5

 森の中は酷く静かだった。オリバーは犬にせっつかれながら木々の合間を歩き、周囲の様子を窺った。特別、妙なものは見当たらない。自分たちの通ってきた小道が遠くの方に見えていた。

 ポメラニアンが一声吠えた。視線を下ろすと、作業服の裾をガブリと噛んだ。そのまま力任せに引っ張られ、オリバーは困りつつ、シーズーとダックスフンドを交互に見た。二匹はポメラニアンに従うような顔をしており、オリバーはもしかして、と閃いた。

「お前ら、おれのこと、新入りの犬だと思ってるのか……?」

 そんな馬鹿なと思いつつも聞けば、ポメラニアンが代表で吠えた。オリバーはつい苦笑する。どうも、森の歩き方を教えてやると言っているようだった。そしてこのオリバーの考えは当たっている。

 それならそれでまあいいかと、オリバーは先陣を切るポメラニアンの後をついていく。シーズーとダックスフンドは右と左に分かれてオリバーを挟んだ。散歩されているのは自分だなと、また苦笑した。

 いい森だった。枝葉は豊かで、針葉樹が多い。業者を入れての整備もされており、不要な雑草や落ち葉などは少ない。近くに川があると、オリバーは気付いた。連なる樹木の更に奥に、水に反射した日光を見たからだった。

 興味を引かれたオリバーは立ち止まった。犬たちも遅れて止まり、新入りが動き出すのを待った。オリバーは川を見たことがなかった。出身は山奥の過疎の村で、少し出れば川自体はあったものの、行く機会は訪れなかった。親に捨てられたも同然のオリバーは、森や山の中で野犬たちに囲まれながら生きていた。

 今もそう変わりはしない。オリバーは三度目になる苦笑を漏らすが、後ろ向きの表情ではなかった。

「待たせてごめん、行こう」

 声をかけると三匹は同時に吠えた。先頭のポメラニアンがゆったりと歩き出し、二匹と一人は追随し、穏やかな昼下がりが進んでいった。

 ロベルトは何をしているんだろう。オリバーは歩きつつ振り返り、屋敷の方向をじっと見る。

 相方だったというグレイソン、過去に所属していたらしい組織、なぜか持ち込まれたこの仕事。

 オリバーは考えつつ、視線を前に戻して森の中を歩き続ける。

 知りたくはあるが、知ると戻れないだろうと思う。

 しかし戻れなくなったところで故郷を捨て去ったオリバーには、結局ロベルトしかいない。だからなにを選び取ろうが変わりはない。

 どこまでいっても、オリバーはロベルトの犬だった。


「やあ、おかえり。楽しかったかい」

 屋敷に戻るとロベルトに出迎えられた。掃除をしていたらしく、清潔な洗剤や、華やかな芳香剤の匂いがした。犬にも優しいものだから安心してねと、ロベルトは三匹に向けて言った。リーダーのポメラニアンが代表のように一声鳴いた。

「森、こいつらが案内してくれた」

 オリバーは犬たち全員の頭を撫でながら話した。

「妙なものも、特になかった。遠くに川があるのは見えた。人の影なんかも見なかった……多分」

「多分?」

 不安要素を素早く拾ったロベルトに、

「おれより強いやつなら気づかないように隠れてるだろうし、わからない」

 オリバーは説明を加えた。ロベルトは納得して頷いた。

「標的は手練れの殺し屋というわけではないし、処刑者を差し向けられたと気づく可能性は限りなく低いよ」

「そういえば、標的の情報、おれ知らない」

「知らなくていい、と、言いたいけど教えるよ。君が殺すかもしれないしね」

 ロベルトはスマートフォンを取り出し、オリバーに見せた。画面には初老の男性の写真が表示されている。いいものを食べていそうだとオリバーは思い、運動不足の密売人だよとロベルトは言った。

「覚えたかい?」

「うん、見れば忘れない」

「いい子だ、オリバー」

 ロベルトはにっこりと笑い、オリバーの頭を撫でた。それから膝を折り、オリバーの足元にいた犬たちを一匹ずつ労った。僕の犬と仲良くしてくれてありがとう。ロベルトが言うと犬たちは理解して、誇らしげに尻尾を立てた。

「みんな森を歩いてずいぶん汚れたね。掃除はしておいたから、シャワーを浴びておいで。オリバーは三匹を丁寧に洗ってあげるんだよ」

「わかってるよ……」

 ロベルトはとにかく犬優先だ。オリバーはもう、嫌になる程わかっている。

 オリバーが犬たちを促す。三匹は競い合うように浴室へと走っていって、オリバーもその後を追い掛ける。

 しかし、数歩進んでから、立ち止まった。振り返るとロベルトが同じ場所に立ったまま、オリバーのことを眺めていた。二人は瞬き一つ分だけ見つめ合った。

「……なんだい?」

「ロベルト、おれ」

「うん」

「ロベルトの犬だよな?」

 ロベルトは一瞬面食らった顔をして、オリバーはその変化に驚いて、

「君は僕の犬だし、今はたった一人の相方だよ、オリバー」

 続いた言葉に、言い表せない安堵を覚えた。

「わかった、それならいいんだ」

「……昔の話を?」

「聞かなくてもいい。色々あるんだってことだけ、わかってれば。でもロベルトが何をするんだとしても、おれは犬だから従うよ」

 ロベルトは言葉を返しかけるが、犬たちの痺れを切らした鳴き声に掻き消された。

 オリバーは慌てて浴室へ走っていった。ロベルトは背中を見送ってから、ため息のような深い息を吐き出した。

「犬も子供も、成長が早いねえ」

 ロベルトのどこか嬉しそうな声は、屋敷に満ちる柔らかな匂いの中に埋没して溶けていった。


 一日目はそのように終わり、二日目になる。

 ポメラニアンに屋敷を案内されているオリバーが鍵の破壊された奥の部屋を見つけるのは夕方の話で、屋敷の外に出たロベルトがグレイソンに銃を突き付けている時だった。

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