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ステージに上がった二人を連れ出そうとしたスタッフは、Cold turkeyのベーシストに止められた。他二人のメンバーも、オリバーとオリビアの乱入を面白がっていた。
オリビアが笑顔を浮かべ、愛してるよニック! とベーシストへの愛を叫んだ。それは回し蹴りを繰り出しながらで、オリバーは所謂バク転で蹴りを避けた。着地点に振り下ろされた踵は右腕で受け、横へといなして距離を取る。しかしすぐに詰められた。踊るように打撃技を繰り出すオリビアは、戦闘スタイルだけならばグレイソンよりもオリバーに似ていた。
ギターの弦が掻き鳴らされる。不足の事態にどよめいた観客も、間奏の余興と捉えて大いに湧いた。オリバーは防戦一方で、その一方的な展開が、余興の色合いを強めていた。
どうするか。自分の背後で演奏を続けるCold turkeyメンバーの邪魔をするわけにはいかず、あまり有効な手段がない。オリビアは恐らく楽曲を熟知していて、曲調に合わせての攻撃を繰り返しているのだろう。テンポが非常に、読みにくい。
オリバーは悩むが、
『五秒でいい、オリビアの動きを止めて』
イヤホン越しに聞こえた命令でやることを決めた。スパイクブーツをやめて正解だったと、スニーカーでステージを蹴りながらオリバーは思った。
間奏はあと二十秒もなかった。オリバーは一気に距離を詰め、オリビアの体を掴むように腕を伸ばした。読まれた動きはあっさり避けられ、同じタイミングでベーシストのシャウトが入る。高段の回し蹴りがオリバーの頭を狙って飛んでくる。オリバーは避けず、ギリギリまで蹴りの軌道を注視した。
当たる寸前に体の力を抜いて、後ろ向きにステージへと倒れていった。観客には蹴られて落ちたかのように見えた。バンドメンバーにも。
オリビアだけが、驚いたように目を見開いた。イヤホン越しに聴き慣れた発砲音が鳴り響く。
オリバーは自ら身を捻り、逆立ちの体勢をとった。その際に勢いよく右足を振り上げた。飛ばされたスニーカーが、不意を突かれたオリビアの顔面へと叩きつけられる。ギター、ドラム、ベースの全てが爆弾のような音を形作る。オリビアの短い悲鳴。聞き取れたのは、オリバーだけだった。
側頭部に着弾した瞬間を見て、オリバーは即座に体勢を戻した。よろけて倒れかけたオリビアを抱き止め、素早く肩へと担ぎ上げる。全ての楽器が、一瞬だけ動きを止めた。それは間奏の終わりの合図だった。オリバーは知らなかったが、知っているロベルトに「飛んで逃げろ」と指示されて、無言のままステージから飛び降りた。
拍手が沸き起こった。バンドメンバーが何かを叫び、楽曲は滞りなく再開された。そうなると、オリバーたちよりもステージ上の伝説へと観客の意識は戻った。その間にオリバーは、勝手にスタッフ用の通路を駆けた。
「ロベルト、どこで落ち合う?」
『アレスに行かせた。とりあえず湖付近まで走って』
オリバーは了解を返し、ステージを観ていない客の合間を、オリビアを担ぎ上げたまま走り抜ける。湖方向へ行くに連れて人は減った。会場を限定するために張り巡らされた柵とテープの手前までやってきて、オリバーは悩みもせずに乗り越え、奥に続くちょっとした雑木林の合間に素早く身を滑り込ませた。ここまで来れば人の姿はかなり減った。オリバーは走る速度を少し緩めた。
「う……」
耳元でオリビアの呻き声がした。オリバーは息をつき、オリビアの背中を軽く叩いた。
「麻酔弾らしいよ、……実弾より高かったって、文句言ってた」
呻き声が寝息のようなものに変わった。オリバーは口を閉じ、湖の方向へと足を向ける。アレスの姿はまだ見えない。
ロベルトに意見を聞かれたはじめの日。オリバーはオリビアを殺さず、気絶だけさせて連れ帰ろうと言った。それでどうするのか聞いたロベルトに、オリバーはこう続けた。
そもそも親子喧嘩で、夫婦喧嘩で、グレイソンとジークの問題なんだから、あの二人を話し合わせる状況を作りたい。
その意見は鼻のきくグレイソンにより、簡単に達成できそうだ。
ただ、下手をすれば死ぬかもと、オリバーは思う。
グレイソンはロベルトくらい正気じゃない。
「よう、オリバー! 今日は保護者なしのお出掛けか?」
声は頭上からした。オリバーは咄嗟に飛び退いて、立っていた位置には細いナイフが数本刺さった。当たると思ってはいない、牽制のための投げナイフだった。
ふっと降りてきた黒いコートの男に、オリバーはブラックシープというあだ名を思い出す。明るい笑顔は以前と同じだったが、貼り付けたような印象を持った。
グレイソン・ギャリー。彼の視線はオリバーが担いでいる、オリビア・ギャリーへと向けられていた。
「……ロベルトも、どこかにはいる」
答えながら、数歩下がった。グレイソンは何度か頷き、懐から数本のナイフを取り出した。
「そりゃそうだな、じゃあさっさとやっちまわねえと面倒だ」
「おれを? オリビアを?」
「おっと、人の母親を呼び捨てにするなよ。年上がタイプか?」
「え、いや……考えたことねえけど……」
思わず素直に返したオリバーを見て、グレイソンは大きな声で笑った。
「お前、可愛いなあ!」
「…………」
「さっすが、ブラックミストさんのお気に入りだぜ!」
言いながら放たれたナイフをどうにか避けた。オリビアが邪魔で、いつものようには動けない。しかし無闇に降ろすとグレイソンが即座に殺す。
『オリバー』
耳元でロベルトに話しかけられ、通話を繋げたままだと思い出す。ブラックミストと呼ぶなと自分が怒られる羽目になるとげんなりするが、
『年上趣味はいいと思うけど、オリビアの年代はちょっと離れすぎてると思うな』
斜め上の返答が来た。
「いやおいロベルトおれそんな場合じゃ」
「ん、それ、ロベルトと繋がってんの?」
『オリバー、グレイソンにイヤホンを片方渡してくれるかい?』
オリバーはグレイソンを見た。どうするか悩むが、黙って片方のイヤホンを差し出した。大丈夫かよ、と危惧するも、グレイソンは素直にイヤホンを受け取った。
「ロベルト?」
『やあ、グレイソン』
「おー、今どこ? 遊ぼうぜ、あんまり遅いとお前の飼い犬が死んじまうぞ」
『意外と耐えるよ。僕が毎日躾けてるからね』
「へえ? ……あー、お前に躾けられてこいつ年上趣味なのか?」
「ちげえよ!!」
オリバーは決心し、オリビアをその場に下ろした。予想通りにグレイソンはナイフを投げたが、素早く蹴り飛ばしてどうにか弾いた。
グレイソンは二回瞬きをしてから、ゆっくりと笑みを広げた。コートの内側に押し込まれた手が、大ぶりのナイフを握りしめた状態で引き抜かれる。
「そうか、じゃあロベルト、お前が来るまでオリバーと遊んで待ってるわ」
オリバーは唇を引きしぼり、強く地面を踏み締めた。
二戦目だ。遠くの方のステージでは、ちょうどCold turkeyの全楽曲が終わったところだった。
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