ブラックシープ

1

 オリバーは未だに故郷の夢を見る。山の深い田舎の町で、人々の生活は常に困窮していた。とにかく貧しかった。オリバーの生まれた家もそれは同じで、いつしかオリバーが生まれたこと自体が嘆かれるようになった。

 家を出たのは必然だ。それから先は付近の森や、路地の裏で眠って起きた。友人と呼べるのは野良犬くらいのものだった。

 そこへロベルトがやってきたのはほんの偶然だ。

 オリバーはその日のことをいつまでも鮮明に覚えているし、これから先も忘れないだろうと思った。


 朝から雨が降っていた。遊びと称される仕事の予定はないらしく、ロベルトはゴム弾をセットした小銃を片手にオリバーを追い掛け回していた。虐めているわけではなく、訓練だ。ロベルトの放つゴム弾を、オリバーはすんでで避けながら逃げ続けていた。

 大型犬のアレスがそれに混じった。嬉しそうにオリバーの隣を並走し、ぐりぐりと頭で押して遊んでくれと言い始める。こうなってくるとロベルトの撃つ手は弱まる。犬にはとにかく、甘かった。

「アレス、君は本当にオリバーを犬だと思ってるんだね」

 遂にはロベルトは立ち止まり、やれやれと言いたげに小銃を下ろした。オリバーは助かったと思うが、アレスはワンと大きく吠えてオリバーに突撃する。頭突きを食らったオリバーは床に倒れた。アレスに全力でじゃれつかれて、ロベルトに追い掛け回されるほどの体力を結局使う羽目になる。

「ロベルト、ど、どけてくれ……」

「駄目だよ、アレスが喜んでるから」

「てめえ〜〜〜……」

「良かったねアレス、僕が拾ってきた犬を気に入ってくれて良かったよ」

「ワン!」

 オリバーは諦めた。四肢を使ってアレスに組み掛かり、全力の遊びに全力で応えることにした。

 その様子を見つつロベルトは笑い、遊び終わったらランチにしようと声を掛けてから、ふと家の外を見た。

 雨の降り頻る中、黒い車が音もなく入り込んできた。ロベルトは目を細め、口元の笑みをすっと消した。

 オリバーとアレスは気付かないまま遊び続けていた。満足した頃に一人と一匹が体を起こした時、ロベルトは一人で傘を差し、庭まで出て行っていた。

 片手には愛銃のローン・ウルフを持っていた。

「……、おや」

 ロベルトが車の中を覗くと、そこには青ざめた運転手一人だけが乗っていた。

「君だけかい? そんなわけはないだろう」

 運転手は青ざめたまま、何度もこくこくと頷いた。

「誰を連れてきた?」

「あ、いえ、あの、」

「撃ち殺さないよ、連れ帰ってもらいたいからね」

「ひっ、そのあの、ぼくは……」

「撃たれたいならそれでも構わないけどね」

 運転手は激しく首を振り、

「だっ、誰が乗ったのか、わからなくて……! ここまでも言われるまま走らせたらついて、そのっ、ぼく、ブラックミストさんの家だなんっ」

 そこまで話したが銃の音に掻き消された。運転手はますます青ざめた。

「すまないけど、その呼び方を僕はクソだと思っているんだ。二度と呼ばないでくれるかい?」

「は、ハイッ!!」

「オーケイ、話の分かる子は好きだよ。で、姿形はともかく、どんなやつを乗せてきた?」

 運転手はしばし考えた。それから言った。

「変なやつ、です」


 数分前。

 ロベルトの放った銃の音に顔を上げたオリバーは、窓辺に近寄り庭の様子を確認しようとした。

 ところがすぐに阻まれた。目の前にすばやく立った何者かに塞がれて、オリバーはとっさに飛び退き距離を取った。

 膝をついたオリバーの傍にアレスが寄ってきた。グルル、と明らかな威嚇をするアレスを尻目にオリバーは、目の前の相手を睨むように見上げた。

 黒衣を纏った男だった。フード部分から顔は見えているが、全身の状態はわからない。なにか武器を持っているかもしれない。オリバーは警戒し、アレスを庇うような態勢へと変えた。アレスは相変わらず唸っていた。

「……、ロベルトに用?」

 この家に来る人間は大体そうだったため、オリバーは聞いた。

 男は笑い、頭のフードをばさりと取った。

「ロベルト、あの野郎、いつだったか金髪は趣味じゃないって言ってたのにさあ!」

 オリバーはちょっと呆気に取られた。男の顔が思いのほか男前だったことも、声が思いのほか爽やかだったことも、まとう雰囲気自体が思いのほか明るかったことも、オリバーの不意をつくには充分だった。

 だから男が投げたナイフに気付くのが遅れた。もう避け切れない段階で気付き、万が一避けてもアレスに当たるとわかってしまい、オリバーはそのまま、鋭利な切っ先が自分に向かってくる様子を見ているしかなかった。


 銃弾がそれを弾いた。オリバーがはっとして顔を向けた先には、ローン・ウルフを構えたロベルトが立っていた。薄く微笑んでいて、恐ろしく怒っていた。

「よう、ロベルト! 久々だなあ!」

「やあ、グレイソン。殺していいかい?」

 ロベルトは返事を聞かないうちに発砲した。グレイソンと呼ばれた男は笑い、投げナイフで銃弾を一つずつ弾き返した。

 オリバーは今のうちにとアレスを行かせた。それから距離を取り、二人の応酬を視界に入れた。

 殺し屋ってバケモンしかいねーのかよと思いつつ、流れ弾を避けるためには終わるまで見つめているしかなかった。

 雨はずっと降っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る