11
グレイソンとジークは大きな木のそばに座り込んで話し始めた。聞くのは野暮だとオリバーは立ち上がり、オリビアの体を担ぎ直す。真横から何かが飛んできた。反射で受け止めて確認すると、イヤホンだった。
「ロベルトに、ちょっと待ってろって言っといてくれ」
グレイソンがひらひらと手を振った。オリバーは頷き、オリビアを抱いたまま、アレスと共に湖の畔まで急いだ。
大きな湖だった。奥には大陸有数の山脈を従えており、静かな湖面に青空が跳ね返っている。ぽつぽつと人がいた。ロックフェスティバルを抜け出した風情の人ばかりで、その中に混じる細身のパンツに黒のワイシャツという出立の、長い黒髪を一つにまとめた男の後ろ姿は異様に目立った。肩から下げた大きな鞄も人目を引く。
ロベルト。オリバーは声をかけようとして、やめた。ゆっくり歩いて近づいていく。
アレスが先に走り出した。ふと振り向いたロベルトは、足元まで来たアレスのそばに膝をついてから、オリバーへと視線を向けた。
「怪我してるね、オリバー」
言われて、自分の頬をさっと手で覆い隠した。肩に担いでいるオリビアの体が少しズレる。
ロベルトの近くまでやってきた。目線が同じで、オリバーはなんとなく、むず痒くなる。ロベルトに出会ったばかりの頃は当然見下ろされていた。
まだ眠り続けているオリビアを地面に横たえ、その隣に腰を下ろす。ロベルトも、アレスに褒美の餌を与えてから、オリバーの近くに座った。湖はずっと凪いでいる。
「グレイソンが、ちょっと待ってろって」
伝えると、そうかい、と気のない返答がきた。
無言になる。オリバーたちの後ろを、ロックフェスの限定シャツを着た三人組が楽しそうに通り過ぎる。アレスが欠伸を落とし、体を丸めて瞼を閉じた。雑木林の向こう側、特設会場の一帯は常に盛り上がっている。
「オリバー」
不意に呼ばれて、隣を見た。
「君は、強くなったね」
ロベルトの視線は目の前の湖に吸い込まれている。
「正直に言って、グレイソンに殺される確率の方が高いと思ってたんだ」
それはそうだと、オリバーは自分で思う。グレイソンは強かった。アレスとジークが着くまで耐え忍べたのは地形による有利さが大きい。そしてグレイソンも、殺すよりは試すというような攻撃ばかりだった。
その通りに伝えると、ロベルトは頷いた。
「イヤホン越しに聞きながら、そう思ったよ。グレイソンは……あれはあれで、人のことをよく見てる奴でね。試してつまらなければ殺す、面白ければ殺意を捨てる。ならオリバー、君は面白かったわけだ」
「それ、いいことなのか?」
「いいことだよ。グレイソンがオリビアに向ける殺意は本物だけれど、君に向ける興味が上回ったからこその作戦成功だ。一応、グレイソンを狙撃できるように整えながら向かってきたけど、それが無意味で安心したよ」
わかりにくかったが、褒められているのだとは理解した。オリバーはまたむず痒い思いを抱く。
まともに向き合ってくれている大人が両親ではなく、気まぐれで自分を拾った奇妙な男だということが、オリバーに踏み込んだ疑問を齎した。
はじめの頃を思い出す。ロベルトはなぜ、殺し屋をやっているのか。
消えたという師匠は、どんな人物だったのか……。
「時間がかかりそうだね、親子の話し合いは」
ロベルトはぽつりと言い、肩に下げたままの鞄を下ろした。中からはいつも通り、解体されたローンウルフが顔を出す。ロベルトは手早くそれを組み立てた。オリバーもすでに見慣れた、使い込まれたスナイパーライフル。
「僕らも、昔話でもしていようか」
ロベルトはローンウルフをオリバーの膝へと置いた。視線を落として銃身を眺めると、視界の中に指が現れた。何回も引き金を引き、何人も殺したスナイパーの指先は、銃床の底を示すように撫でた。
オリバーはライフルを持ち上げ、底を見た。かなり薄れてはいたが、流暢な筆記体で記名がなされていた。
コーデリア・ライト。
口に出して読むと、ロベルトが笑った。
「その銃の元々の持ち主……僕の師匠だった人の名前だよ」
オリバーはぱっと顔を上げた。すでに自分を見ていたロベルトと視線がかち合い、言いかけた言葉を飲み込んだ。どんな人だったのか。どう過ごしたのか。過去に何があって、何がなくて、ロベルトは今ここにいるのか。
聞かなくとも、ロベルトは話し出した。遠くでバンドの演奏が蹲っている。湖畔にはぽつぽつ人がいる。アレスもそばにいて、オリビアがいつ起きるかわからない。でもオリバーはロベルトだけを意識に入れて、口を閉ざしたまま、彼の話を聞くことにした。
(コールドターキー・終)
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