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 諸々に思い当たる節があったカインは、ソファーで優雅にコーヒーを飲み始めたロベルトを尻目に社内PCを起動した。データをかなり遡り、役員であれば閲覧できる範囲を越え、消去されていた過去の依頼書を復元した。後程呼び出されるだろうが、カインの知ったことではない。あのブラックミストに脅されたと言えば良く、ロベルト自身もそれで構わないと伝えている。

 復元データと関連データを一纏めにし、外付けのディスクに放り込んだ。カインは息を吐き、パソコンを閉じる。示し合わせたようにロベルトはコーヒーカップを置いた。

「あったかい?」

「ああ、さっさと持って行って、調査してくるといい」

 ロベルトはカインが投げたディスクを受け取り、

「いや、ちょっと窓を借りるよ」

 ローンウルフを片腕で持ちながら立ち上がった。スミスはうんざりした顔でソファーに深く凭れ掛かった。

「ロベルト、私は何度迷惑を被れば貴方との縁を切れるんだ」

「そう遠くないよ、君が協力してくれればね」

「犬は?」

「帰って来るから、窓を借りるんだ」

 アレス、とロベルトが呼ぶ。ぱっと顔を上げたアレスは、ロベルトが扉を開けると廊下へ飛び出して行った。迷いなくエレベーターに乗り込む愛犬の姿を見送ってから、ロベルトは扉を締めて部屋の窓へと歩み寄り、断りなくブラインドを上げた。

 カインも立ち上がり、ロベルトの隣までやって来る。銃口を窓から出して狙いを付ける姿を見下ろして、独り言だ、と面倒そうに前置いた。

「組織に切られた社員は多い。そいつらの報復も、存在する。専属ドライバーのエミリア・ミラーが以前に言っていた、休暇中に襲撃されたという話に出て来る殺し屋は、我々で調査したところ確かに組織が切り捨てた末端だ。他にも数件報告を受けているが、なにも問題はない。なんせ、使えなくて切られている社員だからな。処分に手間はかからない。だがそれを、敢えて使わせろと言い出したのはロベルト・ブラックくらいだ」

「コストパフォーマンスが良いからね」

「独り言に返事をするな」

 カインは溜め息をつき、窓からの景色を見下ろした。カインに充てがわれている部屋はそれなりに高層だ。虫ほどの大きさに見える車が、離れた位置の大通りを這っている。組織のビルに続く道にも何台かの車がある。殆どは社用車だ。出て行くものも、戻って来るものもいて、ロベルトは静かにそれらを見送っている。

 カインがロベルトの狙撃を見るのは久し振りだった。どうしてもコーデリアの姿を思い起こす。父親であるノア・スミスがコーデリアと懇意にしていたために、カインも彼女との交流があった。気味が悪いと感じるほど正確な狙撃を、何度も目にした。

 ロベルトは確実にその技術を継いでいる。慈悲どころか悪意もない、透徹した弾丸がいつも飛ぶ。

 そのロベルトが傍に置いて鍛え上げているという少年に対し、カインは同情を禁じ得ない。

「……興味本位の独り言だが」

「なんだい」

「教育方針についての抗議を、オリバー・マッデンはしないのか?」

「するよ。でも、これで死ぬならそれまでだからね」

 小ぢんまりとした車が一台、ビルに向かって走ってくる。カインは懐から双眼鏡を出して覗いた。大凡の距離を口に出せば、ロベルトはふっと息を吐き笑った。

「独り言が大きいね、カイン・スミス副会長補佐」

 ロベルトの放った弾丸は真っ直ぐに迷いなく飛んだ。

 双眼鏡を覗き続けていたカインには、助手席にいたオリバーが横からステアリングを無理矢理に切った姿が見えていた。


 道を大きく外れた車は、整備されていない林の中に突っ込んだ。エミリアは半泣きで叫びつつステアリングを回し、木々への衝突はどうにか避けた。木の間隔は詰まっておらず、走行自体は可能だ。オリバーはそう考えてから、あのバカ何考えてんだと口に出した。

「なっ、なにがです!?」

 エミリアは木の合間を走り、元の道へ戻ろうとするが、オリバーが止めた。

「あのさ、本当に悪いんだけど、このまま林の中、走って」

「えっ……」

「撃ってきた」

「えっ」

「ロベルトが」

「えっ!?」

 数分前だ。オリバーは何気なく、組織のビルを見上げた。何度も仕事をこなした故の勘とも言えた。無数に思えるほど連なる窓のひとつに、視線を留めた。それで、気付いた。

 双眼鏡を覗く男と、明らかにこちらへと銃口を向けているロベルトの姿に。

「この林、突っ切れば、ビルの近くに出るだろ」

「で、出ますが」

「おれ、弾丸はじくために車の上行くから、エミリアはそのまま運転して、ビルに向かって」

「えっ……あの、でも」

「大丈夫。あいつ、エミリアじゃなくて、おれ狙ってたから」

 何故組織のビルにいるのか、双眼鏡を覗いていたのは誰なのか、どうして狙い撃たれたのか。オリバーは、最後の疑問だけは答えられる。いつもの訓練だ。

 ただ、本気で撃たれたのは、初めてだった。

「とにかく、よろしく」

 まだ何かを言っているエミリアを尻目に、オリバーは車の屋根へと飛び出した。着地してビルを見た瞬間に、銃弾が迷いなく頭を狙って飛んでくる。回避はギリギリになった。頬骨の上を掠った弾丸は、通り過ぎた木の枝をへし折った。

 あいつ殺す気じゃねえか。オリバーは身を屈め、体勢を整えて屋根に張り付く。二発続けて放たれた弾を、スパイクブーツで蹴り落とす。大丈夫ですか! と、エミリアが叫ぶが、オリバーに返事をする余裕はない。更に飛んでくる弾を避けて、蹴って、その間にそういうことか、と一つだけ納得をする。

 トランクに詰めている標的も、道中襲ってきた男達も、ロベルトが用意した案山子みたいなものだ。

 全部避けて戻って来た鳥を撃ち殺すのは、スナイパーの役目に違いない。

「死角に出ます!」

 エミリアの叫び声にオリバーははっとし、木々の合間からロベルトのいる位置を見た。最後の一発が飛んだが、オリバーはもう避けなかった。届くよりも先に、車が影の位置へと滑り込む。

 もうビルの足元だった。オリバーは一気に脱力し、車が駐車場へと入った瞬間に、ほとんど転がり落ちるように車の下へと降りた。慌てて運転席から出て来たエミリアよりも先に、黒い塊が突撃してきた。駐車場の地面へと仰向けに倒れているオリバーの上に乗り、べろりと顔を舐めて挨拶した。

「アレス……」

 尻尾を振っているアレスの体を、オリバーは両手でわしわしと撫でる。アレスは嬉しそうで、エミリアは困ったように右往左往している。

 それぞれの様子を見ながら体を起こし、肩口でアレスの唾液と垂れたままの血液を拭った。いつの間にか、汗もずいぶんかいていた。酷い目にあった、と思わず呟いた。

「でも、全部避けたじゃないか」

 駐車場に響いた声に、オリバーは顔を上げた。本社ビルの中へと続く扉の前に、見慣れない男とロベルトが立っていた。

 オリバーは色々と文句を言いたかったが、結局は止めた。

「使えない犬は、要らないだろ」

 皮肉を込めてそれだけ言うと、ロベルトは声を上げて笑った。あまりにも嬉しそうな笑い声に、オリバーはもう、何も言う気にならなかった。

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