6
オリバーはしばらく、自分を取り囲んでいる犬たちと遊んだ。ボールを取り合ってみたり、毛並みにブラシをかけてみたりと楽しんだが、そのうちにシーズーが昼寝を始め、ダックスフンドはソファーの上で休み始めた。
ポメラニアンだけ、まだオリバーのそばにいた。自分が兄貴分だと思っているのだとオリバーはもう理解していた。
豊富な毛を撫でてお前も寝ていいと声をかけるが、ポメラニアンは不意に立ち上がった。
「どこか行くのか」
オリバーが話しかけると、数歩進んでから振り返った。黒くて丸い瞳は真摯だった。ついてこいと言っているようだったため、オリバーも立った。
「おまえ、いやおまえたち、そういえば名前、聞いてない」
三匹に名前はなかった。ポメラニアンは黙ったまま、階段へと歩いていく。
「この屋敷広いけど、あんまり、人が住んでるって感じがないよな」
軽い爪音を立たせながら階段を登るポメラニアンにオリバーはついていく。
「明日、おまえたちの飼い主、帰ってくるだろ」
二階に部屋は四つあった。まっすぐの廊下に沿って、左右に二つずつ扉が設けられていた。
「おれが殺すかもしれない。……ロベルトのことだから、おまえたちの今後とか、ちゃんと考えてるとは思うけど」
ポメラニアンは吠えず、悩まず、一番奥の部屋に向かった。
「なんだこの部屋? 鍵、壊れてる」
オリバーは眉を寄せつつ、明らかに人為的な壊され方をしているドアノブを見つめた。その間にポメラニアンが部屋の中に滑り込む。待てよ、と言いながら追い掛けたが、中の様子を見てつい黙った。
「……空き部屋?」
部屋の中には何もなかった。真新しいフローリングが広がっており、カーペットすら敷かれていない。窓のカーテンだけはかかっていた。モスグリーンのカーテンは半分ほど開いており、白いレースカーテンから陽光が伸びて、微量の埃を雪のように照らしている。
ポメラニアンが鳴いた。オリバーは下を見て、ポメラニアンと視線を合わせた。
何かしら伝えようとしていることはわかったが、オリバーはまだ飲み込めず、ひとまず黙って愛らしく賢い小型犬を見つめ続けた。
屋敷から少し歩けば集落程度の町がある。ロベルトはそれを知ってはいたが、そちらには向かわず森の中を突っ切った。来た時に通った小道を逸れ、川の方へと出た。そこが待ち合わせた場所だった。
初老の、浮浪者のような男がいた。川沿いの草むらに腰を下ろし、煙草を咥えて山川を眺めていた。ロベルトは悩まず、その男に背後から近寄った。後頭部にリボルバーを押し付けたところで男が笑った。
「よう、ロベルト。ご挨拶だな」
見た目に似合わない爽やかさのある声だった。ロベルトは舌打ちを落とし、
「浮浪者の変装が似合うね、グレイソン」
銃を更に押し付けた。
「手短に言うけれど、君が……いや、僕が期待するような情報はなかったよ。標的が持ち出している可能性はないのかい」
「うん? そんなわけはないはずだけどなあ」
グレイソンは振り返り、自分に銃を向けたままの元相棒を仰ぎ見る。束ねられた長い黒髪が、陽の光の元で煌めいている。表情は昔と変わらず冷徹で、相変わらず端正な男だなと思うが口にはしない。撃たれるからだ。
「むしろ、何があった?」
咥え煙草を外しながら聞くと、ロベルトはため息をついて銃を下ろした。
「何があったと聞かれると、何もなかったと言うしかないね」
「金庫類もなかったか?」
「いや」
ロベルトは部屋の様子を思い出す。真新しい床に新品のカーテンしかない、もぬけの殻以前……誰かが立ち入った形跡もない部屋。自分が撃ち抜いた扉の破片だけが虚しく舞っていた。
そう説明すると、グレイソンは眉を寄せた。何かを考え、そうか、と唸るように呟いてから、煙草を一口吸った。
「……こっちの手違いかもしれねーな、無駄足で悪かった」
「本当なら怒って撃ち殺してるけど、犬たちが素敵な仕事だから許すよ」
「うはは、それは結構! あの金髪の坊ちゃんは犬の世話中?」
紫炎を吐き出しながら軽い気持ちで聞いたグレイソンに、
「オリバーはほとんど犬だからね」
ロベルトは意味が通るような通らないような言葉を返した。
「何だそりゃ」
「そのままの意味だよ」
「俺はてっきり、あの人の真似して弟子でもとったのかと思」
銃口を再び当てられてグレイソンは黙った。同時に中々の失言だと自分で理解し、謝罪した。ロベルトは何も言わずに今度こそリボルバーを懐へとしまい直した。
話は済んだ。グレイソンの手違いだったのであれば、問題はない。ロベルトは納得して立ち去ろうとするが、その前にグレイソンが立ち上がった。ロベルトを置いて草むらの中を歩いていき、遠くに現れた人影の方へと向かっていく。ロベルトは何となく、死角になる木陰に移動しつつ、様子を眺めた。グレイソンの仕事を見るのは久しぶりだった。
グレイソンが対面したのは似たような格好の、汚らしい男だった。一言二言会話をして、相手が何か笑い声を上げた。それから、小さな小袋を取り出した。ドラッグだな、とロベルトは小さく呟いた。グレイソンが金を渡すと、男は満足そうに頷き背中を向けたが、程なく草むらの中に倒れた。
ロベルトは死角を出た。渡した金を回収してからこちらに戻ってくるグレイソンは、いつの間にか変装を解き始めていた。外されたウィッグの下から刈り込まれた赤毛が現れる。小汚いボロ布を脱ぎ捨てたあとは、黒色のロングコートをさっと羽織った。
グレイソンはどこにでもいる気さくな雰囲気の男になってから、笑みを浮かべてロベルトの正面に立った。
「じゃー、また引っかかる仕事があったら呼びにいくわ!」
「今度は精査してからにして」
「わかってるわかってる、お前マジで怖いんだよ、ロベルト」
「僕は君も相当だと思うけどね」
グレイソンは目を細めて親指を立てた。ロベルトは肩を竦め、時間を確認してから屋敷の方向に足を向けた。グレイソンも川沿いを歩き始め、二人は別の道を進んでいく。
微かな銃声が耳に届いたのはその時だった。ロベルトは走りかけたが、即座に戻ってきたグレイソンに肩を引かれて一旦止まった。
「屋敷の方向じゃねーか?」
「そうだよ、オリバーを置いてきた。だから離せ」
「怖い顔すんなって、俺も行く」
ロベルトは手を振り払い、今度こそ走り出した。グレイソンが後ろで意外そうな顔をしたことには気付かなかった。
犬たちよりも先にオリバーの身を案じた自分にも、気付かなかった。
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