先回り ―― ダニエル ――

 ル・ジャルダン・セクレをあとにしたダニエルとアニヤは第四区大学校に向かった。キャンパスは遅れて昼食をとる学生や教職員で大学校特有の空気を醸成している。二人は構内地図を頼りに植物研究所の建物を目指していた。

 

「さて、どうしたものかなぁ」

 

 植物研究所は白い外壁の四階建ての建物で、それより大きな温室が隣接していた。二つの建物は渡り廊下で繋がっている。

 

「きみならここからどうする?」

 

 ダニエルは立ち止まって煙草に火をつけて尋ねる。

 

「そんな……わかりません。ここはゲットーとは違いすぎます。通常であれば身分証を提示してレンホルムの指導教官に話を聞くと思いますが」

「だね。だけどおれらには肝心の身分証がない。ルドバリも無理難題を吹っ掛けてくれたもんだ」

 

 しかし実際問題としてどうすべきか。フラりと行っても門前払いを受けるだけだろう。仮に中にすんなり入れたとしてもそのあとの聞き込みは間違いなく無理だ。これがバーであればこちらが誰かなんて酔っぱらいは気にしない。だがここは大学だ。その場で警察に問い合わされでもしたら逃げるしかないし自分たちの動きが知られてしまう。隠し通すのは無理だとしてもバレるのはギリギリまで後ろにのばしたい。

 

「あの……わたしはいま、魔術を遣っても大丈夫なんですか?」

 

 そう言えば、とダニエルは思案する。

 

 ――こいつは一体どんな魔術を遣うんだ?

 

「うん、問題ない。チョーカーを外した時点でトラッキングはされていないからね。もちろん目立つのは駄目だけど。なにか妙案が?」

 

 アニヤが辺りを見渡し木陰になっているベンチを見つけ、ダニエルをそこに促す。首でそこを示す動作は特区に圧倒され自信を失くしかけている彼女には似つかわしくない仕草だった。

 

「身分証のサンプルみたいなものを見せてもらうことはできますか? 大体でいいです」

 

 eyeOSで検索したイメージを時計から投影してアニヤに見せる。彼女はそれを見つめながらリュックから二本の羽根飾りを取り出した。

 

「魔術を遣います。周りから見えないように盾になってください」

 

 改めて周囲を見渡しダニエルはアニヤが隠すために、ベンチに座るアニヤを覆うようベンチの背もたれに片腕を突っ張って立った。軽く屈むような姿勢になり自然と二人の顔が近づく。

 タイミングを見計らったかのように風が吹き、甘い香りがダニエルの鼻腔をくすぐった。

 

「……近すぎる、かも……」

「……ごめん」

 

 アニヤは頬を高潮させながら羽根飾りに息を吹きかける。eyeOSが魔術を検知しソーサリーマップが起動した。アニヤの周りを白の魔術痕が一瞬取り巻く。

 すると二枚の羽根が光の粒子となって散り、それがまた瞬時に集合すると先ほど見せた身分証に早変わりをした。提示されたそれをパッと見て本物かどうかなどと疑うものはいないだろう。ダニエルは手渡されたそれの表と裏を見比べたり噛んでみたりしたが疑わしいところもなければ突然消えてなくなったりもしなかった。

 

「すごいな。まるで本物だ。一般人にはこれで十分通じると思う。持続時間があったりする?」

「いいえ。これはもうずっとこのまま。もちろん、同じ原理で別のものに変えることはできるけど」

 

 携帯灰皿に煙草をしまい、ダニエルもアニヤの横に腰かける。

 

「初めて見る魔術だ。あの羽根を何にでも変えられるの?」

「わたしがイメージできるものであれば。この身分証は実はわたしたちトロルーカーリーが使っているものをベースに作ったの。サイズや質感がほぼ同じみたいだったから。あとは見た目の細部をさっき見せてくれたものに適当にあわせただけ。触媒にするものは別になんでもいい。いつも羽根飾りを使っているから魔術がかけやすいっていうくらい……です」

 

 驚きと興奮を隠しきれないダニエルは、ややうつむき加減のアニヤを下から覗き込むように顔を再度近づける。

 

「鉛を金に変えることもできるわけ?」

「……できます」

「すごいな、ほんとに。まるで錬金術だ……」

 

 こんな夢のような魔術が使えるのであればと思うがアニヤの表情は浮かばない。ダニエルはアニヤの奥に苦悩を見てとった。きっと自分では思い付かないような悩みがあるのだろう。しかし今はそれを掘り下げて確認すべきときではないと、ダニエルは立ち上がる。警察の動きはヨミ通りの自信があったが時間は刻一刻と過ぎていく。

 

「よし。じゃあ堂々と正面突破と行こう。さっきの黒いチョーカー、もう一度つけてくれる? 正式な魔術師として通した方がきっといい。あと、さっき買っておいたこれをつけて」

 

 ジャケットの内ポケットから真っ黒なサングラスを取り出し、自分でも同じようなサングラスをかける。

 

「変装の基本だけど、基本は大事だから」

 

 サングラスをかけた二人組が校舎に入ると、その異質さが全員の目を惹き付ける。ダニエルはフロアマップを眺め、アニヤがすぐ後ろに立ち周囲を観察していた。

 総合受付的な場所は存在せず、ダニエルは威厳をもって近くの学生を呼び寄せる。

 

「失礼。アンニカ・レンホルムという学生をご存じかな?」

 

 尋ねられた女子学生は声を出さずにうなずく。

 

「警察のものだが、彼女の指導教官にお会いしたい。どこにいけば会えるだろうか?」

「ロビンソン教授ならいまは自分の研究室にいると思います。さっき講義が終わったばかりなので」

 

 再びフロアマップに目をやり、サミュエル・ロビンソンの名前を見つける。三階の五号室。女子学生に礼を言って二人は三階を目指す。建物の中はル・ジャルダン・セクレとはまた別の草木の匂いで満ちていて、全体的にじめじめとしていて暑かった。

 

「暑いですね……。ゲットーあっちでは夏でもこんな暑さにはなりません……」

「おれも行ったことはないんだけど、第五区なんかは一年中暑いんだってさ。それもめちゃくちゃに。でもほんと言う通りだ。ここは暑い」

 

 五号室のドアチャイムを押すと、「どうぞ」という声とともに電子ロックが解除される音が鳴った。ダニエルが囁く。

 

「堂々と行こう。まずい風向きになってきたらさっさと逃げる」

 

 ボタンを押すとドアがスライドし、中から一気に暑さが流れ出てくる。室内は見た目から推測するに暑い地域に生息すると思われる、背丈が高く葉が大きい植物がところせましと鎮座している。天然の目隠しを避けると奥にメガネをかけた小柄な男が神経質そうな顔つきで投影された透過モニターを眺めていた。入ってきたサングラスの二人組を見て驚く。

 

「なんだお前たちは!?」

 

 ダニエルがアニヤ製身分証を提示した。人差し指を口の前で立て、次に後ろのドアを指差してスライドさせるように左右に振る。

 

「特捜二課だ。人払いを」

 

 最後に顎をしゃくると、ロビンソンは研究室のドアをロックした。

 

「ご協力感謝しますロビンソン教授。そんなに身構えないでください。我々は話を聞きたいだけですし、必要な話を聞けたらすぐに退散します。以降、あなたを煩わせることはありません」

「一体なんのつもりだ……」

 

 アニヤの方を振り返り、ダニエルはわざとらしくため息をつく。

 

「いまわたしが言ったこと、理解できませんでした? 話を聞きたいだけです。ここにアンニカ・レンホルムという学生がいるでしょう? 彼女についてお聞きしたい」

 

 自分のことではないとわかると、ロビンソンは少し肩の力を抜いた。なにかやましいところがあるのだろうか。

 

「アンニカのことはもちろん知っている。魔術ゲットーからの留学生でここのM2だ。を訊くためにここに来たのか?」

は知っているんですよ、教授。彼女はどんな研究をしていましたか? 研究を巡ってトラブルがあったりは?」

「彼女の魔術はいわゆるヒーリングだ。その魔術を植物に照射したときの研究を行っている。トラブルなんかはありやしない。チームではなく独りで行っているんだから。ある程度研究が進んでいる分野でいまは停滞期だから競争率も低い。協働はあっても争いは考えられない」

 

 ――それも既にルドバリからの資料に記載されていることだ。

 

「研究の進捗はどうでした? 芳しくなく悩んでいるとか、そういったことはありました?」

「ないね。彼女は真面目だ。初期の計画に基づいてしっかり取り組んでくれているよ」

「彼女の研究の目的はなんなのですか? 彼女はいたのです?」

「それはわたしも最初に確認した。先ほども言った通りこの分野はいま、あまり期待されていない。彼女の能力ならもっと大きなテーマと研究に挑戦できた。しかし彼女が選んだテーマは花だった。もちろん止めたよ。花の研究なんかしても何にもならないってね。だがアンニカは言った。ゲットーでも育つ色彩豊かな品種を作ると。ゲットーに色を持ち帰るのが自分の使命だと。留学生にそう言われたら何も言い返せなかったね。わたしは魔術師という存在が好きでもなければ嫌いでもない。アンニカの祖国を想う気持ちを尊重するのが人情というものだろう」

 

 そう語るロビンソンの瞳には自己陶酔の色があった。ダニエルは心の中でため息をつく。だったら何故彼女を独りにしたのだろう。いくら成果が見込めない研究をしているとは言え、そこまで言うのであれば何か手を差しのべることが出来たのではないだろうか。もし独りでなければ彼女は死なずにすんだのではないだろうか。ロビンソンのそれは尊重ではない。この男はアンニカ・レンホルムを見捨てたのだ。

 急に部屋の暑さが意識されるようになってきた。もう一秒足りともこの部屋にいたくないと言うのが本音だった。

 

「ご高説どうも、教授。研究所でレンホルムと親しい人はいましたか?」

「さぁ、どうか……。ここにはもう一人、テレパスの魔術師がいて、彼女とはよく話をしているようだが」

 

 ルドバリからの資料ではその魔術師についてなんの記載もない。アニヤの方を見ると彼女は僅かに首を横に振った。

 

「その人の名前は? どこに行けば会えますか?」

「確か、リンネア・ファルクナーとかそんな名前だった。わたしの学生ではないので詳しくは知らないが、温室に行けば会えるかもしれない」

「ご協力どうも、ロビンソン教授。我々がここに来たことはくれぐれも内密に。これは極秘の捜査なので」

 

 理解が追いついていないような顔をしたロビンソンを後に、ダニエルとアニヤは研究室を出た。研究室に比べれば校舎内は快適だった。アニヤが横に並んで尋ねる。

 

「特捜二課って、なんなんですか?」

「適当だよ。おれが知る限りそんな組織は存在しない。それっぽく聞こえればいいのさ。しかしあれだな、いけすかないやつだったな、偉そうに」

「……あの人はレンホルムとわたしたちが思っているより親しいのでは? と思いましたが……」

「あー、おれも思った。でもいまのタイミングでそこを突っ込むと口をつぐみそうな気がしてさ、さっきは訊かなかったんだ。あのおっさんについても少し聞き込む必要があるかもね」

 

 ――そう、そうじゃなければ。

 

「ファーストネームで呼ぶなんて、ゲットーあっちでは親しい関係でなければありえません」

特区こっちだって同じさ、それは」

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