コールドターキー
1
いくつもの歓声がうねりを作って大地を揺らし、合わせるようにボーカルがシャウトした。巨大モニターに映し出されたロックバンドの名前をオリバーは知らない。もしもあの中の誰かが標的だったなら既に死んでいるだろうなと、片耳を庇いつつ考える。そこにはイヤホンマイクが押し込まれている。
「聞こえる?」
『ギリギリね』
向こう側の音声は遠い。かなり距離があるせいだ。オリバーは滲んだ汗を肩口で拭ってから顔を上げ、ラストワン、と叫んでいるボーカルを視界に入れる。楽しそうだ。周りの観客もみんな、浮き足立って拳を振り上げ続けている。
Special Legend Festival。通称SLF。今年限りのロックフェスティバルで、名だたるバンドが軒を連ねる熱狂の祭典のど真ん中にオリバーはいた。
勿論、ロベルトと共に仕事をするためだった。
事の始まりは一本の電話だった。ロベルトの電話にかかってきたその着信を、オリバーはいつも通り、組織からの仕事の電話だと思った。
アレスと共にロベルト作のランチを食べながら、ロベルトの応対を聞いていた。ロベルトは悩む素振りを見せており、その姿自体は珍しかった。
「オリバー」
スマートフォンを片手にしたまま、ロベルトは抑えた声色でオリバーを呼んだ。クロワッサンを頬張りながら近寄っていくと、スマートフォンを差し出された。
食べ終わってから、電話を代わった。相手は先日スパイクブーツを用立ててくれたジークだった。オリバーはジークに好感を持っていて、中々会うことのない相手だと思っていたため、突然だけれど嬉しかった。
『スパイクの調子はどうだ?』
「かなりいい。何回か敵を蹴り殺せたし、車に飛び移るのも、楽だった」
『そりゃいい! 具合が悪くなったら、いつでもロベルトに言ってくれ。メンテナンスくらいいつでもする』
「そうする、本当にありがとう」
うむ、とジークは満足そうに言ってから、
『ロベルトには話したんだが、俺からの個人的な依頼があるんだ』
真剣な声で本題に入った。
『ちょっと面倒な依頼でな。かなり遠くから狙撃をして貰わなくてはいかん上に、標的を探すこと自体が難しいんだ。だから、ロベルトとオリバー、お前たち両方の力を借りたい』
「……、おれは、ロベルトがやるって言うなら、やるけど」
オリバーは正直に答えながらロベルトを見た。ロベルトは腕組みをしながら、じっと傍に立っていた。何を考えているのかはわからなかった。
『引き受けて貰える場合』
オリバーの意識をジークが引き戻した。
『オリバー、お前に覚えて貰うことが、いくつかある。標的自体が三人いて、それぞれ住処や現れる場所が違うんだ。まずはその三人の姿を完璧に覚えて欲しい。変装などもしている可能性が高いが、必ず、スポッターのお前が見つけ出してくれ』
言葉に詰まった。出来るかどうかがわからなかったし、自分がメインで動く必要があると理解して、躊躇った。同時にだから電話を代わったのだとも納得して、悩みながらふたたびロベルトを見た。
「ロベルト、おれ」
「やりたくないなら、断るよ」
ロベルトの諦めを含んだような静かな声は、オリバーの中に奇妙な色で染み込んだ。
何かを試しているように、オリバーには聞こえた。
「……やるよ、ジーク、ロベルト」
やがてオリバーはそう答え、ジークはありがとうと真剣な声色で言ってから、詳しい仕事内容を説明した。ロベルトはずっと黙っていた。通話が終わったあとに、やっとオリバーの目を見て口を開いた。
「僕からもお願いがあってね」
「? なに」
「まあ……ゆっくり説明するよ」
ロベルトはオリバーの手からスマートフォンを受け取り、ソファーへと移動した。
対面する形で座ったところで、オリバーは無意識に背筋を伸ばした。ロベルトとこうして、まるで対等な相手のような位置で対面したことは、一度もないと遅れて気付いた。
「一先ず、全員の人相を一旦見せる」
ロベルトはスマートフォンを間にあるテーブルに置き、一枚ずつ顔写真を表示した。男が二人、女が一人だった。ロベルトは一周したあとに、女一人の顔写真へと戻った。
「この人なんだけど」
「うん」
「……、どう見える?」
意図のわからない問い掛けだった。オリバーは困りながら、改めて写真を見た。赤茶の髪を短く切り揃えた女性で、年齢は恐らく五十代から六十代、顔立ちは派手目だが明るい雰囲気をしている。
そこまでを考えてから、
「…………グレイソンに似てる」
思ったままを口にした。ロベルトは息だけで笑い、手を伸ばしてオリバーの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「そう、グレイソンの母親なんだ」
「あ、やっぱ、り……」
オリバーは言葉を止めた。ロベルトはソファーに凭れ掛かりながら、脱獄囚なんだよ、と執り成すように告げた。
どこから聞けばいいかわからずオリバーは更に困った。
ロベルトは苦笑して、前に垂れた自身の長髪を後ろへ払った。
「脱獄したことは彼も知ってるから、どれかといえば、彼が先にやってしまうかも、というところを話し合った方がいい」
「……、グレイソンと?」
「いや、君とだよ。なんせジークが父親だからね」
オリバーは今度こそ完全に黙った。ロベルトは悩む素振りを見せてから、説明するよ、と静かに言った。
グレイソンの過去を話すことは自分の過去を話すことに他ならなかったからだが、ロベルトはオリバーを、信用することにした。
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