その目付き ― ダニエル ―

 探している対象がゲートを潜り抜けたとき、ダニエルはそれがアニヤ・プリンシラだと即座に確信した。何故だかはわからないが、それは間違いない感覚だった。そしてそれは相手も同じだったらしい。ゲートを潜り抜けた安堵感のような表情、辺りを見渡しすぐにダニエルに目を留めた。そのまま真っ直ぐ向かってくる。

 

 ダニエルと彼女はしばらく無言で向かい合った。黒いウェーブのかかったショートヘアに菫色の瞳、白い肌。魔術師特有の美しさだった。

 

「ダニエル・フォシェーン?」

 

 春の暖かい風のような声だった。ダニエルが頷き手を差し出す。

 

「その通り。きみがアニヤ・プリンシラ?」

 

 彼女も同じように頷き手を握り返す。

 

「オーケィ。ルドバリがどんな手を使ったかは知らないが無事ゲートを抜けられて何よりだ。荷物はそれだけ? 良かったら持とうか?」

 

 背負っているリュックサックを指さして尋ねるがアニヤは首を横に振る。

「いいえ……大丈夫」

 

 ダニエルは少し首をかしげ、もう一度オーケィと言う。

 

「じゃあ行こう。あー、特区は初めてだよな?」

「ええ、初めて……」

 

 ――美人だけどすごい無愛想だ。ルドバリはなぜ彼女を派遣したのだろうか。

 

「とりあえずそのコートは脱いだ方がいい。それから、決して太陽を長時間直視してはいけない。目が見えなくなってしまうからね」

「そんなことは……知ってます」

「でも、見てしまうんだ。晴れの日はきれいだよ。魔術師だろうがなんだろうがそれは関係なくね。きみは一番美しい季節に特区に来たんだから。よし、さっさとこの忌々しいトンネルから出よう。駐車場に車が停めてある」

 

 露店商が店を並べるエントランスを抜け、トンネル内の車道を渡り駐車場に向かう。オレンジのトンネル灯が辺りを照らす中、二人は黙って歩いた。右手にはトンネルの出口があり真っ白な光で蓋を閉めているようだった。アニヤはその光に目を奪われている。

 

「ほら、言ったそばから。行かなきゃならないところがあるんだから、さっさと歩く」

 

 車はシルバーのありふれた二人乗りの小型乗用車だった。ダニエルのeyeOSが起動し、近づくと自動でドアロックの解錠と車のメインシステムへ接続する。ハンドジェスチャーで往路で設定していた音楽の再生をキャンセルした。なんとなくだと感じたからだ。

 

「シートベルト締めてくれよ」

 

 助手席に乗り込んだアニヤはどこか怯えているように見えた。そしてダニエルは理解する。ドアを開けるときも躊躇いがあった。彼女はどうすべきかわからず、その場で咄嗟に判断しているのだ。間違わないようにと精一杯の注意を払って。ここはあまりにもゲットーとは違うから。

 

「ああ、すまない。こういうタイプはゲットーにはないんだろうな。まぁ、そんなに大きく変わらない。ドアハンドルの横にあるボタンを押すだけだよ。そうすればシートベルトは勝手に身体にフィットするから」

「……わかりました」

 アニヤが言われた通りにすると、シートの肩部分からベルトが伸び、身体を最適な強さで押さえ付ける。胸の部分で緩やかな弧を描くベルトから視線をそらした。

 

 ――まったく、おれは……。

 

 緩やかに発進した車はトンネルの出口へ向かう。小さな白の半円が少しずつ大きくなり、やがてその向こう側の景色を映し出す。アニヤが緊張しているのがダニエルにはわかった。生まれて初めて見る光景に備えている。

 外に出た瞬間の一瞬の白。そしてその後に広がる空と海の二色の青。アニヤはベルトに押さえられながらも身体を前に乗り出した。

 

「窓を……この車は窓が開かないの?」

 

 ダニエルはすぐそこにあった待避所に車を停め、eyeOSのコンソールからアニヤのベルトを外し助手席のドアを開けた。アニヤはすぐに外に飛び出した。海と空を眺め、あれだけダニエルが言ったにも関わらず太陽を見つめ両手を広げた。太陽の熱を感じ、瞳を閉じて深呼吸をし潮風の香りを吸い込むように。

 

「感想は?」

 

 車から降りたダニエルが煙草に火をつけながら訊く。

 

「目を閉じても明るい。太陽が……太陽がそこにある! 海のあの部分だけが特に光っているのは、太陽のせいなんでしょう? すごい。輝いている!」

 

 そう言って振り向いたアニヤはまるで少女のようだった。頬を紅潮させ、全身で驚きを表現し、菫色の瞳は太陽に負けないくらい輝いている。ダニエルは無意識に瞬きを二回した。eyeOSに慣れた人の仕草。写真を撮るためのシャッター。美しかった。風景も、アニヤも。

 

「言っただろう? 。さぁ行こう。空と海は逃げたりしないよ」

 

 車に戻ったとき、アニヤは少しリラックスしたように見えた。しばらくの間、窓を開けて外を眺めていたが突然我に返ったように身体を強ばらせた。

 

「……それで、わたしたちはどこに向かえばいいの? 任務のことはルドバリから聞いているんでしょう?」

「詳細はそこまで聞いていないよ。まずはきみから話を聞いて状況を整理する必要がある。でも何より前に、そのチョーカーを外す必要がある。特区がそのチョーカーを頼りに魔術の発動と位置情報を監視しているっていう説明は聞いた?」

 

 アニヤがうなずく。

 

「それを無効化しないといろいろ不便だから。まずはおれの知り合いのところに行く」


 ※

  

 海岸線の道をしばらく走ると第四区の街に入った。第四区は円の中心に官公庁の施設が集中しており、その周縁にオフィス街。さらにその周縁に商業施設、住宅街と工業施設の混合地帯という形になっている。いま二人は外縁部の北側にいた。古い住宅や倉庫などが並ぶ中に一つだけ高いタワーがあり、その背後には巨大なオーダリウスの壁が重くのし掛かるようにそびえ立っている。

 

「ここだよ、降りて」

 

 ダニエルは古い倉庫の敷地内に車を停めて降りた。アニヤもそれについていく。

 カメラ付きのインターコムを覗き込むと、網膜認証で倉庫のセキュリティシステムとダニエルのeyeOSが接続される。さらにそこからパスコードを入力することでドアが解錠された。

 薄暗い倉庫内は散らかっているが良く見るとゴミが避けて道らしきものができている。その先には一枚のドアがあり曇りガラスから明かりが漏れていた。

 

「ミシェル、おれだ、フォシェーンだ。急ぎの用事かあってきたんだ。入らせてもらうよ」

 

 付いてくるようにとダニエルがアニヤを手招きする。彼女が近くまでくると、ダニエルは顔を寄せて囁いた。

 

「話はおれがする。きみは訊かれたことにだけ答えればいいから。極度の人見知りなんだ彼女は。きっときみをいないもののように扱うだろう。だけどどうか気を悪くしないでくれよ。おれたちにとってはメリットしかないんだから」

 

 アニヤは俯きながらうなずく。横から見ると髪が顔を隠しその表情を見ることが出来なかった。

 

 ――また何か気に障ったかな……。

 

 奥のドアをノックしてから開けると煙草の匂いが波のように押し寄せた。天井からぶら下がるむき出しの電球。椅子の上で膝を抱えて座る女性が一人。空を睨みながら膝に乗せた手をキーボードを叩くように動かしている。

 

「やぁミシェル。紹介しよう、知り合いのアニヤ・プリンシラだ。彼女の首輪を偽装したい。それもなるべく早く」

「フォシェーン、見たらわかるだろう。わたしは忙しい。何かに追われるのが嫌でいまの生活をしているんだ。

 

 少女のような声のミシェルの言い分を聞いて、ダニエルは声をあげて笑った。

 

「あー、ごめん。確かにたしかに。なんてクソみたいな言葉はおれたちみたいな人種の間じゃ禁句だったな。でもいいのかな? アニヤの首輪はこの前アップデートされた最新版だぜ? まだ試したことないでしょ?」

 

 宙を叩いていた指を止め、ミシェルがアニヤの首を見つめる。

 

「確かにそのようだね。いいさ、乗ってやろう。まったく人遣いが荒い。どれ、ふーん……。ネットとの接続は直前の方法と同じように見える。変わったのは機能面のロジックか」

 ミシェルが再び指を動かし始める。彼女はいまeyeOS上に表示されている仮想キーボードで処理を入力している。ダニエルには見慣れた光景だがアニヤは何をやっているのかわからないという表情を浮かべている。

 

「相変わらずザルだよ、政府のシステムは。好き勝手してくださいって言ってるようなものだ。よくこれで誰からもクラックされない」

「きみの腕が良すぎるんだよ、ミシェル。そしてその腕を悪用しない。だからおれはきみが好きなんだ」

 

 そこで初めてミシェルが顔をダニエルに向ける。

 

「ドニー、わたしはもうそんな口説き文句に騙されないからな。きみは本当に好きな女にはそう言わない。まったく、それでもきみに手を貸してしまう自分が嫌になるよ」

「嘘を言っているつもりはないよ、ミシェル」

「嘘かそうでないかという問題ではない。ああ、もう! ほら、おおよその解析はできた。まずいぞ、移動予測ルートを外れていることに対するシグナルが三分後に発信される。目的地はどこにすればいい? 急げいそげ、ここに留まり続けるのは危険だ」

「進路の修正、目的地、ダミーの行動パターン、転送したよ」

「くそったれフォシェーン。そういうのは先によこせ」

 

 データを受け取ったミシェルは、アニヤの首輪から最後に発信された内容以降をダニエルの指示に従い改ざんし、さらにここから目的地への移動、到着後もダニエルからのダミーパターンに則って行動したように発信する偽装処理を施した。

 

「ほら、これで完了だよ。GPSやシグナルでしか監視していないやつらには十分な目眩ましだ」

 

 ミシェルが追い払うように手を振る。ダニエルは小さく笑うとeyeOSを通じてクレジットを送金した。その額にミシェルが訝しげな視線を向ける。

 

「だいぶ多いね、フォシェーン。そんなに危険なヤマなのかい? 面倒事はごめんこうむりたいんだが」

「クライアントがはずんでくれてね。それに、ちゃんと気持ちを伝えなくちゃって、いつも思っていたんだ」

 

 自分を見つめる二つの茶色い瞳を見て、ミシェルは大袈裟にため息をついた。

 

「はぁ、その目付きだよ、わたしをおかしくするのは、フォシェーン。おい魔術師」

 

 そう呼ばれてアニヤが俯いていた顔を上げる。

 

「こいつの目には気を付けな。抜け出せなくなるよ」

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