第2話 破局

 レナは翌日、髪の毛をかなり短くしてきた。今までに髪を短くしてきたことがなかっただけに、少しビックリした。

「どうしたの、レナちゃん。いきなりそんなに髪を切って」

 と、男性社員はそう言って、レナを早朝からの話題にしていた。

 レナの方も聞かれることを分かっていたかのように、

「別に何でもありませんよ」

 と、平然としていた。

 そしてその視線をそのままマミに向けたのだが、その視線に気付かないマミではなかった。

 最初は髪を切ってきたことにこだわるつもりはなかったマミだったが、その視線を受けては無視することはできなかった。

 簡単にいなされてしまった男性社員は、面白くないという思いを表情に残しながら、その場を去って行ったのを見て、

「レナちゃんが髪を切ってくるなんて、珍しいわね」

 というと、

「ええ、そうなんですよ。マミ先輩をビックリさせようと思って切ってきました」

 その言葉がウソか本当か分からなかった。

 しかし、マミはその言葉の信憑性よりも、レナの態度の方が気になった。さっきあれほど男性社員に気のない返事をしたレナだったのに、マミに対しては大げさすぎるほどのリアクションを示し、まるで、

「聞いてほしかったのよ」

 と言わんばかりに目を輝かせてマミを見つめた。

 しかも、その表情の奥には、

――やっと聞いてくれたわね――

 と言っているかのような笑みが感じられた。

 レナのその笑みには妖艶さが滲み出ていて、それは先日のホテルで感じたレナの表情そのものだった。

 マミはその時の自分を思い出して赤面してしまったが、レナはそれをさらに妖艶な笑みで見つめている。マミが赤面することまで分かっていたかのようだった。

「マミさん、大丈夫ですか?」

 レナは、マミの表情が恥かしさから来ているのを分かっていて、敢えて大丈夫なのかと聞いた。

――この娘、Sなのかも知れないわ――

 ベッドの中と普段の彼女が違うのは分かっていたが、今までにない妖艶な表情に戸惑っていた。

――いや、本当は今までもレナちゃんの妖艶な表情を分かっていて、認めたくない自分がいたのかも知れないわ――

 と、マミは自己分析をした。

 確かに考えてみれば、レナの顔を見て、

――いつもと違う――

 と感じたことは何度もあった。

 その表情を好きになれなくて、それどころか毛嫌いしている自分を分かっていたので、顔が合わないようにしていたのも分かっていた。

 だが、それは意識的な行動ではなかった。無意識の行動で、まるで本能の赴くままだと感じていたほどだった。

 レナの表情はいつも一定していなかった。その原因は、

――まだ子供のようなところがあって、落ち着いていないからだわ――

 と感じていた。

 自分が先輩として落ち着いた彼女にすることが責務だと思っていたこともあって、マミはレナの自分が嫌いな表情を自分の中で否定してきた。それが会社での彼女を生かす手段だと思っていたからだ。

 だが、考えてみれば、それは後輩としての彼女しか見ていなかったからであり、仕事の上での後輩であり、時にはパートナーとして自分の足を引っ張らないようにしてもらえばそれでいいという思いの元だった。

 元々マミは、

――仕事は仕事、プライベートはプライベートだ――

 と思っていた。

 だから、仕事場の人を自分の友達にすることはなかったし、将来、誰かと付き合って結婚するとしても、会社の人間ではありえないと思っていた。

 実際にマミが就職してからすぐの頃、マミの先輩女性社員が社内恋愛をしていて、会社にばれないようにしていたつもりだったのに、バレてしまって、それまでの秘密主義が完全に崩壊してしまい、結局音を立てて破局を迎え、しかも、二人とも会社にいられないという最悪の結果になってしまったのを見ていたので。会社とプライベートは切り離さなければいけないと思っていた。

 しかも、それが新入社員として入社してすぐの、右も左も分からない時期のことである。そんな時、誰も話し相手になってくれる人もおらず、自分で結論を出すしかなかった。そうなると、行きつく考えは一つしかないことは必然であったのだ。

 レナに対しても完全に後輩としてしか見ていなかったはずだった。

 だが、後から思うと、やっと入ってきた自分の後輩、可愛くないと言えばウソになるだろう。

 今までは先輩と、仕事上の酷い言い方をすれば、

―――形式的な付き合い――

 でしかない相手だったが、今までの自分の立場に、他の人が入ってくると、自分の考えが分かってくるようになったのだ。

――きっと、彼女も自分が悩んできたような悩みを抱えることになるんだわ――

 と思った。

 しかし、マミにとって、自分に悩みがあったのかというと、あらたまって思い出そうとするのだが、思い出すことはできなかった。

 マミは悩みを抱えないように、仕事とプライベートを分けていた。だから悩みがないと思っていたが、肝心な仕事での悩みを打ち明ける相手がいなかったのだった。

 ただ、それは最初から覚悟の上だったので、自分で悩みだとは思っていない。悩みとしての範疇ではなく、別の思いだとして解釈していることで、悩みと切り離す気持ちになっていたのだ。だが、悩みであることには違いない。自分だけの中で解決しようと思っていることだった。つまりマミにとって、自分だけの中で解決しようと思っていることは、自分にとっての悩みではないと思っているのだった。

 そういう意味で、悩みというとプライベートの方にあるのかというと、そうでもなかった。

 考えてみれば、プライベートでマミはほとんど友達がいるわけではない。つまり人間関係での悩みがあるわけではないので、マミの理論からいけば、

――人間関係以外の悩みは悩みとは言わない――

 と思うのだった。

 レナは、マミとはかなり違っていた。開放的に見えるレナは、

――この娘に悩みなんかあるのかしら?

 という思いだった。

 何かがあると、きっとプライベートではたくさん友達がいて、その人たちに打ち明けているに違いない。打ち明けられた人は迷惑かも知れないが、彼女の友達なのだから、皆開放的な人が多く、悩みを打ち明けるというのも、自分からだけではなく、他の人からも打ち明けられることも多いはず。そういう意味で、

――お互いさま――

 だと言えるのではないだろうか。

 マミはレナのプライベートがどのようなものなのか興味がなかったが、この間ホテルで一緒の時間ができたことで、レナのことが次第に気になってきて、プライベートについても詮索してしまうのではないかと今までの自分とは違った世界が開けてくるのではないかと思うのだった。

 女性が髪の毛を切るというのは、男性と別れた時と、相場が決まっているというようなニュアンスの話を聞いたことがあった。しかし、それはあくまでも統計的なものであって、人によって違うのではないかと思った。レナのように開放的な女性は、失恋くらいでいちいち髪の毛を切ったりしないような気がした。なぜなら、

――悩みを打ち明ける人はたくさんいるんだから――

 と考えているに違いないと思ったのだ。

 会社の中で、今年入社してきた中途採用の若い社員がいた。彼はまだ二十歳代で、結構有名な大手企業を退職してこの会社に入社してきた。大手企業を若い時に辞めるというのは別に珍しいことではない。その人がその会社に合っていなかったということなのか、それとも、本人のやりたいことと違ったのか、理由はそれぞれであろう。

 レナはそんな彼に、

「どうして前の会社を辞めたんですか?」

 とストレートに聞いていたのを、垣間見たことがあったが、聞き手の顔として、あっけらかんとした表情に嫌みはなく、彼がその質問をする彼女にどのような感情を抱くかということが焦点だった。

 彼は別に気にすることもなく、

「別に大した理由はないですよ。僕が会社に合わなかっただけのことですよ」

 と答え、

「ふーん」

 と、それを聞いたレナは、聞いておきながら、返事を中途半端に返していた。

 元々彼の返答も、漠然としていて、何とでも取れる回答だったこともあって、レナにとって物足りない返答だったのかも知れない。

 しかし、彼が前の会社を辞めた理由を人づてに聞かされたが、彼は先輩の犠牲になったのが一番の理由だったという。先輩のミスの連帯責任として辞めざるおえなくなってしまったというのが表向きの理由だが、彼にしてみれば、レナに答えた返事も、まんざらウソではないと思えたマミだった。

――そんな会社にいたたまれなくなるのも分かる気がするわ――

 今時、連帯責任など愚の骨頂だとマミが考えていた。

 もちろん、その考えがその会社を今まで成長させ、一流企業と呼ばれるようにしたのだから、一概に愚の骨頂として一刀両断にはできないのかも知れない。しかし、会社というのは、

――社員あっての会社――

 である。

 時代が進めば社員の考え方も、性格もまったく違ってくる。そのことを無視して一つのことに固執するのは、内部から崩壊を招くことになるということを分かっていない証拠だろう。彼のような理由で辞めることになった社員も少なくないという。その人たちの中に、どれほど、

「俺はこの会社に合っていない」

 と感じさせたことだろう。

「辞めてせいせいした」

 と言っている人も結構いるに違いない。

 レナは、彼のことを少し気にしていた。

 レナは気のない返事をしたものの、それから彼に対しての視線が他の人と違っていることに気付いている人は少なかったかも知れないが、マミだけは気付いていた。

――レナちゃんは、彼を好きになったのかな?

 と思っていたが、なぜかそれから少しして、彼はこの会社も辞めてしまった。

 理由としては、

「家庭の事情」

 ということのようで、そのこと自体にウソはなかったが、彼の送別会で、レナは今まで見せたことのない泣き顔を見せていた。

 さすがにそれには他の男性社員もビックリしていた。

「彼女が大っぴらに泣くなんて」

 と言われていたが、その涙の理由は、会社を辞めるのを期に、二人に破局が訪れたということだった。

 彼とすれば、レナを自分の家庭の事情に巻き込みたくないという思いがあったようだ。それは彼なりの優しさなのだろうが、レナはしばらく落ち込んでいた。それでもさすがに送別会の時にはその思いが爆発したのか、号泣してしまっていたのだ。

 他の人には彼女と彼のそんな理由までは知る由はなかった。付き合っていたことすら知らない人も多かったくらいである。

 二人の破局は、送別会の日で、一旦の終焉を迎えた。

「私あの時、吹っ切れたのよ」

 と、レナはマミとのホテルでの一夜の時、口走った。

 マミは別にそのことに触れるつもりはなかったのだが、レナの方から言い出したのだ。その話をきっかけにして、レナは自分のことをまるで堰を切ったかのように話し始めた。

「マミ先輩には私のことを少しでもたくさん知ってほしいの。それも幅広くというだけではなく、より深くですね。だから、話し始めると、話は尽きないかも知れないわ」

 と言っていた。

「いいわよ、これからも少しずつ聞いてあげるわ」

 と、マミもその時、すっかりレナのお姉さん役になっていたような気がした。

――そうだわ。あの日の出来事は、恋愛感情ではなく、姉妹感覚だったのかも知れないわ――

 と感じていた。

 そう思うとマミは自分のその日を納得させることができるのだった。

 レナが結婚するという話を聞いたのは、ごく最近だった。失恋の痛手がどれほどあったのかは分からなかったが、少しビックリしていた。

「マミ先輩は私のことをどう思っています?」

 と言われて、何を答えていいのか分からなかったが、その時、レナは不思議なことを聞いてきた。

「私、髪型はロングとショート、どっちが似合うと思います?」

 と言われて、

「そうね。ショートの方じゃないかしら?」

 どちらが似合うかは、正直マミには分からなかった。

 今までレナの髪型の良し悪しを考えたこともなかったし、その時々でその髪型が似合っていると思っていたからだった。

「ほとんどの人がロングだって言ってくれたんだけど、やっぱりマミ先輩はショートの方が好きなんですね?」

 と聞かれたので、

「ショートが好きだというよりも、私の持論としては、ロングが似合う人はショートが似合うとは限らないけど、ショートが似合う人はロングも似合うと思っているのだ。だからどっちも似合うと思うんだけど、どちらかと言われるとお似合いなのはショートだと思ったのよね」

 とマミは答えた。

 マミのこの持論は小学生の頃から感じていたもので、まわりの大人の女性を見ていて、漠然と感じていたものだが、この考えがずっと変わっていないことで、いつの間にか自分の中での鉄板の持論になっていたのだ。

「実はね。私もショートが好きなんですよ。でも最初に聞いた人がロングだって言われてから、ショートって言ってくれる人を求めて聞いていくようになったんだけど、なかなかショートが似合うと言ってくれる人に出会うことができなかったの。それでいつの間にか意地になってしまっていたようで、ショートって言ってくれた人がいても、一人では満足できなくなって、人に聞くことが当たり前のようになったんですよね」

 とレナが言った。

「でも、レナちゃんは私と知り合ってから、なかなかそのことを聞こうとはしてくれなかったけど、それはどうしてなの?」

 とマミが疑問に思っていることを聞くと、

「最初は会社の先輩という意識があったんですよ。会社とプライベートは別ですからね。特に自分の気にしていることを聞くのに、会社の人から言われる社交辞令のような言葉は聞きたくないと思ったんですよ」

「なるほど、レナちゃんらしいわね。でも、私に後になってからでも聞いてくれたということは、今では私のことをプライベートでも感じてくれているということよね?」

「ええ、だからマミ先輩とは、会社でのマミ先輩と会社を出てのマミ先輩とで違う人のように思えているんです」

「でも、私の呼び方は、先輩という言葉を付けるよね?」

「ええ、最初は確かにそうだったんですけど、途中から少し見方が変わってきたんですよ」

「どういうこと?」

「マミ先輩が会社とプライベートで別人なんじゃなくって、この私が別々の人間なんじゃないかって思うようになったんです」

「そうなの? 私にはそんな風には見えないけど」

 確かにレナの様子を見ていると、会社とプライベートでは違っている。

 しかし、それも相手がどこか違っていないと、ここまで違った自分を演出できないと思った。きっと二人ともが、会社の自分と、プライベートの自分を意識して分けているから、ここまで仲良くなれたのではないかと思っている。

「見えないのは無理もないでしょうね。マミ先輩も、会社とプライベートでは違っていますからね。お互いに違う相手であっても、元は一人の同じ人間。だから私は敢えてマミさんと呼ばずに、マミ先輩と呼んでいるんです」

「それは、それでいいわ」

 もし、マミ先輩でなければ、何と呼ばれることになるだろうと想像すると、背中がゾクゾクしてくるのを感じた。

――まさか、マミお姉さま、なんて呼ばれたら、ゾクゾクだけではすまないかも知れないわね――

 と感じた。

「私は、髪型にこだわっているわけではないんですよ。こだわっているのは、髪の毛の長さなんですよ」

 とレナは言った。

「じゃあ、同じショートでも微妙に長さの違いを感じているとかいうことなの?」

「いいえ、そうじゃなくて、気になっているのは、髪が伸びきった時なんです」

 という言葉にマミは怪訝な表情を浮かべて、

「えっ、どういうことなの?」

「私の髪って、結構伸びるのが早いんですよ。最初の二週間くらいで、結構ある程度まで伸びてしまうんですが、途中からその成長が止まるタイミングがあるんです」

 それを聞いてマミは納得するかのように、

「うんうん」

 と言いながら、頭を下げていた。

 確かにレナの髪は、

――美容院行ったんだ――

 と思ってから、それほど長くない時期までに、結構伸びるのは分かっていた。

 しかし、それほど気にしていたわけではないので、それがどれほどの期間ということは分からなかった。レナの口から、

「二週間」

 という的確な情報を得ることで、納得できたようなものだった。

 レナは話を続けた。

「それで、成長が止まってから約一月くらいになると思うんですが、そこからまた伸び始めるんです。今度はハンパないくらいの伸びを示していて、一気に自分でも鬱陶しいと思えるほどに伸びてくるんです」

 マミは、

「まわりから見ている分には、そこまで急に伸びてくるような感覚はないんだけど?」

 というと、

「それは、最初の二週間で伸びきった髪型を、その後の一か月という期間で見ているので、目が慣れてきているからなんじゃないでしょうか? 実際には朝起きるとハッキリと分かるくらいに髪が伸びているんです。でも、最近では少し違ってきているようにも思えているんですよ」

「どういうことなの?」

「髪が伸びているんじゃなくて、増えているような気がするんです」

「ということは、新しい髪の毛が生まれているということ?」

「ええ、だから、鬱陶しいんですが、前髪が顔に掛かるような感じではなく、何が鬱陶しいといって、増えてきた髪が重たく感じるんですよ。そのせいで、肩こりがしたり、頭痛に発展したりしているんです。この感覚は他の人では分からないと思うんです」

 それを聞いたマミは、

――なるほど、私も肩こりがしてくると、それが頭痛に繋がったりするわ――

 と感じた。

 しかし、さらにレナの不思議な話は続いた。

「ここからが私も不思議なんですが、髪の毛に重たさを感じるようになると、決まってその翌日雨が降るんです。雨が降る前の日でも、人によっては湿気が纏わりついてくるのを感じる人もいるでしょう? そんな人は次の日に雨が降るって分かるんです。だから、雨が降ってきても、最初から予感があるので、頭痛から逃れられているんじゃないかって思うんですよ」

 とレナがいうと、

「私も雨には敏感で、次の日に雨が降ると分かる方なのよ。でも、時々分からないこともあったわ。そして、雨の時に肩こりや頭痛を感じることもあった。今まではその因果関係をあまり意識していなかったけど、レナちゃんにそう言われると、まんざら信じられないわけではないと思えてくるわ」

 と、マミが返した。

「マミ先輩も頭痛や肩こりあるんですね。私は頭痛や肩こりはないんですが、髪の毛の重たさには辛い思いをしています。本当は肩こりや頭痛に結びついてもいいんじゃないかって思うんですが、不思議とそれはないんですよ。でも……」

 と、そこでそこから先を口にするのをレナは躊躇した。

「でも?」

 とマミが下を向き加減なレナの顔を覗き込むように再確認すると、レナは少し恥かしそうな表情になって、

「でも、その時から、これもハンパないくらいに髪の毛が抜けるのを感じるんです」

 というレナの表情には怯えのようなものが感じられた。

「髪の毛が抜ける?」

 マミは、復唱した。

 マミも髪の毛が抜けるのを意識したことがある。シャワーを浴びながら抜けていく髪の毛だったり、朝起きて、枕に何本か髪の毛が抜けているのを見たりしたことがあった。

 枕についている髪の毛くらいはそこまで意識はなかったが、さすがに排水溝に纏わりついている髪は怖かった。幾重にも重なっていて、しかも濡れている。ホラー映画の一シーンを思い出させた。

 枕についている髪の毛も、そのうちに意識するようになった。放射能を浴びた人や、ガンの人などが、枕元に抜けた髪を見て、自分の運命を悟るということを思い出したことで、変な意識が生まれてしまったのも事実だった。

――こんなこと、思い出さなければよかったのに――

 と、自分が放射能を浴びたわけでもなく、ましてやガンなどであるわけもないのに、しばらくの間、気になってしまっていたのは、元々、

――ネガティブになれば、とことんまでネガティブになる性格――

 という自覚もあったからだろう。

 今はすっかり枕元の抜けた髪を意識しなくなったが、それもそのはず、枕元の抜けた髪を意識しなくなってから、髪が抜けることもなくなったからだ。

――そんなものなのかも知れないわ――

 要するに、ネガティブに考えてしまうと、どんどん深みに嵌ってしまうマミにとって、精神的なイメージがそのまま表に出やすいということを示しているからだということを再認識したに過ぎないのだった。

――レナの場合は、髪が抜けることをどのように意識しているのだろう?

 と感じたマミは、自分の経験に照らし合わせて、聞いてみたいことを聞くのだった。

「レナちゃんは、髪が抜けることに気付いたのはいつ頃のことなの?」

「最近のことですね。髪が湿気で重たくなるというのは、その少し前くらいから気になっていたんだけど、髪が抜けるのを意識するようになった時、初めて雨の前の日でも、湿気で明日雨が降るという前兆を感じているのだと自覚できるようになったんです」

「じゃあ、段階を追って、少しずつ気が付いて行ったということなの?」

「ええ、そうですね。だから、その全貌というのを自分で捉えることができなかったので、悩んだりした時期もありました」

「今はどうなの?」

「今は、少しずつ冷静になることができて、あまり意識しないようになりました。まあ、こんなものなんだって思ってですね」

「髪の毛が抜けるのは、私も同じなんですけど、レナちゃんが抜けるって言っている長さがどれほどなのか分からないし、それに個人差だってあると思うのよね。年齢的にもそうだし、特に女性の場合は、生理痛だって個人差があるように、身体の作りってデリケートだって思うんですよ。だから、一概には言えないところもありますよね」

 とマミがいうと、

「ありがとうございます。確かにマミ先輩のいうことも間違っていないと思うんですけど、私には私なりの考えみたいなものがあって、少しオカルトな考えなんですが、自分でも何と言っていいのか、説明が難しいと思うんです」

「それは、説明するのが難しいことなのか、説明した内容を相手が理解するのが難しいことなのか、どっちなのかしら?」

「どっちもなのかも知れないけど、私には後者だと思うんですよ。私が理解してもらえるように説明をしても、相手が受け入れられる内容だとは思えない気がするんですよ。だから、今まで誰にも髪の毛の話題を出したことはないんですよ」

 とレナがいうと、

「そうよね、髪型の話題にしても、私の方からだったものね」

「ええ、でも髪型くらいならいいんですが、髪の伸び方の話になってくると、若干今の話に近づいてくるでしょう? 私としては、話が自分の悩んでいる内容に近づいてくると、自分から話したくなってしまう衝動に駆られることがあるんです」

「それはきっと、レナちゃんが自分から相手に聞いてほしいと思っているからなんじゃない? ただ今までにそんな相手に巡り合ったことがないだけで、半ばあきらめていた?」

「ええ、確かにそれは言えます」

「じゃあ、今度結婚しようと思っている人は、レナちゃんのことを分かってくれる人なのかしら?」

「そこまではないと思うんです。確かに私のことを理解しようとは思っていてくれているようなんですが、本当に理解できているとは思えないんです。でも、今までにはいない相手だったので、私は結婚を決意しました。でも、まさかこんな近くに私の理解者がいたなんて思っていなかったので、結婚も少し悩んでいます」

 どうやら、レナはマミをその理解者だと思っていて、結婚に際しても、

――早まったことをした――

 と思っているようだった。

「レナちゃんは、結婚をどうしようと思っているの?」

 マミは聞いてみた。

「実は迷っているんです」

「それは、私とこんな風になってからなの?」

 こんな風というのはどんなことなのかとマミは自分で言葉にして、再度考えてしまった。何を持って「こんなこと」などと口にしたのか、ハッキリと言葉にできないことなら、口にするべきではないとも思っていた。

「いいえ、そうじゃありません。逆に迷ってしまったことで、マミさんとお話がしてみたくなったんです」

 レナは最初からマミと関係を持とうなどという気持ちはなかったようだ。マミの考えすぎだったのかも知れない。

 マミの方としても、レナが最初からそんな気持ちだったとは思えなかったが、実際にその日以降のレナの視線を感じながら、

――最初から狙っていたのでは?

 と感じるようになっていた。

 レナの視線には女の視線とは別に男の視線を感じるようになっていた。それまで感じたことのない視線は、確かにベッドの中で感じたものだった。あの視線にマミは参ってしまっていたのだし、自分の中に別の隠微なものが潜んでいることを思い知らされた。その視線はまるで、

「お前は俺のものだ。どうだ? この征服されたかのような気持ちは」

 とでも言っているかのようだった。

 マミは自分が従順なところがあるなどとは思っていなかった。男性と付き合っても最後は自分の気持ちを押し通そうとして、必ず相手の男性とぶつかってしまう。それが原因で別れた時も、最初は、

――あんなに自分の気持ちを押し通そうとしたのに、こんなに後悔するなんて――

 と、自分を押し通したことに後悔の念を抱いてしまっていたが、しばらくすると、自分の気持ちに整理がついたのか、

――後悔なんて私らしくないわ。私には私の信念があるのよ。私に従えない人とは付き合えない。それだけのことよーー

 と、思うのだった。

 それは、自分の気持ちに整理がついたからだというのは本当のことだが、単純に割り切れただけのことだった。逆に言えば、最初から後悔などしていたわけではなく、未練が残っていたものを、自分の我が強いことのせいにしようとしたことが原因だった。

 マミはそんな自分が嫌で嫌でたまらなかった。

 一番自分の信念でまげてはいけないと思っていることを言い訳にしようなどと、いくらショックだったとはいえ、それでは何のために別れることになったのか分からないではないか。

 それからのマミは、男性と付き合うことはなくなった。何度か同じ間違いを繰り返しはしたが、それも今の自分に導くための、避けて通ることのできない道だったのだということであろう。

 マミは、

――後悔したくないから――

 という理由で、男性と付き合うことをやめてしまった。

 マミのことを気にしている男性もいるにはいたが、そんな男性の間で何かピンと張り詰めた一本の見えない線のようなものがあった。その線が彼らをそれぞれけん制していて、マミに対して抱いている思いを打ち明けることができない一種の結界の役割をしているかのようだった。

 マミはそんなことを知る由もなく、

――いつの間には、男性が私に近づかなくなったわ――

 と感じ、その理由が、

――私の中に男性を寄せ付けない何かがあるのかも知れないわ――

 と思うようになっていた。

 その思いは半分正解かも知れないが、厳密には違っていたのだ。

 そんなマミとは違い、レナの場合は、男性からいつもちやほやされていたように本人は思っている。

 レナは、どちらかというと、少女時代から目立ちたがり屋なところがあった。

 ただ、まわりはそんなレナをおだてるようなことはなく、覚めた目で見ている人が多かった。

 しかし、レナはそんなまわりの目を誤解しながら育った。

――誰も私の美しさに、声もかけられないくらいなんだわ――

 と、まるで自分がお嬢様のようであるかのように感じていた。

 レナの家は裕福な家庭で、苦労を知らずに育ったところがあり、学校でも一人だけ浮いたような雰囲気になっていたが、それは本人が、

――人を寄せ付けない美しさと雰囲気を持っている――

 と思っていたからだ。

 少女時代はそれでもよかったのだが、高校生くらいになると、自分が本当に浮いてしまっていることに気づいてきた。気が付けば自分のまわりには誰もいない。男性はおろか、女性も寄ってくる人はいない。

 中学時代までは、

――私の美しさに、嫉妬しているんだわ――

 という思いが強くあったので、そんなまわりの女の子に対して、

――私への男子の憧れの目線を横目に見ながら、あなたたちは地団駄でも踏んでいればいいんだわ――

 と思っていた。

 自分に彼氏がいないのは仕方がないが、まわりの女の子は自分へ憧れの目線で見ている弾性を待ち焦がれながら、ずっと自分に嫉妬していればいいと思っていたのだ。

 まわりを制御しているのは、すべて自分だと思っていたレナは、自分の思い通りにならないことなどないと思っていた。まわりの男女に起こっていることはすべて自分を絡めて考えられることのように思っていたので、レナの発想はすべてが、まわりの環境に作用される形で形成されていた。だからこそ、自分を納得させられると思っていたのだし、世の中のことはすべて自分を中心に回っているとまで思えるようになっていたのだ。

 しかし、高校生くらいになると、まわりの環境が変わっていった。

 レナの知らないところで、クラスメイトの男女が結構付き合っているのを知ることになった。

 偶然一人の男女が校庭の裏で抱き合っているのを目撃してしまった。

――なんてことを――

 そのシーンが衝撃だったのも事実だが、目の前で繰り広げられているショッキングな光景とは別に、

――世界は自分を中心にまわっている――

 という思いが、根底から覆されてしまったことにショックを受けたのだ。

 その二人だけならよかったのかも知れないが、それまでレナが知らなかっただけで、実際には他の男女も結構、見えないところで付き合っていたのだ。学校が厳しい校風だったので、学内で男女が一緒に歩いているところを見られただけで、呼び出しを食らうような学校だったから、みんなピリピリとしていたのだ。

 レナの場合は、

――私は一人でいても、まわりは私を中心に回っているのだから、別に寂しくもなんともない――

 という思いだったので、別に校風がどうのこうのは関係なかった。

 むしろ、まわりの人たちに対して、自分の影響力が増すための校風のように思っていたので、厳しい校風はありがたかった。

 だが、そんな風に思っているのはレナだけだった。

 まわりの男女は、レナの知らないところで愛を育んでいたのだ。それは、実に健気で、レナには想像もできないようなロマンチックなものでもあった。

「障害が大きければ大きいほど恋愛は盛り上がる」

 というセリフの本を読んだことがあった。

 その内容の本にピッタリのセリフで、レナもその小説が好きだった。それなのに、実際の世界ではそんなことはないといわんばかりの自分の思い込みに、レナは完全な盲目になっていた。

 そんなレナは、自分がやっとまわりの人となんら関係のないことに気が付いた。そして気が付いてみると、今まで知らなかっただけで、男女は自由に恋愛をしていたことを思い知ることになる。

 最初に見つけた男女の密会の場所で、他の日にも抱き合っているのを見かけた。それも前の時とは違っている男女で、

――こんなことが頻繁に行われているんだわ――

 と思うと、悔しさと情けなさがレナを襲った。

 いきなり二つの感情が襲い掛かってきたのだったが、それがレナにとって二つ襲い掛かってきたものだとは分からずに、

――この感情は何かしら?

 と得体の知れない感情に、どうしていいのか戸惑ってしまっていた。

――学校の先生に言いつけようか?

 とも考えたが、すぐに思いとどまった。

 どうして思いとどまってしまったのか、すぐには理解できなかったが、その思いが最初に感じた感情から生まれていたことに気が付くと、

――これは虚しいという感情だわ――

 と最初に感じた。

 その感情には確かに間違いはなかった。しかし、それが、

――悔しさと情けなさ――

 という感情であるということにすぐには気づかなかった。

 二つの複合した感情が、一つの結論めいた感情になるということに気づいたのは、もっとずっと後のことで、本人は、

――マミ先輩と知り合ったからだわ――

 と思うようになった。

 それがどのようないきさつだったのかは後で記述するとして、レナは高校時代に虚しさという感情に気づいた時から、明らかに変わったのだ。

 まわりを見る目が今までは、

――お嬢様を見るような気持ちで見ているから、どうしてもまともに私を見ることなどできなかったんだわ――

 と思っていたが、単純にレナのことなど眼中にないというだけのことだったのだ。

 まともに見られないということ自体が、虚しさに繋がっているということを、その時初めて知った。自分がお嬢様だという気持ちが、まるで生きがいであるかのように思っていたのだろうが、それは完全な筋違いである。

 お嬢様だとしても、それは自分の成果でも、実力でもない。あくまでも親や先祖が残してくれたものであり、自分の力がそこに加わっているわけではないということを自覚していなかったことが招いた誤解だった。

――だけど、本当にそうなのかしら?

 レナは自分が本当にそのことを知らなかったのかどうか、疑問でもあった。

 本当は気づいていて、知らないという意識を持っていただけではないかと思うようになっていた。

 それが本当であれば、知っていたという方が自分の罪ではないかと思った。知らなかったのであれば、

――それは仕方のないことだ――

 として自分を納得させられるのに、どうしてわざわざ、

――知っていたのかも知れない――

 などと考えたのだろう。

 この場合、知らなかった方が罪が重いとレナ自身で感じていたのかも知れない。

――この世での罪深きことは、知らないということではないだろうか?

 と感じたのは、何か以前に読んだ本に、その秘密があったように思えた。

 確かにレナは本を結構読んでいた。読んだ本の中で気になったことは結構印象に残っているのだが、すぐに忘れてしまっているのは、彼女の悪いところだった。

 しかし、完全に忘れているわけではない。忘れているつもりであるというだけで、本当は記憶の奥に残っている。別に封印しているわけでもない。しかし、必要以上に表に出すこともないと思っていることで、きっと記憶が勝手に封印していたのではないかと思うのだった。

 レナは自分の虚しさを知ることで、他人との間に更なる確執を生んでしまった。

「あの娘、以前から一人で篭っているとは思っていたけど、さらに自分の殻を作ってしまって、完全に閉じこもっているわね」

 とまわりからいわれるようになったのは、高校三年生の頃からだった。

 さすがにその頃は、まわりも受験などを抱えているのでピリピリしている。他人のことなど構っている暇はなく、恋人同士でもなかなか会うことができないくらいに緊張した毎日を過ごしていたのだ。

 レナも、受験のために緊張はしていたが、元々一人なので、他人との関係について悩んだり、寂しく思うこともなかった。

 きっとレナが虚しいと感じてしまったのは、寂しいという感情を感じたくないという無意識の思いから来ていたのかも知れない。

 そのことを知っているのはレナだけであったが、そんな思いも、

――虚しさをなるべく感じないようにしよう――

 と思うことから、感情が否定するようになった。

 ただ、

――虚しさは一人で感じるもので、寂しさはまわりから感じさせるものだ――

 と思うようにはなっていたのだ。

 レナは、そんな暗かった学生時代をリセットしようという気持ちから、誰も知らないところで就職しようと考えた。そのため、学校から離れたところを就職地に選んで、大学の就職課から、

「そんなに離れたところでもいいの?」

 と言われたが、

「いいんです、自分を変えるには誰も私を知らないところで一人になるのが一番いいと思ったんです」

 と言った。

 その言葉は半分正しく、半分は違っていた。確かに誰もいないところに行くのは自分を変えたいという決意の表れであるが、レナの中では、

――それだけで本当に自分を変えられるのだろうか?

 という一抹の不安があったのも事実であるが、何事もやってみなければ分からないという気持ちもあり、就職地を大学から離れたところにした。

 元々大学を選ぶ時も、地元から少し離れたところにした。実家から通っても通えない距離ではなかったが、一人暮らしをレナが強く望んだので、親も折れた感じだった。

 いや、親としても、レナが一人暮らしをしてくれることを願っていたのかも知れない。なかなか行けないところではさすがに不安だが、通おうと思えば通えないほどの距離のところにいるのであれば、一人暮らしといっても、何かあればすぐに駆けつけられる距離だということを分かyているだけで安心だった。

 レナは、マミの会社に入社してから、それまでの性格を自分で否定するつもりだった。完全に自分を装っているという感覚は自分の中にも会ったのだが、元々がお嬢様だっただけに、それまでの性格を否定して新たな性格を形成することなど難しかった。

 つまりは、子供時代に戻ったような感じである。

 ただ、元々自分中心に世界が回っているという感覚はずっと燻っていた。会社に入ってから新入社員の女の子ということで、先輩男性社員からちやほやされる時期があったことで、少し図に乗っていた時期があった。

 マミにもそれは分かっていたが、それをいきなり指摘するようなことはできなかった。自分中心に世界は回っているなどという感覚を持っている人は、図に乗りやすいが、一度落ち込んでしまうとなかなか打ち解けられなくなってしまう。自分で殻を作って、そこに閉じ籠ってしまうからだ。

 それが思春期のレナだったのだが、マミはレナを見ていて、彼女が今の自分を変えようとしていることを分かっていたのだ。

――このまま彼女を殻に閉じ込めてしまうと、せっかく自分を変えようとしている彼女の気持ちを摘み取ることになる――

 と感じたのだ。

 じゃあ、どうすればいいのかということになると、具体的には何も思いつかなかった。ただ、このまま図に乗らせて増長させるわけにはいかないということだけはハッキリとしている。

 レナの教育係は別にいた。その人は男性で、彼はあまり怒ったりイライラしたりはしない人だったので、レナにはちょうどいいとマミは思っていた。だが、彼は喜怒哀楽を表に出さない分、見た目、クールで何を考えているのか分からないところがある。その人はマミとは同期入社なので、彼がどんな人なのかは分かっているつもりだが、自分が感じている彼へのイメージを同じように感じている人はきっといないに違いない。

 とはいえ、マミの目が間違っていないとは言いきれない。しかし、マミは新入社員の時、彼から悩みを打ち明けられたこともあった。

「僕は、大学時代にいつも女性から裏切られてばかりだったので、女性が何を考えているのか分からないんですよ」

 と言っていた。

 彼は、仕事が終わってからは仕事の悩みを話すことはなく、自分の性格に対しての話をすることが多かった。それも学生時代の自分の嫌だった部分を打ち明けてくれたのだが、マミはそんな彼に対して、自分の感じていることを少しでも話をして、相手が何を必要以上に悩んでいるのかを詮索しようと思ったのだ。

「女性から裏切られたって、どんな感じなんですか?」

 とマミが聞くと、

「僕は、自分から好きになって付き合うということはあまりなくて、いつも相手から告白されて付き合うことになったんです。相手は、積極的な女性ばかりで、デートの時でもほとんど主導権は相手に握られていたんですね」

 マミの中で最初は、

――まるで自慢しているみたい――

 と思ったが、話を聞いているうちに、好かれる人は好かれる人で、それなりに悩みがあるものだと感じた。

 他人が羨ましく思うだけに、本人が感じている思いとは、かなりの隔たりがあるように思えた。

――本人にしか分からない悩みというのは存在するものなので、悩みってなくなるはずはないというものだわ――

 と感じた。

 特にまわりから羨ましがられるということは、そこに妬みがあるのは当然のことで、本人が悩みを表に出したとすれば、その悩みは妬みを増幅してしまうという効果しか生まないだろう。そう思うと、

――彼の悩みを癒してあげられるのは自分ではない――

 と、早々感じていたが、それでも人に話すことで安心するのであれば、いくらでも聞いてあげようと感じたのだ。

「人から好かれるというのは、最初は嬉しいですよね。私などは有頂天になったりしますけど、よく考えてみると、まわりに対して自分がモテているという意識を与えることで、まわりに感じる優越感が一番の快感だったりするんですよ」

 とマミがいうと、

「ということは、自分云々よりも、自分を見ているまわりを意識してしまうわけですね?」

「ええ、私ならそうですね。その感覚はありますか?」

「言われてみれば、それはあったかも知れません。ただ、それも最初に打ち明けられた時の驚きに打ち消されてしまったのか、気持ちが冷静になってくると、その思いも落ち着いてきているのかも知れませんね」

 という彼は、思い出し笑いを浮かべていた。

 きっと、彼も理解していたことなのかも知れない。マミはそう思うと、彼が自分とは随分違っている性格に見えていたが、次第にそんなに違っていないのではないかと思うようになっていた。

「今は、どなたかとお付き合いされているんですか?」

 とマミが聞くと、

「いえ、今は誰ともお付き合いしていません。大学を卒業した時、別れました」

「それは、あなたから別れを告げたんですか?」

 普通ならそうだと思ったマミは疑いなく聞いたのだが、

「いいえ、彼女の方からでした」

 という意外な返事が返ってきた。

 しかし、すぐに、

――それも無理のないことなのかな?

 相手の女性が彼に対して、最初から本当に好きだったのかどうかを考えると、逆に遡る形で考えていけば、頭の中で整理できるような気がした。

 彼女はすでに、彼への気持ちは冷めていたのかも知れない。しかし、自分から一方的に好きになって付き合い始めたのであれば、簡単に冷めてしまった自分の気持ちを彼に押し付けるのは酷である。

――私って、熱しやすく冷めやすいのかしら?

 と、相手の女性は感じたことだろう。

 その思いを自分で受け入れられる人はいいが、女性としては、あまりいい性格だとは思えない。本当にそうなのかも知れないが、それを受け入れるには、少し時間が掛かるだろう。

 だが、恋愛なのだから相手があることだ。彼の性格を一緒に考えればいいのだろうが、きっと彼の付き合う女性というのは、彼の性格は二の次で、自分中心に考える人が多いのではないだろうか。それを思うと、自分の性格を簡単には受け入れられない彼女は、付き合っている間も、絶えず彼との関係を考えていたことだろう。

 だが、熱がある間はそんな発想は出てくるはずもない。冷め始めてから分かるものだ。

――とりあえず、彼をもっと好きになれば、気持ちも盛り返すかも知れない――

 と思うことで自分を納得させようとしていた。

 しかし、そう感じた時点ですでに終わっているということを彼女には分かっていなかっただろう。最初に好きになった気持ちは、単純だろうけど無垢であったことも否定できない。

 要するに、

――無垢になった自分に対して私自身が好きになってしまったんだわ――

 やはり、相手は二の次である。

 彼は相手から別れを告げられたことで、ビックリはしたが、それを表に出すことはなかった。彼女と一緒にいても、本当に好きになることのなかった彼としては、彼女が自分中心の人間だということは、ある程度一緒にいれば分かっていたことだった。

「ビックリはしたけど、君がそう決めたのなら、僕も異存はないよ」

 と言って、彼女と別れた。

――結局、そういうことなんだ――

 彼は自分なりに納得した。

 彼女は、単純で無垢な自分を想像することが自分を納得させることができる唯一の考えだったに違いない。大学を卒業するタイミングで別れを告げられたのも、彼女の優しさというわけでなく、あくまでも自分を納得させるタイミングだったというだけである。

 彼にとっても、そのタイミングはベストであり、簡単に受け入れられた。

――俺と彼女の違いは、自分を納得させられるかどうかなのかも知れないな――

 と感じた。

 彼は、いつもまわりから起こったアクションで自分の運命が決まってきた。自分を納得させるというよりも、まわりから納得させられるというイメージが彼にはあった。あくまでも彼の運命は、

――他力本願――

 で、成立していたのであろう。

 二年目に突入した時、その年の新入社員が入ってくる前、

「俺、課長から新人の教育係に任命されたんだけど、うまく行くかな?」

 と言われたことがあった。

 別に相談されたわけではなかった。彼とは一年目の時に何度か一緒に呑みに行ったことがあったが、その時に何かを相談されたわけでもなかったからだ。まわりからは相談しているように見えても、実際にはそうでもない。

 人に何かを相談する人には種類があって、本当に答えを求めていない人は、大雑把に言えば、

――最初から答えが決まっていて、背中を押してもらいたいと思っている人と、ただ話を聞いてもらうことで安心する――

 という二つに分けられるのではないかと思っている。

 彼の場合は、後者なのだろう。だから、彼は相談しているわけではなく、ただ聞いてほしいだけなのだ。

「いいんじゃない? あなたならきっといい教育係になれると思うわ」

 とマミは言ったが、その言葉にウソはなく、

――下手に感情移入してしまう人と違って、冷静に相手を見ることができるだろう。そういう人に限って、人の悩みの奥を垣間見ることができるような気がするわ――

 さらに感じたのは、

――彼のような人の方がいいと思うのは、悩みを感じている人と同じ目線で見ることがないことじゃないかしら?

 相手の身になって話を聞いていると、人によっては感情移入してしまって、相手と同じ目線で見てしまう。それは自分の経験を相手に当て嵌めてしまうからであって、なかなか悩みを打ち明けられて的確なアドバイスをするには、同じ目線では無理があるということに気付かないとできないだろう。得てして自分の経験から相手の悩みを考える人には気付かないことである。

「最近、髪の毛が結構抜けるんだけど、何か悩みがあるのかな?」

 と、彼が急に言い出した。

 その時は、髪の毛が抜けるというと、

――何か悩みがあったり、鬱状態に陥ったりしているんじゃないかしら?

 と思っていたが、

「髪は抜けるんだけど、その分、生えるのも早いので、気にしない方がいいのかなって思うんだ」

 と彼に言われると、

「何言ってるの、別に悩んでいるわけじゃないってこと?」

 と笑ってみたが、後から考えると、

――すぐに否定したということは、それだけこの話題を引っ張りたくないという意識が彼にはあるのかも知れないわ――

 と感じた。

 人に余計なことを感じさせないのは別に彼の優しさではないと思っていたが、無意識であったとしても、彼の優しさに違いないと思うようになったのは、こんなさりげない態度を自分が感じ取ることができたからだとマミは思った。

 普段から意識していないつもりでお意識してしまうのは、その人を真正面から見ようという証拠なのかも知れない。

 髪の毛の話を聞いたのはその時が最初だったが、それがいずれレナとの間で感じるようになるとは、この時は思ってもみなかった……。

 レナはその時、彼のことをいとおしいと思った。

――こんな男の子なら、私も安心だわ――

 何が安心なのかというと、レナは会社に入って社内恋愛をしてみようと思っていた。

 本当であれば、社内恋愛というのはリスクが大きいということも分かっているつもりだったが、大学時代までの自分を変えたいという思いと、なかなか社会人になると出会いも少ないという思いから、社内恋愛もいいのではないかと思うようになっていた。

 彼は自分の教育係りではあるが、話をしていると、結構かわいらしいところがあった。彼の話も自分の経験だったり、まわりから聞いた話などを基本に話してくれるので、話も聞いていて、安心できた。

 何よりもそれが彼の優しさであり、不器用に見えるところも愛嬌だった。

 彼には女性的なところが随所にあった。レナの気持ちが分かるのもそのあたりにあるのかも知れない。次第に二人は仲を深めていき、愛を育むようになっていった。

「レナさんは、デートはどんなところが好きなんですか?」

 と聞かれて、思わず

「遊園地」

 と答えた。

 本当は冗談のつもりだったが、

「遊園地いいですね。実は僕も好きなんですよ」

 と彼は言うではないか、冗談で言ったつもりだったが、

――彼が喜んでくれるなら――

 と、レナもまんざらでもない気持ちになっていた。

 お互いに気持ちを合わせることには長けていた。

――痒いところに手が届く相手――

 という思いをレナは彼に感じていたが、彼の方こそ、レナに同じことを感じていた。

 レナの方は自覚がなかったが、彼の思いやりは、レナの気遣いから来ていたのだ。それだけにレナは、

――彼は思っていたよりも、ステキな人なんだわ――

 と感じたのだ。

 お互いに過剰評価をしていたようだ。付き合い始めはそれもよかったのだが、そのうちにどちらかが均衡を保てなくなると、お互いを冷静に見てしまう。そのことに相手は気づくはずもなく、一人置いてけぼりにされてしまうのが落ちだった。

 置いてけぼりにされたのは、レナの方だった。

 最初は彼の方が積極的で、レナは比較的冷静だった。彼への信頼度は日を追うごとに増しては来ていたが、その思いがお互いに交差する瞬間があった。

 彼の方ではその瞬間に気づいていた。しかしレナには分かっておらず、自分が女であることを今更ながらに自覚していたのだ。それは、

――いじらしさ――

 というもので、そんなものが自分の中にあるなど、想像もしていなかったのだ。

 彼が初デートに指定した遊園地、それが今では遠い過去のように思えている。そんな感情を抱いた時、レナは彼から別れを告げられる日となっていた。

 別れを告げられた時、教育係としての彼の顔はそこにはなかった。彼氏として意識し始めた時から、彼は自分の教育係ではないと思い始めていたのだ。

 別れ話の日、レナには予感めいたものがあった。彼がその日の数週間前から少し挙動がおかしいと思っていたので、心の中で、

――冷静にならなければ――

 と思っていた。

 彼への未練だったり、思い出を思い出すということはなかったつもりだったので、冷静にさえなれれな、失恋など別にただの通過点でしかないといえるのだった。

 だが、実際に別れ話を切り出されると、

――これってこんなにも切ないものだったんだって知らなかったわ――

 と感じた。

 彼の前では冷静で毅然とした態度を取っているつもりだったが、やはり一度は夢のような楽しい時期を過ごした相手だけに、ショックは隠せなかった。

 それでも、

「そう、それなら仕方がないわね」

 と承服するしかなかった。

 彼はレナが素直に承服したのを、さらに冷静に見ていた。それは明らかに上から目線であり、別れを告げる方こそ毅然としていないといけないという典型的な例に見えた。

 レナはそんな彼に初めて冷たさを感じた。

――こんな人だったなんて――

 と、ここまで感じることになるなど、想像もしていなかった。

 レナはその時、彼がどうして自分と別れる気持ちになったのか分からなかった。しかし、別れる相手に対して、お互いに冷静になって話をしているそんな場面で、別れの理由を聞いてはいけないとレナの方では思っていた。彼の方としても、なるべくなら言いたくはないという雰囲気が醸し出されている。別れというのは切り出す方も、切り出された方も、辛い思いをしなければいけないのだ。

――どうして、二人とも傷ついたり、辛い思いをしなければいけないのに、別れなければいけないのかしら?

 レナはそう思っていた。

 別れに関しては承服できても、冷静になって見ていると、見ているのは自分ではなく、他人事のように、まわりから見ている気持ちになっていた。他人事だと、お互いを公平な立場で見ることができる。そう思うと、

――理由を知りたいという気持ちと裏腹に、今さら理由を知ってもどうなるものでもない――

 と感じるのだった。

 レナは、彼との別れにけりをつけるつもりで、別れた翌日、髪の毛を切ってきた。思い切ってのショートカットだったのだが、それを見てマミは、

――まるで男の人みたいだわ。格好いいわね――

 と感じた。

 その時初めてレナが、

「私、結構髪の毛が抜けるのよ」

 と言って、ニッコリと笑った。

 それを見て、きっとまわりのほとんどの人は、

――うまい冗談――

 と感じただろう。

 髪を切ってきたのを、

――髪の毛が抜けた――

 と表現したのは、髪を切った理由を詮索されたくないという気持ちの表れだったのかも知れない。

 しかし、彼とレナが付き合っていたのは、課内では公然の秘密のようになっていたので、二人の様子を見ていれば、別れが訪れたことはみんなに分かっても、それは必然だっただろう。

――別れちゃったんだ――

 とまわりは感じていたことだろう。

 しかし、マミだけは少し違った。

――やっと別れたんだ――

 と思ったのだ。

 付き合い始める前は、この二人を、

――お似合いかも知れないわね――

 と思っていたが、付き合い始めてから見ていると、

――意外とそうでもないかも?

 と感じるようになった。

 それは、二人が似たもの同士というよりも、あまりにも似ているところがあったからだ。二人がそのことに気づかなければ、最初は磁石のS極とN極の関係であったとしても、いずれはどちらかが、S極であったり、N極に変わってしまって、反発しあうことになると思ったからだ。

 しかし、稀にではあるが、お互いに相手の極に合わそうとして、極が入れ替わって、結局また引っ付くことになることもある。ただ、そうなると、今度は元々の自分の性格を相手に見ることになるので、せっかく引き合っていたとしても、相手の悪いところが見えてきやすくなってしまい、どちらかが最初に嫌気がさしてしまうと、そのまま破局へと向かうことになる。そういう意味では遅かれ早かれ、別れは必然のものとなってしまうのではないだろうか。

 ただ、彼がレナと別れた理由は、同じ課に好きな人ができたからだった。それというのは何を隠そう、マミだったのだ。

 マミはすぐにそのことに気づいた。しかし、レナの手前、彼の気持ちを受け入れることもできない。何よりも彼のことを好きでも何でもなかったからだ。

 彼も、実は最初から気づいていた。

――俺がマミさんを好きになっても、彼女の方は何とも思っていないだろうな――

 と思っていた。

 しかしそれでも、レナとはけじめをつけなければいけないと思ったのも事実で、まず、レナと別れることを決意した。レナも承服してくれたことで、一つのけじめをつけた彼は、マミに告白しようか、相当に悩んだことだろう。

 結局、告白などできるはずもなく、彼は会社を辞めていった。

 ただ、彼が会社を辞めたのは、失恋だけが理由ではなかった。実際に家庭の事情もあったようで、彼の家は商売をやっていたのだが、店主である親が急病で倒れ、商売が立ち行かなくなりそうなところで、母親から事情を聞かされ、彼もそれならばということで、この機会に会社を辞めていった。

 レナにとっての社内恋愛は終わりを告げたが、その時、レナは彼がマミのことを意識していたのを知っていた。なるべく知っていることをまわりには、特にマミには知られたくないと思っていたが、その頃からマミを意識するようになっていたのだ。

 最初は恋敵のようなイメージでマミを見ていたが、見れば見るほどマミが、

――お姉さん――

 というイメージに見えてきて仕方がなかった。

 最初は挑戦的な目で見ていたはずだったのに、次第に慕う気持ちになってきたことを、レナは、

――おかしいな――

 と思っていた。

 マミは髪の毛を切っていたレナを初めて意識した日から、自分がレナとあんな関係になる日までを思い返していた。

――そういえば、その間に何度、大学時代に友達と話した官能小説の話を思い出したことか――

 その頃から、官能小説のイメージをレナに求めていたのかも知れない。

――男性役の女性――

 それがまさにレナだったのだ。

 レナが髪の毛を切ってきたあの日、レナの顔が変わったように思えた。目がパッチリとしていて、見方によっては、男性に見えなくもない。

 しかし、マミにはどうしてまだ男性には見えなかった。

――どうしてなのかしら?

 じっと見つめていると、吸い込まれそうなその目力に、マミは自分の身体がとろけそうに感じていた。

 それなのに、どうして男性のイメージを感じないのかと思っていると、その理由としては、

――見る角度によって違うんだ――

 と気づいたことだった。

 真正面から見ると、彼女の顔は吸い込まれそうな二つの目に視界を奪われてしまい、よく見ていると、

――左右対称――

 というイメージが湧いてくるのだった。

 左右対称に感じられると、その目力は最高潮に達し、見つめられるとそれこそ石になってしまうという、

――メデューサのイメージ――

 を感じさせられる。

 しかし、彼女の顔を少し斜めから見て、その彼女が流し目をしながらこちらを見つめると、そこには最高潮の目力を感じることができなくなっていた。

――彼女の唇――

 そこにはアヒルのようなおどけた雰囲気を感じさせる唇があり、何とも滑稽さすら感じさせる雰囲気に、マミは女らしさを感じさせられた。

 あれだけの目力があるのだから、唇がアヒルであっても、その雰囲気には妖艶さが滲み出てくるのを感じるのではないかと思ったが、そこにはあどけなさしか感じられなかったのだ。

――彼女は、ショートカットがこれだけ似合うんだから、きっとロングにしても似合うに違いない――

 と感じた。

 彼女がロングヘアーにしてきたことは一度もなかったので、想像でしかなかったが、マミの中でのレナのロングは、想像するにはそれほど困難ではなかった。

――きっと、もっと若く見えてくるのかも知れないわ――

 とマミは感じていた。

 ただ、レナはずっとショートカットだった。

「私、髪が伸びるよりも、抜ける方が早いみたい」

 と彼女が言っていたが、果たしてそれは彼女の本当の悩みだったのか、その時のマミには分からなかった。

「髪が抜けるのが怖くて、髪を伸ばしておくしかないの」

 とも言っていた。

 しかし、その時のレナを意識していたのはマミだけだった。そのことが、いずれレナがまたショートカットにしてきた時、誰もこの時のレナがショートカットだったことを覚えていないことに繋がっている。そして、レナが付き合っていた彼の存在も、皆の意識からも消えていた。

 それが、レナにとっての「破滅」の始まりだったのかも知れない……。

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