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 町から多少離れた位置に建っているモーテルで、四人は二手に分かれた。調査中、ロベルトとオリバーは森の中の小屋に滞在を決めている。

 エミリアが近くまで送ると申し出るが、ロベルトは断り、大所帯でいるところを町の人間に見られない方がいいと説明してから、にこやかに笑った。

「グレイソンの用事もあるしね」

 え、と思わず反応したエミリアに対し、名前を出されたナイフ使いは大袈裟に肩を竦め、モーテル周辺の開けた大地から臨める山脈の連なりを指差した。

「エミリア、俺が用事あるのはアレ」

「山ですか?」

「そ。アレの山頂に終身刑レベルの犯罪者……っつうか、殺し屋が収監されてんだよ。最近一匹ブチ込んでさ。マジで脱獄不能か、ちょっと見ときたくてな。明日は運転よろしく」

「……、運転よろしく、とは」

「そのまんまの意味。あんな高い山の山頂まで徒歩で行くのは流石に勘弁して欲しいっつうか……あ、でも今夜はもういいからな。明日の朝昼に向かおうぜ!」

 エミリアは断りたいと思ったが、

「前金渡しとくわ、ほら」

 分厚い封筒を差し出され受け取った。稼げるチャンスを逃せる身の上でないことが辛かった。

「じゃ、僕達は行くよ」

 二人のやり取りを尻目にロベルトが言った。オリバーも行ってくると呟くように口に出し、森の広がる方向へと足を向けた。

 エミリアは封筒を握り締めたまま、ロベルトとオリバーの背中を見送った。

 何故だかもう会えないような、無事には帰って来ないような、名状しがたい感覚に襲われたが、彼女に出来ることは何もなかった。


 何処かで野犬の遠吠えがする。オリバーは顔を上げ、光のあまりない夜の中を視線で浚う。もうすぐ森に差し掛かり、更に進めば故郷がある。五年は見ていない土地で、今はどんな様子になっているかオリバーにはわからない。また、野犬が一鳴きする。森の奥を横切る影を、オリバーの目は正しく捉える。

 ロベルトが組み立てたままのライフルを肩にかけ直した。犬は撃ちたくないな。そう呟いた主人に向かって、オリバーは自分が前に出ると当然の声色で告げる。

 森の中は恐ろしく暗いが、ロベルトが歩調を緩めると同時にオリバーが前に出て、小屋までの道なき道を迷いなく進んでいく。

「君の目は、本当によく見えるんだね」

 ロベルトの言葉にオリバーは無言で頷いた。生まれた時、物心ついた時から、恐ろしく目が良かった。他の人間はそうではないと気付いた後は、見えないふりをするほうが多かった。今は違う。この目があるから、殺し屋の犬をやっていても生き延びている。

 小屋には十分少しで辿り着いた。当然電気は通っておらず、中は果てしなく暗くて埃っぽい。ロベルトが先に踏み入り、持参したランプを灯した。円状に広がった橙色の光が、荒れるほどの物がない小屋の中を照らし出す。

「オリバー、おいで」

「うん」

 オリバーは小屋の中心に立っているロベルトへと歩み寄る。何かと思えば、肩を抱かれた。驚いて飛び退きかけた体を、ロベルトは穏やかに笑いながらぐっと抑えてその場に留めた。

「アレスがいないからね、眠る時の番も、君がするんだ」

「わ、わかってる」

「僕の傍を離れちゃいけないよ。肌寒いから、暖房代わりにもなってくれないと」

「わかってるって……」

「君が必要なんだ。ここでは、特にね」

 オリバーは素早く顔を上げ、ランプに照らされたロベルトを見つめた。薄く笑ったままのロベルトは、抑えていた肩を二度叩いてからゆっくりと離した。

「オリバー、君に初めて会った時、僕はかなり驚いたんだよ」

「……? なんで」

「簡単な話さ。君が、僕の弾を避けたから」

 オリバーにとっては不思議な物言いだった。見えるものは避けられて当然で、拾われてからの日々は目まぐるしく、当初の話をされても上手く思い浮かべられなかった。

 ロベルトは違ったし、撃ち殺せる狙撃を避けられて驚いた。手練れのグレイソンですら、撃った姿を見た後に避けはしない。撃つ方向を予測して退避場所を決め、勘を外した場合はナイフでギリギリ弾くという避け方をする。

 見えていることが、ロベルトは面白かった。今のような暗がりですら日中のように見えると知って、天性の才能だろうかと感心した。

 でも、違うかもしれない。

 それを探るためにも、ロベルトはオリバーを連れて此処へと戻って来た。

「初めてあの町を訪れた時も、一応名目は任務による来訪だったんだ」

 ロベルトは話しながらその場に腰を下ろし、ランプを床へと置いた。

「そっちは早々に終えていたけど、君も知っている通りに、連れていたアレスが行方不明になった」

「うん、覚えてる」

 頷きつつ、オリバーはロベルトの対面に座り込む。

「大変だったし、アレスが無事で良かった」

「そうだね、あの時はありがとう、オリバー」

「いや……昔のことだし……」

「今考えると、任務の方は……僕が来るまでもない仕事だったなって、思わなくもなくてね」

「簡単な仕事だったのか?」

「簡単というか、この付近にある支部に所属する殺し屋でも良かったんじゃないかなと。……コーデリアのこともあるから、グレイソンやカインがわざわざ寄越してくれたのかとも思って、来たわけだけれど……」

 ロベルトはふつりと黙った。何かを考えている様子に、オリバーはちょっと困った。気遣いや配慮は、いつまでも苦手だった。また話し出す時を待つしか出来ない。

 しかしロベルトは首を振り、もう寝ると言って転がった。オリバーは困ったまま、離れたところへ行きかけてから、ロベルトの隣に寝そべった。ロベルトが手探りでランプを消す動きをなんとなく目で追い掛けて、広がった真っ暗闇の中、隣にいる男の横顔を盗み見た。

「……なんだい?」

「え、見えるのか?」

「見えないよ。でも気配や視線はわかる。……僕に殺し屋は適職だよ、視線を辿って撃つだけで簡単に殺せるんだから」

 オリバーはまだ話そうとしたが、おやすみと言ってロベルトが打ち切った。

 無言で、物音もほとんどない小屋の中に、野犬のか細い遠吠えが過って行く。オリバーは目を閉じ、薄れていた故郷の姿を脳裏に浮かべた。排他的な田舎町。懐かしさは、感じない。

 両親の顔が上手く思い出せない理由をオリバーはまだ知り得ない。

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