最愛の親友に親愛の抱擁を

松浦どれみ

夢が覚めたら


 朝。カーテンの端っこからわずかに光が漏れていた。天気は良さそう。

 私はベッドから静かにすべりだして立ち上がった。

 カーテンは開けない。まだベッドにはアキが眠っているから。

 今日は休日。昨日は寝るのが遅くなったし、ゆっくりしてもらうつもりだった。


「わあ、すごいな……」


 寝室を出て身支度をしようと洗面所の鏡に向かう。

 一番に目に入るのは首周りに咲く無数の赤い花。

 私がアキに、目いっぱい甘えた証拠。いっぱいいっぱいおねだりした証拠。

 向こう三年分は満たされた気がする。


「よし!」


 身支度を終えた私はキッチンに移動した。

 野菜を洗ってサラダにして、卵を割ってオムレツの準備をする。

 バタン、と寝室のドアが開く音が聞こえる。アキが起きたみたい。


「おあよ(おはよ)」

「おはよう、アキ」


 部屋着姿に歯ブラシを口に入れたアキがソファに座る。

 私は挨拶をしてトースターにパンを二枚入れた。それからコーヒーメーカーに豆を入れたタイミングでアキはまた洗面所に歩いていった。


「おはよ、琴音ことね。早起きだね」

「たまにはアキより先に起きようと思って」


 といた卵をバターと一緒にフライパンに。ふわふわのオムレツの完成。

 トースターから出してカットしたパンと一緒に皿に盛って、テーブルに置く。コーヒーの香ばしい香りがキッチンに漂い始めた。


「おまたせ〜。食べよっか」

「うん、いただきます」

「いただきます」


 コーヒーを注いだマグを持って席について、向かい合って両手を合わせる。

 こんな毎日を過ごすようになってもうすぐ二年が経とうとしていた。


「どうしたの、おいしくなかった?」

「ううん、すっごくおいしいけど……」

「え?」

「ちょっと目のやり場に困って……」


 アキの視線の先は、私の首だった。少し頬を染めて照れているアキをかわいいと思ってしまう。


「ふふっ。いっぱいしたもんね、昨日は」

「琴音、そういうこと言わないの!」

「アキにしか言ってないよ。さ、食べて食べて」


 アキの顔が更に赤くなる。透き通るような白い肌はこうしていとも簡単に染まる。艶やかな黒い髪。一七五センチの長身に見合った長い手足。スレンダーなのに意外と大きな胸。


 アキは私の、自慢の恋人。


「このオムレツ、ふわふわだね。おいしい」

「でしょう? 自信作なんだ」


 くっきり二重なのに切れ長で涼しげな目元。すっと通った鼻筋。赤くて形のいい唇。

 昨日はあんなに扇情的だったのに、今日はずいぶんと爽やかに笑う。

 出会ってから一五年、アキの笑顔はあの頃と変わらない。


 アキは私の初恋だった。


「こんなにおいしい朝ごはんが食べられるなら、今度からゆっくり起きようかな」

「毎日は無理〜。私が朝弱いの知ってるでしょう?」

「そうだった。高校のときなんかいつも遅刻スレスレだったよね」

「中学と違って徒歩圏内じゃなかったからね〜。アキにもよく迎えにきてもらってたよね」


 アキと出会ったのは中学一年生のとき。クラスが一緒になって出席順が前後だったのがきっかけで仲良くなった。それから高校も同じで合計六年間、私たちは親友としていつも一緒だった。


「懐かしいな……」

「うん。本当に……」


 アキはあの頃から背が高くて、小学校を卒業したての制服に着られていた私や周りの子たちとは違って。スカートからのびたすらりとした足が羨ましかったな。

 ふと見せる笑顔が爽やかでかっこよくて。部活はソフトボール部でスポーツ全般万能だった。私はアキよりかっこいい人じゃないと付き合えないと思っていたら、中学三年間彼氏ができなかった。


「アキはあの頃からずっと、綺麗でカッコ良かったね」

「なにそれ〜。琴音だってずっとかわいかったんですけど」


 初めてアキにときめいたのは中一の夏休み、神社の夏祭りに行ったとき。私は母に頼んで浴衣を着てアキとの待ち合わせ場所に行った。まあまあ大きな神社だったから結構混んでいて、私たちははぐれないように自然に手を繋いでいた。Tシャツにジーパン姿でラフな格好のアキが不思議と輝いて見えたんだ。


 それから、私たちは家で遊ぶときはなんとなく手を繋いだり、くっついていることが自然になった。


 他にも女子同士で距離感が近いなと感じる子達がいたものだから、仲がいい友達とはそういうものなんだと、勝手に自分自身を納得させていた。あの頃の私の世界は狭く、私は年相応に幼かった。子供だったのだ。


 恋愛なんてよくわかってなくて、大人になったらするんだろうな憧れるななんて、母が持っていた高そうでキラキラした宝石のようなものだと思っていた。


「そういえば、高校の制服、きっと実家に残ってるよ。お姉ちゃんと合わせて二着」

「え! 今度持ってきて……着てみてよ」

「アキ、なんかいやらしいこと考えてるでしょ。顔に出てるぞ〜」

「いや、今のそういう流れかと思うでしょ!」

「アキのえっち〜。ふふふ〜」


 アキとはそのまま高校も一緒のところに行って、中学からの仲良しは続いていた。バカで子供な私は、あのときまでそれがどういうことかわかってなくて。

 父と母のように、恋愛は男女でするもので、自分にもいつかそういう人が現れると漠然と思っていた。もし現れるなら、アキのように背が高くて笑顔が爽やかな人がいいと思っていた。


「ごちそうさま。おいしかった。洗い物は私がやるよ」

「いいの、私がやるから。アキはソファでゆっくりしてて」

「え、どうしたの?」

「今は私がアキを甘やかすの!」

「じゃあ、お言葉に甘えて。ありがと」


 食器を下げてくれたアキは私の唇を軽く啄んでからソファに歩いていく。私は食器を洗いながらアキの後ろ姿を見て自然と目元が緩んだ。


「アキ、コーヒーおかわりは?」

「いるー!」

「了解〜」


 高校二年の夏休み、部活帰りのアキがいつものように家でくつろいでいて。この頃にはくっつく密度が少し濃くなっていると実感していた。アキはよく私の肩を抱いたり、後ろに座って抱きついたりしていた。

 そして、アキは「お盆に親がいないから泊まりに来ない?」と私を誘ったのだ。

 アキの両親とはすっかり家族ぐるみで仲が良かったから、親がいてもよくお互いの家に泊まっていたのに。改めてそんなことを言うアキの顔は真っ赤になっていて、私の手を握るその手が震えていた。


 バカな私は、反射的に手を離して立ち上がった。それから「お盆は家族でおばあちゃんの家に行くんだ」と言って断り、リビングにお茶のおかわりをもらいに行くと言ってアキから離れた。


 あの頃の私は本当に子供でバカで。私たちは「これで大丈夫、普通になった」なんて思っていたんだ。もし今の私があの頃の私に会ったら、思いっきりデコピンしてやりたいな。


「洗い物おしまい! 今コーヒー淹れるね〜」

「ありがと——」


 思えばあれはアキの精一杯の勇気だったんだろう。私はそれを踏みにじって、私たちはただの親友になった。アキが私に触れることはほとんどなくなって、部活帰りに私の家に寄ることも少なくなった。


 そして、夏休み明け。私には彼氏ができた。


 彼、隣のクラスの青山くんは背が高くて綺麗な黒髪で、笑った顔が少しだけアキに似ていた。

 私は彼と放課後や休日にデートをしたり、クリスマスやバレンタインなどのイベントを一緒に過ごしてファーストキスを済ませ、進級して受験に取り組んでいるうちに自然消滅した。

 受験の忙しさからか、青山くんとの別れは悲しくも寂しくもなくて。たまに思い出すのは一年前の夏休みのアキのことだった。けれどバカな私はその気持ちに向き合うことなく受験勉強に打ち込み、みごと第一志望の大学に受かった。

 アキとはいい友人のまま高校を卒業し、進路が別れた私たちは疎遠になった。


「コーヒーおまたせ〜」

「ありがと琴音。今日は至れり尽くせりだね、何かあった? まさか、浮気した?」

「もう、そんなわけないじゃん。私ずっとアキしか好きじゃないよ」

「ごめん、そうだったそうだった。琴音、おいで。抱っこさせて」


 大学に入ってから私は二人の男子と付き合って、ひとりには二股されて、もうひとりは就職活動で忙しくなって自然消滅という形で別れた。

 そのときも目まぐるしい就活の波に乗ろうと必死で、悲しいとか寂しいという感情は湧かなかった。


 なんとか銀行に就職できた私は、そこで二つ年上の先輩と二年付き合い結婚した。彼は黒髪に肌は白く、男性にしてはそんなに長身ではなかったが細身で手足がすらりと長い人で。優しくて面倒見も良くて、切れ長の二重は笑うと爽やかだったから、私はついに理想の相手に出会ったのだと思った。


 アキの実家に送った結婚式の招待状は、欠席の返事によくある定番な祝いの言葉が添えられていた。


「結局アキが私のこと甘やかしてる。日頃の感謝を伝えたかったのに〜」

「え、感謝?」

「うん。私たち、一緒に暮らすようになってもうすぐ二年でしょ?」


 夫は優しい人だった。私を愛してくれていた。三人兄弟の一番上で、面倒見が良く情に厚い人だったと思う。彼が仕事を辞めて欲しいと言ったので寿退社した。半年ほどは彼も笑顔で帰宅し、一緒に夕食を食べて、新婚らしく仲睦まじく過ごした。


 けれどある日、「本当は俺以外に好きな人がいたんじゃないか?」と彼が言ったので「そんなことない」と私は否定した。身に覚えがなかったからだ。そのとき彼は私を抱きしめ「愛してるんだ」と言ったので私も彼を抱きしめ「私もだよ」と言った。こんなやりとりが定期的にありつつ、バカな私はそれでもうまくいっていると思っていて。それは間違いだったのに。


 優しく穏やかだった夫は、神経質で纏う空気がピリつくようになった。

 機嫌が悪いときは物の扱いが雑になったり、足音やドアの開閉が乱暴になった。

 その後も私は「俺以外に男がいるんだろう」と言われ続けたけど否定した。あまりに彼が真剣なので何度か思い返してみたものの、そんな男はいなかったからだ。


「そっか、もうあれから二年か……」

「うん、あっという間だった気がするなあ」


 気がつけば、彼が笑顔を見せる日はなくなって。乱暴だった物の扱いはさらに乱暴になって、フォトフレームや食器が次々に壊れていった。

 投げられた物が私の手や足に当たることもあった。

 そして彼はあまり飲まない酒を飲むようになる。

 体調を心配し酒量を控えてはどうかと提案した日、彼は怒って私の腕を掴み、体を後ろに突き飛ばした。


 グキ、と体を支えようとした手元から嫌な音がした。


 床に尻もちをつく私を見て、彼は寝室にこもってしまった。朝にはいつも通りに支度をして出社し、私はそんな彼を見送った。

 手首が腫れて痛かったので近所の病院に行こうとしたけど、反対の腕に明らかに掴まれたのがわかるくらいに指の跡がくっきりと残っていて。私は電車に乗って、隣町の病院に行った。手首にヒビが入っていた。

 治療をして病院を出て、交差点で信号を待つ。そのとき、反対側でアキが信号を待っていた。


「高校卒業してから一回も会えてなかったのに、十年経って再会するなんてね」

「そうだね、お互い地元でもないのに。驚いたな〜」


 交差点の真ん中で、お互いバッチリ目が合って。私はアキに抱きついて人目もはばからず声を出して泣いた。


 あのとき、やっと夫が言っていたことがわかった。自分がとんでもない大バカだったと気づいた。私は最初からずっと、アキのことが好きだったのだ。


 それからは怒涛の展開で。私を連れて病院に引き返したアキは診断書をもらうよう申し込んで、その日から私は自宅には帰らなかった。アキに「ずっと好きだった」と言ったら「自分だってずっと琴音が好きだった」と返ってきた。私を抱きしめるアキの手は震えていて、唇を重ねる瞬間に焼き付けた顔は目元が真っ赤になって潤んでいた。


 診断書が手に入ってから、アキは私の実家に同行して事情を説明、離婚に向けて相手とその実家に診断書のコピーと離婚届を送った。その一週間後には夫の名前が書いた離婚届が実家に届き、私の銀行口座には彼の実家から慰謝料という名目で振り込みがあった。彼の心が荒んでしまった原因は私にあったので気が引けたけど、アキが「もらった方が相手は安心するはず」と言ったのでありがたくもらうことにした。


「あのとき、会えてよかった。琴音とこうして過ごせるようになったんだもん」

「アキ、ありがとう。私、アキのおかげでここまで立ち直ったんだよ」


 あの日から今まで、アキは私をそれはもう愛し、どろっどろに甘やかした。

 溶かして溶かして、飽和状態のジャリジャリの砂糖水みたいな愛情を注がれて、私はアキにどっぷりとハマって溺れていった。離れていた十年を埋めるみたいに、時間の許す限り私たちは愛し合った。

 そうしているうちに私は生活音や大きな音に怯えることもなくなって、大学以来の就職活動の末、化粧品会社に就職して一年が過ぎた。


「琴音、ほんとどうしたの? 急にあらたまって……」

「最後に、ちゃんと伝えておきたかったの」

「え、最後……?」


 私はアキの腕をすり抜けて立ち上がった。カウンターから病院の名前が入った書類サイズの封筒を手に取って、アキに渡す。アキの表情が固まっている。


「この前部屋の整理をしてて見つけちゃったの」

「こ、これは……」


 私たちはお互いに初恋だった。

 それを認めてからの二年は本当に幸せで。

 アキには感謝してもしきれない。

 だからこそこれを見つけた三ヶ月前、私はとことん自分と向き合った。


「その病院、あのとき私が行った病院のすぐ近くだったんだね。私のせいで先延ばしにしちゃって……ごめんね」

「琴音、私は……」


 ねえアキ、あなたは私の前でしか「私」って言わないよね。知ってるよ? 職場の人との電話で自分のことを「オレ」って言ってるの聞いちゃったから。


 アキは優しいから、このまま私が気づかないフリをし続けたら、きっとずっと自分を押し殺してしまうから。

 私の人生を取り戻してくれた、自分らしく生きることを応援してくれた、愛して、支えてくれたアキだから。

 どうかあなたも自分の人生を取り戻して、幸せになって欲しいから。


「アキ、私ね……来週から北海道に転勤なの。もう荷物は送ってある」

「琴音、うそでしょ?」


 震える声で私の名を呼ぶアキに、私は静かに首を横に振った。

 季節外れの洋服は全て新しい部屋に送ってある。私も今日の夕方の便に乗る予定だ。


「すごく悩んだよ。けどアキに自分を偽って欲しくないのと同じくらい、私も自分を偽りたくないって思ったの」

「いやだ、琴音……」

「アキ、愛してる」


 私は涙声ですがるような瞳を向けるアキに歩み寄って、キスをした。最愛の恋人に、今持ちうる精一杯の愛情を込めて。


「琴音……行かないで……」


 きっと中学生のあの夏祭りで恋と自覚していても、高校生の夏休みに差し伸べられた手を取っていたとしても、今日のような別れは訪れたんだと思う。

 私たちはお互いのことが好きで、けれどその立ち位置は全く違っていて。


 ほんの少し交わって、けれど結ばれることなはい、そんな関係。だったらせめて少し遠くても、笑顔で手を振りあえる平行線上にいたい。


「アキ、大丈夫。私たち、一生親友だよ」


 私は親友になったアキを抱きしめ、一生の友情を誓った。


おわり



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最愛の親友に親愛の抱擁を 松浦どれみ @doremi-m

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