのだろうか?
と思ったが、すぐに打ち消した。
――常連がいなければ、こんな田舎の何もないところに建っている喫茶店がやっていけるわけもない――
と、考えたからだ。
そういえば、初めての喫茶店に入った時でも、ほとんど自分で決めている指定席は空いていたような気がする。香澄が自分で決めている指定席とは、カウンター席があった場合の一番奥の席だった。
その日のカウンター席は、一番奥はおろか、誰も座っていなかった。初めて入った喫茶店で、客はそこそこいるにも関わらず、カウンター席に誰もいないなどということは今までになかったような気がした。
――田舎だからなのかな?
と考えたが、田舎なら、もう少し客同士の会話があってもよさそうだった。店の雰囲気は、香澄が知っている中途半端な都会の喫茶店に入った時と、同じような雰囲気がしたのだ。
香澄はカウンターの奥に座る理由として、
――一番隅から店内を見渡してみたい――
という思いが最初にあって、次第に奥が落ち着いて感じられるようになったからだった。
その日、座ったその席から店内を見渡すと、今度はさっき感じたこじんまりとした雰囲気よりも、少し広く感じられた。
――この感じが表から想像した店内の広さなんだわ――
と、香澄は感じていた。
店内を一通り見渡してみたが、やはり喫茶店というと気になるのが、壁に掛けられた絵だった。この店にも絵が飾ってあって、よく見ると、ここの風景を描いた絵だった。
雰囲気は伝わってきたが、表から見た店の外観とは、どこかが違っているように思えてきた。
――どこが違う?
と、最初に表から見たこの店の外観を思い出してみたが、どうやら、角度が違っているようだった。ただ、角度の違いだけで、雰囲気に違和感を感じるというのも不思議な感覚だった。
もう一つ不思議だったのは、香澄が店に入ってきたのは分かっていたはずなのに、香澄が席に座ってしばらくしてからでないと、店の人が出てこなかったことだ。店にはマスターだけだったようで、奥の厨房で注文の品を作っていたので、出てこようにも出てこれなかったのだろうと思った。
忙しいのに、声を掛けてはまずいと思って声を掛けなかったが、中から出てきたマスターは、
「いらっしゃいませ」
と、一言だけ声を掛けてきた。ぞっとするようなその声は、まるで地の底から聞こえてくるようで、冷たさしか感じなかった。
冷たさが、余計に空気を重くするのか、溜まっているように思えた湿気が余計に重たく身体を抑えつけてくるように感じられた。空気の重たさなど感じたことはなかったはずの香澄だったが、これも、どこかで感じたことがある感覚に思えてきて、マスターの雰囲気が、店全体を重たく感じさせるのか、逆に店の重たさが、マスターを暗い雰囲気にするのか、香澄には分からなかった。
店の中を見渡してみると、まず目に入ってきたのが、壁に掛かった絵だったのだ。その絵はどうやら、この店を表から見た風景画のようだった。ハッキリと断言できないのは、同じ店でありながら、どこか雰囲気が違っていた。香澄にとってのリフレインだったのだ。
何が違っていたのかすぐには分からなかったが、見る角度が微妙に違っていたような気がする。明暗の部分での違いが影になって現れる。その影の長さも微妙に違っていれば、違う風景に見えても無理もないだろう。
ただ、いつも見慣れた光景であれば、少々の違いは誤差の範囲であり、大きく意識する必要もない。初めて見る光景だからこそ、以前どこかで見た光景と似ていることで、余計にちょっとした違いが大きな違いに見えてきてしまうのだ。
その絵をじっと見ていた香澄に対し、
「どこか気になりましたか?」
と、マスターは声を掛けてくる。
「この絵は、このお店を見て描かれたものなんでしょうね?」
「ええ、この絵は私が描きました。店を構えた時は、まだまだ常連さんもいなかったので、ゆっくりできたんですよ。その時に描いてみました」
「マスターには、絵心があるんですね」
「ええ、でも似ていないと思っていらっしゃるんでしょう?」
「ええ、まあ」
ズバリ指摘されると、肯定も否定もできなくなった。つまりは、否定しているのと同じである。
「絵というものは目の前に見えているものを忠実に映し出すだけのものじゃないんです。時には省略したり、着色したり、アレンジが必要だったりするんですよ」
と、マスターは言った。その言葉の意味はすぐには分からなかったが、どこかに重たさを感じるのだった。
「それにしても、ここの表から描いたとは思えない何かがあるんですよ。これはいつ頃描かれたものなんですか?」
「そうですね。三年くらい前ですね。でも、このあたりはほとんど雰囲気が変わるところではないですし、私も絵をいくら省略して描いたりしているとはいえ、まったく違った雰囲気に仕上げるということはしていません。それだけ私の絵が下手くそだということなのかも知れませんね」
マスターは思ったよりも饒舌だった。最初に感じた閉鎖的な雰囲気は、話をしている限り感じることはない。
「でも、マスターは絵を描く時、着色したり、省略したりすることもあるんでしょう?」
「ありますよ。でも、風景画で着色することはないですね。むしろ人物画の方が、着色することが多いです」
「それはどうしてですか?」
「やっぱり、深層心理を見ようとするからなんでしょうね。人ほど見えている雰囲気と、隠された雰囲気とで違うイメージを持っているものはありませんからね。ある意味、それこそ、『忠実に描いている』と言えるのかも知れませんね」
マスターの話を聞いてから再度絵を見ると、今度は少しイメージが変わった。最初に感じたこの店のイメージが浮かび上がっていたのだ。
――最初に感じた絵は何だったんだろう?
それはどこかで見た絵のような気がして仕方がなかった。
――絵だったのかな?
絵を見てイメージしたものが、本当に絵だったと言えるのだろうか? 実際にどこかで見た風景を覚えていて、絵を見た瞬間にフラッシュバックした記憶が、絵の中に浮かび上がってきたのかも知れない。
香澄はそれを「デジャブ」だと思っている。
――以前に見たり聞いたりしたものが、何かの弾みで思い出すこと――
漠然とした言い方だが、それをデジャブだと思っていた。
思い出すということは、記憶の中にあったものに違いないのだろうが、記憶の中のどのあたりに潜んでいたのか分からない、
意識の中から、記憶という領域に移し替えられてすぐのところにあるものなのか、それとも、記憶の奥に封印される前の、意識の中で、
――忘れてしまった――
と言える寸前にあったものなのか分からない。
ただ、中途半端な場所にあったわけではないことは意識している。意識や記憶から零れる寸前に、自分の中にある潜在意識が、ふと現実に引き戻そうとする反動のようなものが影響しているに違いないと思っている。
香澄がマスターと話をしていた時間は、さほどなかったような気がする。
元々、あまり話し上手ではないマスターは、香澄から絵画の話題という助け舟を出されたことで饒舌にはなったが、すぐに会話が凍ってしまった。
元々話し上手ではないというのは、会話を続けていく話題がないというよりも、会話をしている時間を長持ちさせることができないということだ。
――話をしていて、次第に苦痛に感じてくる――
そんな思いは、序実に顔色に表れてくる。
――こんなに、一気に顔色が変わるなんて――
と思うほど、気持ち悪そうな表情になった。
顔色は精気を失っているかのようにどんどん、灰色と化してきた。汗を掻いているわけではないのに、顔面が震えているのを見ると、明らかに焦っているのが感じられた。
汗を掻いている方が、新陳代謝が活発になり、焦りを感じたとしても、元に戻るだけの力を感じさせるのだが、汗を掻いていないと、拠り所を失ってしまい、失ってしまった精気を取り戻すことは、もはやできないのではないかと思えてくるのだった。
「ちょっと失礼」
マスターは、そういうと、すぐに奥に入りこんだ。
――それにしても、これほど話しベタなマスターのいる店に、本当に常連客なんているのかしら?
と、感じた。
香澄は、奥に入りこんだマスターを尻目に再度、店内を見渡してみた。
――やっぱり、初めてきたような気がしないわ――
と感じた。
ただ、店の広さは記憶の中にある光景よりも、かなり狭い感じがする。
そう思っていると、もう一つ違和感が生まれていたことに気が付いた。
――時間の感覚が、普段と違うんだ――
店の中で感じた時間よりも、実際に過ぎた時間の方が、かなり大きかった。店に入ってから自分で感じていた感覚は三十分も経っていないと思っていたのに、実際時計を見ると、一時間が経っていた。
――本当なら逆なのに――
確かに、マスターと話している時間があっという間だったような気がするが、マスターが奥に引っ込んでからは、食事をしながら店内を見渡していただけだった。雑誌を読んだりしていたわけではないので、普段の感覚でいけば、三十分もかかっていないはずだった。
その時感じたのは、
――普段が、忙しい生活をしている証拠なのね――
というものだった。
毎日を時間で刻み、刻んでいる時間が、その時々で違ったとしても、気が付けば、いつも感じている時間通りに過ごしている。
仕事をしている時間、通勤に使う時間、そして、自分のために使う時間。それぞれに時間の感覚は違っているが、違うなりに自分で理解しながら過ごしている。「体内時計」というものが存在しているのなら、いつも同じ時間に目を覚まし、同じ時間にお腹が減り、同じ時間に眠くなるはずだ。まったく同じとは言えないが、自分の中で、
――誤差の範囲――
として見ている時間の中に、体内時計が収まっているのも事実だった。
毎日同じリズムで生活しているわけではないので、誤差というのは必要だ。それは、車のハンドルの遊び部分のようなもので、必要不可欠なものである。
香澄は、食事をする前と、食事を終えた後で、ここまで心境が違っていたことはなかったような気がする。ただ、空腹状態が満腹状態になるというだけではなく、それまでは感じたことのない睡魔が襲ってきたのを感じた。
――おかしいわね――
確かに、満腹になると眠くなるという話を聞いたことがあったが、今までの香澄は、満腹になっても、睡魔に襲われたことはなかった。
だが、今回の睡魔は、今までに感じたことのない睡魔だった。それは、
――眠たいと思っているのに、このまま眠ることを自分の身体が許さない状態になっていた――
ということだった。
――こんな中途半端な状態って、本当に生殺しに遭っているような感じだわ――
と思うと、またしても、汗を掻いていないのに、首筋に震えを感じ、今度は指先に痺れを感じた。
こんな時に限って思い出したのは、今までほとんど思い出すことのなかった高校時代の思い出だった。しかも、それは受験勉強していた時の記憶で、その記憶は、小学生の頃の記憶よりもさらに遠いところに格納されていたものであり、何の力が働いたのか、その力のせいで、引っ張り出されたような気がした。
――高校時代のことを思い出さなかったのは、思い出そうとすると、避けて通ることのできない受験勉強の記憶を、嫌でも引っ張り出さなければいけないくなるからではないだろうか?
と、感じた。
確かに、高校時代の思い出は、受験勉強の思い出しかない。他にもあったはずなのに、どうしても思い出せないのだ。
つまり、最初に思い出すことのインパクトが自分にとってどれほどの大きさであるかということが、その記憶が、自分の中のどのあたりに位置しているかということを示唆しているように思える。
受験勉強は、自分にとって、
――思い出してはいけない「パンドラの匣」――
と言えるのではないだろうか。
それは、恐怖という言葉で記憶されてしまっているので、思い出すことは、恐ろしさしか生まないのだ。
思い出してしまうと、他の記憶が消えてしまうほどの大きなものであることを自分で分かっているので、思い出さないようにしている。
――高校時代の他の記憶は、オブラートに包まれている――
包まれている記憶のオブラートは、いつでも破ることができるはずなのに、呼び起こすことに恐怖を感じているため、そこまで行きつくことはない。
――別にオブラートに包む必要もないのに、包まれているのは『見てはいけないものだ』という意識があるからなのかも知れない――
ちょうど一時間という区切りのいい時間は、偶然だったのだろうか?
店を出てから営業所までの道のりを歩きながら、そんなことを考えていた。自分で考えているよりも、本来の時間の方がかなりかかっていたというのは、まるで浦島太郎になった気分だった。
さすがに何十年という単位ではないが、店にいた時間があっという間だったにも関わらず、店に入ってから出てくるまでの時間を考えると、
――なるほど、確かに一時間くらい経っていたような気がする――
と感じた。
それほど店を表から見ていた時間が、かなり前だったということを意識しているのだろう。中にいた時間と、表で感じる時間とでは、かなりの差がある。まるで違う世界にいるかのようだ。
香澄は店を出てから、しばらく振り返ることもなく歩いた。
歩き始めてから、ちょうど五分が経った時、初めて立ち止まって、後ろを振り返った。
――そういえば、「後ろを絶対に振り返ってはいけません」と言われて、振り返ってしまったことで石になってしまったという話を聞いたことがあったわ――
あれは聖書のお話だっただろうか。よく考えてみると、
「決して開けてはいけない」
と、言われた玉手箱を開けてしまったことで、年を取ってしまった浦島太郎の話に似ているではないか。
――決して、してはいけない――
ということをすると、必ずバチが当たってしまうという発想は、「してはいけない」ことが、
――悪いことである――
ということを証明しているように思えてならない。
香澄は、五分間振り返らないことは最初から決めていた。五分という単位は、単純に振り返って一番よく見える時間だということで、自分で勝手に設定した時間だった。五分という時間は、短いようで長く、ある意味、中途半端にも感じられるが、実際に振り返ってみると、想像よりも遠ざかっているような気がしなかった。それは、まだまだ先が長いということを示していることでもあった。
体内時計が五分を指した時、香澄は後ろを振り返った。最初は喫茶店にしか目が行かなかったが、目が慣れてくると、今度は、自分が歩いてきた道に気持ちが行っていた。
――首だけを後ろに向けると、結構遠く感じるのだけど、身体全体で振り向くと、結構歩いてきたと思っている道も、実に短いものに感じられる――
と、思いながら、足元から伸びる、歩いてきた道を目が追っていた。
五分という時間をいろいろ想像してみた。
――店に入ってからの最初の五分、意識していたのかしら?
まったく意識していなかったはずだ。席に座って、店内を見渡していた時間くらいだったように思う。だが、感覚としては、十五分ほどの時間しか意識していない。それ以外の四十五分という感覚は、忘れてしまったのだろうか?
そう思うと、店の中で感じていた時間に、
――「段階」があったのではないか?
と思うようになった。
段階というよりも、
――違う時間を感じる「種類」のようなものだ――
という考え方である。
種類は場面を作り出し、場面が変わると、それまでの時間を忘れてしまう。だから一時間も経っているのに、意識しているのは、十五分という時間だったのかも知れない。その十五分が、最後に意識した場面での時間だったのだろう。
店に入る前と、店を出てからの時間も、
――店の中にいた時間――
というものを挟んで、まったく違う時間であった。
だから、店の中にいた時間を飛び越えて感じているのかも知れない。
――まったく別の世界――
というのが、店の中での印象だったのだろう。
その日一日を三つに割ってしまうと、最初の一つが終わったのは、香澄が店を出た時だった。
つまり、店を出てからの時間というのは、
――今日一日の二つ目の世界――
ということになる。
もちろん、香澄にそんな意識があるはずもなく、
――一日を三つに分割する――
という考えは、実は今に始まったことではなく、香澄の中で、時々考えていたことだった。
しかし、そんな頻繁に考えることではなく、その日は最初から一日を分割する意志はなかった。
意志がなくとも、三分割されるのは無意識に毎日起こっていることであって、最初に感じた三分割とは、その時々でまったく違う様相を呈してきた。香澄はその日、次第に三分割を感じるようになってくるのだった。
一度、店を振り返って、少しの間その光景を見ていた。
――この光景を瞼に焼き付けておきたい――
という思いがあったからだ。
そこには、
――もう二度と来ることはない――
という、予感めいたものがあったからだ。
だが、帰り道も同じところを通るはずだから、光景を今瞼の裏に焼き付けておく必要はないはずなのだが、どうしてなのだろう? やはり、帰りはタクシーを呼ぼうと思っているからであろうか。
営業所に着いてすぐに時計を見たが、ちょうど二時半になっていた。約束の時間、ピッタリである。判で押したようなピッタリの時間。別に歩きながら時間調節したわけでもなく、体内時計に徒歩を合わせたわけでもない。気が付けばピッタリだったというのは、ただの偶然だとしか思えなかった。
この時、営業所にいたのは、約二時間ほどだった。体内時計がそれを知らせていた。実際の時計を見ると四時半。体内時計に合うように、仕事をこなしていたということであろう。時間が過ぎていく感覚は快感でもあり、時には気持ち悪い時もある。それは、体内を流れる血液が、間髪入れずに途絶えることのないように流れているのを、体内時計が感じているかのようだった。それはまるで容赦なく背中に当たる、滝つぼの水しぶきのようだった。
二時間という時間が長かったのか短かったのか、最初は長かったように感じた。
営業所に着いたのは、昼下がりの二時半、二時間経つと四時半になっている。冬のこの時期は、そろそろ夕方を感じさせる時間で、寒さの中でも、夕日の眩しさを感じると、子供の頃に感じた気だるさを思い出す。
夏ではないので、本当の気だるさはなかったはずなのに、子供の頃を思い出してしまったばっかりに、気だるさを感じてしまった。
特に冬の乾燥した空気の元、喉に痛みを感じると、体調が悪くなくても、風邪を引いてしまったかのような錯覚に陥る。気だるさが喉の痛みを誘うという錯覚を起こしそうになっているのを感じると、余計に夕方の時間帯を想像しないわけにはいかなかったのだ。
一度想像してしまうと、我に返り、今度は風邪を引いたというのが錯覚であったことを悟る。冬であることの自覚を強く持つことで、昼下がりとは違った冬の夕方を感じてしまう。
そのため、たったの二時間が、半日であったかのように思えてきて、想像以上の時間の長さを感じるのだった。
営業所で仕事をしている間に疲れを感じることはなかった。まだまだ余力があるつもりだったが、営業所を出てからは、少し足の裏に痺れを感じた。
最初は、タクシーを呼んでもらう予定だったが、このままタクシーを呼んでもらって駅に行ったとしても、時間が中途半端だった。
「じゃあ、歩いて行きます」
会社の人が駅まで送ってくれると言ってくれたが、時間が中途半端なのは同じことだった。しかも、その日はなぜかお腹がすぐに減る日のようで、来る時に立ち寄った喫茶店に、もう一度寄ろうと思ったのだ。
――でも、どうしてそんな気持ちになったのだろう?
普段なら、夕方の時間、あまり歩こうとは思わない。できることなら、歩かずに済み方法を取るようにしていた。しかし、その日歩こうと思ったのは、昼寄った喫茶店にもう一度寄ろうと思ったからだ。店の営業時間は確認していた。まさかまた寄ろうと思うなど、想像もしていなかったので、営業時間を確認したのは、無意識だった。無意識に行動したことが、役に立つことがあるというのも、今までに何度か経験していた。
一つ気になったのが、デジャブだった。
――初めて来たはずなのに、何となく前にも見たような雰囲気――
それを感じたからだ。そして、もう一つ気になったのが、店の人がマスター一人だけだったということだ。
――ひょっとすると、夕方になると、他に誰か来るかも知れない――
という思いが募っていた。
「お疲れ様でした」
と、営業所を出る時、営業所の人のほとんど、香澄のことを気にしていないようだった。
――しかとされてしまった――
と、香澄は感じたが、本当にそれだけだろうか?
営業所に入った時、さすがに最初は、
「現場を知らない本部の「甘ちゃん」が、何しにきやがった」
と言わんばかりの鋭い視線に、香澄はたじろいでいたが、二時間の間で、結構馴染んでだような気がするのは、気のせいだったのだろうか?
二時間という時間を、最初の一時間、
――長いようで短いのかも知れないわ――
と感じていたが。途中から、
――短いようで、長いんだわ――
と考えが変わってきた。
もし、香澄がこの日帰り出張を、ただの嫌がらせの類を、早く終わられたいだけだと思っていたとすれば、前半と後半で考え方が逆だったに違いない。最終的に、
――長いようで短かった――
と、営業所を出る時に感じるはずだからだ。
しかも、営業所にいる間に、時間に対しての感覚が途中で変わるはずもない。つまりは、営業所での二時間の間に、心境が変わってきたということだ。
――本当は嫌だったはずなのに、途中から、嫌ではなくなってしまった――
それは、営業所の人たちが自分をどのように考えたかということから始まっているのかも知れない。
それは、営業所の人たちの人間性から来るものなのか、それとも、香澄自身が彼らに馴染んできた証拠なのか、少なくとも途中から馴染んできたような気がした。
――初めて来たはずなのに、すぐに馴染めたというのは、前にもここでこの人たちと会っていたのかも知れない――
と、そんな気分にさせるほどだった。
そんなことがあるはずはなかった。
もし、小さかった頃に、この場所を訪れたことがあったとしても、それは記憶の中にあることというだけで、実際に、ここの人たちと馴染んでいるわけではない。時間にしても一年や二年というわけではない。十数年という月日が経っているはずだからだ。
二時間という中途半端な時間を、一時間ずつの前半後半に分けて、時間の間隔を感じるなど、今までにはなかった。
確かに、時間を前半後半に分けて感じるというのは、今までに何度もあったことだが、それは半日以上だったり、逆に、一時間の間のような短さだったりした時だった。二時間が中途半端だというのは、
――時間的に、長いとは感じないのに、その間に、一日の間で分割する時間にまたがってしまう――
と感じるからだった。
この日のように、最初は昼下がりで、最後は夕方が見えてくる時間、明らかに一日の中で意識的に分割してしまう時間であった。
香澄は、
――時間は分割するものだ――
という意識を持っている
そして、その分割は、同じ時間で刻まれている。起きている間を三分割にして、午前、午後の六時まで、そして、六時以降の寝るまでの時間、自分の中での勝手な分割だが、この分割があるからこそ、毎日を無駄に過ごしているような気にならないのだ。
毎日、同じ感覚の分割なのだが、そこに精神的なことが絡んでくると、同じ時間でも感じ方が違ってくる。
――長いようで短かった――
あるいは、
――短いようで長かった――
とそれぞれの思いを感じることが多くなるのだ。
しかし、今回のように、分割された時間の中で、さらに深い精神的な変化が訪れると、細分割してしまうことになる。すると、最初に感じた感覚、そして、後半の感覚。それだけではなく、感じた時間を通り越して、しばらくして思い出した時に感じる感覚と、ここでも三段階の思いがあるのだった。
この二時間を、営業所を出てしばらくして思い出すと、今度は、
――長いようで短かった――
と、感じるようになった。
その時になって、それまで見えてこなかった喫茶店が、いきなり視界に現れてきた。実に不思議な感覚だった。
最初に入った時と正反対の方向から来ているので、雰囲気が違って見えたが、最初に見た時に感じたことを思い出して、少し不思議な感覚があった。
――あんなに大きな店だったかしら?
記憶の中にある店に比べて大きくなっているかのように感じた。
――夕方だからかしら?
夕方だから、今まで前に見たところが大きく見えたことはなかった。それは知っているところを意識もせずに見ているからであり、
――今回のように、もう一度店に入ってみよう――
と思いながら、表から見ると、最初に表から見た時の残像がまだ瞼の裏に残っているのを感じ、目の前に現れた景色と、瞼の裏を重ね合わせてみた。
すると、明らかに大きさが違っていた。こんなことはあまりなかったことである。
――最初に見てから、まだ数時間しか経っていないではないか――
たった数時間の間で、ここまで感じていたイメージと違っているなど、普通は考えられない。
――たった数時間――
この思いが、実はミソなのかも知れない。
時間に対しての感覚で重要なのは、
――中途半端ではない――
ということだった。
ということは、
――ここでいう数時間というのは、私にとって、中途半端な時間となるのだろうか?
と感じた。
夕日が背中から当たっているのを感じた。背中が熱いくらいだ。
しかし、喫茶店はその夕日に当たって輝いているような雰囲気はしない。
――白壁のはずなのに――
それはまるで、影のように怪しく浮かび上がっている感覚だった。そこだけ光が逆から差してきていて、店自体に後光は差したようになっている。
――店が大きく感じたのは、後ろから差してきている後光に、店全体が浮き上がって見えたからなのかも知れない――
そこまで感じるまで、どれほどの時間が経ったというのだろう?
冷静に考えてみると、理論立てて考えているので、少し時間が掛かったかのように感じるが、いつもの経験からいくと、
――結構、あっという間のことだったに違いない――
と感じた。
理論立てて考えているようで、実際に頭の中では、最短距離で考えていたことのように思う。ただ、改まって考えると、自分に納得させなければいけないという思いから、どうしても、順序立てた理論を組み立てる必要があるのだ。
――理論さえ組み立てれば、納得できないことはない――
と、自分の中で結論づけられたものに対して、時間を当てはめてしまうと、どうしても、時間の分割が必要になり、分割される時間は、等間隔であることを前提にして考えられるようになってくる。
――ただ、それにしても、感じた大きさ以外にも、何かが違っている――
と感じるようになっていた。
その思いがどこから来るものなのか、最初は分からなかったが、夕日は反対から差しているのに対し、そこだけ反対方向から差してきているように思えるのは、どう考えてもおかしいという思いからだった。
――そうだ、どこか平面に見えるんだ――
田舎の風景の中に、ポツンと佇む一軒の喫茶店、そこはまわりに比較対象を求めることのできない場所であった。
つまりは、喫茶店自身が、比較対象であり、喫茶店を見ていて感じたことが、その場においての、
――絶対的な感覚なんだ――
と思うしかなかった。
したがって、喫茶店が大きく見えたのなら、まわりがその引き立て役のようになって、小さく感じられているのかも知れない。そして近づいていくうちに、本当なら大きくなって見えてくるはずの喫茶店が、近づいて行っても、大きさに変わりはない。ちょうど感覚と視界が合致したところにやってくると、その時自分がどのように感じるというのか、香澄はドキドキしていたのだ。
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