10

 ロベルトとベティの交戦前。

 山頂の刑務所へ引き返しているグレイソンは、運転手のエミリアに途中で車を止めさせた。エミリアには絶対に動かないようにと言い含め、一度車を降りて単騎で刑務所の敷地内に入った。監視カメラの死角をすたすたと歩く姿は誰も見ていなかった。

 エミリアが戦々恐々としながら待つこと十五分、グレイソンは何事もない顔で戻って来て、後部座席に人間を二人放り込んだ。男女一人ずつの組み合わせだった。

「ひっ! な、なんですかこの人たち……!」

「まあ見てろって」

 グレイソンは即座に二人の服を脱がせ、半裸状態で拘束した。呆然としているエミリアに女性が着ていた服を渡し、

「それ着て」

 簡単な指示を飛ばしてから、自分は男性の服を着込んだ。

 エミリアは嫌な予感を覚えながら着用した。体温の生温さが残る服は、香水の臭いがついていた。

「じゃーエミリア、ちょっとじっとしてろよ。すぐ終わるから」

 グレイソンは腕を伸ばし、エミリアの髪や顔を弄り始めた。どこかから出したメイク道具をエミリアは唯一動かせる眼球で追った。数分もしないうちに仕上がった。エミリアはバックミラーを覗き、自分の見た目が後ろで昏倒している女性そっくりになっていると確認してから、半泣きになった。

「こ……これで刑務所内を歩けと……?」

「刑務所じゃねえよ、安心しな」

 男性そっくりに変装したグレイソンは笑う。神に祈っているエミリアを車から連れ出し、何食わぬ顔で、刑務所の正面から入った。グレイソンは鼻歌など歌いながらエミリアの肩を抱いた。悲鳴を上げかけたエミリアの口は指で塞がれた。

「こいつら刑務所の壁の影で二人きりの逢瀬中だったんだ、すぐ捕まえられて助かったぜ。恋人かセフレかは知らねえけど、俺達もそう振る舞った方が良い」

 エミリアは頷くしかなかった。歴代の彼氏はグレイソンほどなんでも出来るわけではなかったが安心できる優しい人ばかりだったと過去に馳せた。

 黙って従うエミリアを連れ、グレイソンは寮へと向かった。ただの寮だとアンナは言ったが、あまり信用していなかった。

 正面玄関を二人は抜けた。グレイソンは虱潰しに中を回るつもりだったが、その必要はすぐになくなった。

 音もなく飛んで来た銃弾をナイフで弾いたグレイソンは、エミリアを背後に庇いながら射線を追った。一階の一番奥の部屋から、サプレッサーつきのロングバレルが覗いていた。

 手練れの殺し屋ばかりで構成された刑務所だ。変装のみで通れはしなかったかとグレイソンは舌打ちを噛み殺すが、バレルはすっと引っ込んだ。

「あ、あれ……」

 エミリアは困惑した。グレイソンも、つい眉を寄せる。バレルの代わりにひょっこり顔を出したのは四十代くらいの男で、にやりと笑いながらひらひら手を振った。

「おかえり、お二人さん。規則なもんでさ、普通の外出ってわかってても撃たなきゃな」

 ぽかんとするエミリアをさり気なく庇ったまま、グレイソンは笑みを浮かべて肩を竦めた。

「わかってる。でも部屋の中は覗くなよ? 彼女が嫌がる事態は望ましくない」

「おーおー、ナイト様だなこりゃ。まーごゆっくり」

「君もな」

 男は笑い声を上げてから扉を閉めた。グレイソンはぽかんとしたままのエミリアの手を引き、足早にエレベーターへと乗り込んだ。

 今のは一体、とエミリアが聞くと、グレイソンは階層表示を見つめながら口を開いた。

「俺達みてえな侵入者を殺す意図だろうな」

「えっ……?」

「銃弾を弾けないレベルのやつはここのスタッフにいない、弾けたとして変装した別人じゃないか確認の会話を挟む、その間に疑念があればもうちょっと会話をさせられた、と思うぜ」

「だ、大丈夫……だったんですか……?」

「正直わかんねえ。変装元の奴らは捕まえる前に挙動や口調を見てたから、まあそこそこ真似は出来たんだが……」

 エレベーターの扉が開く。狭い空間の中に、上へ続く階段があった。階段の先は重い扉だ。

「どこの階数で降りるか確認されたらバレるから、屋上で逢瀬の続き、って見せ掛けるようにした」

 グレイソンは説明しながらエレベーターを降りる。エミリアも後ろに続くが、足は恐怖で震えていた。

 屋上には向かわなかった。グレイソンは青ざめているエミリアを階段に座らせ、エレベーターが何度か行き交うまで待とうと考えた。しかし時間はかかる。エレベーターが一度動き、真ん中の階で止まり、一階へ向かうまでを眺めてから、エミリアの肩を叩いて屋上の方向を顎で指した。

「ただのドライバーなのに、こんな殺し屋社宅に来ちまって災難だな。一旦外の空気を吸いに行こう。山の天辺だから見晴らしだけは最高だろ、なんでも見えるぜ」

 エミリアはこくこくと頷いた。グレイソンも頷き返し、屋上に続く扉を開けた。広がった景色は素晴らしかった。登ってきた山の形を見下ろせるだけでなく、周辺の地理が一瞬で把握できるパノラマだ。森が多く、深い緑があちこちに点在している。特に木々が密集するエリアの中心には水滴を落としたような不自然な開きがあった。中にはちらほらと建物の影が浮かんでいて、町の形態は保っている集落だった。

「あれがオリバーの故郷か……」

 グレイソンが呟くと、

「本当の故郷ってわけではないかもねえ」

 上から返事があった。エミリアがひゃっと叫び、グレイソンは彼女を庇いながら声の位置に反射でナイフを投げた。

 投げてから、目を見開いた。階段室の真上に胡座をかいている人物は、軽く手を振った。

「久し振りだね、厄介者ブラックシープくん」

 色素の薄い、長い髪が風になびいて揺れていた。ナイフは手に持つリボルバーに弾き返されており、無傷そのもので彼女は笑った。

「コーデリア……?」

「そうだよ、ロベルトは元気?」

「元気、だけど、……いやあんたなんで」

 グレイソンは珍しく狼狽しつつ、コーデリアの真横にある固定された対物ライフルに目を向ける。バレットM82A1と呼ばれる銃器に似た、超長距離狙撃が可能なライフルだ。ライフルスタンドの近くには双眼鏡が置かれていた。

 コーデリアは飛び降りて、グレイソンとエミリアの目の前に立った。グレイソンは戦闘力のないエミリアをまた庇いかけるが、何もしないよ、とコーデリアは苦笑した。

「何もしないし、よくここまで来てくれたねって言いたいな。時間はある? 話をしよう」

「時間は……あんまりねえかも」

「……、それはあそこでロベルトが暴れてるから?」

 コーデリアはオリバーの故郷を指した。なんで知っているのかと訝るグレイソンに、コーデリアはまったくフラットな顔を向けた。

「あたしの仕事なんだ。あの町……研究施設の監視はね」

 グレイソンは黙った。エミリアも何も言えず、二人を交互に見てから、コーデリアは煙草を咥えた。

 それから、ベティがロベルトに話したことを口にした。

 刑務所は殺し屋の育成機関の顔を持つ。その研究の一つが、先天的に才能のある殺し屋を作ること。

 オリバーもその一人で、でも教育係のマッデン夫妻が教育用の資金を使い込んでおり、処分を決めると同時に新しい教育係をどうするか話し合ったこと。

「ロベルトを推したのはあたしだよ。あいつなら面白がって連れ帰ると思ったし、自分を餌に呼びつけられるし、上手くいかなかった時はマッデン夫妻だけを処分してオリバーはここに連れてくる予定だった」

「……そうだ、そのマッデン夫妻はどこだ?」

「地下の収容場で屍みたいに暮らしてもらってるよ」

 グレイソンは対話した囚人を思い出して、因果応報かもなあ、と溜め息を吐いてから、

「……、コーデリア、今聞いた話をロベルトに連絡しなきゃいけねえんだけど、いいか」

 戦闘体勢に入りつつ聞いた。コーデリアは大きな笑い声を上げた。

「貸しな、あたしが話す」

 グレイソンは破壊を危惧して躊躇うが、無理矢理交戦するよりは破壊されてエミリアと逃げるほうがいいと判断し、ロベルトに電話をかけてからスマートフォンを差し出した。

 受け取ったコーデリアは笑ったまま、あっさりと耳に当てた。

『グレイソン? ロベルトが危ない、かもしれない』

 電話を取ったオリバーにそう言われた瞬間に、グレイソンにスマートフォンを返して双眼鏡を町へと向けた。

「……撃つか」

 ベティに対して防戦するしかないロベルトの様子を確認したコーデリアはそう言った。

 オリバーから状況を聞いたグレイソンは溜め息を吐き出しながら座り込み、めんどくせえなおい、と込み上げた本音を吐露した。

 様子をただ見つめていたエミリアは、遠くに浮かぶ町へと視線を転じ、二人の現在を心の底から心配していた。

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