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スナイパーは森の中を移動していた。体勢を低くし、なるべく木の影に隠れるよう気をつけていたが、思いの外手入れされている森の中では中々身を潜める場所が見つからなかった。
狙いの部屋は防弾ガラスが張ってあり、割った窓から侵入する方法は取れなくなった。大きな誤算だった。スナイパーは無意識に舌打ちし、屋敷の裏手の森へと回り込んで、影の中へと滑り込んだ。
呼吸を落ち着け、次のプランを考えた。明日には家主が帰ってくるため、今日中に目的を達成する必要がある。今頃中では、ハウスキーパーと犬たちが警戒しつつ怯えているだろう。犬たちに下手な傷をつけるわけにはいかないが、人間は殺してしまっても構わない……。
「そこで何をしているんですか?」
突然話し掛けられ、スナイパーは飛び退いた。声を掛けて来た相手は警官だった。ブルーグレーの半袖制服を着ており、不審げな目をスナイパーに向けていた。制帽の鍔を押し上げる仕草は気だるげだ。
何もしていない、とスナイパーは言う。森に迷い込み、屋敷を見つけたので助けを乞おうとしている。そう続けて嘘をつきつつ、ライフルを一旦解体して正解だったと内心安堵する。
警官は数回頷き、
「実は屋敷の方から通報がありまして」
そばにある屋敷をすっと見上げる。
「すぐ近くで銃声らしい物音があったようで……森の中で何か、不審なものを見ませんでしたか?」
誰にも会わなかった。スナイパーは素早く答え、警官から離れようと右足を後ろへ下げた。それ以上は下がれなかった。辛うじて抜いたハンドガンの側面で、投げられたナイフを弾き返した。
警官は笑い、指の間に挟んだ新しいナイフをぷらぷらと揺らした。
「何も見なかった、じゃなく、誰にも会わなかった、か。動きも俺たちみてえなもんだし、じゃーやっぱ撃ったのはお前だ、悪いけど殺すぞ」
振られたナイフをどうにか避け、スナイパーは半ば混乱しつつ数発撃った。警官は笑い声を上げて弾をナイフで弾き返した。動きの反動で制帽が落ちる。燃えるような赤い髪が日影の中に揺らめいた。
スナイパーは今まで、それなりに人を殺してきた。その中で積み重ねた勘により、こいつの相手はまずいと判断した。すぐさま地面を蹴り、森に向かいかけるがナイフが飛んできて、身を翻した。警官の佇む影から離れ、陽の当たる屋敷の正面に躍り出た。
「行ったぜハニー!」
警官が楽しそうに声を張り上げた理由を、スナイパーはまるで理解できない。
鋭い銃声が響き渡り、一瞬で頭蓋を破壊されて事切れてしまったために、一生分かることはない。
「……君のハニーになるくらいなら自分で頭を撃ち抜くよ」
二階のバルコニーから狙撃したロベルトは、本当に嫌そうな顔で言い捨てる。倒れ伏したスナイパーの亡骸にグレイソンが近寄る様子を見下ろしてから、森の方向へと視線を転じた。ややあって、オリバーが現れた。ロベルトとグレイソンを交互に見て、遺体の方に近付いていく。
オリバーとグレイソンが二手に分かれてスナイパーを探し、見つけた方が始末する。もしくはロベルトの待機する屋敷方面へと誘導する。その作戦はうまくいき、無事に目的は達成した。
ロベルトはバルコニーを離れ、二人のいる庭まで出て行った。オリバーがぱっと顔を上げ、グレイソンは難しい顔で血の滲んだ書類を眺めている。スナイパーが懐に持っていた指示書だ。
「何かわかったかい」
聞けば、グレイソンは頷いた。まだ警官の変装をしたままだ。少し似合うのが気持ち悪いなとロベルトは思う。
グレイソンから差し出された書類を受け取った。内容を改め、なるほど、と納得した。そばに寄ってきたオリバーにも書面を見せた。オリバーは目を丸くし、だからか、と呟いた。
「あいつら、名前、ないみたいだったから」
オリバーの独り言じみた言葉に、ロベルトは更に納得を深めた。
スナイパーの目的は、屋敷にいる三匹の犬たちだった。それぞれが体の一部に極小チップを埋め込まれており、スナイパーはそれを盗んでくるように依頼されていた。チップを埋めたのは、ロベルトたちの標的、屋敷の持ち主だ。自身の隠している資産などの表に出せない情報を分散し、犬たちの中に隠していた。
屋敷の奥の部屋は有事の際に、犬ごとチップを保管するための部屋だった。そのために防弾ガラスになっており、四方の壁も耐久性を上げている。
これらの情報をすべて知ったロベルトは非常に怒った。三日目の昼頃、森の小道を歩いてきた標的をただちに撃ち殺し、更に何発か撃ちかけて、オリバーとグレイソンに宥められた。ロベルトは不服だった。
「犬を利用するなんて人間の屑だよ」
「そうかも知れねーけどさあ!」
「クズに、高い弾を何発もやるの、勿体ないだろ……」
ロベルトはどうにか銃口を下ろし、任務の完了はグレイソンが組織に連絡した。そのついでに、込み入った内容になったため、応援をロベルトに頼んだ旨を付け足して報告した。これでロベルトとオリバーに妙な疑いはまず向かないだろうとグレイソンは言い、ロベルトは一応礼を口にした。
ポメラニアンを筆頭にした犬たちは組織が匿い、チップの摘出手術をすることになった。
屋敷まで飛んで来た組織のヘリに乗せられる手前、三匹は鼻を鳴らしてオリバーにまとわりついた。
オリバーは一匹ずつ、丁寧に別れを告げた。ポメラニアンは一声鳴いて、オリバーの膝に顔を擦り付けてから、組織の人間におとなしく抱き上げられた。
ヘリを見送った後、オリバーはグレイソンがいつの間にかいないことに気が付いた。
「あの人は?」
「さあ、死んだんじゃないかな」
ロベルトは素っ気なく言い、勝手に来て勝手に消えた元相方との過去を少しだけ思い出す。
しかしすぐに打ち消し、帰ろうか、とオリバーを促した。オリバーは何も聞かずに頷く。
犬、チップ、金庫のような奥の部屋。それらに感じた少しずつの引っかかりを頭の隅に置いたまま、ロベルトは今の相方であるオリバーを連れ、屋敷に背を向け歩き始めた。森を貫く小道の先では、迎えに来たエミリアが待っている。
(ブラックシープ・終)
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