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「工場の中、十人はいる。裏側の勝手口にも一人。おれがここで交戦したのは伝わってるから、かなり警戒してる。東側の奥にいるスーツのおっさんが多分標的だとおもう。ライフル持ったやつ二人に守られて、えーと、奥には緑色のソファーがあるんだけどそこに座りながらどっかに電話してる。おれの位置からだと、そのくらい。というか、窓のカーテンねえのかよ、筒抜けだよ、おれに」

『かなり離れた森から裸眼でねこそぎ見る奴なんて、まずいないからねえ』

「双眼鏡も、あるだろ」

『夜だと照り返しが目立つんだ。窓のそばに人は?』

「いる。たまに、ライト振ってる」

『楽な仕事だ』

「あれに転職したい」

『僕を殺せたら、その後は好きにしていいよ』

 無理だろ、とオリバーは言う。その後に身を屈めて、音を立てないようにしながら叢の中をじぐざくに進んでいく。勝手口にはすぐ回り込めた。葉や枝の隙間から、厳戒態勢の警備の姿が見えた。

 オリバーは行くかどうか悩むが、

『撃つから、後はよろしく』

 ロベルトの台詞を聞いたため、諦めた。手足に力を込めて、撥条のように飛び出した。

 森から出てきたオリバーを見た警備は発砲し、オリバーは犬のように方向転換して弾を避け、充分に近付いたところで飛んだ。警備を抱きかかえるような体勢でしがみついて、防護服の隙間に見えた首筋に思い切り噛み付いた。

 警備の絶叫に銃弾の音が重なった。それはロベルトの放ったもので、廃工場付近の人間には聞き取れない。絶叫がすべて掻き消した。

 放たれた弾丸は廃工場の壁をあっさりと突き破った。元々脆い素材だと、ロベルトは把握し切っていた。一発の小さな弾は電話中の男、標的を的確に頭を撃ち抜いて、ロベルトとオリバーの仕事は無事に終わった。

 しかしまだ帰れはしない。無事に逃げ去るまでがスナイパーの仕事だとロベルトは思う。廃工場の中は騒然としていた。警備の絶叫に、上司の死亡に、殺し屋の襲撃にと、混乱の原因は枚挙に暇がなかった。

 オリバーはその騒ぎを聞きながら食い千切った首の肉をその場に吐き出した。勝手口から逃げる誰かが出てくるのを待つつもりだったが、イヤホンマイクから発砲音が数発聞こえたため、やめた。踵を返して森に入った。ロベルトのいる位置へ戻ろうと走り出し、途中で廃工場の様子をうかがった。恐慌を起こしかけている人間が、何人も正面入口から飛び出していた。その度に撃たれて倒れた。どいつもこいつも馬鹿だなとオリバーは思った。ロベルトが撃ち漏らすわけないだろ。本当は、おれだって必要ないはずの腕なのに。そう心の中で言ったあと、廃工場から視線を外して、二度と興味を向けなかった。

 発砲音はすぐに止んだ。廃工場の中、窓から離れて震えていたライト係以外の人間は、すべて事切れていた。


「おかえり、オリバー」

「ただいま」

 オリバーは外したイヤホンマイクを、寝そべったままのロベルトに向かって放り投げる。暗闇の中で弧を描いたマイクは見えにくかったが、ロベルトは難なく受け取った。愛銃を片手に構えながら立ち上がると、オリバーを手招きして呼んだ。

 目の前に立ったオリバーを見下ろして、ちょっと笑った。

「血の臭いがするから、怪我でもしたのかと思ったら……」

 ロベルトは掌でオリバーの口元を拭った。警備の首を噛み千切った時の返り血が、パーカーにまで垂れていた。

 オリバーはロベルトの手を遠慮がちに払い除けてから、肩口の布地で口元をごしごしと拭いた。

「もう、帰るだろ」

「帰ろう。ゆっくり、歩きながらね」

「追っ手とか、来ねえの」

「撃たれたいマゾなら、追い掛けて来ると思うよ」

「……、森を突っ切って帰る?」

「そのつもりだよ。先導よろしくね、マイドッグ」

 ロベルトの言葉にオリバーは頷き、血塗れのパーカーをその場で脱いで、半袖シャツの姿になった。その後に歩き出した。ロベルトはオリバーの半歩後ろを、まるで犬の散歩でもしているようについていく。

 森の中は暗く、抜けた先にあるはずの街明かりはまるで見えない。月はちょうど雲に隠され、散らばる星々は光源としては頼りなかった。それでもオリバーは淡々と、真っ直ぐに、進んだ。黒々とした木の影から突き出した岩や、闇に溶け込んでいる筈の段差や泥濘が、オリバーには簡単に見えていた。

 オリバーを追い掛けながら、ロベルトは電話をかけた。仕事を持って来た相手との通話だった。一言二言、ロベルトは軽口を叩いたが、大体は殺したよと告げればあちらが勝手に切った。

 ロベルトは切れた電話を数秒見つめてから、前に視線を戻した。段差があったため、オリバーは佇んだまま待っていた。

「ロベルト、ここ、気を付けて」

 言われた通り、気を付けながら階段ほどの段差を降りる。足元はやわらかく、腐葉土は踏み締められたことがあまりなさそうだった。そもそも人間が通るような道ではない。

 ロベルトは視線を上げる。張り付いた影のような木々の間に、ぽつぽつと人工的な灯りが浮いていた。街自体はまだ距離がある。ロベルトは頭の中で地図を思い浮かべ、道にぶつかる筈だとオリバーに告げる。その後は向こう側に続く森には入らず、道を辿っていけばいい。迎えは先程電話した相手が勝手に寄越す。

 そこまでを説明したところで、

「ロベルトは、この仕事、好きか?」

 オリバーが急に問い掛けた。

「好きだよ、たくさん撃てるしね」

 いつも通りに返す。斜め前を歩くオリバーは、ちらりとロベルトを見てから、嘘つけよ、と呟くように言う。

「どうして嘘だと?」

「……、なんとなく」

「感心しないな、オリバー。裏付けがない確信ほどふざけたものはないんだよ」

「ないわけじゃない、……ロベルトは一人でも仕事ができるのに、わざわざおれを連れてくるんだから、仕事に飽きたり、したのかと思った」

 なるほど、とロベルトは納得する。

「それは、当たらずとも遠からじ、ってところだね」

「……仕事、好きじゃないのか」

「好き嫌いで言えば好きだよ」

 でも、とロベルトは続ける。ぱっと振り向いたオリバーの肩を掴み、自分側に思い切り引き寄せる。オリバーはよろけて、ロベルトの服を掴みながらどうにか転ばないよう体勢を整えた。何をするんだと文句を言い掛けた口は、オリバーが立っていた場所、その隣の木の幹に銃弾がめり込んだところで閉じた。

「……ロベルトに撃たれたいマゾが追い掛けてきた?」

「そうみたいだねえ」

 ロベルトはオリバーの背中を押して隠れさせ、振り向きながらローン・ウルフを構える。進んできた森は暗い。銃声が響く。ロベルトは半歩ずれてそれを避ける。身を屈めて影に潜み、更に数発の銃声を聞いてから、銃口を音の方向へと違いなく向ける。

 光を背にする自分達の方が、相手からすれば的になる。森の中はひたすら闇だ。逆光になっているロベルトに、相手の姿は捉えられない。

 でも関係がない。今は。

「二時方向五百メートル、右斜めに生えてる木の下の影にいる」

 オリバーの言葉を聞き終わった瞬間に撃った。五百メートル先で悲鳴が聞こえ、ロベルトは薄く笑ってから微妙に位置を調整し、もう一発撃った。二度目の弾丸は首筋を撃ち抜いた。硝煙のこもった匂いが、森の土の香りに混じりながら、漂った。

「……この仕事は好きだけど」

 ロベルトは呟き、銃を構えたまま目を細める。

ふざけた業界モンキービジネスだとは思うんだ、僕はね」

 オリバーは黙っていた。なんと返せばいいかわからなかったからで、しかし恐る恐るロベルトには近寄って、そっと銃口を下ろさせた。

 帰ろう、ロベルト。やっとそう口に出してから、オリバーはロベルトと一緒に立ち上がった。

 ロベルトは森の奥を一瞥したが、オリバーの方を向いた時にはいつも通りに微笑んでいた。

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