本領発揮 ── ダニエル ──

 研究所を出るとすぐに、ダニエルはミシェルにマルツィオ・パトローニの住所を調べるように依頼した。少しでも警察側の先を行きたい気持ちが焦る。

 届いた住所は大学から車で一時間程のエリアだった。実家暮らしかと心配したが賃貸のアパートで本人名義の契約になっていると追記されている。更に自動車運転免許証のものであろう顔写真も添付されており、ダニエルはミシェルの仕事振りに微笑んだ。


 それにしても、とダニエルは大学の駐車場から車を出しながら思案する。アンニカ・レンホルムの目的はゲットーでも育つ花を作り持ち帰ることだった。花を持ち帰ることがそこまで重要になるのだろうか。過去に何度か魔術ゲットーに行ったことはある。確かに薄暗い場所ではあったけれど花があることによって何かが解決したり誰かが救われたりするだろうか。


「木のこと、どうしてわかったんですか?」


 唐突にアニヤが質問をする。ダニエルは少しとぼけたような顔をして、ハンドルを握らない片手で煙草に火をつけた。


「べつに、なんてことないさ。確証があったわけでもない。なんとなくあの木が彼女を守っているような気がしただけだよ。そっちこそどうだった? 心話でなにかヒントになるような話は聞けた?」

「……気づいていたんですね」

「もち。昔、魔対課っていうどうしようもないところにいたんでね」


 eyeOSでソーサリーマップを起動し魔術が検知されると、魔術痕のトレースを始める。ファルクナーが再度木に触れたとき、彼女の青色の魔術痕は大きく増大しアニヤに向かっていった。ダニエルにとって二人が心話しているだろうという予測はそれだけで十分だった。


「いえ、特別なことはなにも。わたしたちに悪意はないということを伝えただけです」

「なるほど。だからああやって話をしてくれるのが早かったわけだ。サンキュー、助かるよ。あ、チョーカーはもう取っちゃっていい。必要なときだけまた使おう。そいつを着けている方が面倒なことが多いからね」


 特区では一定数の魔術師が暮らしており、魔術は珍しいものであっても魔術師という存在自体はさほどそうではない。だがそれも特区の中心である第一区に集中しており、第四区は魔術ゲットーに隣接する区だとしてもまだまだ奇異な目で見られることも多い。今の特区とゲットーの関係上、それはしかたのないことだ。自分一人でどうにかできる問題ではない。

 しかしダニエルは、このチョーカーだけはどうしても好きになれなかった。別に観測をしたいのであればもっと他に方法があったはず。しかしこの黒いチョーカーでは……まるで囚人の罪の証の入れ墨か奴隷の首輪のようだった。


 アニヤがチョーカーを外すのを横目で見る。

 白い首が露になる。


 ――おれは、彼女の首を見たことがない。


「……どうかしましたか? 言われた通り外しましたけど」


 ダニエルはハッとして前を見る。交通量が少ない道なのが救いだった。焦って煙草を揉み消す。


「いや、べつになんでもない。いいよ、それで。暑かっただろ、夏にそんなもん着けてると」

「そうですね……。少し暑かったかも。ただ、ゲットーでは暑いっていう感覚がほとんどないから、わたしが体感したのが暑いに該当するのかわからないけれど」

「暑いに決まってるさ。まだ暑かったら窓を開けるといい。そこの……ドアハンドルのところにあるスイッチを押し込めば開くし、引き上げれば閉まる」


 窓が開くと風がその音と一緒に流れ込む。アニヤの波打つ短い髪が揺れ、空気の匂いと一緒にまだ記憶に新しい彼女の香りがダニエルを撫でた。


「……ゲットーに恋人はいる?」


 無意識の質問だった。アニヤが驚いたような顔をして、ダニエルは自分が言ったことに恥ずかしくなる。


「……いません。わたしは今まで一度も恋人ができたことはありません」


 この回答に今度はダニエルが驚かされる。


「嘘でしょう? 君みたいな……」


 いつもならすんなり出てくる言葉がなぜか出ない。


「魅力的な人が……今まで一度も?」

「……いろいろあるんです、わたしには。あなたこそどうなんですか? フォシェーン。ミシェルさんは泣かされているようでしたけど」

「ちょっと! どうしてここでミシェルの名前が出てくるんだ」

「あなたはわかっていてやっていると思ってましたけど? ああこの人は、こうやって女性を口説くんだって思いました」

「そんなことは……そんなんじゃないよ、べつにさ」


 頬が熱い。からかわれたと思って恥ずかしくなっているのか、それとももっと別の感情なのか。ダニエルには判断がつかなかったが突然笑いが込み上げてきた。子どものような自分。面白いという気持ちが溢れ出し、ついには声を出して笑った。アニヤが訝しげな表情でダニエルを見つめる。


「いや、ごめん。べつにきみがおかしなことを言ったわけじゃない。ただなんていうかさ、こんな他愛もない会話をしたのっていつぶりだろうかって。そんな風に思うとさ、なんか面白くて」

「たしかに……。遠い……遠い昔のことのような気がする」

「だろ? あ、そういえばきみっていくつ? おれとだいたい同じくらいかなって思っていたんだけど」

「え? それ普通訊きます? あなたこそいくつなんですか?」


 べつに困ることはないというようにダニエルは肩をすくめる。


「二十八だよ」

「……同い年です」

「いいね! 同い年か! なら尚更考えてみてよ。もうちょっとで三十になる今日出会った大人二人がさ、あれ、なんでこんなに面白かったんだっけ? まぁいっか。とにかくさ、ねぇ、なんか面白いだろう?」


 最後にこんな風に笑ったのはいつだっただろう。そんなに昔ではない。だけど、過去のそれはすごく遠く感じた。時間が動き出したのだろうか。この町に来て……仕事を辞めて……彼女と別れて。そのときから自分の時間は止まっているのではないかと感じることが何度かあった。


「もう、いったいなんなんです……。あなたがそんな風に笑うから、ホント、こっちまで面白くなってきた……」


 人を小馬鹿にしたような表情と、はにかんだそれが混ざりあったアニヤの笑顔を見たとき、ダニエルは時計の針が進む音を間違いなく聞いたと思った。


 ※


 マルツィオ・パトローニのアパートは四階建ての典型的な安アパートだった。何故大学からこんなに離れた場所に一人で住んでいるのかとあらためてダニエルは疑問に感じる。

 まずはアパートの周辺を車で流し、目立った場所に監視カメラが存在しないことを確認する。時間が惜しかったが、駐車場がある大きな公園に車を停めた。そしてあらためてアニヤにはサングラスをかける指示と追加でレザーの手袋を渡す。

 公園からアパートまでは住宅街を徒歩で十分ほど。もし自宅から外を眺めている人物がいたらサングラスの二人組を怪しく思い記憶したかもしれない。だが少なくとも二人は誰ともすれ違うことなくパトローニのアパートに着いた。部屋は二〇C。角部屋だった。


「容疑者の家に押し入った経験は?」

「ある。魔術を使わない基礎的な訓練は受けています。あなたの中でパトローニは容疑者?」

「荒っぽいことになったとき、きみは自身の判断である程度動けるかどうかを確認しただけ」


 階段を二階まで上り二〇Cの前に立った。インターコムにはカメラがついている。警察が後で来たときにパトローニが自分たちのことを話す確率はかなり高い。ならここでカメラの映像を確認するだろう。顔がバレるタイミングはここになる。警察の先を行く有力な手がかりがさらに得られれば良いが、とダニエルは唇の端に軽く指を当てて考える。


「少し離れて。カメラがついている。記録されるのはおれ一人の方がいい」


 アニヤが離れるのを待ってからダニエルはインターコムを押した。だが数秒待っても応答がない。居留守かと思い何度か押してもやはり応答がなかった。

 空振りかと思いつつも、何かがダニエルの片隅に引っかかり離れてくれなかった。五感を集中させそれが何かを見つけようとする。


 鍵は指紋と顔認証。網膜認証ではなさそうだった。

 このクラスのアパートで防音ということはまずありえない。ドアに耳を当ててみるが室内から異音は聞こえなかった。


 そして不意に気がついた。


 臭いだ。ほんの微かにだが確かに漂ってくる。何度も嗅ぎ慣れた臭い。


「血の臭いがする……」


 アニヤが近づいてきて鼻から息を吸う。同じ臭いを嗅ぎ取ったらしく、その菫色の瞳をダニエルに向けて小さくうなずいた。


「くそ、嫌な予感がする。中の状況を今すぐ確認しないと。もしかすると、

「このドア、どうやって開けられるの?」

「指紋か顔認証だと思う。蹴り開けるのも難しそうだしな……」

「顔があればドアが開くの?」

「は?」


 ダニエルにはアニヤが何を言っているのか理解できなかった。だが、彼女が大学校で使った羽を取り出し、車内で転送したパトローニの免許証を腕時計から宙に照射するのを見てその意図に気がつく。


「おいおい、嘘だろ? そんなことできるのかよ?」

「わからない……。でも、やってみて損はないかなと思って」


 頭の中のイメージをより鮮明にするように、アニヤは食い入るように写真を見つめる。ダニエルはその間にあらためて周囲を見渡した。二人が立っている廊下は鉄柵越しに外から丸見えだが、人影はないし近所のアパートや一軒家の窓はこちらを向いていないので、アニヤが何をやっているのか詳細に見えることはないだろう。

 それでもダニエルは念のために彼女を背中で庇い、少しでも人目を避けるように気を付ける。


「……やります」


 アニヤが羽根飾りに息を吹き掛ける。今日二度目の奇跡を見逃すまいとダニエルは首を捻りその様子を目に焼き付ける。羽根が粒子となって一度消えるのは同じだったが、それらが集まってきて再形成されるには身分証のときのそれよりずっと時間がかかった。

 出来上がったのはマルツィオ・パトローニだろうと思われる男の生首だった。肌や目はまるで生きている人間のようで、髪の質感は写真で見た本人のそれのように見える。


「……どうです? 中々の出来じゃありませんか?」

「中々なんてものじゃないだろう。偽物だとわかっていても、手に持つのをためらう」

「わたしも自分で持っていて気持ちのいいものじゃないです」


 汚れ物をつまんでいるような表情で自分が創造したそれをアニヤが眺める。


「問題はこれでドアを開けられるかですね。やってみてください。ダメならさっさと消しますから」


 手袋をしてはいるものの、それでも気持ちを奮い立たせて首を受け取ったダニエルは、それにインターコムを覗き込ませる。なんの障害もなくドアのロックが解錠された。

 ドアを開けた先にどんな光景が待っているのか。一抹の不安と恐怖を抱えながらダニエルは首を持っていない方の手でドアを開ける。


 玄関、廊下。すぐ右手には洗濯機と浴室のドアが見える。突き当たりの正面と左にドア。正面のドアには明かり取りのモザイクガラスが埋まっており、その先のリビングであろう部屋から明かりが射し込み薄暗い廊下をわずかに照らしている。

 アニヤが続くのを確認し、ダニエルはドアを閉めた。オートロックの施錠音が室内に大きく響き渡る。

 

 二人はそのまましばらく、玄関で息を潜めた。今では間違いなく鉄臭い血の臭いを嗅ぎ取っている。ダニエルがアニヤに手にしていた首を向けると彼女がそれに息を吹き掛ける。パトローニの顔をしたそれは光の粒子となって消えた。

 

 自分の靴を指差し、次に浴室を指差した後にアニヤを、突き当たり左のドアを指差してその指を自分に向ける。アニヤも黙って頷いた。

 靴を脱ぎ、それぞれの確認に向かう。


 忍び足。浴室のドアが開けられる音、明かりのスイッチが付けられる音。ダニエルも左側のドアをゆっくり開ける。


 遮光カーテンの細い隙間からほんの僅かに光が射し込んでいる。eyeOSの照度フィルターが自動で視界をクリアにした。そこは寝室で寝具が乱れている。中に入りクロゼットを開けてみたがそこにも誰もいない。廊下に戻るとちょうどアニヤと鉢合わせをした。残るドアは一つだけ。彼女を後ろに下がらせ、ダニエルはドアを開けた。


 この部屋のメインであろう大きな窓から射し込む自然光が、床にたまる血を鮮明にしている。テーブルの上に裸の男。足を大きく開き膝から下をテーブルから垂らしている。出血の源は男の股間。本来そこにあって然るべきものが血溜まりの中に虚しく転がっていた。


 そのリビングダイニング兼キッチンが最後の部屋で死体以外に誰もいないことを確認したダニエルは、静かに息を吐き出した。


「間に合わなかったな。血を踏まないように気を付けて。可能な限り痕跡を残したくない」


 ダニエルはインターコムの受信端末を捜査し、自分とパトローニの生首が写った静止画を削除した。もしかすると端末のデータを調べられるかもしれないが少しでも時間稼ぎになるはずだった。

 アニヤはと言うと、ギリギリまで死体に近づいて検分をしている。今にも吐きそうという感じではないが、顔面は蒼白で具合が悪そうだった。口にハンカチを当てている。


「大丈夫か?」

「ええ……」

「あまりそうは見えないが?」

「大丈夫……。それより見て、マルツィオ・パトローニの体。魔術痕で覆われている。股間以外に目立った外傷はなし。でも、それはどこかおかしい。床に落ちてるソレが切られたのなら、普通は激痛で暴れまわるんじゃない?」


 ――魔術や捜査のこととなるとまるで別人のようによく話す。


 ダニエルはソーサリーマップを起動して魔術痕を確認した。青色の痕が死体をべったり覆っている。この濃さからすると魔術が遣われてからまだ半日も経っていないとアタリをつける。


「わたしが……何を言いたいかと……いうと……」


 横で静かに崩れ落ちるアニヤをダニエルは咄嗟に抱き締める。


「おい、どうした!」


 呼び掛けるも返事がない。


「しっかりしろ! プリンシラ!」

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