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 雨は降っていなかったが、空にはどんよりと分厚い雲がかかっていた。近頃の天候の崩れ方はロベルトの機嫌の悪さに直結しているように感じられ、オリバーはなんとなく居心地が悪い。

 グレイソンのせいでもある。問い掛けてみようか、どうしようか、悩んでいる間に迎えの車がやってきた。

「おはようございます、ロベルトさん、オリバーさん!」

 顔を出した運転手のエミリアは明るい顔だ。オリバーは少しほっとして、見送りに出てきたアレスの頭を撫でて行ってくるよと声をかけた。ロベルトも同じようにしてから、エミリアによろしくと言った。エミリアはちょっと驚いた顔をしたが、オリバーも同じ顔になっていた。

 車は何事もなく発進し、道中でも問題は特に起きなかった。エミリアが今日の降水確率と、明日以降は晴れ間が覗くという予報を話し、ロベルトは静かに頷いて、オリバーはグレイソンの話を思い出していた。

 元カレだよと笑って言ったグレイソンだったが、本当かどうかはわからない。なんならどちらでもいいとオリバーは思う。

 どうにも煮え切らないのは、恋人だったかどうか、ではなく、ロベルトの過去に詳しいのか、という部分だ。

 オリバーは何度か、ロベルトに昔の話を聞いてみたことがある。その度に発砲され、強制的に終わらされていた。余程話したくないのだと理解し、問い掛けなくなってはいたが、グレイソンの出没により興味がまた浮上した。

 犬以外に興味がなく、狙撃の腕が恐ろしく良く、人目を避けるように暮らしているロベルトの生い立ちを、オリバーは知りたかった。

「着きました、私がお送りできるのはここまでです」

 エミリアの声に引き戻され、オリバーはフロントガラスに視線を向ける。青々とした森が見えていた。この先は徒歩で向かうしかないのだと、エミリアが申し訳なさそうに付け足した。

「問題ないよ、ご苦労様。終わり次第連絡するから、帰りもよろしく」

 ロベルトは涼やかに言い、車の外へさっさと出て行った。オリバーもエミリアに礼を言ってから、ロベルトの背を追い掛けた。連なった木々が曇天の下で鬱蒼と揺た。枝葉の合間に、足場の悪い隘路が緩やかに蛇行しながら続いている。

 森の奥に標的の住まいはある。ロベルトの家みたいだなと、オリバーは思う。

「オリバー、着替えるよ」

 エミリアの車が立ち去ってからロベルトが急に言い出した。このまま向かって隙間から撃って終わるかと思っていたオリバーは、ちょっと面食らう。

「着替えるって、なんでだ」

「中に入るからだよ」

「中……標的の、家の中?」

 イエス、とロベルトは短く言って、鞄の中から二人分の着替えを取り出した。

「標的自体は、不在なんだ」

「……帰って来るまで、待つのか?」

「まあ、そういうことになるね」

「じゃあしばらく森の中にいることに」

「ならないよ、オリバー。この服をよく見なさい」

 服を投げ寄越され、オリバーは受け取ってから、首を捻りつつ広げた。それで、納得した。

 どう見ても作業服だった。上下が一体の、掃除夫などが着ているような。

 オリバーは困惑して、ロベルトを見た。ロベルトが持っているのは執事や秘書が着ている類の礼服で、分担としては道理だと思うものの、オリバーはなんとなく不服だった。

 でも何も言わなかった。

「きっと似合うよ、良かったねオリバー」

 そう言ったロベルトが笑い、笑うところを見るのは久々だと気がついたため、頷くだけにした。


 服を着替え、森の隘路を進んでいくと、そのうちに広い屋敷が見えてきた。大きくはあるが外観自体は平凡だ。高い柵のついたバルコニーが多少目立つ。柵の奥にある大振りの窓にかかったレースカーテンが、二人を見定めるようにゆらりと揺れた。

 黒の礼服に着替えているロベルトが、懐から鍵を取り出した。両開きの玄関扉はそれであっさり開錠された。

「家主が不在の間、買われている犬たちの世話をするのが、僕たちの仕事の一つだよ」

「うん、それは聞いてるし、グレイソンさんに内容も見せてもらったから覚えてる」

「いい子だね、オリバー。……おそらく初見の犬には君の方が好かれるから、任せるよ」

 言い切ってから、ロベルトは扉を開け放った。その途端に軽やかな足音がいくつか聞こえ、オリバーが家の中に踏み入った瞬間に、小さな塊が三つ飛び出してきた。

「うわ!?」

「ああ、早速だねえ」

 塊はオリバーに飛び掛かった。オリバーは勢いに驚いて尻餅をつき、その間に塊たちは尻尾を振りながらオリバーの膝に乗り、腕に頭を擦り付け、嬉しそうに鳴いた。

 ミニチュアダックスフンド、ポメラニアン、シーズーの三匹は、オリバーをすっかり仲間だと思い、熱烈に歓迎していた。

「仕事がしやすくて、助かるよ」

「それは、いいけど、こいつらおれのこと犬だと思ってるよな……?」

「思われてもいいじゃないか。君は僕の犬なんだから、同じだよ」

 ロベルトはオリバーと犬たちのそばに膝をつき、数日よろしくね、と穏やかな優しい声で言った。犬たちは嬉しそうに吠え、ロベルトの肩にかかっている荷物鞄がごとりと床につく。

 中には愛銃のローンウルフが入っている。犬たちの主人を撃ち殺すための、無慈悲な銃があることを、オリバーは少しだけ嫌だと思った。

 犬たちは何も知らずにただただ愛らしく走り回っていた。

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