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「やあ、エミリア。今日はよろしくね」

 朗らかに話し掛けてきたロベルトを見て、今日は機嫌が良さそうだとエミリアは胸を撫で下ろす。隣にいるオリバーは頭をちょっと下げ、よろしく、と追うように言った。こちらはいつも愛想が良いわけではないが、どれかといえば育ちに関係する無愛想みたいだなと、エミリアは思っていた。

「はい、よろしくお願いします、お二人とも」

 頭を下げて、二人を後部座席へ誘導する、つもりだったがロベルトは助手席に座った。いつもは並んで後ろに座っているため、エミリアは狼狽えた。

「あ、あの」

「行って欲しいところが色々あってね。指示するから、僕の言う通りに車を走らせてくれるかな?」

 断ると死ぬし、特に変な要求ではない。エミリアはこくこくと頷いた。

「じゃあよろしく、まずはR21沿いにある都市に向かってくれるかい」

「は、はい」

「そのあとは細い路地を走ってもらうから、都市部に入ったところで細かく指示するよ」

「わかりました」

 エミリアはエンジンをかけ、車を発進させる。運転自体は好きになってきていた。アクセルを踏むと、何となく高揚する。ロベルト宅は郊外の静かな場所にポツンと建っているため、ちょっとスピードを出してみても警察に咎められる心配は少ない。

 などと、多少倫理観が危うくなってきているのだが、エミリア自身は無意識だ。更に危うい人間ばかりと付き合いがあるせいだった。

 車は滞りなく走り、付近の主要道路であるR21に入った。ここまで出れば車の数は多い。殺しの依頼で送り迎えする時には然程通らないルートだ。バックミラーを見ると、物珍しそうに外を見るオリバーの姿があった。エミリアは微笑ましくなった。

「オリバーさんは、あまり外に出ないんですか?」

 バックミラー越しに、つい、話し掛けた。目の端に映るロベルトが、ちらりと自分を見たのがわかり、エミリアは素早く口を閉じた。

 一連の動きを見ていたオリバーは、

「ロベルトなしでって話なら、出ない」

 ぶっきらぼうに事実を述べた。

「そ、そうなんですね。すみません、立ち入ったことを」

「おれは別に気にしないけど……」

「僕も特に気にしないよ」

 ロベルトがにこやかに割り込んだ。エミリアは反射で恐怖を覚える。ロベルトのことはとにかく怖かった。初対面の時にライフルの銃口を問答無用で押し付けられた時の恐ろしさが忘れられない。

 余計な話はしないでおこう。エミリアは相槌だけを返して口を閉じるが、

「オリバーは僕が遠い州から連れ帰って来たんだ。だから、この辺りの土地勘はほぼないよ」

 代わりのようにロベルトが話し出す。

「まあ、今日買い出しに行くことにしたのは、それもあるんだ。そろそろ州内部の地理を多少覚えてもらってもいいかなと思ってね。聞いてるだろう、オリバー。ちゃんと道を見ておくんだよ」

「わかったよ……」

 見るだけ? とエミリアは思うがやはり口は開かず、なるほどー、という表情だけを浮かべてみせる。

 エミリアにとって、ロベルトとオリバーの関係はよくわからない。連れ帰ってきた、の意味も全く把握できてはいない。

 知っているのはロベルトが恐ろしく強い殺し屋であることと、オリバーがそのロベルトの相方のような立場であることだ。

 ならオリバーも、ロベルトのように強いのだろうか?

 それともただ、趣味や遊びで連れまわされているだけだろうか。

 エミリアが考えている間に、ロベルトとオリバーは家に置いてきたアレスの話をしていた。そろそろ予防接種の時期だと話すロベルトは神妙な顔で、エミリアは犬の話題であればそれなりに話せる人かも知れないと少しだけ思うが、詳しいわけではないので聞くだけに留めた。

 左右に何もない荒野が続く。遠くに連なる山々は高低差があまりなく平坦だ。広い大地は人間の手に余る。故障車、とオリバーが呟いて、エミリアは視線をふっと斜めに向けた。かなり遠くに、路肩へとずれたトラックが停まっていた。

 トラックの横を通り過ぎる。それから程なくして、都市部のビルが亡霊のように現れた。エミリアは分岐を都市の方向へと進み、指示を仰ごうとロベルトを見る。無言で笑みを向けられて、何事かと思わず背筋を伸ばす。

「エミリア、言い忘れていたんだけれど」

「はっ、はい!」

「僕が今から行くところは、他言しないで貰えるかな」

 言いながらロベルトは腕を伸ばした。指先は迷いなくドライブレコーダーのスイッチを切り、一応とつけていたカーナビゲーションの接続も切った。エミリアすら把握していない、本部がこっそり取り付けていたボイスレコーダーは本体ごとロベルトに回収された。

 エミリアははいと答えるしかなかった。ロベルトは満足そうに頷き、オリバーは心配そうにエミリアの後頭部を見た。

 車は都市に滑り込む。


 ロベルトの指示はわかりやすく、的確だった。車一台がやっと通れるほどの路地裏を走らされ、エミリアは擦るのではないかと気が気ではなかったが、本人が自覚していないだけで運転技術は高かった。

 くたびれた家屋や廃墟らしきビルのそばを通り抜ける。道路上で転がっているホームレスを轢かないように注意しながら、エミリアはロベルトの言うままに走り続けた。

 そのうちに現れたのは、取り立てて秀でたところのない一階建ての一軒家だ。

 ロベルトに降ろすよう言われ、エミリアは玄関付近で一旦停まった。ロベルトは礼を言いながら、黒い長髪を靡かせ車を降りた。

「えっと、この辺りでお待ちしていれば良いですか?」

 扉が閉まり切る前に声を掛ける。ロベルトは振り向き、笑顔で頷いた。

「そうだね、玄関前の道路に縦列で駐車しておいて」

「は、はい……」

「数十分で出てくるよ。その間、これでも眺めて待ってて」

 エミリアの前に札が一枚差し出された。チップにしては多かった。念の為の口止め料だと流石に把握し、黙って受け取った。

「オリバー、行くよ」

「あ、うん」

 後部座席にいたオリバーも車を降りた。エミリアはいってらっしゃいと声をかけ、オリバーは頷いてから、運転席の窓へと近付いた。

「あのさ、エミリア」

「なんでしょう?」

「後で、この辺りの地図とか、見せて欲しい」

 エミリアはあっと思った。ロベルトに地理を覚えろと言われ、ちゃんと勉強しようとしているのだと、微笑ましくなった。ちぐはぐに見えても信頼のあるコンビなのだと納得した。

「もちろんです、車に積んでいますので、任せてください!」

 エミリアの言葉にオリバーはほっとした顔になった。行ってくると言い残してロベルトを追い掛けた後ろ姿を目で追い、本当に弟のようだとエミリアは思った。

 二人が建物の中に消えてから、ジュースや軽食でも買えるところがないかと辺りを見回した。寂れた路地裏は人の気配がまるでなく、ホームレスすらいつの間にかいなかった。

 車を降りると死者の国にでも連れて行かれそうに感じ、エミリアはそのまま待機することにした。

 懸命な判断だった。組織の手配している車は防弾仕様で、耐熱仕様で、完全に丸腰のエミリアを守るには最適な場所だった。

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