幕間 ── ジーン ──

 第四区警察特別捜査班。通称「特捜」を率いる班長のジーン・フライは、一面がヘッドアップディスプレイになっている壁に映し出されたアンニカ・レンホルムの死体をじっと眺めながら、eyeOSでは記録した現場での映像を観ていた。


 ディスプレイの女性は目を閉じてただ横たわっているだけのように見える。しかしeyeOSではソーサリーマップを通じてレンホルムの体が青の魔術痕で覆われているのがはっきりと見えていた。


 映像の中で会話が始まる。


「ボス、被害者の身分証明書です。アンニカ・レンホルム。四大の院生で、ゲットーからの留学生です」

「それは厄介だな。グオ、この魔術痕の照会結果は?」

「未登録、該当なし。被害者のものとも一致しない」

「さらに最悪だな。在野の魔術師ってことか……」

「ゲットーの魔術師っていう線もありません?」

「オーダリウスの壁を越えて? まぁ、ありえなくはないと思うが……」


 ジーンは自分で否定しかけた可能性を再検討する。


 ――ありえない、という第一印象は自分の希望なのだろうな。もしそうだとしたら大きな政治問題に発展する。一区から大勢押し寄せて蜂の巣をつついたような騒ぎになるだろう。


「ボス、こんなでかでかと死体の写真を投影したって、何も新しいことはわかりませんよ?」


 警部補のサラ・ルガードがコーヒーを持ってきたので、ジーンはありがたくそれを受けとる。二人とも深夜から働いていて第一次の疲労が押し寄せていた。


「そういえばヘンリーは? 誰かに預けたのかい?」

「いえ、十二歳ですからね、もう一人に慣れてます。むしろ最近はなんか悪い仲間と付き合っているみたいで……」

「ほう、それは心配だな」

「ボスのところは……って、そうでしたね。奥さんとお子さんはまだ戻られてないんですか?」


 そう訊くサラにジーンはただ肩をすくめて答えた。


「嫌な仕事ですね、わたしたちのこれは」

「……だが、誰かがやらなくてはな」


 ジーンは家族と三ヶ月ほど会っていなかった。妻のラウラは刑事の妻であることにこれ以上耐えられないと言い、ハナとヘルミーナという二人の娘を連れて家を出ていった。三人はラウラの実家で暮らしているが、ジーンは会いに行っていなかった。家族が恋しいという想いはあるが、それでもいつも頭の片隅にあるのは仕事のことだった。自分なりに仕事と家庭を両立しているつもりだったが、ジーンはこれ以上は変われないと思っている。そんな気持ちで家族に会いに行っても結局また同じことの繰り返しだろうという思いが拭えなかった。


「そう言えば、魔対課からクイーンとナイトが派遣されるそうです。今日の夕方にはこちらに着くとか」

「早いな。もう少しこちらだけで捜査を進めたかった。署長に掛け合ったら延期できるだろうか」

「無理だと思いますね。わたしは署長からこの話を聞いたわけですし、フライにしっかり伝えておけと釘を刺されましたから」

「失敗だった。先にそっちの根回しをしておくべきだったよ。いやだが、やはり異例の早さだ。事件発覚からまだ半日程度だぞ。何故魔対課はこんなに早く動いたんだ。何かこちらが知らない情報を既に持っているんだろうか」


 魔対課と各区特捜の関係性はお世辞にも良いとはいえなかった。特捜は自分たちの足で稼いだ初動の情報を全て魔対課に提供し、捜査の指揮権も委譲される。事件解決の暁には魔対課の手柄となり特捜が陽の目を浴びることはない。

 もちろん目指すべきゴールは一緒なので協力はするし、犯人逮捕は喜ばしいことだが、特捜にとっては含むものがあるのもまた事実だった。


「誰が来るか聞いたか?」

「そこまでは。わたしは魔対課と仕事するの初めてなんですけど、四区って合同捜査の歴史あるんですか? わたしが警官になってからはないんじゃ? って感じですけど」

「四区はゲットーと最も近い区なわけだけど、そのせいか魔術師たちとの付き合い方もある程度バランスが取れているんだ。一区だったら大騒ぎになるようなことでも、ここならお互いどこかで落とし処を見つけて双方飲み込んだり。グレーかもしれないけれどとにかくうまくやっているんだ。だから滅多にこんな事件は起きない。わたしの経験上でも今回が二回目だよ。一回目は最悪だった。今度酒でも飲みながら詳しく教えよう」

「やった。ボスの奢りですね?」


 ジーンは肩をすくめて苦笑した。


「ま、とりあえず彼らが来るまでにできることをやってしまおう。文句を言われるのも嫌だしな。でもまぁ見ていてくれ。高飛車なやつらが来たらガツンと一発決めて見せるからさ」


 ※


 だがその二人を目の当たりにしたとき、ジーンの決意は萎えた。

 誰もが警察署に入ってきた二人に目を奪われた。

 

 一人は黒いスーツ姿で長身。モデルのようなバランスの取れた体型。そして何よりの特徴は腰まで届く銀色の髪。赤身がかった茶色の瞳は燃えているようで少しきつめの顔付きにアクセントを加えている。

 もう一人はさりげなくフリルをあしらった白いブラウスに水色のロングスカート。ライトブラウンのロングヘアーにスカートと同じ色の瞳。魔術師独特の妖精のような美しさの女性。

 

「特区魔法犯罪対策課のオリヴィア・セーデンです。こちらはナイトのニーカ・ツァピナ。こちらに伺えばジーン・フライ首席警部にお会いできると聞いたのですが」


 その声色は優しかったが同時に芯の強さもあるクラシック音楽のような響きだった。その一声で部屋中のざわめきが収まる。若い捜査員の中には時が止まったように口を開けてただオリヴィアを見つめているものまでいた。

 ジーンは主導権を取り戻すべく咳払いをして手を上げた。


「ジーン・フライです。ご足労いただきありがとうございます、クイーン・セーデン」


 自分のが呼ばれたはずなのに馴染みのない名前を聞いたような顔をして、オリヴィアはほんの少し首をかしげた。そしてその後、口元を手で隠しくすくす笑いをするとあらためてジーンに向き直った。


「そんな歓待を受けるような身分ではありません。オリヴィアと呼んでください。わたしもジーンとお呼びしても?」

「え? ええ、もちろんです……オリヴィア」

「ありがとう。では早速いま時点の状況報告と一時間後に全体会議のセッティングをお願いします」

「承知しました。サラ、きみはわたしと同席して欲しい。オスカー! いるか!?」

「はい、ボス! 会議の連絡、全メンバーに通達します! 会議室の準備もしておくのでこっちは任せてください」


 そう応えるオスカーにジーンは笑顔で頷く。オスカー・ペーテルスは今年の春に地域安全課からジーンが引き抜いた人物で、ジーンは何事にも自主的に取り組みつつも怠らないオスカーの資質を高く買っていた。


「いいチームですね、ジーン」


 オリヴィアが春の陽射しのような笑顔を浮かべ、照れている自分にジーンは気がついた。それと同時にニーカの冷たい炎の瞳がジーンの全てを凍らせるか燃やし尽くすかというような視線を向ける。


「はい……みんな優秀です。さ、まずはあちらへ。最新情報をお伝えします」


 オリヴィアとニーカが指定した座席に向かう。それを少し遅れて追いかけるジーンの横にサラが並んだ。

 


 自分が見とれていたことに気付かれてジーンは気まずかった。


「……うるさいぞ」


 それがジーンに言い返せる精一杯だった。

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