異能性世界

森本 晃次

第1話 異能性世界


 今自分が住んでいる世界に疑問を持っている人が、一体どれだけたくさんいるだろうか? 日々新しいことに遭遇し、人生の幅が広がっていると自信を持って言える人を見てみたいものである。ほとんどの人が毎日同じことの繰り返し、繰り返しは日々であったり、週であったり、月であったりする。特に仕事をしていると周期が大切になってくる。周期の仕事をこなしてこその業務なのだ。

 仕事から帰ってきてから、一人の部屋で佇んでいると、余計なことを考えてしまう。考えなくてもいいようなことなのに、どうして考えてしまうのか、きっと感動がないからだろう。

「感動することを忘れてしまったのだろうか?」

 それとも、最初から感動などというのは、幻のようなもので、感動したと思っていることでも、冷めてしまうと思い出すことすらできなくなってしまう。定期的に繰り返していることにウンザリすることもなく、ただ息をしていることのように当然であることすら意識がない。

「いつからこんな風になったんだろうか?」

 こんな風になったというよりも、こんな風に考えるようになったのかという方が的確なのかも知れない。

 毎日が家と会社の往復で、朝から夕方までの決まった時間、ひたすら仕事をしている。立場は決まっていて、今日自分の上司が、明日は部下になるなどありえない。当たり前のことのように思っているが、もし変わってしまえば面白いかも知れない。

 毎日パソコンのモニターの前で、キーボードをカチカチ叩いている。部屋にはキーボードの音しか聞こえない。たまに電話が入って話をする声が聞こえると、うるさいと思う人もいるだろうが、自分は却ってホッとする。まわりにいるのが人間だと思うからだろう。

 人間がいるからホッとするというのだろうか? それほど人間の存在はありがたいのだろうか。人間という一括りの同じ種類のものがありがたいという感覚は、本来ならあまり好きではなかったはずだ。

 子供の頃に、テレビで見ていた特撮ヒーロー物の番組で、宇宙人の話が出てきた。

 子供心におかしなことを考える少年だったが、今から思えば考え方に納得がいく。

 宇宙人と地球人を別格で見ているのが特撮物の番組だった。

「地球人だって、宇宙人じゃないか。もし、同じテーマを火星人がドラマにしたとすれば、地球人は、誰であっても「地球星人」として一括りに纏められ、人間という意識ではなくなってしまうかも知れない。ひょっとすると、サルも同じ種類の「地球星人」にされてしまうかも知れない。要するに自分たちの星以外の生物は、同じ星に住んでいれば、同じ「星人」扱いとなるのだ。

 これこそが人間という傲慢な種別なのだろう。もっとも、他の動物をパッと見て、歴然とした違いでもない限り、性別の違いを見つけることはできないだろう。

 秋山修は、そんなことばかり考えて大きくなった男だった。

 今年、三十歳になったが、まだ気持ちは学生だ。成長していないというよりも、社会人になりたくない、染まりたくないという思いから、意識が年を取るのを拒否しているかのようだ。

 付き合っている人はいるが、本当にその人が好きなのかというと疑問である。相手から好かれたから付き合っているというのが本音で、

「自分は、相手から好かれないと、女性と付き合う気がしないんだ」

 と、学生時代から話していた。

「傲慢な奴だ」

 と思っている人も多いだろうが、

「地球星人の考え方よりはマシだ」

 と、頭の中で、

「傲慢というのは認めるが、まだまだ上がいるのさ」

 と呟いていた。

「お前は天邪鬼だ」

 と言われたものだが、これも否定しない。それどころか、

「人と同じことをしたって面白くも何ともないじゃないか」

 と言いたいくらいだった。人から傲慢と言われて、それが自分の勲章であるかのように思うのは、それだけ個性を大切にしたい性格だと思うからだ。言い訳ではなく、個性を大切にしているのだから、自分に説得力はあると思っていたのだ。

 学生時代からSF小説をよく読んだ。日本の小説から、海外の小説まで、本屋でSF小説の本の背を眺めているだけで、充実した時間を過ごせている気分になったものだ。

「地球星人の影響もあったかも知れないな」

 と苦笑したが、興味とは意外と矛盾した考えから生まれるものなのかも知れない。修は何かに興味を持つ時、初めて生きているという実感が浮かぶのだった。

 修は興味を持ったものにしか、一生懸命になることはなかった。他の人も同じではあるが、遠慮はない。自分が興味を持ってすることに対し、他人からの指摘を好まないし、批評を敢えて受けるようなこともしなかった。

「お山の大将」

 という感じだが、それが悪いという気持ちはなかった。自分が極めようとしていることに対して、誰からも邪魔立てされることは許さないという思いが強く、どうかすると、会社を休んでまで没頭することがあった。

 そのくせ、興味を持ったことが続くことはない。飽きが来るわけではないのになぜか長続きしないのだ。だから、趣味と呼べるものを持っているわけではない。その時々で好きになるものが変わっている。それぞれに極めたわけではないのに、どうしてこんなに心変りしてしまうのか、自分でも不思議だった。

 修は、自分がタイムスリップしているのではないかという思いを抱いていた。ハッキリとした確証はないのだが、タイムスリップと言っても、そんな大げさなものではない。せいせい五分を一瞬で飛び越えたというくらいの意識で、五分であれば、その間、意識が朦朧としていただけだと理解する方がよほど理論的であろう。

 ただ、五分という時間を意識が朦朧とした意識もなく、後から納得させるために意識したような辻褄合わせの状態が何度か続くと、さすがに、

「納得させるための言い訳」

 というだけではすまなくなってくる。

 小さなタイムスリップを何度か体験していると、このまま大きなタイプスリップに入り込んでしまうのではないかと思うようになってくると、ある時、修は一人の女性に出会った。

 出会ったというよりも、相手から声を掛けられたのだ。毎日のウンザリするような退屈な生活に一筋の光明になるのだろうか。少なくとも毎日同じことを繰り返していることには変わりないが、彼女がいるだけで、世の中の見え方が変わってきた気がした。

 最初に感じたのが、一人でいる時の時間がやたらと短いことだった。この間まで、いつ終わるとも知れない一人でいる時間、果てしなさという言葉を痛感していたが、次第にその時間が短くなっていき、さらに部屋が狭く感じられた。

 六畳の部屋が自分には広すぎる空間だと思っていたのに、今では横になるのも窮屈さを感じさせるほどになっていた。それまで持て余していた時間が空間を果てしないものにし、無駄な空間を作り出していたが、それを寂しさだと思っていたが、寂しさがなくなることをどう表現すればいいかと考えれば、

「充実感が違っている」

 という表現に落ち着いてくることを感じた。

「出会ったのが女性だったから?」

 相手が男だとここまでは充実感を感じないだろうし、時間と空間について考えることもなかっただろう。

「やはり、俺は女が好きなんだ」

 女性と付き合ったことは、学生時代に二度ほどあるだけで、大人の恋愛を経験したことはなかった。女性と知り合うだけで新鮮な気分に陥るのは、それだけ寂しさがマンネリ化していたからなのかも知れない。本当なら有頂天になって我を忘れるほどなのだろうが、思ったよりも落ち着いていられるのは、新鮮さを一番に感じたからである。

 ただ、その女性は少し変わっていた。

「私は、毎日を繰り返しているのよ」

 普通に聞いていれば、聞き流す程度の発想である。それだけ毎日を飽き飽きするような生活を送っているということを言いたいだけで、自分が自覚している中でも、一番どうすることもできない漠然とした課題だったからだ。

 しかし、彼女の話は少し違って、真剣みを帯びて感じられた。

「私は、本当に毎日を繰り返しているように思っているんですよ」

「それは、一日が終わって、また知っている一日が始まるという感じですか?」

「それに近いかも知れません。ただ、前の日にいた人が次の日にもいて、記憶にある行動を取っているんですね。まるで夢を見ているかのようなんですよ」

「相手の人は、あなたのことを覚えているんですか?」

「それが、話をすることがないので、分からないんです。話しかけられる雰囲気でもないという感じですね」

「じゃあ、俺はあなたが繰り返している日の中に登場してこないのかな? もしそうであれば、明日になれば、あなたと会うことができなくなるのを示しているんですが」

 とは言ってみたが、その人を、ここ数日感じているのも事実だった。彼女が本当に毎日を繰り返しているのであれば、会うことはないはずなのにである。

「そうですね。そうなります」

「でも、俺はあなたをここ数日意識していますよ」

「それは、私であって、私ではないんでしょう。違う世界の私なのかも知れませんね」

 何となく話が難しい方に向かっているが、理解できない話ではなかった。

 毎日を漠然と繰り返しているという感覚は漠然とあったが、彼女の言っている「繰り返している」という意味とは違っているようだ。もし、漠然としてであっても、繰り返しているという感覚が少しでもなかったら、その違いに気付くことはなかっただろう。

 気付くことがなければ彼女を意識することもなく、

――鬱陶しいことをいう女だな――

 としか思えないようになっていたに違いない。

 その人の理屈は、話しているうちに分かってきた。最初は輪郭から入り、そしてまわりから攻めてくるように内側を固めようとする考え方が修の考え方だが、彼女の話と合ってきたのだろう。話し方も最初に感じた、まくしたてるような話し方が次第に相手を説得しようとする必死さが生んだものだと分かると、こちらも身構えて話を聞こうとしていた態度から、次第に余裕が持てるようになる。相手に合わせて話を聞こうとせずに、柔軟な態度が話への理解を深めることに、その時初めて気づいた修だった。

 彼女は名前をリナと言った。本名なのかどうか分からないが、

「名前もカタカナで書くのよ」

「まるで外国人みたいだ」

「宇宙人かもよ?」

 と、含み笑いを浮かべたので、こちらも笑みを返した。まるで修のいつも考えている、

「地球星人」

 の考え方を知っているかのようだった。いや、他の誰かと話しているのを聞いていたのかも知れない。

 その日はリナとの不思議な話を終えて、その日が終わった。その日の眠りは深いものだったのだろう。翌日目を覚ますと、目が覚めてくるにしたがって最初に意識したのはリナのことだった。

「やっぱり夢の中で出会った女性だったのかな」

 普段であれば、夢に見たことは目が覚めるにしたがって、意識から消えていき、記憶の奥に封印されていくものだが、リナの存在が意識から消えることも、記憶の奥に封印されることもなく、目が覚めると、確かに彼女と昨日話をした意識だけが残ったのだ。

「不思議な出会いだった」

 それでも現実には思えず、

――夢と現実の狭間で引っかかっている記憶なんだ――

 としか思えないのだった。

 リナにまた出会えそうな気がした。昨日リナと出会ったのは、駅まで向かう交差点を超えたところだった。会社の帰りの日が暮れかかった時間、夕凪の時間と言ってもいいだろう。その時間、目の前に交差点を意識すると、リナに声を掛けられたのだった。

 その日も普段と変わりない、退屈な仕事を終えて、気が付いたら定時になっていた。残業もなく、

「お疲れ様でした」

 仕事を終えて、充実した気分になるなどという思いとは程遠い中、とりあえず形式的に挨拶をして、会社を出た。せっかくのアフターファイブ、何かをする時間は十分にあるはずなのに、何もする気にならず、ただ家路を急ぐだけだった。

 急いで帰っても、何かがあるわけでもない。扉を開ければ部屋の中から冷たい空気が溢れ出るのを足元で感じながら、虚しさだけがそこにあるのだと思うだけで、何の感慨もあるわけではない。そんな中、その日は駅から交差点までの間、普段とは少なからず違いを感じながら歩くことになるのだった。

――リナがいるかも知れない――

 もしいなくても、ショックがないように、いない時のことも考えている。

――どうせ、毎日同じことの繰り返しなんだ――

 と思うことで、簡単に消沈してしまった意気を忘れることができる。

 修の毎日は、絶えず言い訳ばかりを考えながらの暮らしとなっていた。

 他の人と日々関わりを持っていれば、もう少し違った発想になったであろう。少なくとも、毎日を退屈しながら過ごすことはないだろう。だが、他の人に合わせることを嫌う修は、退屈であっても、人に合わせることをしない人生を選んだ。ただ、来る者は拒まない性格でもあるので、リナのように寄ってきた人を無下に遠ざけるようなことはしない。

 特に相手が女性であれば余計に遠ざけるようなもったいないことはしない。それは女性に対してなら、自分が上位に立てるからではないかという思いも強いからだ。ただの「女好き」というだけではないのだった。

 電車を降りるまでは、普段と変わりがなかった。いつもの時間にいつもの電車、そして乗客も皆同じに見えた。しかし、前の日と比較して電車に乗るなど初めてのことだったので、乗客が同じだったかどうか、怪しいものだ。改めて見ていると、皆何を考えているのか、本当に面白くない顔が誰からも滲み出ていた。

――俺も、同じような顔をしているのだろうか?

 ただ、皆と同じが嫌だといつも思っているくせに、こんな時だけはホッとしてしまうことに気付いた自分に、少し苛立ちを覚えた。時と場合によって違うという言い訳は、あまり好きではないからだった。

 駅で電車を降りて、交差点までは一本道、本当にいれば、自分はどう対処すればいいのだろう?

 ゆっくり歩いていくと、今まで意識したことのなかった店を気にするものだ。一つ気になったのが骨董屋だった。元々あまり大きくないアーケードつきの商店街が駅前にはあるが、他の街と類を漏れず、ここも寂れかかっていた。シャッターも半分は降りていて、惣菜のお店や婦人服屋さんなどが、細々とやっている中で、木造平屋建ての、いかにもという風情でアンティークな店がひっそりと佇んでいた。今まで気が付かなかったことが不思議ではあったが、気付かないなりの気配のなさも醸し出していた。きっと意識するとかなり目立つのだろうが、意識しないと、まるで路傍の石のごとくだった。

 そのまま通り過ぎることに後ろ髪を引かれた修は、交差点も気にはなっていたが、そのまま素通りができないところまで興味を示している自分に気付き、扉を開けて敷居を跨いだ。

 所狭しと、アンティーク商品が乱雑に見えるくらいに並んでいた。棚に置けないものは天井からぶら下げていて、本当に商売をやる気があるのかと疑いたくなるほどの店内に驚かされた。

 大学の時、近くに骨董屋があり覗いたことがあった。確かに乱雑にものは置かれていたが、そこには客の興味を引きつけようという確固たる意志が感じられたが、この店には興味をそそるには程遠いものがあったのだ。

 修が気になったものが二つあった。

 一つは大時計であった。柱に掛けるタイプに見えたが、さらに大きなもので、床の間か出窓が似合うのではないかと思ったが、もっと見ていると、昔の西洋館の応接間にあったようなマントルピースの上にでも置くと似合いそうなものであった。それだけ大きなもので、本当なら自分の部屋に置くのを想像することもできないほどだが、

「大時計が俺を呼んだ」

 とでも言いたいほど、気になっていたのだ。

 店に入った時から気になっていた時を刻む音は、これだったのだ。骨董品屋というと時を刻む音を昔からイメージしていたこともあって、店に入って最初から、修はその音の根源である時計を探していたのだった。

 そしてもう一つ気になったのは、額に入った絵だった。

 西洋のお城を上から描いた絵だったが、きっと城の裏には山が聳えていて、そこから見下ろすように描いたのだということを思わせた。西洋の城には造詣が深く、海外旅行をしたこともないので行ったことはないが、海外を訪れることがあれば、一度は行ってみたいと思っていた佇まいにそっくりだった。

 城というのは、どこも似たような造りなのかも知れないが、それでも絵に描かれた城は、想像以上のものを感じさせた。

「平面に立体感が溢れているからなのかな?」

 油絵というのは、遠くから見れば見るほど遠近感が浮かび上がらせる光景を見せてくれる。それを影の影響が強いと思っているのは、修だけであろうか。

 平面には限りない大きさを感じさせられることがある。遠近感を感じながら遠くから見ているからなのかも知れない。

 特に油絵の遠近感には、城の絵には限らず、キャンバスいっぱいに広がる無限の可能性のようなものを感じることがあったのだ。

 特にアンティークなお店の調度は、光と影の間をクッキリと浮かび上がらせ、影がところどことに点在し、それが立体感を産むのだ。

 立体感が生まれることで、果てしない広さを感じるのだ。決して広さを感じるから、立体感が生まれるものではない。アンティークなお店では。特にそうだった。

 絵を見ていても、

「絵が俺を呼んだ」

 と言ってしまいそうだった。

「この絵もほしい」

 他のものには見向きもせず、気になった大時計と、絵画のどちらかを買おうと決心していた。二つを買うには少し高すぎる。物は配達もしてくれるということなので、どちらがいいか思案していた。いずれはどちらもほしいと思っている。店のおやじさんに聞いてみると、

「どっちもそう簡単に売れるものじゃないから、まずはどっちかだけ買えばいいんじゃないか」

 と言われた。少し悩んだ挙句、大時計を購入することにした。最初に目に入ったものであり、耳にしたものだったからだ。お金を払い、配達日の確認をしてから店を出ると、すでに夕凪の時間になっていた。

「三十分くらいは寄り道したかな?」

 と思い、時計を見ると、不思議なことに店に入る前から五分とちょっとしか経っていないではないか、西日が最後の明るさで地面からの照り返しで、まだまだ暑さを感じていた時に店に入ったが、出てくると夕凪を迎える準備に入っていた。いくら日が暮れ始めると日が落ちるまであっという間とはいえ、十分も経っていないとは思えなかった。感覚と時間と光景のアンバランスな状態に、修は何かの胸騒ぎを覚えていた。それでも、

「リナに会えるかも知れない」

 と思うとドキドキした感情がまたしてもよみがえってきた。元々今日の目的はそれだったわけで、そういえば、何か目的を持って一日を過ごしたなどという意識は、ここ最近まったくなかった。人に会えるかも知れないと思うことも立派なその日の目的である。それがいくら受動的であっても、その人にとって充実した気分になれれば、正真正銘の真実の一つとなるからだ。

 夕凪は、迎えたというよりも、

「襲ってくる」

 という感覚を修に与えた。

 一日の中でも一番神秘的な時間、それが夕凪。その次はと言えば、夕焼けだと言えるであろう。ただ、その夕焼けも西日の強い照射があってこそのもの。夕焼けだけの力ではない、単独で神秘的という意味では、修はやはり夕凪の時間を思い浮かべる。それ以外の時間は、それぞれに興味を持つことはあっても、長く感じているものではない。神秘というには、少し違った感覚になるのだった。

 昔から言われる夕凪とは、

「逢魔が時」

 と言われるように、魔物に一番出会う時間だという。風が止んで、生暖かい空気が身体に纏わりついてくる。身体に与える影響も疲れを誘発し、心身ともに気力体力を使わされる時間であった。

 夕凪の時間帯は交通事故が多いという。実際に子供の頃に、見たことのある交通事故は確かこの時間だったと思う。理由はモノクロに見えるからだという。蝋燭の灯が消える前の明るさを夕日が思わせるとすれば、その後にやってくる漆黒の闇との間に存在するのが夕凪の時間。短い間ではあるが、風がないという特徴を発揮しながら、確かに毎日存在している時間である。

 その時間は、調度が極端に下がる。それだけに光と影との矛盾が作り出すハッキリとした格差が、光と影だけの世界へと誘うのだろう。それがモノクロに見える原因ではないかと修は考えていた。

 光が影を制するわけではない、影が光を制するわけでもない。お互いに刺激し合う形でできあがる夕凪は、均衡が取れていることから、風がないという考え方は、非科学的ではあるが、修は好きだった。

 修は理論的なところがあるが、科学的な理論よりも、神秘的な理論の方を重んじる。考えることが非科学的であっても一向に構わない。むしろ、その方が自分らしいと思うのだが、理論は真実ではないと思うこともあった。

「真実は理論の超越したところに存在するからこそ、求め続けるものなんだ」

 と思っていたが、これも理屈っぽい考えであろうか。

 夕凪の時間を感じながら道を歩いていると、なかなか時間が経過してくれない。歩いていても道は果てしなく続いていくことを実感し、本当に目的地に着けるのかと、不安にさせられることもあったくらいだった。

 昨日リナと出会った場所に行くと、そこには果たしてリナがいるだろうか。半信半疑で急ぐのだが、足が思ったように動いてくれない。辿り着いた時には身体がクタクタに疲れていた。息遣いの荒さも自分で分かった。ただでさえ夕凪の時間帯。モノクロに見えるどころか、立ちくらみを起こしたかのように、視界は一点しか見えていない。それ以外はまるでクモの巣でも張ったかのような線が放射線状に無数に広がっていて、今にもその場に倒れてしまわないかと危惧するほどであった。

 目の前には交差点が見えていた。確かにこのあたり、まわりを見渡すと、リナの姿はなかった。なかったことにホッとする自分がいるのを感じた。なぜなら、もしそこにリナがいれば、自分も同じ日を繰り返していることになるからだ。

 いや、リナの言い方を借りれば、昨日のリナとは違う人がそこにいることになる。姿形はソックリな女がそこにいるのに、相手は自分のことを覚えていないのだ。こんな寂しくて虚しいことはあるだろうか。声を掛ければ、キョトンとされるか、不審者に思われるに違いない。

「初めまして」

 というのもおかしなものだ。

「待てよ」

 そこで修は一つのことが頭に閃いていた。

「昨日、リナが声を掛けてきたんだよな。自分をいかにも知っているように……。それって今の自分の状況と酷似しているのではないだろうか?」

 と思ったのだ。

 リナの表情からは感じなかったが、かなり勇気のいることだったに違いない。同じ日を繰り返しているということを受け入れているのだから、少々のことでは動じない性格になっているのか、元々そうだったのかは分からないが、動じない性格になっていたのなら、勇気を振り絞ることも、さほど苦になることではなかったに違いない。

 ただ、ここでの勇気は後から襲ってくる寂しさや虚しさを自らに課すことである。勇気とは少し違っているように思えたが、それももう一度会って、リナに確かめればいいことだと思った。

「会ったら会ったで、何から話せばいいのだろう?」

 とにかく会うことを目的にしていたので、その先のことまで考えていなかった。会えること自体が半信半疑。大体同じ日を繰り返しているなど、そう簡単に信じられる話ではない。

「でも、これがリナさんの真実なのかも知れないな」

 人にはそれぞれ真実がある。それが一つだとは限らないだろう。しかもいくつも真実が存在すれば、その中には矛盾したこともあるだろう。ただ、ここまで真実があるとすれば、もはやその中のすべてが真実だとは思えなくなりそうだ。

 それでもどれか一つを真実だとして考えると、そこから繋がりを辿って行って、切り離すことのできない繋がりがそこにあるなら、それはすべて真実。紛れもないことだろう。

「何があっても捨てることのできないもの。まわりのものすべてを捨てても、それだけは捨てられないと思うものがあるのなら、それは紛れもなくその人の真実なのさ」

 これが修の中の真実だった。

 そういう意味では修の中にある真実は一つではない。人が何と言おうとも修の真実なのだ。それを受け入れてくれる人がなかなか見つからない。それが寂しくもあり、意固地にさせる原因でもあるが、だからと言って、真実を捨てることなどできるはずがない。いつもその思いがある限り、少々のことでは動じないつもりだし、リナの話も信じられる気がした。

「いた」

 何度かクルクルまわりながら見ていたはずなのに、リナはそこにいた。いつ現れたというのだろう。思わず声に出して言ってしまったことに修はビックリしていた。

 修を見てリナは少しビックリしていた。ビックリというよりも、明らかに怯えが滲み出ていた。昨日の自信に満ち溢れていたリナとはまったくの別人だった。

 むしろ、修は今のリナの方に興味を覚えた。物静かな雰囲気を醸し出し、相手に委ねたい、慕いたいという気持ちが溢れ出ているような女の子が自分の好みのタイプだと思っていたからである。

 接しやすさも理由であるが、人によっては、会話になかなか発展しないように見えることで敬遠する人がいる。よほどせっかちなのだろう。本当はこういう女の子こそ、馴染んでしまうと、席を切ったように話し始めることを知らないからだ。修は知っていた。小さい頃から物静かな女の子が好きで、よく一緒にいた経験があるからだ。まだ異性への気持ちがハッキリと固まっていなかった頃なので、恋愛感情というわけではなかったが、恋愛感情に発展しない方が、初恋にとってはよかったのかも知れない。

 初恋が淡い経験で終わることは分かっている。初恋をいつにするかは、その人の気持ち一つだと思うが、修はまだ恋愛感情のなかった頃の気になった女の子だと思っている。その理由は自分の好みのタイプがその時の女の子だということで確定したことだ。異性を意識して付き合った最初の女の子もまさにそのイメージピッタリだった。だが、なかなか自分のタイプの女の子とは仲良くなれないもので、社会人になって付き合った女性が一人もいないというのも自分で納得していた。

「妥協で付き合ったって、ロクなことはない」

 と感じるのも当然だ。今目の前に現れたリナを見て、遠い昔の記憶がよみがえってきたのも当然だと言えないだろうか。

「初めまして、リナさん」

 相手は、ぐっと身構えた。この言葉に含まれた矛盾を一瞬にして見破ったのだろう。相当勘のいい子なのかも知れない。いつも怯えているような性格なので、勘が鋭くなったのは、性格が起因していることは明らかだった。

 矛盾というのは他でもない。初めましてなのに、名前を知っているからだ。

「ど、どうして名前を?」

 相手の警戒心をマックスにしてしまうことも分かっていた。分かっていて修はそう切り出したのだが、修としてはそう切り出すしかなかったのだ。まずリナを知っているという事実を最初に話すことで、そこから昨日の話を展開する。それが最良だと思ったのだ。信じる信じないはリナの問題。昨日の話を切り出してリナが理解できないのであれば、修とリナの仲はそこでおしまいなのだ。

 ただ、疑問は大いに残る。昨日と同じ人が自分を覚えていないこと。しかも、覚えていない理由をどう自分に納得させるかがまったく分からない。納得できないことをそのままにしておけない性格なので、きっと明日もその次も、自分が知っているリナに会うために同じ行動を繰り返すに違いない。

 だが、今は目の前のリナを見つめることが先決だった。昨日のリナと別人として接するべきなのか、それとも同一人物だとして接するべきなのか修は思案のしどころだった。

「実は、昨日、ここで会っているんだよ」

「えっ」

 またしてもリナは驚いたような表情になったが、

「おや?」

 修はそこで少し疑問に思った。最初に感じた驚きと、少し違って見えたからだ。

「どうしたんですか?」

 思わず聞いてみた。ここはしっかりと確かめておかなければいけないところだ。

「いえ、実は前にも同じことを言われたことがあったんです」

 今度は修が驚いた。ただこの驚きはリナが予想外のことを言ったわけではない。まったく逆だ。リナがいう言葉をあらかじめ自分が予想できたことへの驚きだった。そういう驚きというのは声にならないもので、思わず息を呑んだという表現がピッタリのような気がした。

「それはいつのことなんだい?」

「はい、数日前のことなんですが、あなたとはまったく違った人で、年配の女性の方でした」

 自分と似ている人だというのなら、何となく分かった気がしたが、まったく違った人というのはどういうことだろう?

「その時に、どんなお話をしたんですか?」

「あまり覚えていないのですが、ハッキリと覚えているのは、今のあなたとまったく同じ言葉を最初に言われたんですよ」

 すると、その人も別人のリナと出会って、同じようにリナに会おうとしていたということだろうか?

 ここまで考えてくると、修は背筋に汗が滲んだのを感じた。さらなる懸念を感じたからだ。

――他に一人いたということは、もっとたくさんの人が同じようにいるかも知れないな――

 と思うと、その可能性を考えた時、無限に広がっているのではないかと思ったのだ。

 それは両端に鏡を置いて、真ん中に自分が座り、どちらかの鏡を見続けていると、自分の姿が無数に見えてくる感覚に似ていた。最後は豆粒ほどの小ささだが、さらに向こうにもっと小さなものが存在していることに気付く。

 この発想はあまりしないようにしていた。考えすぎると、眠れなくなるからだ。それと同じ発想が頭を過ぎった。両端の鏡のような装置が、見えないけれど、どこかに存在していることを示しているからだった。

「その人とは、覚えていないけど、お話はしたの?」

「ええ、話をしてくれたんですが、突飛過ぎる話だったような気がして、それで覚えていないのかも知れません」

 やはり彼女に難しい話はタブーなのかも知れない。

 だが、突飛な話をしたのを本当は彼女が理解していて、それを信じたくないという気持ちが無意識に記憶を消しているのかも知れないと思うと、今目の前にいるリナが、本当に昨日出会ったリナではないと言いきれるだろうか。むしろ昨日のリナだと思う方が、よほど理に適っているのではないかと修は思っていた。

「リナちゃんには、難しい話をしない方がいいかな?」

 探るように上目使いな目を見せると、少し困ったように、ゆっくりと頭を垂れた。

 本当に難しい話をしないでほしいと思うのなら、もっと訴えるような目をするであろうと思った修は、やはり昨日のリナと同じ人物ではないかと思う方が強くなっていた。

 だが、それも確信があってのことではない。理屈ではそう思っていても、今自分が存在している目の前の世界は、明らかに現実離れしている。

――夢なら早く覚めてくれ――

 という意識が強いくらいだった。

「難しいお話はしない方がいいかも知れないんですけど、お話はしてください。今の私はとても寂しい気がするんです。お話してくれる人がそばにいてくれると、それだけで救われた気がするんです」

――救われた気がする?

 リナが何か心の奥底に秘めているものがあるような気がして仕方がなかった。

 修にとって、リナとの出会いは、これからの自分の人生にどういう影響を与えるか気になっていた。

 修はリナに何を話していいのか分からなかったので、とりあえず自分のことを話した。

「俺は普通のサラリーマンで、年齢は三十歳。近くの大学を出て、普通に就職した、どこにでもいる平凡な男だよ」

「何か趣味はあるんですか?」

「趣味という趣味はないんだけど、歴史の本とか読むのは好きだね」

 最近でこそ、女性も歴史が好きな人は多いが、どうしても歴史というと女性からは敬遠されるものである。

「すごいですね。私は成績はよくなかったけど、歴史は好きですよ。暗記の学問として思ってしまうと好きになれなかったと思うんですけど、裏話とか結構面白いですよね」

「元々俺は好きな時代が偏っていたので、歴史が好きといっても、好きな時代以外はなかなか知らなかったんだ。でも、大学の時に歴史に詳しいやつがいて、そいつと話を合わせるために、基礎知識として一冊本を読んだら、それが結構面白くて、病みつきのようになってしまったんだよ」

「そういうことって大切なのかも知れないですね。自分に影響を与えてくれる人がそばにいれば、全然違ってきますからね」

 リナはそう言っていたが、まさしく今の修にとってリナは、ちょうど話に出てきた、

「自分に影響を与える相手」

 として、当分君臨してくる存在になることだろう。

「歴史が好きというので思い出したけど、そういえばここに来る前に骨董品屋があって、そこに寄ってきたんだけど、思わず大時計を買ってしまったよ。これも、古いものに造詣が深いからだということになるのかな?」

 その話を聞いたリナは、一瞬顔が青ざめたように見えたが、すぐに態度を元に戻し、

「そういえば、骨董品屋ありましたね」

 と冷静な顔をしているが、視線はあらぬ方向を向いている。話に出た骨董品屋を思い出そうとしているのか、それにしても表情だけ見ると、思い出そうとしているのに思い出せない。それが相当前に見たからだという時間的なものなのか、それとも、自分の足が遠のいてしまったことでも距離的なものなのかは分からない。ただ、骨董品屋の話が出たことでリナが反応したのは確かなようだ。

 だが、リナが反応したのは、骨董品屋に対してだろうか、それとも買ったものが大時計だということだからだろうか。リナの顔を見ていると、キョトンとしているようで、最初に反応した時の鋭さは一気になくなっていた。

「大時計って、そんなに気になったんですか?」

「ええ、あるはずのないマントルピースを思い浮かべて、その上に置いたらいいなんて勝手な妄想をしたりしたんですよ」

「確かに大きな置時計というと、マントルピースが似合う気がしますね。薪木が燃える時に立てる音と、規則正しく時を刻んでいる時計の音とが調和しているように思えてくるんですよね」

「その店にいると、狭くて乱雑に置いてあるように見えるんだけど、表から見た感じより店の中が、次第に大きく感じられるんですよ。そう思うと、置いてある場所にもそれぞれ意味があるんじゃないかってことまで考えるようになりました」

「私はまだ、そのお店に入ったことはないんですが、一度入ってみたいと思っていました。表からこじんまりとしているよりも、やっぱり乱雑さしか見えてこないんですけど、次第に最近になって気になるようになってきたのは事実です」

 古いものに感動するのは、年を取ってきた証拠ではないかとまで思っていたが、同じように共鳴してくれる人がいるというのは嬉しいものだ。

「私は骨董品を見ると、次の朝には、必ず骨董品を見たという夢を見るんですよ。だから本当に見たのか、それとも過剰意識の成せる業だったのか、分からなくなってしまうんですね」

「それは私もあります。普段気にしないものを気にしてしまうと、まるで夢だったのではないかって思うんですよね。特に人との出会いに同じことを感じます」

「じゃあ、今までに出会った人の中で、夢だったと思うようなことがあったりしたんですか?」

「ええ、結構多いですよ。毎日、同じ場所で同じように会う人がいるんですが、その人はいつも私のことを覚えていないんです。最初は夢を見ているのかと思いましたよ。でも、お話をしてみると、前の日に話した内容とまったく同じ話をするんです」

「えっ、それって毎日同じ話を繰り返しているということですか?」

「ええ、そうですね。まったく同じ話で同じところで感動したり、パターンが分かっているだけに、途中からウンザリしてきたんですけども」

「確かにそうでしょうね。でも、それでも道を変えたりしないんですか?」

「それはしません。パターンを変えることが怖いんです。毎日同じことを繰り返している私にとって、パターンを変えることは死活問題に関わることだって思うんですよ」

 よく話が呑み込めない。あれだけ会ってみたい。話をしてみたいと思っていたのに、今では、再会したことを後悔している。

――明日は帰る道を変えよう――

 と、思うのだった。

 翌日、何事もなく一日を終えて、いつもと違う道を帰った。少し遠回りにはなるのだが、リナと出会ってしまって、また同じ話になるとかなわない。それを思うと少々の遠回りくらいは問題ではなかった。

 一つ隣の筋を通っていると、見覚えのある佇まいが見えた。昨日寄った骨董品屋が見えてきたのだ。

 骨董品屋は、いつもの道と今日の道とで、筋違いであっても、見かけることができるのだ。裏にも入り口があるからなのだが、不思議なことに、裏の佇まいも、表とほとんど変わらない。少しこじんまりとした感じで、やはり裏口だった。それでも暖簾は掛かっていて、まるで、質屋ではないかと思うほどだった。

 その日は裏口から入ってみた。裏口から見ると、表から入った時よりも、店内は少し広く感じられた。それだけ裏口が狭いからなのだろうが、昨日来た時と佇まいが少し変わっているように感じられた。

 昨日、購入した大時計はすでになく、配達してくれると言っていたので、配達準備をしているのだろう。

 見覚えのある店主は、本を読むのに夢中で、修に気付かない。店主もかなりの年齢なのだろう。少々のことでは気配に気付くこともなさそうだ。

 本を読んでいるのを幸いに、少し店内を見渡した。昨日の客がまた来ていると思うと、声を掛けられるかも知れない。集中して見てみたいと思っている時に、声を掛けられるのはごめんだったからだ。

 昨日の城の絵がなくなっていた。誰かに売却されたのだろうか? 他にも絵があったので見てみると、修の目を引いたのは、高原の絵であった。

 絵のほとんどが真っ青な空だった。そう感じたのは、乱雑に置かれている絵が、逆さまになっていたからだ。九割近くが空に見える。思わず手にとって、ひっくり返してみた。最初に感じた九割の空が、今度は七割くらいに感じられる。確かに上下逆さまなら空が広がって見えることは知っていた。それが絶景であれば余計に感じられることであり、学生の頃に旅行で出かけた丹後の天橋立を思い出した。股の間から頭を出して逆さまに見る。それが見方だと言われて見てみたが、なるほど、上下逆さまならまったく違って見えるのだった。

 後で調べると「サッチャー錯視」と言われているようだが、これは人の顔にだけ言われることなのか、逆さ絵の錯覚はよく心理学の世界では研究されているようだ。

 空に向かって、手をかざして見ると、今にも手が届きそうに感じるのを思い出していた。空に対しての思い入れは人それぞれ、しかし、誰でも一度は、空に手をかざしてみたことがあるのではないかと思う修だった。だが、誰もそれ以上考えようとしない。果てしない発想が答えを見つけ切ることができないことを、最初から分かっているからではないだろうか。

 元に戻した絵は、最初に感じた高原に、すすきの穂が無数に生えていた。よく見ると、すすきの穂が風に靡いているように見える。錯覚には違いないが、まず感じた絵に対してのイメージは、

「これはいつの時代のものだろう?」

 というものだった。

 今の時代だとも言えるし、大昔であっても不自然ではない。遥か遠くから、馬に乗った男が表れて、鎧武者であるとしても、違和感はない。この絵で感じるのは、どの時代であっても通用する漠然としてはいるが、果てしなく広がる空のイメージだ。手を伸ばしても決して届くはずのない空なのに、思わず手を伸ばしたくなる心理が働いているように思えてくる。

 絵を見ながらしばらく佇んでいると、時間があっという間に過ぎていたようだ。気が付くと、三十分近くも過ぎていて、裏口から抜けると、家路を急いだ。

 途中、コンビニに寄って、パンやお菓子を購入する。すぐに小腹が空いてくるので、いつも何かを買い求めている。

 部屋に一人でいると、時々襲ってくる寂しさが、小腹を刺激するのだが、寂しさだけはどうすることもできない。テレビを付けていても解消できるものではなく、もし解消できるとすれば、年を重ねることだけかも知れない。

 テレビはついているだけで、あまり見ているという記憶はない。実際に見たい番組があるわけでもなく、バラエティのような番組を何も考えずに見ているだけの時こそ、無為に時間を過ごしているだけだったのだ。

 無為に過ごすことへの抵抗はない。寂しさが抵抗を覆い隠すからだ。そういう意味では寂しさを凌ぐ辛さはない。何をしても楽しくない時ほど、

「もう一度、同じ日をやり直せたらいいのに」

 と感じる時だった。

 最近は、同じ日をやり直したいという気分にはならない。かといって、寂しさが解消されたわけでもない。寂しさは相変わらずなのだが、怖い気持ちが最近はマヒしてきたつもちだったのに、同じ日を繰り返すことに関してだけは、逆に怖さを感じるようになっていた。同じ日を繰り返すことの恐怖が、他の恐怖への感覚を鈍らせているのかも知れない。

 同じ日を繰り返すことが恐怖だと思いながら、寂しさには勝てないジレンマを、修は感じていた。そんな時に出会ったリナという女性、彼女は同じ日を繰り返していると言ったが、出会ったのは本当に偶然なのだろうか。

 同じようなことを考えている人に出会って、

「こんな偶然もあるんだ」

 と思うこともあったが、出会った人の話を聞いて、あまりにも印象深いことが、実は自分も以前から感じていたことのような錯覚に陥らせてしまうこともあるかも知れないと感じた。実際に以前に感じたことをしばらくは、偶然だと思っていたが、ある時期を過ぎると考え方が。錯覚だと感じるようになってきた。たぶん、深かった印象が色褪せてきて、頭の中で冷めてしまったからではないかと思うようになっていた。

 同じ日をやり直すのと、繰り返すのでは、まったくニュアンスが変わっている。

 やり直すというのは、前向きな考えで、後悔の残った一日をやり直すことで、本来の自分を取り戻したいという気持ちの表れなのだが。繰り返しているのは、後悔もしていないのに、もう一度一日前に戻るというだけで、今度は後悔のない生活が送れるという保証はどこにもない。

 そもそも同じ日を繰り返すというのは、どういう感覚なのだろう。同じ日を繰り返していると分かるのだから、まわりは、まったく昨日(いや、今日)と同じでないと、発想が成り立たない。

 そんな中で、自分だけが同じ日を繰り返しているという感覚を持っているというのは、どういう感覚なのかと思えてくる。

 前の日と同じなのだから、考え方も前の日に戻せばいいのだろうが、そうは簡単にいかない。なぜなら、先が読めてしまうからだ。余計な先入観を持ってしまっているので、欲が出てくる。

 いくら前の日に後悔がなかったとしても、細かいところでは、

「あの時、もう少し考えていれば」

 という箇所が随所にあれば、その時にさらに余計なことを考えるだろう。すなわち、選択肢が無限に増えてしまったのだ。

 下手に知っているということは、選択肢を広げてしまうことであり、自分の判断基準のキャパを完全に超えてしまっていることで、判断などできるはずはなくなってしまっている。

 そんな時、判断には冷静さが必要であることを、再認識する。再認識というよりも、今まで本当に冷静さが必要だということを意識していたかどうかも怪しいものだ。冷静さのない判断など判断ではないとも言えるので、絶えず冷静さは保ったままだったような気がするのだが、それは自分の思い過ごしかも知れない。

「まったく同じ日など、存在しない」

 もし、同じ日を繰り返すことができたとしても、考えていることが同じであるとは限らない。少しでも違った感覚を持てば、まわりも違った反応を起こす。この時点で、すでに前の日と同じではなくなってしまっているのだ。それを考えると、同じ日をやり直すなど、できっこないのではないだろうか。

 その日は、やけに疲れを感じていた。朝から身体がだるく、本当は会社を休もうかとも思ったくらいだった。別に重要な仕事があったわけではないので休んでもよかったのだが、会社に出かけた。一人で寝ていると、ロクなことを考えない気がしたからだった。

 部屋で身体のだるさを感じながら横になっていると、無性に眠くなってくる。すぐに夢の世界に入ってしまうのだが、ロクなことを考えないのは、この夢のせいだった。

 最近、腰痛を感じる修は、腰痛のせいで、すぐに目が覚める。眠りが浅いせいもあって、最近ではあまり夢を見たという記憶がない。

 夢は深い眠りの中で見るものだと思っているので、腰痛を感じる時、横になっているときついのが分かっているのに、ついつい部屋にいると横になってしまう。しかも、睡魔が襲ってくるから、厄介だった。

 以前は決まった時間に寝ないと嫌だった。夜中の中途半端な時間に目を覚ますのが嫌だったからなのだが、今は眠たい時に寝るようにしている。そうでないと、腰痛のため、眠れなくなってしまうからだ。しかも腰痛の時に限って夢を見たりする。その夢はあまり気持ちのいいものではなかったりする。

 見たくもない仕事の夢で、人から怒られたりするわけではないのだが、仕事がはかどらない夢であった。一生懸命に考えているのに、時間が過ぎるわりに成果が一向に上がらない。実に困ったことだった。

 仕事の内容はあまり考えることが多いわけではないのに、たまに考えなければいけないことができたそんな時の夢になっている。かなり前の出来事でも、まるで昨日のことのように思い出せてしまうのも、夢の特徴であり、嫌なところでもあった。

 その日、家に帰ると、ちょうど玄関先で待ち構えていたのが、運送会社の人だった。

――俺に何の用なんだろう? 届け物などどこからもないはずだが――

 と思って、怪訝な顔で恐る恐る聞いてみた。

「何でしょう?」

「はい、時計をお届けに参りました。こちらにサインをお願いします」

 ああ、そうだった。時計を届けてもらうことにしていたのを忘れるなんて、やっぱりその日は、かなり体調が悪かったに違いない。身体のだるさに加えて、会社に着く頃には頭痛もしていたのだ。昼食を食べて少ししてから今度は吐き気まで催してきて、

「病院に行った方がいいかも知れない」

 と思ったが、吐き気はすぐに収まり、次第に頭痛も引いていった。感覚がマヒしてしまったのではないかとも思ったが、病院に行くまでもないと感じた。下手に病院で時間を使い、仕事が遅れることを懸念に感じたからだった。

 仕事を何とかこなすと、どんなに面白くないと思っている仕事でもそれなりに充実感を味わうことができる。仕事を辞めたくない理由の一つには、そんな充実感を味わいたいからで、体調が悪くなければ、たまには酒でも呑んで帰りたいくらいだった。

 家の近くにある居酒屋は馴染みの店だが、最近は足が遠のいている。その日も体調が悪いので帰ってきたが、本当なら寄ってもいいくらいの精神状態であった。

 置時計が届いたのを聞くと、心なしか気分の悪さが解消されていくのを感じた。嬉しさが体調の悪さを忘れさせてくれたのだ。

 置時計を部屋の隅に置いた。どこに置いてもあまり変わりはない。それほど小さくてこじんまりとした部屋だったからだ。

 想像通り、部屋に持て余すほどの大きさであり、完全に浮いていたが、それでも部屋の雰囲気は一変した。こじんまりとした部屋が、さらに狭さを感じられるようになったが、修にはそれでもよかった。元々が中途半端な大きさに感じられたからだ。さらに小さく感じた部屋は、最初こそ狭く感じられたが、次第にそこから少しずつ余裕を感じるようになっていった。それが置時計の効力のように思えたのだ。

 置時計を置いて、テレビを消した。先日買ってきた本を出して、横になりながら読むことにした。久しぶりに読む小説は恋愛小説で、最近はあまり読まないジャンルだった。恋愛小説の中にはミステリアスで妖艶なものもあり、修の読む恋愛小説は、そんな内容の本が多かった。

 横になって本を読んでいるだけで睡魔が襲ってくるのだが、その日はいつもより睡魔がなかなか襲ってこなかった。理由は、置時計の音にあった。

「カチカチ」

 正確に時を刻んでいる音は、普通なら睡魔を招くものなのだろうが、その時は違った。音が大きすぎるのだ。

 アンティークな時計の奏でるリズムは、規則的でいて、ゆっくり響いていた。次第に音が大きく感じられるようになったのは、音がゆっくり響いてくるからで、音を感じていると、せっかく読んでいる本の内容が頭から消えそうになるくらいだった。

 元々本を出してきて読もうと思ったのは、そのまま眠ることができれば、その日の体調の悪さを乗り切ることができるような気がしたからだ。ゆっくり読んでいると、睡魔が襲ってくるはずだった。しかも時計の規則的な音がメトロノームの役目を果たし、まるでオルゴールのように心地よい眠りに誘ってくれると思っていた。だが、やっぱりアンティークな時計の音は、それなりに大きかったのだ。

 アンティークにはそれなりにいいものがあり、匂いがしないにも関わらず、匂いを感じさせることがある。この時計も骨董屋で見た時に、思わず匂いを嗅いでしまったくらいだ。

 学生時代には、骨董品屋でオルゴールを買ってきたことがあった。家の近くにあったわけではないが、観光地に出かけた先で骨董品屋を見つけると、思わず立ち寄って、オルゴールを探したものだ。最近はオルゴールを意識することはなくなったが、骨董品屋を見つけると、つい物色してしまうくせは治っていなかった。

 部屋で時計の音を聞いていると、さっきまで冴えていた目が、今度は一気に急激な睡魔に襲われた。指を動かそうとすると痺れが走る。それは急いで掛けてくるよりも時間を掛けてゆっくり歩いてきた時に蓄積される疲れに似ていた。睡魔は一気に襲ってきているようで、実は音もなく忍び寄ってきていたのかも知れない。

 まわりが真っ暗で恐怖を感じるということはあるが、明るくて視界が広がっている時に、まったく見えないものがすぐそばにあるなど、考えたこともなかった。だが、最近では、何か見えないものがそばにいる「気配」を感じることがあった。

「誰かに見られている」

 被害妄想だと言われればそれまでで、確かに見えないものが見えたりすると、まわりからの圧迫を感じてしまいそうになる。

「そばにあって、まったく気付かないもの。もし、気配もなしに近寄ってこられて、ナイフでも胸に突き立てられたら……」

 などと思うと恐ろしくて、人のそばを歩いた方がいいのか、避けた方がいいのか、迷ってしまうところだった。

 見えないものを異次元の世界だと思う発想は、今に始まったことではない。学生時代からいつも考えていたように思う。夢の中で見たことも何度もあり、夢こそが異次元世界だと思えてくるのだった。

 時計の音で眠気を誘い、そのまま夢の世界へと誘われた修は、夢の中で、自分が夢を見ていると言う感覚を味わっていた。

 目が覚めれば、夢を忘れてしまうことは分かっている。それを忘れないようにしようと思えば思うほど、忘れていくものだという意識があるにも関わらず、その日は必死になって忘れないようにしていた。

「忘れたくない夢を見ているんだろうか?」

 それが夢の中で感じた意識なのか、それとも夢から覚めてからの意識なのか、自分でも分からない。

 修は夢から覚めて、見ていた夢を思い出そうとしなかった。普段は、忘れるということを覚悟の上で、忘れないようにしようという意識が働いていた。だが、最初から思い出そうとしなかったのは、夢を忘れてしまいたいという意識に駆られたからだ。

 どうして忘れてしまいたいと思ったのか。それはリナとの別れの夢だったからだ。

 付き合ってもいないのに、別れを告げられた。今までにも何度となく感じた別れの意識、また同じことの繰り返しだと思ったが、付き合い始めがないので、同じことの繰り返しであるわけはない。

 だが、同じ夢の中で、同じようにリナが出てきたのだが、その時のリナは、修に対して妖艶だった。

「お付き合いじゃなくっていいから、私を愛してほしいの」

 何ともいじらしいセリフであろうか。付き合うとなると煩わしさもあるのだろうが、そんなことにこだわることなく、愛してほしいという。お互いに気持ちの疎通がうまくいっている証拠であろうか。

 付き合っている感覚に、暖かさを感じていた修としては、せっかくの申し出だったが、

「俺は君を愛している。だけど、やっぱり付き合っているという確固たる気持ちがある上で君を愛したい」

 と口から出ていた。潔さが滲み出ていたが、少し理屈っぽさも感じた。

――どうして、こんなこというんだろう――

 いつもの自分なら、もう少し砕けた姿勢を示すであろう。しかも、これを夢だと思っているくせに、夢なら何とでも言えると思うはずだ。夢に対して自分は誠実ではないといけないという何かがあるのだろうか。

 ただ、夢の中での行動は迅速で、考えるよりもまずは抱きしめていた。

 抱きしめた腕にリナは抱き付いてくる。重ねた唇の暖かさは、厚みを帯びていた。

 恥じらいは顔から滲み出ていて、頬を重ねると、自分よりも暖かかった。

「あなたの頬、暖かい」

 修は自分よりもリナの方が頬は暖かいと思っていたのに、ビックリした。お互いに相手の暖かさを感じることが、相手を愛しているという一番の証明なのかも知れない。

 リナの肌はきめ細かく、触ると指にザラザラした感触が残る。きめ細かい方がザラザラさを感じるというのは、ちょうど自分の指が舌に変わった時も同じ感触を味わうのではないかと思えるほどだった。

 きめ細かな肌を味わいながら、指はリナの服の上から、胸の隆起に触れた。

「あっ」

 甘い声が響いたかと思うと、思わずドキッとして、指を離そうとする。しかし、それをリナは許さない。手首をつかんで、困ったような表情で、イヤイヤをするかのように首を何度か横に振った。

 リナにとって、修の存在がすべてであるかのように、妖艶なイメージは従順に変わってしまった。

「可愛い」

 というイメージの他に、

「支配したい」

 という感情が浮かんできたのも事実だった。その気持ちを察したのか、嬉しそうな笑みでこちらを見たリナの顔は、起きてからも忘れることがなかった。

「リナというと、この表情」

 というものが確立した瞬間だった。

 普段の明朗闊達なリナも愛すべきキャラクターなのだが、忘れることのできないものが自分にとっての真実だという考えの元であれば、従順な表情のリナが、やはり自分にとってのリナだと言えるだろう。

 だが、別の日に夢で出てきたリナは、深刻な顔をしていた。

「あなたとお別れしなければいけないの」

「どうしてそんなことを言うんだい?」

 まだ付き合ったという感覚がない中での別れの宣告に、戸惑いは隠せない。自分が思っているよりもリナは修のことを思っているのだ。それを気付いてあげられなかった。まさかそれが別れの宣告の理由?

 もしそうだとすれば、リナの考えはどこにあるのだろう? 別れの宣告はあくまでも警告のようなもので、

「もっと私を見て」

 という言葉の裏返しに近いものではないかという思いが頭を過ぎる。

 妖艶で、従順なリナが修にとっての真実ならば、リナにとって修の真実はどこにあるというのだろう? 同じリナでありながら、次に見た時は違っている。夢という幻想世界の成せる業だと言えるのだろうが、本当にそれだけであろうか?

 修は昨日という日を繰り返している夢を最近よく見るようになった。

 まったく同じ日を次の日に経験する。それは目が覚めてすぐに違和感に気付いた時だった。

「あれ? 何かおかしいな」

 目が覚めた瞬間、頭にのしかかるものを感じた。痛みではなく、重石のようなものでもない。目を開けようとしてもなかなか開くことができない状態は、頭痛持ちの修にとっては、頭痛の前兆に他ならなかった。

 痛みは吐き気を催していた。すぐに身体を起こすことは不可能で、仰向けになってしばらく天井を見ているしか仕方がない状態だった。

「天井の模様というのは、どうしてあんなに錯覚を引き起こさせるものが多いのだろうか?」

 ペルシャ絨毯を思わせる幾何学模様ほど目の錯覚を誘発するものではないが、目立たないまでも錯覚を呼び起こす作用のある模様は、明らかに頭痛の種であった。遠近感をマヒさせ、そのまま天井が落下してくるのではないかと思うほどの距離感に、目を中心に広がっている頭痛をさらに誘発させたのだ。

 身体を起こすことができるようになると、まっすぐ洗面所に向かい、顔を洗った。乱暴とも思えるほど力強く蛇口を開くと、両手でこぼさないように水を集め、そのまま一気に顔にぶつけた。鼻に入った水が息苦しさを感じさせるが、頭をスッキリとさせるには、一番の薬だった。

 朝起きてからすぐ、空腹状態であるにも関わらず、何かを食べたいとは思わない。行動を始めてしばらくすると空腹と、食欲の差がほぼなくなっていき、家を出る頃には、ちょうど空腹のピークを迎えるのだった。

 近くの喫茶店でモーニングを食べるのも日課になりつつあり、二日と開けず、店に寄っていた。店の女の子が気に入っているのもその理由で、満面の笑みは何度見ても飽きることはなく、毎日でも寄りたい気持ちになっていたが、彼女がアルバイトに入る日を狙って立ち寄るようになったことで、店の人や常連さんには修が現れる日は、何よりも正確に感じられたのだった。

 いつものモーニングを食べながら、コーヒーを飲んでいる時、やっと一日の最初に落ち着いた気分になれる。だが、その時に不安がよぎるのも事実だった。

「今日もいつもと同じ毎日を繰り返すことになるんだな」

 と、感じるからだ。

 余裕を持つことは、その裏返しに不安も抱えることになるというのは、取り越し苦労をしてしまう人間という動物の悲しい性と言えるのだろうか。それとも、他の人以上に、修は考えすぎるところがあるということだろうか。

 その日も、いつものように歴史の本を開いて読んでいた。史実に基づいた本ばかりを読んできたが、最近は歴史上の人物の性格から、違った世界を描くフィクション系の小説を面白く拝読するようになった。歴史を知らない人でも知名度の高い人物を主人公にして読むことで、きっと歴史が好きになったのだろうという錯覚を与える効果のある本となるであろう。

 しかし、歴史を知っている方がはるかに面白い。作家の立場からすれば、歴史を知っている人に読んでほしいと思っているに違いない。知らない人をいかに興味深くさせたとしても、それはただの宣伝でしかない。議論に値するものではないだけに、作品の質にこだわることはないだろう。真の読者とは、やはり歴史を知っている修のような読者のことを言うのだ。

 本を読んでいると、本の中に入っていきそうだという話を聞くことがあるが、歴史の本ほどそのように感じるものはない。すべての情景が想像でしかない中、ドラマや映画のイメージだけに捉われて読んでいる本は、まさに入り込みやすい大きな穴が目の前に広がっているようだ。

 本を読んでいると眠くなってくるので、あまり一気に読まないようにしている。それでも三十ページほどを一気に読み、睡魔が襲ってくる前に、コーヒーで眠気覚ましを行なった。

 修はスクランブルエッグよりもボイルエッグの方が好きで、横にはウインナーよりもベーコンが乗っている方が好きだった。しかもベーコンは半焼き状態が好きで、カチカチになってしまうと、食べる気もしなくなってしまうのだった。

 ボイルエッグを黄身だけ残し、白身だけを先に食べてしまうと、本を読み終わって、一気に黄身の部分を口の中に押し込んだ。口の中で溢れる黄身は、最初に広がった時に味を感じるわけではなく、軽く息継ぎをした瞬間、おいしさが口の中に広がっていた。それがスクランブルエッグにはない味わいだった。

 睡魔に負ける前に喫茶店を後にした。その日は珍しく常連さんに会うこともなく、店の人と話をすることもなかった。

 一か月に一度か二度、誰とも話をしたくないという時がある。その日は、誰とも話をしたくないと言う日に当たったのだが、幸いなことに常連も誰一人おらず、女の子も忙しそうにしていたので、話しかけられることもなかった。話をしたくないと言っても、寂しさだけは募るもので、どうして話をしたくないのかという理由を考えるのも億劫で、寂しさという代償だけは、どうすることもできなかった。

 会社に向かう道では、リナに出会った交差点を横切って駅に向かうのだが、あれからリナが修の前に現れる予感がしなかった。次に会う約束も、連絡先も交換していなかったのだから、もし会うとすれば、この交差点かあるいは、この間一緒に行ったお店のどちらかであろうが、本当に会いたいと思えば、彼女の方から現れると感じていたのだ。

 その日、会社が終わる頃には、ウンザリするほどの湿気が足元から湧き上がってくるのを感じた。アスファルトは埃を巻き上げ、ここ数日一定の時間に、決まったように降ってくる集中豪雨のせいで、雨が降る前兆を思わせる独特の臭いが漂っていた。

 夕立に最近は会うことはなかった。いつも電車に乗る頃に降り出して、電車を降りると止んでいるというタイミングのよさで、持ってはいるが、傘を使ったことはなかった。これも、

「同じ日を繰り返しているのではないか」

 と思わせる一つの理由でもあった。

 食事など、好きなものはずっと続けることの多い修は、いつも同じモノを飽きるまで食べている。高校時代の学食で、カレーがおいしいと思ったら、何週間でも食べ続けた。

「よく飽きないな」

 と言われることも多かったが、

「俺は飽きるまで食べるからな」

 と笑いながら言い返したが、まんざらでもなかった。

 同じ日を繰り返しているという意識を持つようになったのは、夢を見たからで、夢を見るようになったのは、飽きるまで食べ続けるような性格が災いしているのかも知れないと感じていた。

 そんな毎日を平凡に繰り返しているのが日課になってしまっている修に、一つの刺激を与えてくれたのがリナの存在だった。

 刺激臭のあるエッセンスという表現がちょうどいいかも知れない。今まで好きになった女性たちとはどこか違う。最初から、

「この人とは考え方が合うかも知れない」

 と感じたのは、リナだけだったからだ。

 元々一目惚れなどするタイプではなかった修は、女性を好きになっても、自分から告白する方でもなかった。女性から好きになってもらって、そして告白してもらうことが恋愛の始まりだという思いが強かったからである。

 その日の夕方もリナと会った。リナは次第に饒舌になっていく。最初の出会いが衝撃的だっただけに、今は落ち着いて話ができている。付き合っているという感覚はないのだが、リナの方は、どう思っているのだろう?

 それでもリナの話は興味深かった。夢の話を聞いていると思うと一つの物語を形成できそうに思えるが、本当に彼女の経験からだとすれば、信じがたいものではあった。

「私は毎日を繰り返している人を何人も知っているんですけど、その人たちと二度と会うことはできないんですよ」

「どうしてなんですか?」

「その人と酷似している人と会うことはできるんですけども、相手は私のことを覚えていないんですよね。逆に私が知らない人から声を掛けられることもあります。この間、お会いしましたよねって言われても、いいえとしか答えられないんですよ」

「それが、同じ日を繰り返していると思っている人たちなんですか?」

「そうですね。ハッキリとそのことを口にする人はいないんですけど、きっと同じ仲間を探したいと思っている人が多いんでしょうね。私も最初の頃は、声を掛けていたんですが、最近では無駄だと思って声を掛けなくなりました」

「じゃあ、俺はどうなんでしょう? 同じ日を繰り返しているあなたとこうやって時々お話しているというのは、俺も同じ日を繰り返しているということでしょうか?」

「たぶん、そうではないと思います。私は同じ日を繰り返しながら、急に何日か先に飛んでしまう時があるのを感じるんですよ。数日周期で日にちの辻褄が合っているかのようにですね。ちょうどそのサイクルと合うのがあなたではないかと思っているんですが、これはあくまでも私の想像でしかありません」

 その話を聞いて、ドキッとした。

 確かに修も毎日同じことを繰り返している中で、時々時間を飛び越えたような感覚がある時があった。日にち単位ではなく、時間単位なので、それほど大げさに感じることはなかった。眠っていて、夢を見ていたと思えばいいわけで、実際に眠りから覚めた時に、自分が感じているよりもはるかに時間が経っていることも少なくなかったのである。

 時間調整は辻褄が合うようになっているのだろうか? その人にとってのサイクルがそれぞれ違っていることで、飛び越える時間も違ってくる。着地点が違えば知っている人であっても、会話が通じないこともあるかも知れない。

「あなたのまわりには、きっと私のような時間を飛び越えている女性が何人かいると思うんですよ。その人たちの中にあなたを好きな人は常にいて、あなたのことを探していると思うんです。探してあげてほしいと思っています」

「意味がよく分からないんだけど、それはあなたではないんですか?」

「私も最初はあなたが、自分の好きになる人ではないかと思ったんですが、どうやら、少し違っているみたいなんですね。確かに好感は持てますが、好きになるという感覚とは少し違っています」

 修は、正直まったく意味が分からなかった。

「相手が告白してくれないと、俺には分からないよ」

「告白してはくれると思いますよ。ただ、それにはあなた自身が、彼女たちを理解してあげないといけないかも知れませんね」

「理解とは?」

「同じ時間を繰り返していて、急に数日飛び越える私のような時間を生きている人がいるということをですね。でも、彼女たちには、その自覚がまだないんですよ。彼女たちの時間の感覚は、皆と同じで、時間を飛び越えるなんて概念がない。逆に彼女たちから見れば、修さんのような時間を過ごしている人の方が、時間を飛び越えているように見えているかも知れませんね」

「でも、実際は同じ時間を繰り返しているんでしょう?」

「ええ、だから皆それを夢だと思っているですよ。夢だったら、一度起こったことを意識として持っているわけだから、見ることも不可能ではない。人間というのは、不可思議なことがあれば、それを夢を見たということで片づけてしまおうという習性があるんじゃないかしら」

「リナさんも、誰か好きな人がいるんですか?」

 これは気になることだった。最初から好きという感覚とは違っていたが、好感が持てたのは確かだったし、そんな彼女に誰か好きな人がいると言われれば少なからずショックを受けるに違いない。

「ええ、私にもいますが、彼も同じように思ってくれています。理解してくれているんですね。だから、修さんにも理解してほしいと思っている女性がいるはずなので、その人を探してほしいんですよ」

「どうやって探せばいいんですか? やみくもに聞くわけにもいかないでしょう?」

「もちろん、やみくもにではないですよ。ただ、いつも自分のまわりに自分を好きになってくれている人がいるという意識を持って、まわりを見てみてください。きっとあなたを好きになる人が気付いてくれます。私も同じように自分が好きになった人を見つけることができたんですよ。あなたのオーラが通じる人はいるはずです」

「それは楽しみですね」

「ただ、気を付けなければいけないのは、気持ちをしっかり相手に対して最初から話しておかないと、二回目以降会えるという保証はどこにもないですからね」

「約束しておいてもダメなんですか?」

「問題は、相手を覚えているかどうかということです。それはあなたにも、そして、あなたの相手にもよることですね。それでも、二回目がうまく会うことができれば、それ以降は、保障されます。二人の間にはそういう制約があるということを、しっかり覚えておいてくださいね」

 本当に雲をつかむような話だった。どこまで信じていいのか分からないが、リナの話にはそれなりに説得力がある。しかも、今まで修が漠然と、理由もなく思っていた不思議だと思う気持ちに近いものがあったのだ。

 その日から、修は自分を好きになってくれる人が必ずいるんだという意識を持って毎日を暮すことにした。そう思うと、一日があっという間に過ぎていくように思い、さらに同じ日を繰り返しているという感覚がさらに強くなるのだと感じた。

 実際に翌日は、朝から行動を開始した。とはいっても同じ行動パターンを変えることはしなかった。レナの話では、行動パターンを変えることは一言も出てきていない。変えてはいけないということだろう。

 朝起きて家を出るまでの時間はいつもと変わらなかった。感覚的にもあっという間だったわけでもなければ、なかなか時間が過ぎてくれないわけでもなかった。ただ、表に出ると、いつもよりも風を感じた。普段は絶えず何かを考えていて、毎回違うことを考えているので、ボーっとしながら出かけることが多かった。考えてみれば、毎回違うことを考えていることが、毎日同じことの繰り返しだという意識の裏返しになっていたのかも知れない。

 風は肌に冷たかった。これほど冷たいと今まで感じなかったのが不思議なくらいだ。考え事をしていると、肌の感覚がマヒしてしまうのであろう。集中しているというべきなのか、それとも考え事が意識をボーっとさせているのか、よく分からなかった。

 考え事をしていて、結論を導き出すことができたことなど、そう滅多にあることではなかった。結論を導き出すどころか、いつもある程度のところで、元の考えに戻ってしまう。堂々巡りを繰り返していることを考えている時には意識していないが、後になって、いつも堂々巡りのせいで、結論を出すこともなく、まるで夢から覚めるかのごとく、考え事が何だったかすら忘れてしまうというオチを招いてしまうのだった。

 いつもの道を、喫茶店に向かって歩き始める。まだ午前七時にもなっていない時間なのに、よく見ると、前を数人のサラリーマンが駅に向かって歩いている。普段、交差点などで歩いているスピードに比べて、皆早く感じられる。意識して見ているからそう感じるのか、それとも朝の時間がそれほどせわしいものなのかのどちらかではないだろうか。

 朝、ボンヤリしているとそのまま睡魔に襲われてしまうこともあり、眠気覚ましに行動を機敏にしているのかも知れない。かくいう修自身も、そういえば比較的早歩きをしているようだ。息が切れているのが自分でも分かっている。朝の時間は一日の汗が身体に沁みついていないだけ、一番機敏に動ける時間だからである。

 いつもの喫茶店に到着すると、急に汗が吹き出してきた。最近ではなかったことだが、それだけ緊張が走っているということだろうか。一日の最初に女性を意識するのは、この店でだったからだ。

 お気に入りの女の子は、その日も出勤してきていた。今まではなるべく意識しないようにしていた。意識しているのがバレると恥かしいという意識があり、顔もまともに見れないほど、ウブだったのかも知れない。

 だが、リナと普通に話ができたことで、彼女に対しても意識する必要はないのだと気が付いた。彼女に対してだけではなく、女の子に対して余計な意識を持つことが、却って相手に警戒心を持たれるかも知れないと思うのだった。

「おはよう」

「おはようございます」

 これくらいの会話はいつものことだったが、笑顔で返してくれる彼女に対して、自分がどんな表情になっているかなど、考えたこともなかった。恥かしさから、すぐに顔を背けていたからである。しかし、その日は、笑顔に対して笑顔を返したつもりだった。それでも少しはぎこちなかったかも知れないが、屈託のない彼女の笑顔を見ていると、今度は無意識に顔が綻んでくるのを修は自分でも感じていた。

 彼女の名前は「まりえ」という。どんな字を書くのか分からないが、皆から呼ばれている名前に親しみを感じながら、今まで自分から名前で呼んだことは一度もなかった。店には何度も来ている常連なので、すでに自分も名前で呼んでもいいのだろうが、なかなか言えるものでもなかった。彼女は女子大生だというが、自分から見てそれほど年齢が離れているとは感じていないが、女子大生から見ての三十歳は、どれほどの年上に感じているのだろう。自分が大学時代に三十歳の人を見ると、相当年上に感じたものだ。まりえが年上好みなのかどうかも、大きな問題ではないだろうか。

 他の常連客は、四十歳代くらいの人が多い。近くにある商店街の店長さんが常連としている喫茶店なので、若い人は少ないが、女性大生から見て四十歳代は年が離れすぎていて、却って男性として意識していないのではないだろうか。そういう意味では三十歳の修としては、年齢的に中途半端なのかも知れない。

 まりえの上の名前は知らない。そういえば、話をしたことはあっても、お互いにプライバシーに関しては、一切話したことはなかった。彼女も、修という名前を知っているだけであろう。秋山という苗字で呼ぶ人は誰もいない。この店自体が、名前で呼ぶ習慣があるようだった。

 いつもはカウンターの一番奥に座っていたが、その日は、まりえの正面になるようにカウンターの中央に座っていた。

「珍しいですね。そこに座るなんて」

 座る席は、暗黙の了解で指定席になっていた。特に朝の時間はほとんどが常連客で、誰に気兼ねすることもない時間である。コーヒーの香りが充満する店内は、クーラーが効いていても、暖かさを感じる。暖かさは湿気を帯びていて、汗が滲んでくるようだが、コーヒーの香りの中では汗が滲むくらいの方が心地いい。そう思っているのは修だけであろうか。

 修は、まりえを凝視しつづけたが、まりえは修の視線から目を逸らすような気配はなかった。見つめ合っているというわけではないが、お互いの視線はまわりに不思議な空間を作っているようで、店内に流れているクラシックの音楽すら耳鳴りに聞こえてくるほどだった。

 耳鳴りは、湿気を帯びた空気に刺激されて、まるで高原で鼓膜が張って耳が痛くなる時のようだ。

 まりえの声がハスキーに聞こえた。だが、低音というわけではない。湿気を帯びた空気の中で、霧の中を彷徨っている時に聞こえる山びこが跳ね返ってくるような響きのある声だった。

 耳鳴りがする時というのは、立ちくらみ状態のことが多かった。立っているから立ちくらみを起こすというわけではなく、座っていても、まわりの環境によって立ちくらみ状態を起こすことがある。耳鳴りがする時など、まさにその時だ。

 耳が平衡感覚を司っているのだから、当然のことなのかも知れない。耳に刺激が加わると、視界もまともではなくなることが多かった。

 立ちくらみ状態の時、最初に感じるのは、呼吸困難だった。少しだけ荒くなった息遣いに、気付いたのか、

「大丈夫ですか?」

 と、心配そうにまりえが修の顔を覗き込んでいた。

「大丈夫だよ。ちょっと湿気の強さで、体調が変わることがあるからね」

「私もなんですよ。特に雨の日とかは、すぐに体調を崩します。頭痛がしたり、身体の節々に痛みを覚えたり、指先に痺れを感じることもありますよ」

「僕も同じようなことになることがありましたよ。貧血気味なんじゃないかって思っていたんですけど、僕だけじゃないのなら、貧血気味というわけではないかも知れませんね」

 それでも何とか笑顔を保っていると、最初は心配そうに覗きこんでいたまりえも、笑顔を見せるようになった。

 まりえの笑顔には見覚えがあった。以前にも同じような笑顔を見た気がしていたが、あれは学生時代のことだっただろうか。ただ、自分が付き合ったことのある女性の中には、まりえのような笑顔を見せてくれた女性はいなかった。

 付き合うことはなかったが、大学時代、ずっと気になっている女の子がいた。彼女には付き合っている人がいるようだったので、声を掛けられなかった。誰か付き合っている人に対して、修は横恋慕しようという気にはならなかったのだ。

 他の人から横恋慕されて、付き合っている女の子を奪われてしまう気持ちが分かる気がしたからだ。

 大学時代で一番好きだったのが、その人だったのかも知れない。少なくとも一番長い間思い続けたのはその人だったからだ。結局告白できないまま大学を卒業した。彼女に対しては、憧れだったのだ。

 あまり笑顔を見せたことのない女性だった。付き合っている男性とはまわりも認める「大人の関係」だったようで、まだまだウブだった修に到底相手ができるわけではなかった。

 相手の男と話をしたことがあったが、まるで大人と子供が話をしているようで、尊敬はできるが、友達になれる相手ではなかった。彼と一緒にいるだけで、自分が惨めな思いをする。それが一番耐えられなかったのだ。

 大学三年生の時、二人は別れた。普通であれば、

「よし、俺にもチャンスが回ってきたぞ」

 と意気込むのだろうが、彼女に対しては、

「手を出すことのできない聖域」

 であったのだ。

 それでも、彼女は悲しい表情を見せなかった。相手の男も同じことで、その時に修は彼女に対し、

「こんな女だったんだ」

 と、初めて失望らしきものを感じた。

「悲しいなら、悲しい表情を浮かべればいいのに……。これじゃあ、可愛げがないじゃないか」

 と思った。

 相手の男にも同じことを感じ、

「お前たちは本当に愛し合っていたのか?」

 と思うと腹が立ってくる。付き合っていた時間を無駄だったと思っているのではないかと思うくらいで、それを修が感じる分にはいいのだが、本人たちが感じてしまっては、本当に失望させられると思ったのだ。

 だが、そんな彼女がほとんど見せたことのない笑顔を、修は知っていた。あれはアルバイトで偶然に一緒になった時のことだった。すでに彼女は別れた後で、少しショックな時期があったのを乗り越えてすぐのことだった。

「あら、秋山君じゃないの。久しぶりだわね」

「本当に久しぶり、元気だった?」

「ええ、元気だったわよ」

「それはよかった」

 短い会話だったが、普段会わないところで偶然出会ったことがよほど新鮮だったのか、まるで子供のような笑顔を見せてくれた。誰もまわりは知っている人もいない中で、知り合いを見つけることが、彼女にとって、本当に新鮮なことだったのだろう。まるで砂漠でオアシスを見つけたような気分だったに違いない。

 それから二人の仲は少し近づいた。だが、付き合おうという気には修はならなかった。好きだと言う気持ちに変わりはない。却って強くなったくらいだ。それなのに、なぜ付き合おうと思わなかったのか、それは、彼女が修にとって、「侵すことのできない存在」になってしまったからだった。

 彼女も、

「付き合ってほしい」

 とは言わなかった。もし、あの場面で付き合おうと言っても長続きはしなかったのではないだろうか。ただ、彼女の寂しいという気持ちに乗っかって口説いたとしても、それは本当の愛の形ではないからだ。

 そんな彼女が寂しさの中だとはいえ、見せてくれたあの笑顔。それが修には忘れられないでいた。付き合う必要はあの笑顔を見た時点でなくなってしまったのかも知れないと思ったほどだった。その時の笑顔がまりえの笑顔に浮かんだ。

 あの時の彼女の笑顔に感じたのは、

「寂しさを含んだ、それでいて慕いたい気持ちを表に出した笑顔」

 というイメージだった。

 まりえにも同じものを感じたが、今のまりえの表情のどこに、寂しさを感じるというのだろう。大学時代には、失恋という明らかに寂しさを含む理由があったのだが、目の前にいるまりえからは、そんな表情は浮かんでこない。

――リナが言っていた、俺を好きになってくれる女性が現れるというのは、まりえのことではないのかな?

 リナの言葉を反芻しながら、自分を好きになってくれる女性を思い浮かべていると、浮かんでくるのは、まりえしかいなかった。他に誰かいるとしても、今は思い浮かばない。まずは自分の気を込めた視線を、まりえに送り続けるしかないのだ。

 会話もなく相手を見続けていると、結構疲れるものだ。視線だけを一点に集中していると、視界が狭くなってくる。遠近感がマヒしてくるようで、遠くに見えてくるのだった。しかも次第に暗くなってくるようで、立ちくらみに似た症状が、また戻ってくる気がしてきた。

 たまに視線を逸らすと、元通りの状態に戻るので、再度見つめると、今度は相手がやっと視線に気付いたようだ。最初に浴びせていた視線は何だったのだろうかと思ったが、視線を集めているようでも、相手に感じさせないものではまったくの無意味である。ただ、それだけ視線を凝縮しないといけないということなのかも知れない。最初の視線は、まだまだエネルギーとしては足りないものだったのだろう。

「修さん、どうしたんですか?」

 何事もないような視線を向けたまりえだったが、顔は心なしか赤みがかっていて、その様子からは、純真無垢な雰囲気が感じられた。

「いや、まりえちゃんを見ていると、視線を離すことができなくなってしまってね」

「私も、修さんに見つめられると、ドキドキしてくるんですけど、何だか安心感もあるんですよ。包み込まれると言う感覚なんでしょうか」

 声は大きくないので、まわりには聞こえていないだろう。それでも、まわりを意識することなく大胆なことを言ってくれるまりえがいとおしく、これがリナの言っていた自分を好きになってくれる人の存在を認識させてくれるものだと思うと、修も安心感のある表情を、まりえに返しているのだろうと思うのだった。

 それにしても、こんなに簡単に自分を好きになってくれる人が見つかるとは思わなかった。もし、修がもう少し欲のある男であれば、

――もっと他にも俺のことを好きになってくれる女の子がいるかも知れない。何もまりえ一人で満足することもないんだ――

 と思ったことだろう。

 今まで自分のまわりに、自分を意識してくれる女の子がいなかったこともあって、女性に限らずまわりに対して卑屈になっていた自分にも、運が向いてきたという考え方もできる。そう思うと、まりえ以外にも他に好きになってくれる女性がいるかも知れないと思うのも無理のないことで、探してみようと考えたとしても、それが悪いことだとは思いたくない。

 要は、どちらが自分に正直なのかということであろう。

 修は、自分がそれほど女性にモテる方だと思ったことはないので、自分の信条は一人の女性を大切にすることだと思っている。たくさんの女性と仲良くなるのが悪いことだとは思わないが、自分には似合わない。まず、それだけたくさんの女性の気持ちを分かるだけの技量がないとできないからだ。

 確かにたくさんの女性を相手にしている人は、「遊び人」だというレッテルを貼ってしまうが、レッテルを貼るにしても、それだけたくさんの女性のことを分かっているという証拠であり、尊敬に値するものではないかと思うくらいだった。

 修にはたった一人の女性であっても、相手の気持ちを分かってあげられるだけの技量が自分にあるかどうかすら怪しいと思っている。

「あなたは女心が分かっていないわね」

 大学時代に付き合っていた女性から言われたことがあった。

「あなたとはお友達以上には思えないのよ」

 と言われて、

「じゃあ、お友達から、やり直そう」

 と、すぐに答えた時、彼女は溜息を突きながら、

「あなたは女心が分かっていない」

 と言われたのだ。

 今から思えば、お友達以上に思えないということは、別れの常套文句であることはすぐに分かるが、その頃は分からなかった。ウブだったと言えばそれまでなのだろうが、女心というのを分かってもいない人と付き合っていたと思った彼女は溜息の一つもつきたかったのだろう。

 しかし、その時の女心というのは、今でもハッキリとは分からない。彼女からすれば、ハッキリと別れようと言わなかったのは、相手に対しての思いやりのつもりだったのだろうが、修としてみれば、

「別れを切り出すのなら、ハッキリそう言えばいいじゃないか。回りくどい言い方をされても、分からない。そっちこそ、言いたくないことをオブラートに包んで言ったことで、罪の意識を少しでも少なくしようと思っているんだろう。ということは、罪悪感を少なからず持っているということだ。罪悪感があるなら、ハッキリ言えばいいんだ。あなたが嫌いになったから、別れようって……」

 と言いたいくらいだった。

 もちろん、今から思えばそう感じるのだが、女の別れの切り出し方にだって、問題はある。そう思うと、どっちが悪いのかなど、分からなくなってしまう。別れるにはそれなりの理由があるのだろうが、それを、お友達以上に思えないという漠然とした言い訳をされても、こっちはどうすればいいというのだ。修はあの時のことを思い出すと、自分の世間知らずだったこと、そして、言い訳で別れを切り出す女と付き合っていたこと、そのあたりに問題があったのではないかと思うのだった。

 大学時代には、何度か似たようなことを繰り返した。

 卒業後は、会社の女の子を好きになり、一時期付き合ったことがあった。彼女は、大人しそうな性格に見えたが、結構気が強い。それでも、最初に気弱そうに見えたのは、修が赴任する少し前に失恋を経験していたからだった。

「私は、結婚まで考えていたんです」

 この言葉はショックだったが、修の闘争心に火をつけた結果になったかも知れない。その人は別の会社だったが、転勤で遠くに行ってしまったようだ。ちょうどその後に修が赴任してきたわけで、まるで火事場泥棒のようで、少し気が引けるところもあったが、彼女が修を見つめる目は、修に初めての一目惚れを経験させたのだった。

 彼女は修のことを本当に好きだったようだ。修に対しては今までの女性よりも厳しかった。今までが学生同士の付き合いだったというのもあったが、その時の付き合いは、彼女が明らかに結婚を視野に入れていたことで、少し修との気持ちの間で距離があったことも事実だった。

 だが、修もそんな彼女が好きだった。結婚までは真剣に考えていなかったが、

「この人と結婚できたら、幸せだろうな」

 と思っていた。

 実際に、付き合って行く中で、結婚を意識し始めたのも事実だし、まわりからも、

「結婚するにはお似合いだ」

 という目で見られてもいたようだ。

 だが、結婚を意識し始めると、今度は相手が少し距離を置くようになっていた。修のことを真剣に結婚相手と見るようになって、少し物足りなさを感じるようになったからなのかも知れない。

「一緒に昇った梯子を、自分だけさっさと降りてから、外されてしまった感じだ」

 要するに、置き去りにされてしまったのだ。

 こんな時のショックをいかに癒すことができるかなど、その時の修には持ち合わせていなかった。今同じことが起こったとしても、対処するのは難しいだろう。精神的に打ちのめされて、どうやって立ち直ったのか覚えていないほどのショックは、かなりの間、精神的に尾を引いた。

 しかし、一旦忘れてしまうと、今度は思い出すことの方が難しいくらいに、ポッカリと頭の中に大きな溝を作ったかのようになっていた。

「あの時のショックは何だったんだろう?」

 トラウマとしては残ったはずなのに、どうしてこんなに簡単に忘れてしまったのだろう? 不思議で仕方がなかった。

 大きなショックから立ち直る時というのは、何かを掴むことだと言われるが、逆に何かを失っている時だと思う。何を掴んで何を忘れてしまっているのか、その差がどれほどのものなのかはその時々で違うのだろうが、少なくとも、その時から修は感覚がマヒすることが多くなっているのに気が付いていた。

 何も感じなくなったこともある。

 家族に対しての感情も薄れてきた。家族愛などという言葉も、まるで他人事。そんな修だったが、恋愛はもういいと思っていた。

 最近まで修は、その時の恋愛を完全に忘れていた。ここまで完全に忘れてしまっていたというのは、まるで記憶喪失のような感じだったのかも知れない。人に恋愛経験を聞かれた時も、

「学生時代に二度ほど恋愛経験があるだけで、大人の恋愛など経験したことはなかったですよ」

 と、答えていたに違いない。それほどのショックは記憶を喪失させるだけのものであって、それが修の精神の弱さを示しているものなのかどうか、自分でも分かっていなかったのである。

 それを思い出させてくれたのは、リナとの出会いだった。

「あなたを好きになってくれる人が必ずいるはずだから」

 という言葉を聞いて、目からウロコが落ちた気分になったことで、忘れていたはずの記憶がよみがえってきたに違いない。記憶は飛んでいたものではなく、封印されていたものなのだろう。思い出すことができたことは、本当によかったと思っている。

 今さら思い出したとしても、ショックはすでになく、思い出として残っている。

「もし、今彼女と会ったら、どんな話をするだろう?」

 もっとも、話などできるであろうか。何を話していいのか分かるはずもなく。ただ佇んでいるだけになるかも知れない。

 しかし、一度は胸を焦がすほど好きだった相手である。ひょっとするとまた同じことを繰り返すかも知れないとも感じた。それでもいいと思うのは、一度完全に記憶の奥に封印されてしまったからであろうか。修にとっての彼女は、これからの人生にどのような影響を与えるのか、まったくの未知数であった。

――このまま忘れてしまっていた方が幸せだったかも知れないな――

 と思う時が来るような気がしていた。それが怖くて仕方がない気もしていたが、出会いということに対して感覚がマヒしてしまったままでは、せっかくの自分を好きになってくれる人に気付かないというのは悲しいことだ。

「まりえちゃんは、誰か付き合っている人、いるのかい?」

「いいえ、いませんよ。いればいいんですけど、誰かいい人いますか?」

 その顔はまるで、

「それは僕のこと?」

 と聞いてほしいと言わんばかりに思えた。相手の気持ちが手に取るように分かり、その通りにするのは少し癪な気もしたが、それもくすぐったい気持ちにさせるだけで、心地よさに繋がるものだ。思ったことをそのまま行動に移すと、まりえは笑みを浮かべた。それは満足そうな笑みで、

「修さんと、お付き合いできれば、ステキでしょうね。デートとかどこに連れて行ってくれるのかしら?」

 もう付き合い始めたような感覚である。

 それにしても、まりえがこれほど積極的な性格だとは思わなかった。大人しそうな性格で引っ込み思案に見え、それがいいと思っていたが、本当は、

「まわりに対して言えないことでも、自分にだけは話してくれ、そして他の人の前では見せない笑顔を、自分にだけ見せてくれることのできる彼女が好きなんだ」

 と思っていたのだ。

 今のまりえが、まさしくそんな雰囲気ではないだろうか。お互いにデートということに関しては思い入れがあるようで、話が弾んでいた。映画を見たり、ショッピングに出かけたり、楽しい発想は一人で浮かんでこないことも話をしているうちに、いくらでも浮かんでくるものだった。

「楽しい話をしていると、時間が経つのを忘れてしまいますね」

「そうだね。時間なんてあっという間というのは、このことなんだろうね」

 お互いに時間に対しての思いも似たところがあるのか、その後は、時間に対しての話に花が咲いていた。

「楽しいことほど、永遠に続いてほしいという思いのある時間だと思っているんだけど、気が付けばあっという間に時間が過ぎてしまっているよね」

「そうですね。でも本当にその通りで、それも、意識しすぎてしまうからなのかも知れませんね」

「終わってほしくないという思いがお互いにあればの話だと思うよ。相手と気持ちに距離を少しでも感じると、かなり違和感があって、時間の感じ方も、相当変わってくると思うんだ」

「同じことを絶えず考えているというわけではないので、だから会話が必要だって思いますよね。お互いに理解し合えるところが多ければ多いほど、気が合うということですからね。すべてが合うなんてことあり得ないことですし、少しでも同じところを見つけていこうと思うのも、恋愛には大切なことだって思うんです」

「まりえちゃんは、同じ日を繰り返していると思ったことは、今までになかったかい?」

 核心に触れた気がしたが、まりえは少し黙ってしまった。

「ええ、最近特にそう思うことがあるんですが、人に話してはいけないことだと思っていたんですよ」

「どうしてだい?」

「だって、昔から変調があったりしたことを人に話すと、ロクなことがないというじゃないですか」

「それはおとぎ話の類だね。でも、僕は逆に同じことを考えている人が他にいないかって探してみたくなる方なんだよ」

「じゃあ、修さんも感じることがあるんですか?」

「たまにだけどね。でも、実際に同じ日を繰り返した感覚が残っていることもあったんだよ。きっと夢を見たんだろうね」

「私もそう感じました。でも、そんな時、寂しさがこみ上げてきて、無性に誰かと話をしたくなるんですよ。でも、話をしてしまっていいものかどうか、本当に考えてしまって、タブーを話すことで、本当に繰り返している毎日が本当になったら怖いと思うようになったんです」

「僕も寂しさを感じたよ。でも、それは自分の中にある矛盾を解消できないことでの苛立ちが、寂しさを感じさせているのかも知れないとも思ったね」

「自分の中にある矛盾?」

「夢だとすると、どうしても理解できないところがある。今までは夢だと思えば、すべてが理解できると思っていたのに、そうではないこともあるようなんだ。それが何なのか、いまだに分かってはいないんだけどね」

 と、修はまりえに話した。

 まりえとの話はそれ以上進展することはなかった。少し難しい話になると思ったからで、楽しい時間があっという間だという感覚も手伝って、そろそろ閉店の時間となっていた。

「また、今度ゆっくりお話しましょう」

 と言って、その日は別れた。修は、

――また明日来てみよう――

 と思い、そのまま家路を急いだのだった。

 すっかり夜のとばりは降りていて、ここまで遅くなったのも久しぶりだと思いながら、住宅街を歩いていた。

 足元から伸びる影は、いつもより長く感じられた。そういえば、今日の月は低い位置にあり、思ったよりも大きかった。限りなく白に近い色で、足元から伸びている。骨董品屋で見た、西洋の城の絵を思い出した。

「あの絵も、昼間なのに、月が出ていたような気がしたな」

 そういえば、あの時骨董品屋で見た絵のほとんどに月が写っていたのを見た気がした。変だとは思ったが、それ以上の意識がなかったのはなぜだろう? 絵に対して一つ何かが気になれば、他の絵に対しても同じものを確認してしまうのは、無意識の行動だった。

 次の日、いつものように目を覚ました。毎日同じ目覚めであったが、昨日とは明らかに違っていることは、すぐに分かった。なぜ分かったのかというと、大時計の時を刻む音に違いがあったからだ。

「今日は昨日の繰り返しではないんだ」

 と思うと、ホッとした気分になった。

 いつものように顔を洗って、同じように行動しても繰り返しではないと思っただけで、気が楽だった。きっと今日は昨日よりもボイルエッグがおいしいに違いない。

 空腹感は昨日よりもあった。昨日の空腹感まで覚えているというのは珍しいことで、それだけ昨日を繰り返しているのではないかという気分にならなかったことが嬉しかったに違いない。

 いつもの喫茶店に入ると、同じような湿気を感じたが、昨日ほどコーヒーの苦みを匂いに感じることはなかった。少し空気に薄さを感じるほどで、立ちくらみを起こさないかが心配でもあった。

 その日、まりえは少し遅れてやってきた。

「すみません、遅くなりました」

「どうしたの? まりえちゃんらしくもないじゃない」

 奥さんに、言われている話を聞くと、遅刻するなど今までのまりえからは考えられないことのようだ。それほど几帳面な性格なのだろう。確かにいつものまりえを見ていると、几帳面さが顔からも滲み出ていた。

 まりえは、奥さんから言われて、少ししょげているようだった。

――おかしいな――

 どうもいつもの彼女とは違っているように感じた。

「どこが違っている?」

 と聞かれると、漠然と変わっているとしか答えようがないのだが、それにしても、今日は普段見たことのない素振りを見せるまりえを見て、まるで別人であるかのように感じられた。

 だからといって、嫌いになったというわけではない。逆に、

――こんな一面もあるんだ――

 と、今まで知らなかったまりえを見たようで、不思議な気分だった。

 人から何かを言われてしょげている姿は、他の人であれば、少し惨めに見えるが、まりえには惨めさは感じなかった。それだけいつも律儀で健気なところがあるのだろう。何か言われても決してしょげたりせずにいつも笑顔でいる。相当無理しているところがあるのではないだろうか。

 今日のまりえの顔を見ていると、明らかにいつもと違う。何かに怯えているかのようにまわりをキョロキョロ見ているし、その顔には血の気が引いているかのようだ。

「まりえちゃん、どうしたんだい?」

 と、話しかけてみると、彼女は驚いたように、さらに身体を委縮させていた。

「すみません。どなたでしたっけ?」

「えっ?」

 一瞬、我が耳を疑った修だった。

「どなたでしたっけって、僕だよ。秋山修だよ」

「ごめんなさい。何となく記憶にあるような気がするんですけど、今日は頭が混乱しているみたいなの」

 と、言って涙目になっていた。

 明らかにいつもと違っている。いつものまりえは落ち着いているのに、明朗闊達なところが特徴なのに、今日はまったく正反対の性格だ。まるで、彼女の中にジキルとハイドがいるようだ。

 もし、二重人格だとすれば、今までにもその兆候が表れていて、少しは分かったはずなのに、まりえから二重人格の気は想像もつかなかった。しかも、修のことを完全に忘れてしまっているようだ。口では、

「何となく記憶にあるような」

 とは言っているが、見ている限り記憶にはなさそうだ。もし少しでも記憶にあるとするならば、思い出そうとするはずで、その素振りが見えないのは、まったく記憶にないからだろう。

――今日になって、記憶喪失になってしまった?

 そのわりにはまわりは落ち着いているように見える。今のまりえを皆分かっていて、知らないのは修だけだというのだろうか。

「今日のまりえちゃん、少しおかしくないですか?」

 トイレに行くふりをして、奥さんに、奥で耳打ちしてみた。

「うん、少しだけ変な気がするけど、あんな感じじゃないかしら?」

「あんなに怯えのあるまりえちゃん、初めて見た気がするんですけど」

「あんな感じじゃないかしら。ウブな感じがお客さんにもウケるみたいで、あの子ならって少々のミスは大目に見てくれたりするんですよ。店の者としては、ちょっときつく言ったりはしますけどね」

 と言って苦笑いをしていた。

――どういうことなのだろう?

 奥さんは修の知らないまりえの性格を、本当のまりえの性格だと思っているようだ。

「あっ、ごめんなさい」

 ママの言葉通り、まりえは他のお客の前でミスをしたようだ。常連の客なので、

「いいよいいよ」

 と、ニコニコ笑いながら、気にしていないようだった。昨日までのまりえからは想像もできない光景だった。

 だが、もし修が、今のまりえを最初に知っていたとしたらどうであろうか?

 好きにならなかったという気はしない。今のまりえは修の知っているまりえではない。まりえの格好をした、外見だけが同じで中身はまったく違う女性であった。もし今のまりえを昨日までのまりえと同じように好きになるとすれば、修はまりえの容姿や外見だけで好きになったことになる。

 いや、修が好きになったのは、外見だけでも性格だけでもなかったはずだ。まりえの顔をした、自分が好きな性格の女の子を好きになったはずなのだ。だからこそ、今のまりえに人一倍の違和感があるのだ。

――まりえの容姿外見があってこその、あの性格なのだ――

 そう思っているから、好きになったはずだ。まりえのすべてを好きになったということが本心なのだ。

 今日、まりえを見て、最初に感じたことは、

――記憶喪失になったのかな?

 と思ったことだった。それは自分を知らないと言ったことがすべてだったが、記憶を失っただけで、性格までが変わってしまうというのもおかしなものだ。しかもまわりが誰もうろたえていない。ということは、記憶喪失ではなく、今のまりえも、まわりにとっては「普段のまりえなのだ」

 と思ったのだ。

 奥さんに聞いても、さほど驚いているわけではなく、むしろ今のまりえの性格を分析までできている。そう思うと、修の見方が少し違っているのだろう。

 今のまりえを好きになろうとしているのは、自分だけが置いて行かれているような気がしたからだ。今のどうしようもなく、やるせない気持ちをどうすれば解消できるかを考えていた。

――まるで鬱状態に陥ったみたいだ――

 鬱状態に陥ると、気になっていること以外もすべて、まったく違う世界に飛び込んだ気がする。そして、何が気になっていたのかすら忘れてしまうほど、感覚がマヒしてきていることを思い知らされるのだ。

 昨日までのまりえはどこに行ってしまったのだろう?

 いや、昨日までではなく、昨日のまりえなのかも知れない。毎日が違う人格になってしまっているのか、急に今日から変わってしまったのか、どちらにしても、感覚的に信じられるものではない。

 パラレルワールドという言葉を聞いたことがあった。同じ人間でも、次の瞬間には無限に可能性が秘められていて、今生きている世界は、偶然の産物ではないかとパラレルワールドの話を聞いた時に感じた。

 一歩、違った方向に踏み出しただけで、まったく違った世界が広がっている。時間が経つにつれ、それが無限に広がっていくのだ。放射線に広がる世界は、果てしないものなのだろうか。

 ひょっとすると、まりえが同じ日を繰り返しているのかも知れないと思ったのは、まんざらおかしな考えでもなかった。ただ、そのことを思ったのが、翌日以降だったのか、それとも最初から分かっていたのか、今から思えばどちらとも言い難いところがあった。

 少しおかしな一日だと思って、その日が終わった。

 いや、終わったはずだった。

 確かに翌日になったはずで、確かに昨日は水曜日で、今日が木曜日のはずだった。

 いつものように目覚ましが鳴り、目が覚めた。飛び起きた感覚に覚えがあった。

――あれ?

 確かに昨日の飛び起き方に似ていた。それは見ていた夢が同じだったと感じたからだ。「もう少し見ていたい」

 と、思っていた楽しい夢だったのだが、相変わらず、目が覚めるとどんな夢を見ていたのか、すっかり忘れてしまっていた。

 だが、違うところは、前の日に見た時には完全に忘れていた夢を、今日は少しだけだが記憶に残っていることだった。

 楽しい夢だったのだが、それがどのように楽しいものだったのかが思い出せない。それでも、

「もう少しだったのに」

 と、目が覚める過程で、思わず寝言のように呟いてしまったのは記憶になるのだ。一体それが何を意味していたのか、目が覚めるにしたがって、大きな問題ではないように感じられた。

 目を覚ましていつものように天井を見る。落ちてきそうに感じる錯覚を覚えながら、目は天井を見つめている。これも毎日同じことだった。

――同じことを繰り返している時間も、結構あるんだな――

 特に朝、目を覚ました時は、ほとんど毎日変わりのない行動パターンだ。当然、考えていることも同じで、それでも毎日を繰り返していると言う感覚に辿り着くことはない。それだけ毎日を繰り返しているという感覚は突飛なもので、いつも頭の中にあるというものでもない。

 顔を洗う時に感じる冷たさ、水しぶきの大きさ、普段は昨日のことなど覚えていないものなのに、今日だけは鮮明に覚えている。まるでついさっきのことのように覚えているのは、同じ日を繰り返しているからだと思い、突飛ではあるが、妙に説得力がある気がするのだ。

 同じ日を繰り返しているのであれば、朝の喫茶店でも、昨日と同じことだろう。会話まで同じなのかが疑問だが、まりえがどのような態度を取ってくれるかが、興味深いところだった。

 いつもと同じコーヒーの香り、湿気も十分に感じながら、扉を開けると、面子は昨日と同じだった。見たこともない人がいると思ったが、よく見ると、昨日もいたように思えた。ちょうど昨日が初来店だった人だ。

 指定席に座り、まりえを見る。

「おはよう」

 声を掛けると、

「おはようございます。今日もいつものですね?」

 まりえの笑顔は見慣れた笑顔だった。そして、修の「いつもの」、つまりボイルエッグのモーニングセットが出てくることは、その時点でお約束の暗黙の了解だったのだ。

――よかった。いつものまりえだ――

「元気だった?」

 修は思わず、懐かしい人に会ったかのような口調になった。昨日のまりえがまったく自分を知らない様子だったことにかなりショックが大きかったのだろう。それだけまりえと会うのが、相当前だったように思えたのだ。

「いやあね。まるでだいぶ会っていなかったみたいな言い方じゃないの。二日ぶりだっけ?」

「あ、ああ、そうだね」

 やはり昨日のまりえは、いつものまりえではないのだ。修は続けた。

「昨日は、どうしたんだい?」

「えっ、昨日ですか? 昨日も私はここにいましたよ。修さんとは会った記憶がないんですけど、修さんが来ないなんて珍しいと思ったんですよ」

 本当は来ていたことを言おうと、喉まで出かかっている言葉を飲み込んだ。言ってもいいのだが、まりえにしてみれば、まったく知らないことなので、余計な心配を掛けてしまうと思い、余計なことは言わなかった。

「そうなんだね。昨日は、このお店、いつもと違ったかい?」

「そういえば、少し違った気がしましたね。一番違ったのは、私の目の前に修さんがいなかったことですけどね」

「そう言ってくれると嬉しいんだけど、でも僕も今日ここに来て、こうやって話をするのは、本当に久しぶりって感じがしたんだよ」

「そうですか? 私は昨日会わなかったわりには、いつもと変わらない感覚ですよ」

 実は、修も本当はまりえと同じ気持ちだった。

「でもね、確かに最初は久しぶりだって気がしたんだけど、今はついさっきまで話をしていて、少しだけ休憩が入ったくらいの程度にしか時間が経っていないような気がするくらいなんだ。それだけ、俺がまりえちゃんを意識しているということかも知れないね」

 遠回しの告白にも聞こえるニュアンスの話し方をしたが、

「私も同じ感覚ですね。私も修さんを意識してしまうと、昨日のことなのに、まるでさっきのことのように思えるくらいなんですよ」

 告白に対して素直に返してくれたが、その中で修の感じている疑問に対しての回答は、得られることはできなかった。

「嬉しいことを言ってくれるね。でも暖かい気持ちになれるのは、目の前にまりえちゃんが立ってくれているからなんだよ」

「そばにいるだけで存在感を感じさせてあげられるなんて感激です。私ももう寂しくなんかないと思っていますよ」

 まりえを好きになった自分を本当に誇らしげに思う修だった。

――こんなにいじらしく、そして慕ってくれている女の子を好きになったなんて、まるで夢を見ているようだ――

 夢を見ているようだなんて言えば、まりえに失礼だ。しかも夢というのは、最近修にとって微妙な感覚になりつつある。夢を意識していることが自分にとっていいことなのか悪いことなのか、分からないからだ。

 今までに好きになった相手と、まりえは明らかに違っていた。今までに好きになった相手にもいろいろ好きになったパターンがあったが、一番気になったのは一目惚れをした相手だった。

 実際に、今でもその時の彼女を思い出すことがある。夢に出てくることもあり、あの時の感覚を思い出させるのだったが、目が覚めてしまうと、しばらくボーっとしていないと、過去の記憶を封印できなくなってしまいそうに思うのだった。

 記憶を封印するということは、修の中で重要な役目を示している。

 記憶が封印できないと、後から入ってくる記憶が入りきらなくて、表に出ている意識がパンクしてしまうのだ。それでなければ、完全に忘れていくしかない。

 だが、修の性格は、完全にものを忘れることのできない性格である。

「いらないものを簡単に捨てることができれば、本当にいいんだけどな」

 という意識があるほど、必要なものと不要なものとの切り分けが苦手だったのだ。整理整頓ができないと言ってしまえばそれまでなのだが、もう少し取捨選択ができれば、性格的にも落ち着いてくるはずだと思っている。

「捨てるものが分からないほど、たくさんのものを生み出しているんだ」

 という考えは、自分本位なのだろうが、そうやって自分をごまかしているところがあるのも、修の悪い性格の一つでもあった。

 何を捨てていいか分からない間は、まだまだ発展性のある性格だと思った。ただ、前ばかりを見て、後ろを振り返ることをしないのは、若いうちであれば、それでもいいのだろうが、三十歳になっても、それでいいのかどうか、最近では自分でも疑問に思うのだ。

 まりえに限らず、今度人を好きになったら、少しは変わるだろうと思っていたが、根本的な性格が変わるわけではないので、そう簡単には変わることはない。

 長所の裏返しが短所であり、短所の裏返しが長所だと言う話をよく聞くが、確かにその通り、短所を治すことばかりを考えるのではなく、長所を伸ばすことで、短所を補えればそれでいいのではないだろうか。

 そう思っていると、いつの間にか短所が治っているということもあるのではないかと思うのだが、間違いではないように思えたのだ。

 まりえとの仲が深まってくる中で、修は今までに見たまりえの夢がよみがえってきた。忘れてしまっていたと思っていた夢だったが、その内容は大したことではないものが多かった。

 忘れてしまっても仕方がないと思えるような夢だったが、その時は確かに新鮮で、夢に見るほど、まりえを好きになったという証拠だった。

 デートで遊園地に出かけたり、ショッピングに出かけたりというもので、それは中学時代に初めて異性を意識し始めた頃に感じた淡い恋心が想像できるデートのパターンだったのだ。

 今から思えば、赤面してしまいそうな夢だ。三十歳にもなるのに、まるで中学生のデートを思い浮かべるなど、それこそ封印して忘れてしまいたいような夢である。

 ということは、今までに封印してしまった夢の中には、同じように今から思えば赤面してしまうような恥かしい夢を見たというのも、かなり含まれているのかも知れない。そう思うと、夢も限られた意識の中でしか見ることのできないものなのだろう。

「夢とは潜在意識の見せるもの」

 と言われるが、まさしくその通りだ。

 自分で可能だと思うこと以外を見ることなど不可能であり、潜在意識がどれほど浅いものであるかということを思い知ることにもなるのだろう。

 子供のデートであっても、それが憧れとしてずっと残っていて、子供の頃から抱いていたイメージをそのまま映し出した相手が自分の好きなタイプの女の子だとすれば、好きになる相手のパターンは限りなく狭まれているに違いない。

 今まで好きになった女性もその類を漏れず、ある程度のパターンに沿った女の子だったのだ。

 就職してすぐ、一目惚れした女性に対しても、同じイメージだったのだが、相手が結婚を考えていたことで、まったく違った感覚に出来上がった恋愛は、うまくいくはずもなかった。

 まりえは、まさしく学生時代からずっと抱いてきた好きなタイプの女性そのものである。一目惚れまではしていないが、それに近いものはあったはずだ。

 初めて好きになった人を思い出してみると、まりえと完全にダブっている。最初に好きになった人、あるいは初恋の人がそのまま自分のタイプの女性としてイメージされることは往々にしてあるのだろうが、修はまさにそのパターンに嵌っていた。

 まりえは昨日、修がいなかったと言ったが、修にしてみれば、目の前にいたまりえはいつものまりえではなかったイメージがいまだに頭の中にある。違ったと言っても、まったくの別人ではない。まりえのイメージを残したまま、雰囲気が違った。まりえに対して雰囲気が違えば、それはまったくの別人となるのだ。

「俺は、今日が昨日のような気がするんだけど、おかしな感覚だよね」

 まりえに対して、あまり刺激しないような言い方をしたつもりだったが、それはこの間話をした内容に少し発展性を加えた形だった。だが、まりえにも思うところが多々あるようで、

「そうなんですよ。私も時々感じることがあるんですけども、まるで夢のようなお話だと思うので誰にも話さなかったんですけどね。でも、修さんにはそのうちに話そうと思っていたんですよ」

「どうしてだい?」

「修さんなら、私の話を笑わずに聞いてくれそうな気がしたからですね。私のことを真剣に見てくれているのが分かるから……」

 と嬉しいことを言ってくれる。

「その気持ちは、僕は絶えず、まりえちゃんに抱いているつもりだよ」

 優しく言うと、すでにまりえは涙目になっているのを感じた。想像以上に感受性の強い女の子のようだ。

「その気持ちだけでも嬉しいです。私、子供の頃から、人と話をするのが苦手で、話題というとどうしても突飛なことになってしまうことが多かったので、まわりから、胡散臭いって言われていたんです。だから、普通にお話を聞いてくれる人は、まわりにいなかったんですよ」

「その気持ち、分かる気がするよ。確かに僕も、子供の頃、同じような気持ちになったことがあったからね。それで人を嫌いになったこともあったし、人から嫌われたこともあったんだ。だから、話を聞いてくれる人、そして、僕が考えているのと同じ考えを話してくれる人にいつかは出会えると思いながら、なかなか出会えないのは、寂しかったんだよ」

「私は最近、自分を知っている人が減ってきているような気がしていたんですよ」

 急に神妙な顔になったかと思ったまりえが、そんなことを口にしたのだ。

「どうしてなんだい?」

「こんなこと、他の人には話せないんですけど、修さんなら信じてくれそうな気がするんです。最初は寂しさからだと思ったんですけど、確かに自分を知っている人が減ってきているような気がするんです」

 自分にだけ話せると言われると、さすがに嬉しいものだ。

「それは、まりえちゃんが知っている人が減ってきているということなの? それとも、まりえちゃんは知っているんだけど、相手がまりえちゃんのことを知らないという人が減ってきているということなの?」

 同じ言葉でも、内容はまったく正反対だ。

「私が知っているんだけど、私を知っている人が減ってきているんですよ」

 どうやら、後者のようだ。

 どちらも、イメージとしてはヘビーだが、自分が知っていて、相手が知らないというのは精神的なショックが大きい。忘れられていると言う可能性よりも、知らない世界に飛び込んでいることに気付かないという方が怖いのだ。

「知らない人がまわりにいるのも気にはなるけど、でも知っている人が普通にいれば、気にはならないよね。でも自分が知っている人に対して、相手が自分を知らないというのは、同じ環境でも、そこには違った世界が広がっているイメージだよね」

「パラレルワールドという言葉をご存じですか?」

「知ってるよ。SFなんかで出てくる言葉だよね。同じ環境であっても、次の瞬間には、無限の可能性が開けているってイメージが僕にはあるんだ」

「私は、時々同じ日を繰り返しているんじゃないかって思う時、パラレルワールドを思い出すんですよ。一日が終わるとどこに出てくるか分からない。それが前の日であったとしても、不思議ではない気がしてですね」

「毎日が、規則正しく刻まれていることの方が奇跡に近いと思ったことがあるんだけど、その発想に似ているのかな?」

「そうかも知れませんね。パラレルワールドを考えていると、自分のことを知っている人が少なくなったことも説明が付く気がするんです。でも、パラレルワールド自体を信じない人も多いでしょうけどね。それでも、パラレルワールドを理解することは難しくないと思うんですよ。今までに合点の行かないことに直面したことのない人など、いないはずですからね」

「理解しがたいことをすべて一つのことで解決させようというのは、無理なことだと思うんですけど、一つのことを少しでも理解できれば、他のことも理解できてくるような気がしてくるから不思議なんですよね」

「その通りですね。やはり修さんとは気が合うんでしょうね。他の人に話せないことでも修さんには話せるんですよ」

 修は、少し話の流れを変えてみようと思った。同じ日を同じように繰り返している中でも、少し違った見方があったからだ。

「私は、同じ日を繰り返していると思っているんですけども、まったく同じだとは思えないんですよ」

「それは、どういう意味ですか?」

「例えば、同じように同じ時間に、目の前を車が通過したとして、その車の色が違っているとか、少しでも違うことがあると、そこから、違った変化があるような気がするんですね」

「それは車の中に乗っている人が違うとか?」

「車の色が違えば、当然中に乗っている人も違っているでしょうね。そのことに気付くか気付かないかで、その先の展開も違ってくる」

「ということは、車の色の違いに気付くということは、どれだけ困難かということを意味しているのかも知れないですね」

「そうなんだよね。だから、一つでも記憶の糸が違っていると、意識は繋がらなくなってくる。実際に繋がらなくなった意識もあるかも知れないんだけど、そんな意識はない。都合の悪いことは忘れてしまうか、記憶という括りで一つに封印されてしまっているかも知れないね」

「私は、封印できる記憶というのは限られていると思っているんですよ。人によっては無限にあるんじゃないかって思っている人もいるかも知れないですけれども、思ったよりも小さい気がするんですね。だから少しでも広く見せようと、辻褄の合わないことは消して行っているんじゃないでしょうか。もちろん、記憶を消すのは自分本人なんですけど、それも無意識でないと意味がないように思うんですよね。同じ日を繰り返しているように思うのは、本当はパラレルワールドなんかじゃなくて、封印できる記憶の限界を、自分で探っているからではないかって思うこともあります」

 まりえの意見に、なるほどと思うところがあった。確かにパラレルワールドの存在を否定はできないが、それらすべてをパラレルワールドのせいにしてしまうのも乱暴な気がしていた。まりえの考えているように、自分の感覚の中にあるものこそ、パラレルワールドでしか解決できないことを理論として解決するための意識が、存在しているのではないだろうか。

 ただ、逆も考えられる。パラレルワールドの存在を信じているからこそ、まりえのように封印できる記憶の限界などという発想が生まれてくるのだろう。その考えが、パラレルワールドを気持ちの中で立証しているのかも知れない。

「同じ日を繰り返しているかも知れないと思っている人って、結構いるんじゃないかって思うんですよ」

「どうして、そう思うんだい?」

「修さんも同じことを考えていたんだって、思うんですが違いますか? しかも、ここ二、三日の間にですね」

「まさしく、その通りだね、同じ匂いのする人を分かるという感覚なのかな?」

「そうかも知れません。私は他のことには、あまり自信が持てる方ではないんですけど、このことに関しては、なぜか自信があるんですよ。でも、だからといって修さんに声を掛けたのは、このことだけじゃないからですね」

 そう言って、まりえは舌を出し、おどけて見せた。そんなところが可愛らしさを誘う。それがまりえを好きになった理由の一つでもあった。おどけた表情は幼さやあどけなさを感じさせ、修の気持ちを落ち着かせる効果があるようだ。

「確かに同じ日を繰り返しているという意識はあるんだ。本当にそれを感じ始めたのがいつだったのかと言われるとハッキリしないんだけど、徐々に意識が深まっていったようだね」

「それは、自分の意識に自信がないからでしょうね。そんなはずはないという思いがどうしてもあるので、自分の中の常識としての意識が邪魔をしていると言っても過言ではないんでしょう。だから、徐々にしか意識が生まれてこないんですよ」

「まりえちゃんの言う通りだね。徐々にしか意識が生まれないのは、自分の考えていることがあまりにも大それていると思っているからなんですよ。普通、同じ日を繰り返しているなど誰も思ったりはしませんからね。でも、絶対にそんなことはないんだと思っていることこそ、最近は気になってしまうんですよ」

「気になるから、いろいろ考えてしまうんですけど、私の場合は考えすぎて、堂々巡りを繰り返してしまうんです。そのため、自分の考えから抜けられなくなってしまうんじゃないかって思ってしまうんですよ」

「僕も抜けられないことが多いです。三歩進んで二歩下がるって感覚ですね。だから、結局一歩しか進んでいないので、徐々にしか意識が生まれてこない気がするんでしょうね」

「同じ日を繰り返すという感覚が、意識の中で大きくなりすぎて、意識の限界を超えそうになることってあるかも知れませんね。私は時々思うんですよ。考えすぎて意識がパンクしちゃうんじゃないかって」

「僕の場合は、それが堂々巡りになっているので、限界を感じることはないんですよ。ただ、抜けられない意識が強いので、どこかで意識を変えないと、他のことが頭に入ってこなくなるので、それも難しいところだと思っています」

「修さんは、もし、毎日を繰り返している時があるのだとしたら、どうすれば、そこから抜けられると思ってますか?」

 まりえと修は、同じ日を繰り返しているというところで、一致した意見を持っているが、そのことで感じていることは、まったく違っている。まりえの方では、意識の限界を感じていて、修の方では堂々巡りを繰り返すことで、抜けられないと思っているのだ。どちらが強い意識を持っていて、どちらがきついと思っているのか比較にはならないだろうが、話をしていくうちに、何か解決の糸口であったり、お互いの疑問点を解消できることが見つかれば幸いだと思っていた。

 そのことについては、二人とも共通した意見であろう。特にまりえの場合は、同じ意識を持った人は思っているよりたくさんいると思っていながら、なかなか見つからなかったことに苛立ちに近いものすら感じていたようだ。だからこそ、修の存在は新鮮であり、出会えたことを嬉しく思っているのだろう。お互いに好きあっているのではないかと修は思っているようだが、まりえの方の本心に関しては、話をしているうちに次第に分からなくなってきた修である。

 だが、話をしてみないと分からないことが多いのも、まりえと修の関係ではないだろうか。そのことをまりえも分かっているようで、積極的に話してくれる。それは修にとってもありがたいことで、自分が疑問に思っていたことが解決されるはずだからである。真面目な話でありながら、話の中にすべての意識を集中させてしまわないようにしなければと思うほど難しい話であった。

「下手に意識しない方がいいと思うんだけど、違うかな?」

 正直、修にも分からない。分かるはずがないという意識が邪魔しているのもあるのだろうが、

――分からないことを考え続けるのは時間の無駄だ――

 という思いもあるからだ。

 冷めているからではない。自分が考えすぎるところがあり、そのせいで堂々巡りを繰り返してしまうという意識があるからだ。

「そうですね。私もそう思うんですけど、そう思っても安心できない自分がいるんです。ふと我に返ってしまった時、本当にそれでいいのかって、また考えてしまうんです。考えすぎなのかも知れませんね」

 まりえの場合は、意識の限界を感じていることで、時間の無駄だとまでは行かないまでも、結論など出るはずはないというところで、修と同じ思いなのだ。

 だが、まりえに限らず、特に女性は、どうしても安心を求めてしまう。考え事をするのは仕方がないが、考えが限界に達したり、堂々巡りを繰り返したりした時に考えすぎるのは、

「不安を解消できない」

 という思いがあるからであろう。

 不安を解消できないと、また考え込んでしまう。

 不安を解消することと、安心感を得たいという思いと、同じものだと思っていたが、最近の修は違うものだと思い始めた。

 不安を解消できれば、安心感が生まれるが、それは一時的なものだ。恒久的な安心感ではない。そのことは分かっていたはずだと思っていた。しかし、それを一緒に考えてしまうのは、それだけ気持ちに余裕がないからではないだろうか。

 同じ日を繰り返していることから抜けるのは、意識を変えることが一番ではないだろうか、実際に同じ日を繰り返しているということを事実として捉えているのかどうか、疑問がある。

「忘れてしまうことのできない夢のようなもの」

 そんな感覚が、同じ日を繰り返している意識の中にあるとすれば、すべては意識の問題である。

 限界に達しているまりえと、そして堂々巡りを繰り返していると思っている修の考え方とでは、過程が違っても、結局は同じところに行きついている、そう思うと、

「あまり意識しないようにすること」

 という結論が一番近い気がするのだ。

 一気に意識しないようにするなど不可能であることは、お互いに分かっているはずだ。

「それができれば、苦労はしない」

 と、お互いに思っているはずで、ゆっくりであっても、結論に近づけるしかないことを意識できれば、まずそこからが出発点だと言えないだろうか。

 修は子供の頃から、余計なことを意識してしまう自分を感じていた。余計なことを考えてしまって、

「お前は行動がゆっくりだ」

 と言われて、まわりから苛立ちを覚えられることもあった。

 また、余計なことを考えてしまうことで、焦りを生み、却って焦って失敗してしまうこともあった。

「そんなに慌てず、ゆっくりやればいい」

 と、言われたこともあり、その人から行動がゆっくりだと言われたことはなかった。どうやら、相手によって態度が変わるところがあり、人によって、修に対して抱いている思いがまったく正反対だったりしていたようだ。

「あいつは掴みどころのないやつだ」

 と言われていたものだ。

 もちろん、修本人は自分がまわりからそう言われていることは分かっていた。分かっていたが、なるべく気にしないようにしていた。気にしても仕方がないからだ。その原因が余計なことを考えてしまうところにあることも分かっていた。だから、気にしても仕方がないと分かっていたのだ。

 掴みどころのないことで、逆に修に一目置いている人もいた。そんな連中が修の友達になったのだが、皆まわりから、

「変わり者」

 と言われている人たちばかりだった。

 共通点は、行動パターンが似ているということ。大学でもいつも講義室の一番前に陣取ってノートを取っている連中。真面目ではあるが、皆成績がいいわけではない。要領という点では、悪い方だろう。ノートを一生懸命に取っていても、それが成績に結びつかない。逆にまわりにノートを貸すことで、まわりの人の方が成績がいい。

 ただ、その時は有頂天にさせられる。

「お願い、ノート貸して」

 と、借りに来る連中を見て、見下した気分にさせられる。一時的な優越感である。だが皆それでいいと思っている。自分の身にならないことでも、人のために役に立って喜ばれるのは、きっとそのうちに実を結ぶとでも思っているのか、修も大学時代にはそう思っていた。その思いは今でも変わっていないが、それは考えすぎる自分の性格ならではなのだろうと思ったからだ。

「素直にその場の喜びを感じるのが、考えすぎなくていい」

 と、気持ちに余裕が持てると思ったのだ。

 友達は、最初たくさん作ったが、離れていった連中も多かった。元々が、挨拶程度の友達を、本当の友達だと勘違いしていたところもあったが、どうしても考え方が違うと、合わないのも当然である。しかも、修は集団行動が苦手なので、しかも会話が弾まない中での集団は、自分の居場所を見つけることができないのだった。自分の居場所がないことほど辛いものはない。最初はまわりが離れて行ったと思っていたが、結局のところ、修の方から離れて行ったと言った方が正解ではないだろうか。

 残った友達は、まわりから、

「変わり者」

 と言われている連中で、それでも修にとって話が合うことで安心できた。難しい話をしても、皆が真剣に話を聞いてくれる。真剣に聞いてくれる時も、その表情には笑顔が見えていて、

――これが余裕というものなのかも知れないな――

 と感じさせられた最初だったかも知れない。

 普段、絶えず頭の中で考えていること、

――他の人には言えないが、この人たちには言える――

 ということを話せる連中がいるということが喜びとなり、気持ち的に余裕を持たせてくれることは、ありがたいことだった。

――彼らのような存在を、本当の友達というんだろうな――

 と思った。

 ただ、親友という感覚とは少し違っていた。修の中で感じている親友とは、

「絶えず一緒にいて、何をするにも一緒にしないと気が済まないこと」

 女性に対しては恋人に望むようなことを男性にも望むのが親友だと思っていたのである。しかし彼らとは、お互いの個性を尊重し合って、侵すことのできない領域が確実に存在する。そして、尊敬できるところが自分の考えの中にも存在し、共通性を持っているところがあると思っているのだった。

 修は女性との親友関係はありえないと思っていた。女性に対しては「恋人」であるからだ。

 修にとっての真の友達というのは、女性との間に存在するかと聞かれると、

「それはない」

 と答えるだろう。

――果たして、気持ちに余裕を持つことができるか?

 というところが問題になるようで、女性との間では、一旦不安を感じると、それを解消することはできないと思っていたのだ。それが「異性」というものであり、決してそれ以上近づくことのできない距離を持っているものではないだろうか。

 もし、女性の中で真の友達に近い人がいるとすれば誰だろうかと考えてみると、今思い浮かぶのはリナだった。彼女とは話をしなくても、分かり合えるところがあった。それは学生時代の友達にも言えたことで、話をするのは、考えていることの確認から始まり、そこから会話に発展性が生まれるのだった。

 まりえに対しては、友達というよりも、彼女に近い感覚がある。話をしなくても通じるところもあるだろうが、やはり話をすることでお互いの距離を縮めることができる。それこそが悦びであり、そこから余裕が生まれるのだと信じていた。

 まりえと話をしていて感じたことは、

――同じ気持ちを共有はしているが、入り込めない領域を持っていることだ――

 という思いだった。

 無理にこじ開けようとしてしまうと、そこから亀裂が入るのは必然で、ゆっくり近づいていたものが、一気に壊れてしまうような気がしたからだ。

 きっとまりえも修に対して同じことを感じているはずである。そのことが二人の間に存在している以上、二人の関係は不変である。要するにまりえにとっても修にとっても、同じ思いを共有できることになるのだ。

 まりえが言っていた、

「自分を知っている人が減ってきている」

 という話であるが、修はそのことを考えていた。

 自分にも同じような思いがあるからで、自分ではその理屈が分からなかったが、まりえと話をしているうちに分かってきたこともある。

 人間の意識には限界があることを、まりえは話してくれた。つまり記憶には限界があるということだ。

 意識や記憶には限界があり、それは限界を迎えれば、

「覚えた端から、忘れて行く」

 というものだった。

 修は最近、自分が忘れっぽい性格になってきたことに気が付いていた。

――そんな歳でもないはずなのに――

 と自分に言い聞かせたが、それは年齢による「健忘症」ではない。

 健忘症とは、記憶する領域が狭まっていることなのかも知れないと思っていた。年齢によるものなので仕方がないことである。しかし、記憶の領域に限界を感じている人は、明らかに健忘症ではない。意識があるのだから、余計に意識してしまうことで、忘れていくのを防ぐことができなくなってしまうのだ。

 自分が忘れっぽくなることで、まわりの人も修を意識することが難しくなるのではないだろうか。

 少し話したことがあるだけの人が、次第に忘れていくことはあっても、完全に忘れることはないはずだ。だがそれでも忘れてしまうのは、それだけ相手に気配を感じさせなくなっているのではないか。

 たとえば目の見えないコウモリがまわりの存在を知るために超音波を発し、その反射を持って、相手の存在を知るかのような意識に似ている。まったく気配を消してしまえば、記憶から消えてしまうこともあるからである。

――まりえだけではなく、自分にも意識の限界があるのではないだろうか――

 忘れっぽくなっただけではなく、修にもまりえが話していたように、自分を知っている人が増えてきたのは確かだった。あまり大きな問題として捉えていなかっただけで、まりえの話を聞いていれば、本当は大きな問題だったのではないかと思うようになっていたのだ。

 整理整頓のできないところにも大きな原因があるのかも知れないと思ったが、逆に限界を感じたことで、整理整頓ができなくなってしまったのではないかと思うようにもなっていた。

 整理整頓するために、捨てなければいけないものを吟味する中で、限界に達しているものをいかに捨てるものを探すかというのは、困難を極めることであろう。そう思うと、自分の性格がそれほど悲観的なものではないというように感じるようになっていった。

 だからといって、放っておいていいというものではない。理屈が分かって来れば、そこから突破口が開けてくるというものではないだろうか。そう思うと、余計に気持ちの余裕に必然性を感じるのだった。

「同じ日を繰り返した時は、その日はその人にとって、どうなるのだろうか?」

 また、おかしな疑問が浮かんできた。一つを考えれば、次々にいろいろなことが疑問として浮かんでくる。

 同じ日を繰り返すのだから、他の人より一日遅れて進んでいることになるのだろうが、そうなると、永久に平行線になるはずなのだが、翌々日には自分を皆が分かってくれている。

 ということは、一日だけ繰り返しても、その次の日には、逆に一日を飛び越えて、皆に追いついていることになる。

「同じ日を繰り返しているということよりも、一日を飛び越えることの方が難しいんじゃないか?」

 と思った。

 だが、同じ日を繰り返しているということは、前の日の他の人が、追いついたとも考えられるのだった。

 SFなどのタイムスリップの話の中で、一番問題になるのが、過去に戻った時の、「パラドックス」である。

 つまり、過去に戻ることで、過去を変えてしまう可能性があるということだ。過去を変えてしまうと、未来に起こることが変わってしまう。それが問題になる。一番いい例として本で読んだことがあるが、自分が生まれる前の親の前に現れて、自分の親を殺してしまうという話だった。いわゆる

「親殺しのパラドックス」

 である。

 自分の親を殺してしまうと、自分が生まれてくることはない。

 では、親を殺しに行ったのは紛れもなく自分であり、殺しに行く自分が生まれなければ、親を殺すこともなく、自分が生まれてしまう。

 自分が生まれれば、やはり親を殺しに行くことになるだろう……。

 まるで「三段論法」にも似ている話で、

「ヘビが自分を尻尾から飲み込むような話だな」

 と、誰かが言っていたのを思い出していた。まったくその通りである。

 このような話が、同じ日を繰り返している中で生まれてくるのではないだろうか。

 だが、それはあくまでも未来に自分がどうなるかが分かっているから、

「未来を崩してしまう可能性がある」

 ということへの懸念である。

 未来が分からないのに、未来を崩しているなどという発想はナンセンスではないだろうか。

 同じ日を繰り返すことが、パラドックスに繋がることはないが、

「親殺しのパラドックス」

 というものが、あくまでも現状の自分から考えた実際に住んでいた世界を、「すべて」だと考えているからである。

 しかし、それは仕方がないことだ。自分が住んでいた世界でしか、今の自分は存在することができないからだ。だから、他の世界の存在を意識しないのだ。それは見えない何かの力が意識させないように働いているのかも知れない。そう思うと、他の世界の存在を意識すること自体が「罪」であり、記憶力の低下や、意識の限界を感じたり、また、同じ日を繰り返しているような気にさせられることが、何かの「罰」なのかも知れないと思うのだった。

 大学時代に友達と、パラドックスについて話をしたことはあったが、ここまで考えたことはない。

 今から思えば、他の人と考える方が考えが狭くなるのではないかと思った。一人で考えている方が、領域を感じることなく、自分独自の自由な発想ができるからだ。人と一緒に考えることで、そこに「遠慮」が発生し、そこが一番人間臭いところではないかと思うのだった。

 どうしても、こういう発想には。「パラレルワールド」という言葉が頭から離れない。これこそ、

「親殺しのパラドックス」

 に対抗できる発想ではないだろうか。

 過去に戻ったとして、過去で一定期間過ごした中で、同じ時に戻ってきたとして、まったく同じ世界が広がっている保証はないのである。そういう意味では、「浦島太郎」というおとぎ話を思い出すと、ゾッとした気分になる。

 竜宮城から戻ってきて、戻ってきてみると、まったく違う時代に現れた。玉手箱を開けると、老人になっていたというのがあらすじだったが、それを「相対性理論」と置き換える考えもあるが、それは、時間を飛び越えたという宇宙規模の発想であった。

 しかし、そこまで大げさに考えなくても、戻ってきたのは同じ時代であり、ただ、誰も知っている人のいないところに現れたというだけで、老人になったのは、

「まったく違う人として生きるため」

 という発想は少々乱暴であろうが、それこそ「パラレルワールド」の発想であり、竜宮城が自分にとっての、「パラレルワールド」であるとすれば、戻ってきた場所が違っているのも当たり前というものだ。そこに時間差が存在するわけではなく、違う世界が開けたという思いではいけないのだろうか。

 だが、修はもう一つ考えていた。

 浦島太郎が戻ってきた世界は、決して違う世界ではなく、

「竜宮城の延長線上にあるものだ」

 という発想だ。

 竜宮城に行った時点で新たなパラレルワールドが開けていた。そして自分の知っている場所に戻ってくると、そこに広がっている世界は一度違う世界に入ってしまった延長だと思うのも決して乱暴な発想ではないように思えるのだった。

 同じ日を繰り返しているのも、本当はパラレルワールドではないかという発想も、「浦島太郎」の話から考えると、成り立たないこともない。本当に一つのことを考えるだけで、いろいろな発想が生まれてくる。まるで発想の「パラレルワールド」である。

 修は、まりえと話をしていて、いろいろな発想が生まれてきた。だが、まりえと話をしながら、自分だけの時間も作っていた。まりえがそのことを分かっているかどうか分からないが、少なくともまりえとの会話では、自分だけの世界に入ることができる。自分だけの世界に入ることで、発想が果てしなくなり、意識の限界も感じない。

 ただ、まりえと話をしている間は、覚えていく端から忘れてしまうなどと今まで感じていたことがウソのようだ。今まで忘れてしまったと思っていることも不思議なことに思い出すことができる。そこからまた果てしない発想が生まれてきそうなのだが、本当に一人だけで考えようとすると、そこには限界があることを意識していた。

 まりえとの会話は、その日はそれだけだったが、どれくらいの時間が経ったのだろう。果てしなく続いていきそうに思えたのがウソのようで、あっという間だった気がした。だが、話し始めを思い出そうとすると、相当以前だったように思う。それだけ充実はしていたが、意識が飛んでいた時間があったのかも知れないと思うのだった。

 まりえとの会話の中で一日の区切りを考えてみた。同じ日を繰り返しているという「一日」とは、いつを言うのかというのを素朴に考えてみた。

 一日という区切りは、人間の中で決めた区切りだと思っている。確かに天体の動きに合わせた区切りではあるのだが、それを無限に広がっているであろう「パラレルワールド」にも当て嵌めていいものだろうか。そう思うと、一日に限らず、自分たちが感じている時間や日に関する単位がどこまで影響しているかが不思議だった。

 ただ、時間を飛び越えたという意識は、一日という単位で感じるだけではなく、数時間でも感じることがある。それは夢を見ている時間に当て嵌めることができるからだ。

 夢の中では、

「時間を感じさせない」

 という意識が働いている。どんなに長い間の夢を見ていたと思っても、実際には夢から覚める数秒間でしか見ていないという話を聞いたことがあるため、その意識が頭の中にはある。そのせいもあってか、

「どんな夢を見たとしても、一日を飛び越える夢を見ることはできないんだ」

 と感じるのだった。

 そのいい例として、修は時々学生時代の夢を見ることがあったが、その夢の中では、まわりの友達などは学生なのに、自分だけが社会人で、今の自分なのだ。

 それは、夢を過去まで見ることができないという発想の表れなのではないかと思う。

 その発想の答えとして修の中にあるのは、

「夢の中での自分は、決して主役ではない」

 という発想だった。

 夢は作られたものであり、作っているのは、もちろん見ている本人である。そして本人はあくまでも「裏方」であり、自分が夢の中に出てきたとしても、それは脇役として、自分から客観的に見た自分でしかないのだ。

 だからこそ、過去の発想をすることができても、出てくる自分は今の自分しか発想できない。過去に戻った自分を発想することはできないのだが、そのことが学生時代の夢であっても、今の自分しか夢の中では感じることができない証拠なのである。

 夢を見ている時、夢を見ているという意識があることがある。

――夢とは潜在意識がなせる業――

 と言われるが、まさしくその通り、夢を見ているという意識がある時は、特に夢の中だからといって、特別なことはできないのだという思いがあるのだった。

 これも考えすぎが災いしているからなのか、それとも夢を別の世界ではあるが、同じ空間に広がっているものだと考える「パラレルワールド」と比較して考えるからなのか、夢に対して、

「普段の出来事の延長」

 という意識が強かった。

 普段の出来事の延長ではあるが、現実とは明らかに違った世界が広がっている。だからこそ、「パラレルワールド」という発想が生まれてくるのだった。

 テレビでも小説の世界でも、「不思議な物語」として表現はしているが、「パラレルワールド」という言葉で表されることはあまりない。「パラレルワールド」という言葉がタブーになっているのではないかと思うほどであるが、本当は知名度が薄いため、

「どうしても説明が必要だ」

 という発想の元、なかなか言葉として表すのが難しいからなのかも知れない。

 一つの言葉でも、人によって感じている思いが微妙に違っていたりすることがあったりする。文字による説明であれば、余計にイメージしにくいかも知れない。かといって、言葉にするから分かるというものでもない。言葉にすると、発音が同じものでも、まったく違った意味のことも存在するからだ。

 まりえとの話では、まだまだ自分が知りたいことを満たしてくれるものではなかったが、目からウロコが落ちたことがいくつもあった。まりえにとって、修の話も、まりえの中で感じていた疑問を解消させられたものがあったに違いない。ただ、まだまだ発想に距離があることは感じている。ある程度平行線を描いていることもあるはずだ。もっとも交わることは元からないと思っているし、交わった時点が、すべてを解決してくれるとも思わない。気持ちに余裕を持つことができただけでも、よしとすべきなのだろう。

 夜のとばりも降りて、確実に一日が終わろうとしている。

――これは本当に昨日の繰り返しではないのか?

 まったく同じではなかったが、酷似した世界だった。これが昨日からの直線での延長線上ではないことは、一番修本人が分かっていることかも知れない。ただ、それは漠然としていて、グレーなのか、ダークなのか分からない。

 グレーとダーク。曖昧さを感じるのはグレーなのだが、ダークはそこに重さを感じる。修は、ダークはパラレルワールドであり、グレーが一日を繰り返している感覚なのだと感じているのだが、今日の一日は、そのどちらでもあり、またそのどちらでもないような感覚だった。

 家に帰ってくると、一気に睡魔が襲ってきた。今までにも仕事がきつかったりして、一気に睡魔が襲ってくることもあったが、それほど考えることが多かったのだろうか。他のことはほとんど何も考えていなかったと思うほど、今日はパラレルワールドに関しての発想が頭の中を巡っていたのだった。

 眠気が襲ってきたので、パジャマに着替え、寝床に入った。テレビをつけておいたのが悪かったのか、睡魔は襲ってきているのに、眠れないのだ。

 眠ろうとしているが、すぐに意識が引き戻される。原因が何か最初分からなかったが、何度か引き戻されているうちに、何度も寝返りを打っていることに気が付いた。どうして寝返りを打つのかということを考えてみると、やっと気が付いたのが、腰の痛さだった。

 それまで腰痛やぎっくり腰などになったことがなかったので、腰の痛さというものがどのようなものか分からなかった。今も今回初めての痛みなので、一般に言われる腰痛に対して、軽いものなのか、それ相応のものなのかの比較ができない。それだけに気付くのが遅れても無理のないことであろう。

 一度身体を起こし、再度横になった。痛みは相変わらずで、なかなか寝付けない。そんなことを繰り返しているうちに、さっきまであれだけ眠かった目が冴えてきた。それでも睡魔は残っていて、そのギャップが軽い頭痛として、襲ってきたのだ。

 腰痛と頭痛のダブルパンチに、そのまま寝てしまえば、

「きっと朝まで起きなかっただろうに」

 と思っていたものが、一日の最後で、時間の感覚を長引かせる結果になってしまった。時間を長く感じるのは、しょうがないとしても、自分の部屋にいて、時間の長さを感じるのは、あまり好きではなかった。

 今までずっと、仕事が終わったら、すぐに帰宅していたのだが、ここ最近は、帰りにいろいろ寄ってくることが多くなった。本当につい最近のことだが、そのせいもあって、家にいる時間が長いと、感じている時間よりもさらに長く感じられることが嫌だったのだ。

 その一番の理由は、静寂だった。

 部屋の中にいると、まわりから音が遮断された感覚になる。そこまで防音設備が行き届いた部屋ではないのに、最近は耳鳴りに襲われるほどの静寂を感じるようになっていた。

 テレビはついているが、見ているわけではない「流れてくる」音と、ボンヤリしながら見つめる画像は、漠然とした時間にふさわしい。もしテレビがついていなければ、さらに時間が長く感じられたに違いないと思うほど長かったのだ。

 時間が長いといっても、流れる時間がゆっくりと感じられるわけではない。最終的に、

「終わってみれば、長かった」

 ということを感じさせるに違いない感覚が頭の中にあるからだ。

 ただ、これはいつものことなのだが、気が付けば眠ってしまっていた。目を覚ました時は午前零時を回っていて、明らかに翌日になっていたのだ。

「また昨日を繰り返しているのか?」

 という胸騒ぎを覚えたが、少なくとも、昨日は夜中に目を覚ますことはなかった。

 テレビはついたままだった。

 テレビのリモコンを使って日付と時間を確認する。

「明日になっている」

 ホッとした気分になった。ただ、昨日はテレビで日付を確認したりしなかった。パソコンで日付を確認した時は確かに一日進んでいたように思ったが、今思い出そうとすると、思い出せなかった。まさしく昨日のことが、ほとんどグレーゾーンに含まれていたのだ。

 午前二時、昔でいえば、

「草木も眠る丑三つ時」

 とでも言われる、本当の真夜中だった。最近では二十四時間営業の店があったり、都会では、

「眠らない街」

 というのがあったりして、丑三つ時というイメージは、ほとんど死語になっていることだろう。

 ただ、変な胸騒ぎがあった。それがどこから来るものなのか分からなかったが、テレビを見ているうちに気が付いた。

「そういえば、テレビはまだ昨日の続きなんだ」

 当たり前のことではあるが、普段からテレビはついているだけで、ほとんどまともに見ていないので、テレビに対しての意識がなかったのだ。

 意識したことが、昨日の続きだというのも皮肉なことで、最近では二十四時間放送しているチャンネルも珍しくない。ただ、今まであまり時間帯的に不規則な生活をしたことがないので、この時間にテレビを見ることがなかっただけだ。

 ほとんどのチャンネルで放送していた。チャンネルを変えてみると、映画を放送していたり、バラエティー番組があったり、懐かしいドラマの再放送だったりと、深夜に起きていたのなら。興味を持ちそうな番組が多かった。実際、ゴールデンタイムの番組にはウンザリしていたこともあり、テレビはついていても見ているわけではなかった修には、深夜放送は興味深いものだった。

「あれ? この番組、最近見たような気がするぞ」

 バラエティ番組でよく見る芸人がリポーターとなり、旅行番組をやっていた。日にちをまたいで同じ場所を見ることもあるし、中には昼の再放送を夜にしていることもある。リモコンで番組情報を見ると、どこにも再放送の文字はない。あきらかに本放送だった。

 記憶の中でこの番組を見たのは、最近の夜だったように思えて仕方がない。

「最近、夜更かしをしたことも、夜目を覚ました記憶もないんだが」

 それでも夜だったのは間違いないのだ。

「これが、一日を繰り返しているという感覚なのかな?」

 と思ったが、この感覚も最近感じた気がした。

 それは、この間感じた、

「一日を繰り返している感覚」

 のことだったので、別に不思議ではなかったのだが。一日を繰り返している感覚が、深夜放送だったというのは、自分でも忘れていたことだった。

 深夜放送を見ているのは、以前に行ったことがあって、気に入った場所だったことが目を引いたからだった。

「あの時に温泉で出会った女は元気だろうか」

 あの時は夢のような出来事だった。

「旅の恥は掻き捨て」

 と言われるが、性欲を本能のままに表したような感覚だった。

 最初にその女性は清楚に見えた。もし最初から妖艶で、淫靡さが滲み出ていたら、最初から意識してしまうことはなかっただろう。最初に清楚さで引きつけられ、こちらが引きつけられたのを感じた相手が、本性を現したとでもいうべきか、彼女は妖艶さをあらわにし始めた。

 身体を重ねるまでに、それほど時間はかからなかった。肌と肌の触れ合いに、最初は燃えるような熱さを感じたのに、次第に肌が合ってきたのか、熱さが心地よさに変わっていった。

 まるで温泉の熱さに身体が慣れてきたような感覚である。

 温泉に浸かった後だっただけに、余計にその思いが強かったのかも知れないが、すっかり修はその女性の身体に溺れてしまったかのようだった。

 女性の身体に男の烙印を押すなどという隠微な言い回しがあるが、修の場合は逆だった。完全に女の身体が修に烙印を押したようだ。ただ、相手も同じ気持ちだったのだろう。至福の一夜は、あっという間に過ぎていった。

 二人とも連絡先を交換する気はなかった。もし次に会ったとしても、その時のような快感は二度と得られないと思ったからだ。中途半端な快感に収まってしまうくらいなら、いっそ思い出として残しておく方がいいと思ったのだ。お互いにそんな話はしなかったが、相手も気持ちは一緒だったようだ。

 確かあの日は一夜限りだったはずだ。それなのに、記憶の中では二日あったように思えてならない。身体が覚えているようで、身体を信じないわけには行かない気もしていたのだ。

 修にとってその日は忘れられない日であったが、どっちを忘れられないのか定かではない。明らかに同じ日であるにも関わらず二日間だったように思うことで、忘れられないと思いながら、時々記憶から消えてしまっていることに気付き、愕然としてしまうのであった。

 消えてしまった記憶を思い出すというのも、珍しいことであった。結構いろいろ思い出しているように思うのは、思い出す時には、一度にたくさんのことを思い出すからだった。その中でもこの思い出は特別で、毎回思い出していたのだ。

「簡単に思い出すのに、簡単に忘れるというのもおかしなものだ」

 と考えていたが、それも不思議なもので、思い出すのはいつも深夜に近い夜だった。一度睡魔に襲われ、再度目を覚ました時に思い出す。きっとそれは夢の続きを見ようとする意識が働いているからなのかも知れない。

――それこそ潜在意識の成せる業だ――

 こういう意識が働くから、夢を神秘的なものとして位置づけ、学者が研究材料にしたりするのかも知れない。夢と現実の狭間がどこにあるのか、そもそも狭間などと定義づけできるものが本当に存在するのか、それを考えてみたい気持ちになっていた。

 思い出というものが意識にどう影響するのか、あるいは逆に意識が思い出にどう働くのか、双方から見てみないと、考えても意味がないかも知れない。片方を考えることはできても、もう片方を考えることができないので、見出すはずの結論が見つからないでいるのだ。

 その日のことは、今まで夢に見たことはなかった。意識の中でも中途半端な思い出し方が嫌だと思っていたからに違いない。

 時々思い出すのはやはり夢を見るからだった。夢では実際に感じることのできない熱さを感じることで、

「あの時のことだ」

 と感じるのだ。

 なぜ熱さでないと思い出さないのかというと、夢の中では相手の顔が逆光になっているからだ。逆光になっていると、顔がハッキリと分からない。輪郭すらぼやけてしまって分からない。だから、誰だか分からないのだ。

 それでも、雰囲気で分かりそうなものなのだが、夢というのはそれほど甘いものではない。潜在意識が忘れてしまったと思えば、思い出すことができないようになっているようだ。

 温泉が映し出された番組を見ているつもりだったが、いつも間にか違う番組に変わっていた。映画に変わっていて、チャンネルを無意識に変えてしまったのかと思ったが、番組表を見ると、同じチャンネルで、時間帯が違ったのだ。

 これが一番不思議だったのだが、何とその番組は温泉の番組よりも前の時間帯だったのだ。

「まさか、時間を遡った?」

 いや、さっきまで考えていたのが、同じ日を繰り返しているということだったのだから、ここでは、

「同じ時間を繰り返している」

 という発想が生まれてくるのではないだろうか。

 つまりは、一日という単位だけでなく、いつ何時「繰り返し」が発生するかということである。

 こうなれば、「繰り返し」ではなく「巻き戻し」となるのだろう。

「繰り返し」と「巻き戻し」では明らかに違う。

 繰り返しはまったく同じことを繰り返してしまうことで、まわりの環境も本当に昨日と変わらないと同じにはならない。したがって。パラレルワールドも制限されてくるであろう。

 しかし、巻き戻しの場合は、過去のある一点に戻っただけで、そこからの可能性は無限に広がる。つまりは可能性の数だけパラレルワールドが広がってくるということだ。

 もし本当に過去に戻れるとして、繰り返しと巻き戻しのどちらを選ぶかと言われれば、どちらを選ぶだろう? 単純に考えると自由な選択ができる巻き戻しを選んでしまうだろうが、巻き戻しをすることで、今よりもさらに悪い状態に陥らないとも限らない。何しろ可能性は無限にあるのだから……。

 この日のテレビ番組に関しては、明らかに繰り返しであった。自分の意志に関わらず、まわりが前の時間を自分に見せているのだ。巻き戻したという感覚とは少し違う。つまりは自分の意志などによる「力」がそこに存在していないと、「巻き戻し」とは言えないだろう。

 一日を繰り返しているという感覚は、本当にまわりからの力によるものを感じなければ言葉にできないことだろう。それだけ繰り返しと巻き戻しでは、ニュアンスが違ってくるのだ。

 一日を規則正しく繰り返すということに、何が不思議といって、繰り返すことよりも、「規則正しい」

 ということの方が、よほど不思議なことなのだ。それを意識してできないほど、繰り返しに意識が集中している。それだけ、繰り返しというのは、怖いのだろう。

 繰り返しの怖さは、まったく同じことにあった。まったく同じことでなければ繰り返すは成り立たないと思っているが、まったく同じことなどありえない。どこかで必ず違っている。違っているからこそ、繰り返しを信じることができる人がいるのだし、理屈として考えようとも思うのだ。

 また新しい一日が始まろうとしている。表に出ると、空気は昨日と違って、少し冷たく感じられた。一日一日、確実に季節は変わっているのだ。

 自然は繰り返しにも巻き戻しにも関係なく作用しているようだ。前の日が雨だったら、次の日も雨だとは限らない。それでも同じ日を繰り返しているという意識があるならば、それは同じ日ではなく、雨が降った時まで遡った日を繰り返していることになる。

 繰り返しは前の日しかないという理屈が成り立たないと、その間の数日は、雨が降った日の前に戻されたことになる。意識というものを超越する力が働いているということなのか、それとも、繰り返しの意識というものが、それほど曖昧なものなのかの、どちらかではないだろうか。

 意識が曖昧だからこそ、一日を繰り返しているという思いを植え付けられているのかも知れない。

 デジャブというのをよく聞くが、デジャブは一度も見たり行ったりしたこともないはずの場所で、

「以前にも見たことがあるような気がする」

 という意識を植え付ける「錯覚」である。

 本当に錯覚だと言いきれるのかどうか疑問ではあるが、錯覚だとすれば、一言で言って、意識の曖昧さが生んだものだと言えなくもない。自然現象まで人間の意識が左右できるなどと言う考えは、やはり人間の傲慢さとおこがましさが引き起こす「錯覚」にすぎないのであろう。

 それにしても、今日は一体何が起こるというのだろう?

 修は、その日、過去を繰り返しているという意識も、巻き戻しているという意識を持っていなかった。新しい一日を歩んでいるという感覚である。

 過去を繰り返していると思っている時は、さほど恐ろしくはないが、新しい日を生きていると思うと、必要以上の意識が生まれ、恐怖すら感じるのだ。

 同じ日を繰り返しているという意識がない時は、新しい日を当たり前のことだと思い、意識すらしていなかった。いや、十歳代、学生の頃までは、新しい日に希望というものを抱いていた。今でこそ希望など、どこかに消えてしまっていて、新しい日への期待も何もなくなってしまっていた。

「同じ日を繰り返しているという意識を持ったのは、新しい日に対して、希望も何も持たなくなった頃からなのかも知れないな」

 と、漠然と感じたが、希望も何も抱かなくなったという投げやりな意識が、過去を繰り返すという扉を開けてしまったのかも知れない。本人の意識するしないは問題ではなく、ここに何かの力が働いているかも知れないのだ。

 会社に赴くと、昨日やった仕事が終わっていた。昨日を繰り返しているわけではない。昨日の仕事がもし残っていたとして、今日も同じようにさばけるかというと、そうでもない。

「同じことをするのだから、同じスピードか、もしくはさらに早く、同じ内容にさばけるはずだ」

 とはいかないのだ。

 理由は一つ、昨日やったことだという意識はあっても、どのようにこなしたかということを忘れているからなのだ。片っ端から忘れてしまっているようなのだが、その日に忘れてしまうものに共通性があるのだろうか。都合のいいこと、都合の悪いこと、それぞれにその日、自分にとってどちらかのことを忘れてしまっているように思える。意識していなければ、その時は分かっていても、後になってすべてを忘れてしまっていることだってあるだろう。一日を繰り返しているということを最初から信じていない人は、本当は経験しているのに、すべてを忘れてしまっているから、信じられないと思っているだけなのかも知れないのだ。そう思うと、すべての人に過去を繰り返す可能性があり、特殊な選ばれた人間だけという考えは成立しなくなる。修はその考えが頭に浮かんだが、本当は否定したかった。

「俺は他の人とは違うんだ」

 という意識が、自分を奮い立たせる力になっていると思った修にとって、誰もが一日を繰り返しているという可能性を持っているとするのは、許せない感覚だった。決して認めたくないもので、自分がより一層意識しないといけないと思っていたのだ。

 意識しすぎると、今度は却って、同じ日を繰り返すことができなくなる。昨日までは同じ日を繰り返しているという感覚があったのに、今日は新しい日を迎えたようだ。他の人ならホッとするところなのだろうが、修にはホッとするどころか恐怖が漲っている。その時修は、

「恐怖というのは、知らないことから始まるんだ」

 という意識を持ったのだった。

 他の人は、知っていることを繰り返しているのが怖い。自然現象では繰り返すことができないという意識があるからだ。

 修は繰り返していることに、自然現象が関与していないことは分かっている。だから怖いとは思わない。

 ただ、新しい一日と言っても、昨日の続きであり、まったく違ったところに飛び出したわけではないので、怖いなどという感覚はないはずだった。会社に行っても、前の日の続きが残っている。仕事に関しての前の記憶はしっかり残っていた。

 だが、人間関係ではまったく違った。

「秋山さん、今まで一体どこに行っていたんですか?」

 事務員の女の子がトイレに行こうとして立ち上がった修を給湯室から招き寄せるので行ってみると、そんなことを聞いてくる。

「どこに行っていたって? どこにも行かないさ。昨日と同じように出勤してきただけだよ」

「秋山さん、何言ってるんですか。三日も無断欠勤していたじゃないですか。その間に仕事だって溜まってきていませんか?」

 と言うではないか。

 そういえば、その日は誰もが静かに黙々と仕事をする中で、修を変に意識している人もいた。黙々と仕事をする雰囲気は毎日のことで、あまり好きではなかったが、それ以上に必要以上に意識されるのは、もっと嫌だった。

「僕は別にどこも行かないさ。今日は昨日の次の日さ」

 と、答えたが、彼女は修の言葉の意味を理解しかねていた。

 それはそうだろう。修が同じ日を繰り返していることを考えているなど、誰も想像できるはずなどないからである。

 彼女は、三日の無断欠勤だと言った。確かに同じ日を繰り返しているという感覚が三日に渡って繰り広げられたのは分かっていたことだ。やはり、一日の繰り返しは、別に広がった別の世界で、この世界と同じ時間を過ごし、三日経って、またこの世界に戻ってきたということだろうか。

 もし、他の人で同じような経験のある人がいるとしても、それほど大きな問題にはなっていない。問題にすることをタブーとされるのか、それとも、別の世界に入り込んだ時間が短いので、まるで夢を見ていた時間として理解できるから、誰も問題にしないだけなのかも知れない。

「三日も無断欠勤したというのに、誰も何も言わないけど?」

 普通であれば、上司である課長から小言を言われるくらいは覚悟しないといけないのだろうが、何も言われないというのも気持ち悪い。

「そうなんですよね。本当なら課長が何か言わないといけないんでしょうけど、課長から呼び出されたりしていませんか?」

「いや、何もないよ。ただ、まわりの人の視線が少しおかしいような気はしていたんだよ。でも無断欠勤を責めるような視線ではなく、どちらかというと、まるで幽霊でも見ているかのような掴みどころのない視線に感じるから不思議なんだよ」

 と修は事務員に答えた。

 ひょっとすると、三日間の無断欠勤だと思っているのは、彼女だけなのかも知れない。それにしても幽霊でも見るような視線の意味は一体何なのだろう? 知っている人間に対してあのような視線を浴びせるのはおかしなものだ。

「秋山さん、先日の資料できていますか?」

 さっき、後輩からそう言われて、

「ああ、できてるよ。後で持っていこうね」

 と言った時、最初はまるで勝ち誇ったような視線を浴びせていた後輩の顔に、怯えのようなものが走った。できているという言葉を発してから、明らかに後輩の視線が変わったのだ。

 資料ができていることにビックリしたようだ。ということは、最初の質問は、「咬ませ」だったことになる。できていないと知りながら、聞いてくるのは、完全な確信犯であり、何のためにそんな回りくどいことをしなければいけないのか分からなかった。

 修は後輩から、そんな意地悪をされるような謂れはなかった。今までに苛めたこともなければ、恨まれることもないはずだ。後輩も意地悪な性格でないことは分かっている。修の何かを試そうとしているのか、きっと後輩の中で、修に対して何か違いを感じているのだろう。

 その違いは漠然と感じているだけなのか、それとも何か確信めいたものがあって、それを確かめようとしているのか、すぐには分からなかった。少々手荒なことをしてでも、その疑問を解消しなければいけないという意識を持たせる何かが、後輩の意識の中に芽生えたのかも知れない。

 資料の締め切りは確かに今日だったはず。昨日まで普通に仕事をしていたのだから、できているのは当たり前なのに、どうしてできていないかのようなイメージを持たれたのだろう?

 事務員は三日間の無断欠勤だと言った。もし、それが本当で三日間の無断欠勤の間に締切がきているのだとすれば、確かにできていなくて当然だ。後輩はそれを見越したのだろうか。

 この会社は仕事を自宅に持ち帰ることはできないので、密かに資料を作ることもできない。したがって、欠勤していればどんなに頑張ってもできているはずはないのだ。

 それとも三日間、無断欠勤ではなく会社には来ていたが、その時の様子が普段とは違っていて、仕事がはかどっていなかったのかも知れない。まったく別人のように、心ここにあらずの抜け殻のような状態で、仕事をまともにこなせていなかったのであれば、まわりから見て、仕事の態度を糾弾するために、資料ができていないことは恰好の材料だったはずだからである。こちらの方が、まわりの視線に対して、納得できる状況ではないだろうか。

 それにしても、どうして一人だけ無断欠勤だと思ったのだろう? 彼女の中で修は特別な人間だったからだろうか。この三日間というものが、彼女と彼女以外で、明らかに違った時間がそこに存在していたことになる。

 修は今までに一日を繰り返していると感じたことがあったが、確かにその時であれば、一日欠勤しても、その次の日には追いついていた。まわりにそのことを悟られることはなかったので、自分でもなるべく意識しないようにしていたくらいだ。

 今日は前に起こった日を繰り返しているという意識はなかったはずなのに、まわりが修に対して異常な反応を示している。しかも人によって違うというのもおかしな話だった。

 ただ、違うのは一人だけで、他の人たちはおかしいながらも、見えていることは同じことのようだ。

 事務員は三日間だと言っているが、他の人たちが修のおかしかった日を何日だと見ているのだろう。三日もおかしかったら、きっと誰かが注意するのが本当であろう。そうなると、事務員と他の人たちの修に対して感じている「時間」も、同じではないのかも知れない。

 その日仕事が終わって、修は事務員の女の子を夕食に誘った。普段なら特定の女の子を食事に誘うなどすることはない。誘っても断られるに違いないと思ったからだ。しかも、他の女の子に話が漏れてしまって、仕事がしずらい立場にしばらく追いやられるのではないかと思うからだ。

 彼女は名前を藤本奈々子という。奈々子は、修の部署に短大を卒業し、新卒入社の三年目だった。

 三年目であるが、まだ初々しさの残ったところがあった。ただ、仕事に関しては堂々としているところがあり、一見、共通性のないように感じるが、それだけ彼女が自分に自信を持って仕事をしているのだと思えば納得できるのだった。

 食事は会社の近くというよりも、駅裏にある静かな喫茶店を選んだ。

 店を選んだのは修ではない。奈々子だった。

「以前から行ってみたいと思っていたんですが、一人では入りにくくて、秋山さんと一緒でしたら、ぜひにと思っていたんですよ」

 その言葉を聞いてドキっとした。まるで前から修のことを意識していたような言い方ではないか。告白とまで大げさなものではないが、同じ会社の事務員だということで必要以上に意識しないようにしていたことで、彼女の視線に今までまったく気付いていなかったことを自分なりに後悔していた。

「気付いていても、どうにかなるものでもないかも知れない」

 社内恋愛はしてはいけないと思っていたからだった。

 店はこじんまりとしていたが、少しスナックの雰囲気も感じさせた。カウンターの後ろにある棚には、お酒が並んでいたからだ。ただ、お酒が入るのは夜の九時過ぎからが本格的になるようで、宵の口では、まだまだ軽食喫茶であった。奥のテーブルに腰を掛け、店内を見渡すと、カウンターの奥にあるビジョンに映し出された海の中の映像に少し目を奪われていた。水族館でしか見たことのない魚が、自由に泳いでいる姿は、毎日を狭い世界の中で蠢くように暮らしているサラリーマンの悲哀を癒してくれるにはちょうどいい映像であった。修も奈々子も映像にしばし目を奪われていたが、ウエイトレスの女の子が水を持ってきてくれたところで我に返った気がしていた。

「私、最近人に言えないことを考えていて、少し悩み気味なんですけど、秋山さんにお話するのは、なぜか一向に構わない気がするんです。きっと秋山さんが私と同じ感性を抱いているからだと思っているんですよね。私が密かに悩んでいることも、まわりの他の人たちと違った感性があって、私だけ特別だと思っているからなんですよ。でも、秋山さんにだけは、きっと分かってもらえると確信しています」

 修は、奈々子の話を聞いて、おおむね何を言い出すか、見当がついた。しかし、彼女が口にした「感性」という言葉、そこには修の考えていることが、どこか違っているのかも知れないと感じるのだった。

「私、時々一日が巻き戻っている気がするんです」

――やっぱり――

 考えていたことに当たらず遠からじである。しかし、奈々子は「繰り返し」ではなく、「巻き戻し」をいきなり口にした。修のように最初は「繰り返し」を意識して、その後に「巻き戻し」を意識したのだろうか。話をゆっくり聞いてみる必要がありそうだ。

「どういう意味なんだい?」

「秋山さんは、その日にどういう行動を取るかって、一日の最初に考えたりはしませんか?」

 最近ではあまりなくなってきたが、確かに一日の最初に考えることが多かった。しかもその意識は無意識に行うことである。

「そうだね。あるね」

 最近なくなってきたことは、敢えて伏せた。

「そんな時って、思い通りになることありますか?」

「なる時もあるけど、圧倒的にならないことの方が多いよね」

 何と言っても相手があることだ。思い通りになることの方が難しいだろう。

「思い通りになるという意識も、どこまで思いどおりなのかというのも難しい判断だと思うんですが、いかがですか?」

「何から何まで思い通りなどということはまずあり得ないから、大体のパーセントで考えるね、それも百パーセントからの減算方式で考えることが多いかな」

「私もそうなんですよ。大体五十パーセントから六十パーセントを超えたあたりから、自分としては、思い通りと思うようにしているんです。少し甘いかも知れませんが、それ以上に閾値を上げてしまうと、思い通りという意識は成り立たなくなってしまうんですよ」

 七十パーセントを超えると、ほとんど思った通りの一日で、満足感はピークに近いくらいだろう。もし、それ以上であるなら、今度は却って怖いくらいになってしまう。そう思うと、奈々子の考えているラインは、ほぼ正確なところだと思ってもいいかも知れない。

「奈々子さんの言う通りですね。僕も同じ意見ですよ」

 会社でも時々奈々子ちゃんと、愛着を込めて呼んでいた。それは修に限らず他の男性社員も同じだったので、ここでは敢えて、「さん」つけにしたのだった。

「思い通りになる時というのを、私は最近、閾値を上げて、八十パーセント以上にしてみたんですが、上げてみると不思議なことに、思い通りになる率が増えてきたんですよ。それで思い通りになる日をいろいろ考えてみると、後から思い出そうとしてもなかなか思い出せないことが多いことに気付きました。確かに今まで思い出せないことのある日が増えてきていることが気になっていたんですが、それがまさか、思い通りになる日だったなんて、少しビックリしています」

 奈々子の顔には、心なしか赤みを帯びているように見え、興奮しているように思えてきた。自分の話に酔っているかのようであった。

 奈々子の話を聞いていると、確かに自分にも心当たりがある。思い通りになった次の日に、

――前にも同じようなことがあったような気がする――

 と感じる時が確かにあるのだった。

 奈々子のように数字を当て嵌めるようなことはしなかったが、その方が余計に想像力や発想が大きくなり、自分の中にある欲を掻きたてられるような気がすることもあった。漠然としているのだが、

 思い通りになるということも、欲の一つであろう。思い通りになったことが、また今度同じように思い通りになってほしいという感覚になり、繰り返したり、巻き戻したりという意識を強めていくのかも知れない。

 それにしても、こんなに近くに二人も同じような発想を抱いていて、今まで誰にも言えずにいた人がいたとは意外だった。しかも、同時期に二人ともが自分に対して寄ってくるというのも、何か二人に対して共通のオーラを発しているのかも知れない。

 他にも同じ発想を抱いている人がいたとして、果たして、修にこの話を持ってくるだろうか?

 話が話なだけに、よほど気心の知れた相手でないと、話を持ちかけようとはしないだろう。修に対して話しができたのが二人とも女性だというのは、同じオーラを持っていたからなのかも知れない。

 奈々子に対しては、まりえに感じたような愛おしさは感じない。どちらかというと、リナに感じたイメージだった。

 そういえば、最近リナに会うことがなくなった。部屋に帰ってから、アンティークショップで買ってきた大時計を見ると、リナを思い出す。部屋を出てしまうとリナのことを思い出すことはほとんどなくなっていたのだが、どうしてなのだろう? 正直言って、イメージが湧いてこないのだ。

 奈々子に対しても同じだった。今までは会社にいる時には女性として、かなり意識をしているのに、会社の外に出ると、ほとんど意識していなかった。これも会社にいるから浮かんでくるイメージであって、会社を出ると、イメージが湧いてこないからだった。

「そういえば、最近の俺は、結構疲れやすいんだよ。たまに温泉にでも行きたいなんて思うこともあるくらいさ」

 と、奈々子に打ち明けると、

「最近の秋山さん、今までとどこかが違うと思っていたんですよ。暗い雰囲気があるように思えたからですね。疲れやすいという言葉を聞いて、目からウロコが落ちた気がします。なるほど、疲れやすかったので、暗い雰囲気に見えていたんですね」

 奈々子を見ていると、上目使いに修を覗きこんでいる。上から目線など今までにはなかったはずなのに、奈々子に対しての修は今、上から目線で見つめているのを自分で感じることができた。

 奈々子はうっとりしているが、その視線は慕っている相手に対してのものであることをその時の修はまだ知らなかった。

 奈々子には兄がいるのだが、その兄が三年前に失踪した。それまで奈々子は兄を慕っていた。兄としては当然だが、男性としての兄にも憧れを持っていたのだ。

 もちろん、禁断の愛であることは分かっていたし、それを兄に悟られないようにしようという気持ちが強かった。兄が失踪してからしばらくは男性恐怖症に陥っていた奈々子だが、今でもその名残りは残っているが、それを解消することができたのは、修の存在が大きかった。

 奈々子は自分で気付いていないが、マゾであった。苛められたいという意識ではなく、男性に対しての依存症が病的に強いのだ。それを今まで兄の存在が抑えていたのだが、その兄がいなくなって、しばらくは抑えが利かなくなった。そのため、男性を見ると、誰もが自分を襲ってくるのではないかという錯覚に襲われ、恐怖症になっていたが、修の前でだけは、従順だった。

 修が三日間無断欠勤をしたと思っているのも、兄への思いが強かったのかも知れない。無断欠勤が、実は失踪だと思ってしまうと、今まで慕っていた男性二人が、二人とも失踪するということになると、自分が何らかの関わりを持っていることになる。実に恐ろしいことではないだろうか。

 奈々子の兄は、修とは性格的には似ていないかも知れない。それは一番奈々子が分かっている。分かっているのに、なぜ修に惹かれるのか、自分でも分からない。それも同じ性格の相手に惹かれるのと同じ感覚だったからだ。

 奈々子は幼い頃から兄を慕っていたこともあって、今まで男性を付き合ったことなどない。

 もちろん、奈々子は処女である。兄が失踪してから男性恐怖症になったのだから、処女であることは不思議ではないが、まわりの人は、もし奈々子が処女だと言っても、信じる人は、まずいないだろう。

 奈々子は、大人っぽいところがある。兄と修に対しては従順であり、幼さが垣間見えるのだが、他の人から見れば、大人の女の魅力を十分に発揮している。

 子供っぽい服ばかりを着ているので、ギャップがあるが、ギャップを好む男性も少なくない、特にサディスティックな男性には、そのギャップが溜まらないと言う人も多いだろう、

 しかも奈々子はマゾである。サドの男性には、奈々子のような雰囲気はすぐに看破されてしまう。奈々子の回りにもたくさんのサドの男がいて、奈々子を狙っているのかも知れない。

 実際に、

「私、時々誰かにつけられている気がするの」

 と言っていたが、それはまんざら嘘ではないようだ。男の視線を感じるが、感じた瞬間相手が視線を切るので、どんな人か見当がつかない。奈々子を気にする男性の多くは、相手の視線に敏感で、相手が視線を向けてくると切ってしまうくらいの力を持っている。そんな海千山千の男をまわりに従えているような奈々子は、見る人からみれば、颯爽として見えるのではないだろうか。

 もちろん、奈々子の意志の外で行われていることであり、忘れてしまっているのか、最初から意識がないのか、すべて他人事だと思っている奈々子だった。

 奈々子は、自分がマゾであることにやっと最近気付き始めたようだ。気付かせてくれたのは、失踪した兄であり、その意識を背中から押したのは、修だったのだ。

 奈々子の兄は、サドだった。奈々子にもマゾの気があることを一番最初に気付いたのは、何を隠そう、兄だったのだ。

 自分のそばにいると、いつ手を出すか分からないということで、マゾの女性を探して付き合い始めたのだが、相手が悪かったのか、失踪する羽目に陥ってしまった。

 奈々子は、兄を慕うあまり、自分が兄の失踪に一役買ってしまったことに気付いていない。もちろん、気付かせないようにしていたのであろうが、それだけウブだということだろう。

 まだ処女だということを他の人が信じられないと思っているのも、容姿からだけではなく、マゾとしての素質が表に滲み出ているからなのかも知れない。

 奈々子だけが、修を三日間の無断欠勤だと思ってしまったのも無理がないのだろうが、なぜ、他の人は、違うイメージで見ていたのだろう。しかも、無断欠勤だと思ったのは奈々子だけ、奈々子には一体修の何が見えたというのだろう。

「私も、ひょっとしたら、この三日間、本当は会社にいなかったのかも知れないと思っているんです」

「どういうこと?」

「秋山さんのことも確かに気になるところではあるんですけれども、私自身も、この三日間のことを思い出そうとすると、ハッキリと覚えていないんですよ。今までにも同じようなことが何回かあったんですけども、その時は、夢を見ていたような感覚で、気が付いたら、皆と同じ時間にいたんですよ。同じ日を繰り返した気がしたのに、翌日になると、翌々日になっていたって感覚ですね」

「本当にそんなことがありえるの?」

「その時、兄が教えてくれたんですけども、私はずっと眠っていたらしいんです。一日半くらいずっと寝ていたということで、それも最初の半日のことは、自分でもまったく覚えていないんですよ」

 修の場合は、三日間だという。三日間も眠っているわけもないし、ということは、自分と奈々子の間に不思議な空間が存在し、それぞれ二人で三日間を「分けあった」ということになるのかも知れない。奈々子だけが他の人と違った視線で見ているのは、自分もその中に絡んでいたからなのかも知れない。まわりの人たちが修と奈々子をどのような目で見ているのか、気になるところでもあった。

 どのように見ているのかという意味では、別に嫌われていることに対しては、気になるところではない。自分を見ている目を見ることで、まるで鏡のように、自分のことを分かることができるかが重大なのだ。

 奈々子を見ている自分の目を、今まで意識したことがなかった。他の人とは違うということは分かっていたが、自分と同じ匂いを持った女であることに気付かなかったのだ。気付いた今では奈々子が自分に話を直接しなくても、ある程度のことは分かるような気がしていた。兄のことも話としては詳しく聞いていないのに、分かっているのだった。

 それは奈々子にも言えることで、修の考えていることや、今までのことも看破されてしまっているのではないかと思うと、少し心配だった。今さら奈々子に知られてしまって困るものはないつもりだったが、奈々子にだけは余計に入り込まれたくない領域を作っておきたい気がしていたのだ。

 相手のことをよく分かっているというのも、良し悪しである。一番自分のことを知っておいてほしい相手であっても、踏み込まれたくない領域というのはあるものだ。伴侶ならなおさらで、四六時中一緒にいる相手に対しては、特にプライバシーは尊重されるべきだと思っている。

 修は性格的にも、どんなに相手に歩み寄っても、自分のプライバシーだけは確保しておきたいタイプで、確保されるべきものだと思っていた。それだけに、理解のある相手でないと結婚できないとまで思っていた。

「相手を束縛したいと思っているくせに、わがままな性格だな」

 と、時々自分に呟いていた。

 修にとって、奈々子は本当に自分のことを分かってほしい相手だと思っている。まりえに対して、今後どこまで発展してくるか分からないが、もし、本気で好きになったとしても、一番分かってほしい相手、そしていつまでも慕っていてほしい相手としての存在は、消えることがないと思っている。

 会社でだけの仲だと思っていたのは、兄の存在が大きかったからだ。兄を慕っている奈々子を見て、

――奈々子とは、付き合う気にはならないな――

 と思っていた。

 修は自分がいくら相手を好きになったとしても、相手に他に好きな人がいたり、実際に付き合っている人がいると、諦めるタイプだった。それが今まで一目惚れが少なかった一番の理由で、一目惚れをした相手に誰か好きな人がいた時、嫉妬の炎に燃えるくらい胸を焦がしたものだが、それも一回だけのことだった。立ち直れないかも知れないと感じたほど相手を好きになってしまえば、

「もう二度と同じ過ちを犯すことはない」

 と思っても、結局は同じことを繰り返すに違いない。

――繰り返す?

 同じ時間を繰り返すのも、感情のないところでの繰り返しなので、分からないことが多いのだが、そこに何かの感情を持ったとすれば、理解できることもあるのではないだろうか。意志が働くのは、そこに感情が存在するからだ。

――感情のない意志など本当に存在するのだろうか?

 修はまたしても、自問自答を繰り返すことになる。

 考えることは繰り返しなのだ。同じことを何度も考えて結論を出す。それこそ、繰り返しの原点ではないだろうか。

 奈々子という女性に、自分と同じモノを感じると、今度は今までと感情の向け方が変わってくる。愛情とは違うかも知れないが、奈々子が慕ってくれる眼差しを送ってくれている限り、決して離れることのできない仲であることを悟るのだった。

 奈々子の中にあるM性を引き出したのは、兄なのかも知れない。そして、兄が目の前から消えた今、奈々子にとっての拠り所は修しかいないのだろう。突き放すことはできないが、もし奈々子の気持ちの中に、修を「兄の代替」だという思いがあるとすれば、修は奈々子と心中することになるかも知れない。

 奈々子の兄が、自殺したという話を聞いたのは、それからすぐのことだった。噂では心中だったということだが、修が奈々子のことで、

「このままなら、奈々子と心中することになる」

 という、喩えとはいえ、心中という言葉を頭に思い浮かべたのと、ほぼ同じ時期に兄が心中したというのは、ただの偶然だといって流してしまっていいのだろうか。

 奈々子の兄が心中したことについては、少し経ってから、奈々子の口から聞かされた。さすがに四十九日の法要が終わるまでは口にしないでおこうと思っていたことだったようで、それが終わると、奈々子は修に切々と話し始めた。

「部屋で兄の遺品を整理していると、日記帳が見つかったんです。最初は見ていいものかどうか迷ったんですけど、遺品だからと思って中を見ると、失踪する前に書かれたあたりの内容は、まるで遺書のように思えてきて、読んでいて悲しくなってきました」

 奈々子は、喫茶店のテーブルの上に、兄の日記だと言って、読んでほしいページのところを示すようにして開いた。

 内容は、日記というよりも、まるで小説を読んでいるように思え、読んでいて、話の中に入っていく自分がいるのを感じていた。

                    ◇

――俺は、死について今まで何も考えてこなかったことを、今後悔している。

 死ぬことを考えていたのであれば、死について「怖い」などという感覚は消えてしまうだろうからだ。

 死を選ぶなど、考えたことはない。幸せになることだけを夢見て生きてきたつもりだった。

 幸せになるにはどうしたらいいかということも、あまり考えてこなかった。こちらに関しては後悔をそれほどしているわけではない。なぜなら、今の私には、幸せなどという言葉は紙に描いた餅のようなものだからだ。

 幸せを求めようなどというのは、幸せという言葉の意味を知らない人が求めるものだ。俺は言葉の意味を知らないが、求めようともしなかった。

 人から見ると、それほど俺は冷たい人間には見えなかったかも知れないが、心の中は冷え切っていた。いつ死んでもおかしくないような状態だっただろう。そのことを知っている人間はおそらくいないはずだ。今、俺と一緒にいる明美という女も、知らないだろうと思う。

 俺は明美と知り合って、ひょっとすると幸せという言葉の意味を知ることができるのではないかと期待した。しかし、明美は幸せという言葉に、一番縁遠い女だったのだ。

 俺は幸福という言葉に見放された男だった。言葉の意味も知らないで死ぬのは心残りだが、この世に未練などはない。死ぬことを怖いとは思わないからだ。

 いつも何かを考えていた俺だったが、死ぬことと、幸せになるということは、あまり考えていなかった。そう思うと考えていたことというのは、いつも目の前のことだけだったのだ。

 先のことなど考えても仕方がない。そういう意味では、俺は冷めた男だったのかも知れない。毎日を規則正しく暮らしているわけではないのに、時間は規則正しく過ぎていく。この矛盾に対して、時々憤りを感じていたのは事実で、同じ日を繰り返すことだってできていいはずだと思うようになっていた。

 繰り返すことはできても、巻き戻すことはできないと思った。本当は逆なのかも知れないが、自分以外の知らない世界で、何かの力が働くことの方が、自分で力を発揮することよりも容易なことだと思うようになった。

 巻き戻すことができないのであれば、生きていても仕方がないと思わせたのは、明美が明日をも知れぬ病気だと分かったからだ。

 明美の場合は、繰り返しても巻き戻しても、どうなるものでもない。どちらも時間を逆行するだけで、身体に何ら変化はないからだ。

 ただ、どうして俺が巻き戻しに期待したのか分からない。巻き戻して何かをしたいとか何かを得たいとか思ったのだろうか。今さら何かを得て、どうするというのだろう?

 明美と知り合ったのは、俺が失意にいる時だった。

 俺は時々失意に陥ることがある。世間では躁鬱症の鬱状態だと表現しているようだが、話を聞いてみると、確かに症状は鬱状態なのだろう。

 鬱状態は、入り込む時と抜ける時に、虫の知らせのようなものがあるという。そして、どんなに重くても、それほどでもない状態でも、鬱状態の賞味期限は、二週間ほどであった。

 鬱状態こそ、他の人も陥ると、同じような状態になるのかも知れない。そこには差別はなく、万民誰もが平等に陥るものなのではないだろうか。陥った時に、これは俺だけではないんだと、自分に言い聞かせる声が聞こえる。鬱状態の時には、これだけではなく、言い聞かせる声がいくつも重なっていることが多かったのだ。

 明美は、俺に対していろいろなことを話してくれる。話を聞いていると、なぜか涙が出てくるのだが、俺が涙を流すなど信じられることではなかった。

 明美はそんな俺を見守るような眼差しを送る。これでは立場が逆ではないか。心の中でもどかしさが襲ってくる。もし、俺が死を考え始めたのがいつかと言われると、この時だったのかも知れないと思った。

 死ぬことに対して背中を押したのは、明美だった。明美は自分がどうせ助からないことで、一緒に死んでくれる人を探していたのかも知れない。白羽の矢が立ったのが俺なのだろうが、今までの俺なら、何とか逃れようという思いよりも、相手の術中に嵌ってしまったことが悔しくて、地団駄を踏んでいたかも知れない。

 しかし、今の俺は、すがすがしい気持ちだ。

 俺も知らない間に、誰か一緒に死んでくれる人を探していたのかも知れない。死というものを考えたことがなかったので気付かなかっただけで、考えてみれば人間いつかは死ぬのだ。この先に何が待っているかと思うと、死ぬことが怖いとは思わなかった。

 何が待っているかって? それは幸せになることだろう。

 などというセリフは聞きたくない。幸せとは何かを考えたことがないわけではないが、考えているうちにバカバカしくなった。ずっと考えることではない。見つからないことの方が本当で、幸せとは、なって初めて分かるものではないかと、最近は思うようになったのだ。

 そんな漠然としたものを追い求める気力はすでに失せていた。

 まわりの人もそうなのかも知れない。死のうと思わないのは、死ぬことが怖いからで、生きることにどれほどの執着があるというのだろう。俺はいつもそう思っていたのだ。

 俺には一人の妹がいる。

 妹は実に従順な女で、今一緒にいる女とは違った意味で、俺にとって大切な女だ。子供の頃にはよく俺の後ろをついてきていた。まるで子分ができたようで嬉しかったが、相手が女であることを意識していなかった証拠だろう。

 妹を女として意識し始めたのはいつ頃からだっただろう。最初に感じた思いは、大好きだという気持ちだった。

 女というと、成長期の俺たちには、淫靡な雰囲気しかなかった。雰囲気は頭の中に纏わりついて離れない。成長期がこれほど刺激的で、そして大人になることを怖いと思わせるものだと思ってもみなかったので、妹に感じた思いも、悪いことだと思って、ずっと封印してきた。

 兄妹で淫靡な感情を持つことは、誰にでもあることだと思う。またそれが人間としての感情であるならば、仕方がないことだと思うが、仕方がないことなら、どうしてそれを悪いことだとして、意識させるのだろう。どこの誰がそんな意地悪な発想を抱かせるというのだろうか。

 疑問ばかりが残ってしまった頭の中を、少しスッキリさせたいと思い、行きついたのが「死」だった。

 今なら怖いという感覚をマヒさせることができそうな気がする。死ぬなどという感覚はそう何度も、そしていつまでも持ち続けることなどできるはずもない。

 死ぬことを怖がるのは、愚かなことだと思う。死ぬことについて怖くない時期があるだろうから、その時に一思いに死んでしまえばいいのだ。

 怖いと思うから怖いのであって、怖くないと思うのは、感覚がマヒしているからだ。絶えず感覚が正常に機能しているとは限らない。感情の元に感覚もマヒすることがあるだろう。その時に、やりたいことを貫徹させる思いが、死に切れるかどうかのカギを握っているのだ。

 心残りは一番何かと聞かれると、妹だと答えるだろう。心残りを考えること自体、愚の骨頂、考えられることは一つ、妹のことだけだった。

 俺は妹を女として好きになったのだろうか? 死ぬのが怖いとするならば、妹のことが心残りだからだ。

 子供の頃、俺が妹を育てているというほどの自負を持っていたが、今思い出しただけでも恥かしい。それは妹が好きなったことの裏返しだからだ。

 何度寝込みを襲おうかと思ったことか。やめたのは理性が制御したからではない。妹の寝顔を見ていて、あどけなかった頃を思い出したからだ。これも一種の理性の一つなのかも知れないが、俺にとって妹は侵すことのできない領域でもあった。

 それでも、他のやつにくれてやるわけにはいかない。妹が俺以外のオトコとニコニコ笑っている姿を想像しただけでも、胸を掻き毟りたくなるほどだ。こうやって書いていても手が震えてくるのが分かる。そんな時に頭に浮かんだ言葉が。「死んだ方がマシ」だということだった。

 死ぬなんて、そう簡単にできるはずはない。思ったとしても、すぐに決意や覚悟は鈍るものだ。だが、鈍らないとすれば、そこには諦めや失望が必ず存在しているはずだ。俺のように妹に対しての諦めがあれば、死を覚悟することもできるかも知れない。

 だが、俺は死ぬことを人のせいにしたくない。遺書などを書いて、誰かのせいにするなどということをしたくないのだ。ここに書き留めるのも精一杯の抵抗に近いだろう。

 こうやって書いている俺は、本当は弱い人間なんだ。元々人間なんて弱い存在なのだ。せいぜいできたとしても潜在意識の中で夢を見る程度だ。それも限界があるではないか。それを思うと、こんな文章を書いている俺は、だんだん情けなくなってくる。

 そろそろ筆を置くとするか。

 ただ、本当に俺はこのあとどうなっていくのだろう? 本当に死んでしまうのだろうか? 死んでしまった方が確かに楽だ。だが、死ぬことを何度も覚悟できるものではない。

 やっぱり今まで死について何も考えたことがなかったことを後悔している。もう少し考えていれば、もっといろいろな発想ができたであろうに、ただ、堂々巡りを繰り返すこともありうる。一旦入り込んでしまった袋小路を抜けられなくなる可能性だってないわけではない。

 ここに記したことは誰が見るというのだろう。見るとしたら妹しかない。俺はこの期に及んで妹に何かを期待しているのだろうか。

 俺は自分が悔しい。筆を置くつもりでまだ書いている。書き足りないわけではないのに、何を書こうというのだ。

 もしこれを見ている妹へ。俺のような後悔をしないようにするんだぞ……。

                    ◇

 ここで日記は終わっていた。これ以上の内容は、後ろのページに書かれていない。

「この内容は、兄が本当に死んでしまう三日前に書かれたようなんです。本当は誰にも見せてはいけない内容だと思ったんですけど、秋山さんなら、この内容について、私と同じような考えを持っているんじゃないかって思うんですよ」

 日記を読んでいて、奈々子に対して恋心を抱かなかった自分を顧みると、そこにやはり兄の存在が大きく立ちはだかっていることを思い知らされた。

――死ぬ間際まで、妹のことを考えていて、妹のことを考えるから、死を意識するようになった。しかも一緒に心中した人とは、心が本当に通じ合っていたわけではない。ただ、死にたいという同じ目的で、あたかもどこかで待ち合わせをしていたかのような感覚の死には、到底理解できるものではない――

 と、兄の死をどう判断していいのか、日記を読むことで、一層分からなくなってしまったかのようだ。

 修は、ここ数日誰かに見られているような気がしていたのだが、ひょっとすると兄からだったのかも知れない。不思議な世界を垣間見ることができる修と、死ぬことに対して異様な考えを持っている兄とは、どこかに接点があるのではないかと思えてならなかった。奈々子が修に日記を読ませたのも、奈々子の中で、兄と修の共通点のようなものを感じていたからなのかも知れない。

 奈々子は、修に日記の感想を聞きたかったのかも知れないが、修は余計な先入観を持って読んでしまった日記の感想を言えるはずもなく、黙っていることにした。

「私は、秋山さんが三日間無断欠勤したのだと、どうして思ったのかが、自分でも不思議なんですよ。他の人が感じているのは、秋山さんは三日間、会社には来ていたんだけど、仕事らしい仕事をしていないと思っているらしいんですよね。だから、仕事も終わっていないはずだと思っていたのに、終わっていることが皆には不思議なようなんです」

「僕も何を皆が不思議に思っているかがよく分からないんだけど、いつも通りに出勤してきていつも通りに仕事をこなしているだけだと思っているんだけど、これだけ同じ事務所の中で、一人の人間の行動が違って見えるというのも、おかしな話だよね」

 一人の人間から見たいくつもの世界を考えたことはあるが、一つの世界でも感じ方が人それぞれに違っているという思いをしたことがなかった。

 奈々子のことは、意識の中にありながら、兄の存在があるがゆえに、近づくことのできない人だと思っていた。それが今はこの世にいない人なのだ。しかも自らで命を断ったのだ。

 彼の日記には記されていなかったが、彼が本当に死を意識したのは、奈々子が彼のことを一瞬でも忘れた瞬間があったからではないかと思っている。彼にとってその瞬間が、永遠に続くのではないかと思った。実際に彼が死を選ばなければ、ひょっとすると、奈々子は兄を忘れてしまったかも知れない。

 日記を見ても分かったのだが、彼は相当な自信家であり、自分の思い通りにならないと気が済まない方だ。奈々子が自分の考えているような接し方をしてくれないと、忘れられたも同然だと思ったとしても、それは無理のないことなのかも知れない。

 奈々子から見て、兄の存在が絶対であったかのように思っていたのだろう。

 確かにある時期まで、奈々子は兄に対して絶対だという意識があったはずだ。今はなくなっているが、その原因が、修にあった。修に対して、兄と同様の感情を抱くようになり、しかも兄に感じたことのなかった、

「自分と同じもの」

 を、修のどこかに感じたのだ。

 修は、奈々子が自分に対して、他の人が感じることのできないものを感じることを悟った。またしても、以前の感覚が戻ってきたのだ。

「どんどん大切なことを忘れていっているような気がする」

 という思い、そして、

「自分を知っている人が、少なくなってきている」

 という思いをそれぞれ抱きながら、修は奈々子への意識を思い出しつつある。

 その日は、奈々子に対しての思いを思い出そうと、絶えずいろいろと思い出しながら、ずっと考え事をしていた。気が付けば、もうすぐ今日という日も終わる。本当に終われるのであろうか?

 部屋の大時計が、午前零時を示した。

 大時計が部屋にやってきてから、午前零時を意識してしまう毎日を過ごしていた。過ぎた瞬間は果たして次の日なのか、それともまた今日という日なのか、息を呑む瞬間だった。

「過ぎてしまえば、何があろうと、その日が「今日」なのだ。同じ日を繰り返していたとしても、無事に翌日になったとしても、今日に変わりはないんだ」

 と、言い聞かせるように、時計を見つめた。

 静寂は、暗闇にこそ似合うもの。午前零時を過ぎる瞬間に、一瞬電気が消えてしまったような錯覚を覚えたが、最近では毎日のことになり、慣れてくれば、怖いと言う感覚はなくなってきた。

 静寂の中で、正確に時を刻む音は、耳に響くと言うよりも、背中に響く気がした。背中にまるで目があるかのように、後ろに迫ってくるものがあれば、その時であれば見ることができる気がする。それが昨日の記憶であれば、同じ日を繰り返してしまうのではないかと思うのだった。

「前の日に何かを忘れてきたような気がする」

 一体何を忘れてきたというのだろう。同じ日であればいくらでも思い出して取りに行ける気がするが、ほんの少しでも日をまたいでしまうと、もう一度同じ日を繰り返して、忘れてきた時間に到達しないと、取りに行くことはできない。

 しかし、本当にその時間がやってきて、忘れていたものが何だったのかを覚えていることができるだろうか。同じ日を繰り返すリスクとを比べてみると、その代償は大きなものになるのではないかと思うのだった。

 いろいろな自問自答を繰り返していると、最後には、

「同じ日を繰り返している」

 という結論に導かれる。

 しかし、到達するまでにいくつもの疑問点をその場所に置き去りにしてしまっていることにも気付かされる。

 静寂の中、過ぎていく時間が、本当に規則的なのかどうかまで、疑わしくなってしまっていた。

 同じ日を繰り返すことが、自分にとってのリスクを犯すことになるのだろうが、リスクがいつ表に出てくるのかが分からないだけに、同じ日を繰り返すことが恐怖であることに違いはない。

 午前零時を通過した。背中には何も感じない。

「よかった、繰り返す一日ではないんだ。明日に無事になれたんだ」

 と、素直に喜んでみた。

 だが、本当に素直に喜んでいいのだろうか。同じ日を繰り返さないことが修にとって、本当によかったと言えることなのか分からない。

 今までは何の疑問もなく翌日になった。疑問を感じる余地など、どこにあるというのだろう。一日を繰り返すという発想すら、影も形もなかったはずだ。

「本当に誰も意識していないのだろうか。意識の中にありながら、考えないようにしているだけだからこそ、前を見て生きているという証になると思っているのかも知れない」

 そう思うと、いかに自分が前を見ていないかということを思い知らされた気がした。午前零時近くになると、背中に現れる

「過去を見る目」

 反応するかどうかで、過去がその日に存在するかどうかが決まる。

 過去とは、意識するから存在しえるものではないかと思ったことがある。過去の存在を記憶として残しておくだけなら、忘れてしまったとしても、さほど意識はしないだろう。それでも前だけを見ていることに疲れた時、ふと思い出すのが過去の思い出、それだけで十分のはずなのだ。

 なまじ過去の記憶が生々しいと、現実との境界が曖昧になり、現実逃避の材料になりがちであった。そこに背中の目が、過去を見ることを意識すると、午前零時というボーダーラインが目の前に広がり、通りすぎてしまうと、過去を見る背中の目が反応するのだ。

 過去に戻りたいという気持ち、やり直したいという気持ちは、誰もが無意識に持っているだろう。修もその一人で、むしろ強い方だったのかも知れない。

 だが、一度過去を繰り返してしまうと、感覚がマヒしてしまう。マヒした感覚を自分が覚えていて、二度と過去を繰り返したくないという思いも生まれる。

 ただ、過去を繰り返すには何か理由があるのではないかと思うようになると、そこには前だけを見ているだけでは解決できない大きな問題が潜んでいることに気付かないわけにはいかないだろう。

 大きな問題は、一つのこととは限らない。しかしすべては、何かの線で繋がっていることに間違いはないが、繰り返す範囲が一日に限られてしまっているというのも、どこか釈然としない。その時に一日という単位について、思い知らされることになるのだ。

 修は眠っていたようだ。気が付いたら、午前五時、まだ行動を始めるには少し早い時間だった。

 午前五時に起きることは珍しくはないが、そのまま二度寝することが多く、行動を開始する七時に目が覚めると、身体が軽く感じられた。

 熟睡していると、完全に目が覚めるまでには、少し時間が掛かる。一度途中で起きた方が、身体が目を覚ますまでには時間が掛からない。そんな時、一度目を覚ましたという記憶が、夢の中でのことだったのではないかと思うこともあった。

 しかし、この日は午後五時に、完全に目が覚めてしまった。そのまま眠ってしまおうという気分にはなれず、そのまま身体が起きてしまったのだ。身体が起きてしまうと、今度は眠る気にならない。普段なら、

「二時間も眠れる」

 と思う時間なのだが、身体が起きてしまうと、

「あと二時間しか眠れない」

 と思ってしまうのだ。完全に目を覚ますまでの時間を考えると、二時間は中途半端な気がしていた。

 殺風景なので、テレビを付ける。朝の番組は爽やかさを売りにしているという意識があるので、なるべくなら身体が起きてしまうまでは見たくない。この日はすでに身体が起きてしまっているので、早朝の爽やかさが億劫には感じなかった。身体が寝ていると、何をやっても億劫で、食事も喉を通らない。強引に押し込んでも気持ち悪いだけで、朝から気持ち悪さとの戦いになることは分かっているので、家で食べるよりも表で食べることにしていたのだ。

 さすがに、午前五時からやっている喫茶店といえば、近くでは二十四時間営業のファミレスくらいだった。早朝のファミレスにも行ってみたことがあったが、学生が数人、奥のテーブルで勉強をしていたのか、ノートや参考書をテーブルの上に広げて、眠っていた。ウエイトレスが一人で、眠そうにしていたのを見ると、さすが早朝ということもあり、自分も睡魔に襲われそうになった。これでは、却って逆効果ではないか。

 いつもの喫茶店に一番最初に入った時も、早く目覚めてしまって、ファミレスは嫌だという思いの元、家を早めに出て、喫茶店を探した時に、偶然見つけたのがきっかけだった。

 この日は、いつもの喫茶店に立ち寄るつもりだったのだが、家を出てから、急に思い立って、そのまま駅に向かった。普段と違うことがしてみたくなったのだ。

 普段と違うことをするには、勇気がいる。しかし、違うことをしてみたいという気持ちも強くあった。

 電車の時間を知っているわけではなかったので、家を六時前に出たのだから、まだまだ早朝列車の時間帯だ。それでも駅舎には人が結構いた。サラリーマンに混じって高校生も結構いる。十五分ほど駅で待って乗り込んだ電車には、何とか座ることができたほど、思ったより客はいた。

 乗客は寡黙だった。通勤ラッシュの客層とは明らかに違っている。ほとんどの客はまだ身体が完全に起き切っていない雰囲気があり、眠っている人も結構いる。見ているだけで眠気を誘うが、眠くなるわけではなかった。

 彼らを見ていると、

「同じ毎日を繰り返していても、繰り返していること自体、意識していないかも知れないな」

 と感じたほどだ。このまま一日が終わって、また目が覚めたとしても、疑問に思わない人たちではないかと思えた。ひょっとすると、ここにいる客の中には、通勤ラッシュの時間帯にも存在しているのではないかと思ってしまったのは、パラレルワールドを感じたからだ。

 同じ日、つまり二十四時間を繰り返している人は、同じ時間に同じ空間に存在することはできないが、短い時間で繰り返している人の中には、違う時間で同じ空間に存在していたとしても不思議ではない気がする。ただ、その人の意識は普通に毎日を繰り返しているのだろう。では、ここで幽霊のように同じ時間を繰り返しているであろう人は、どういう存在価値があるのか、考えてみた。

 彼らに存在価値があるとすれば、通勤ラッシュで毎日を過ごしている人の夢の中でこそ存在価値が見いだせるのではないのだろうか。夢だと思っている時間帯こそ、実は同じ空間で存在しているもう一人の自分なのかも知れないという発想である。

 夢の世界は潜在意識が作り出しているものだとずっと思っていたが、同じ空間で、違う時間に存在しているという考えに基づけば、

「夢には限界がある」

 という発想も成り立つのではないだろうか。

 なるほど、同じ空間ということは、同じ「現実世界」なのである。そう思えば、限界があっても当然のことなのだ。

「おや?」

 会社まで、駅は五つあるのだが、三つ目の駅に差し掛かった時、どこかで見たことのある人が乗り込んできたことに気が付いた。その人は、同じ会社の人で、普段から明るい雰囲気を醸し出している人だったのだが、前にも同じ通勤ラッシュで見かけたことがあったので、普段はそんなに早く会社に行く人ではないはずだった。

 見るからに声を掛けにくい雰囲気で、扉の近くに立っていた。表を見ているが、視線は踊っていて、どこを見ているのか分からなかった。

――こんな雰囲気だったかな?

 さっきの発想を裏付けるような雰囲気に、修の視線は釘付けになっていた。普段とまるっきり違っている雰囲気は、会社と家の往復で、しかもあまり人と関わりを持ちたくないと最近まで思っていた修に、好奇心を抱かせたのだ。

 その人のまわりにはいつも人がいたような気がする。内容までは分からなかったが、会話の絶えない人だというイメージが強かったのに、今はまるで別人のようだ。視線を離さずに見ていると、またしても、不思議なことに気が付いた。

――瞬きをしていないんじゃないか?

 修とまったく同じタイミングで瞬きをしているのかと思い、瞬きをするのを少し我慢してみたが、まったく瞬きをする様子がない。カッと見開いた目は、一体どこを見ているというのだろう。視線の先に見えるもの、それは差し込んでくる朝日だった。

 余計に瞬きをしていないなんてありえない。朝日の差し込む顔を見ていると、今度は顔の輪郭以外はハッキリとしなくなり、まるでのっぺらぼうを見ているかのようになっていた。

 このままずっと見ていると、今度はこっちがおかしくなってくる。立ちくらみを起こした時のように、目が見えなくなっていた。このまま見続けたら、間違いなく頭痛が襲ってくるに違いなかった。

 しばし、目を閉じておくしかなかった。前を見るわけにはいかず瞑った瞼の裏側に張っている蜘蛛の巣のような線が消えるまで、目を開けるわけにはいかなかったのだ。

 数十秒くらい目を閉じていただろうか。かなり長く感じられたが、目を開けて、正面を見ると、そこにはすでにその人はいなかった。どこかに移動してしまったようだ。

 彼がいないのが分かると、最初相当長く感じられた数十秒が、今度はあっという間に終わってしまったように思えた。

 電車が次の駅に到着すると、人が数人乗ってきた。彼がさっきまでいた場所に今度は違う人が佇んでいたが、その人の顔には朝日がまったく当たらない。駅に着く前に大きなカーブがあり、朝日が当たらなくなったのだろう。それにしても朝日の力の大きさに、ビックリさせられた。今佇んでいる人が、今度は小さく感じられたからだ。

 電車が降りる駅に近づいてきたので、立ち上がると、さっきまでに比べて、車内が急に小さくなったような錯覚を覚えた。それほど背が高いわけではない修は、立ち上がったからといって車内が狭くなるなど、考えたこともなかった。今日に限って立っている人の背が、皆自分とりも低いことに驚かされたのだ。

 背が高くなると、遠くまで見渡せるので、それだけ狭く感じるのだろうが、急に背が伸びることなどないはずなので、そんな感覚に陥ったことなど、今までにはなかったのだ。

 電車を降り、改札を抜けると、さすがに都会の駅だけあって、早朝からモーニングサービスを行っている喫茶店があった。時間は七時少し前だったが、同じ電車に乗ってきた客が入っていくのを見ると、少しくらい早くても、問題はなさそうだ。

 常連客の後からついていくのが一番いい。電車の中では寡黙だった客が常連にしている店に入ると、どのように変わるか興味があったが、店の中に入っても、ほとんど変わらなかった。早朝の雰囲気というのは、寡黙が似合うのかも知れない。

 店内には、いかにも眠くなりそうなクラシックが流れていた。朝の音楽としてはふさわしいのだろうが、こっちは睡魔が襲ってこないようにコーヒーで眠気覚ましをしようというのだ。クラシックは店内の雰囲気に似合ってはいるが、睡魔に襲われないようにしないといけなかった。

 最初に入った客は、奥のテーブルに座って、本を読んでいた。

――いつの間に――

 その人が店に入ってから修が店内に入るまでに、ほとんど時間が経っていなかったはずなのに、さっきの男性はすでに席に座って本を読んでいる。その落ち着きから、まるで最初からいたかのような雰囲気に、圧倒された気がした。

 本を見ると、その人が自分で持ってきたものではないようだ。ということは、席に着く前に、店にある本を物色して、席に座って読み始めたのだ。その間十秒もなかったくらいで、本当に、いつの間に本を物色し、読み始めたのだろう。しかも、頭からではなくて途中からである。自分の本でもないので、栞を挟んでおくなどということはできない。最初からページを覚えていたとしても、ここまで早く本を読む体勢になっているなど、想像もつくはずなかったのだ。

 読んでいる本のタイトルが目に入ってきた。文庫本にしては少し大きめで、よく見ると骨董品に関しての本だった。どうして喫茶店に骨董品に関しての本があるのか分からなかったが、思わず部屋にある大時計を思い出した。

「いつもだったら、そろそろ大時計の目覚ましで目を覚まし、意識がしっかりしてくる時間かな?」

 と感じた。

 大時計の時を刻む音は、朝の目覚めが一番耳に響いているのかも知れない。目が覚めた瞬間、胸の鼓動と時を刻む音がシンクロされて、重なって聞こえたことが何度もあった。

 よく見ると、その人に見覚えがあるのに気が付いた。

「骨董品屋のおやじさんだ」

 大時計を購入した骨董品屋には、あれから何度か赴いたことがあったが、たまにおやじさんとも話をしたことがあった。

「こんな偶然もあるんだな」

 と思いながら、修はレジの横にあるマガジンラックから新聞を取って読んでいた。

「そういえば、今日は新聞を見ていなかったな」

 毎日欠かさず見ているわけではないが、新聞を見なかった日は意識しているはずなのに、その日は、新聞を見ていなかったことに気付くまで時間が掛かった。それだけ普段と違った行動パターンだった。

 朝早く目が覚めて、家にいるのも億劫だ。しかも、行動パターンを変えることで、同じ日を繰り返しているのではないかという感覚を払拭したかったから早く出かけてきたのだった。

 そんな時に知り合いを見かけるというのも偶然にしてはできすぎだ。しかも相手は気付いていない。こちらも話しかける気もないというのは、どこか冷たい感じがするのは、朝の風の冷たさを感じたからであろうか。

 だが、本当に偶然なのだろうか?

 元々、骨董品屋で大時計を買ったことから、同じ日を繰り返しているのではないかという発想が現実味を帯びてきたのだ。何かの前兆ではないかという危惧が、一瞬頭の中を巡ったのだ。

 骨董品屋には、あれから何度か顔を出した。おやじさんとも顔見知りになり、たまに世間話をする仲になっていた。

 だが、今のおやじさんはまるで別人のようだ。話しかけても

「あなた誰?」

 と言われそうで、気持ち悪かった。

 以前に、まりえから、

「どなたでしたっけ?」

 と言われたのを思い出したが、あの時のショックを再度味わいたくはなかった、

 しかし、記憶の中のショックは、思ったほどではないという記憶がある。足元にポッカリと穴が空いたような感じだったが、ショックという意味では、さほどではなかった。何か現実味のないイメージが頭の中にあり、

――あの時の相手が本当にまりえだったのだろうか?

 という意識の方が強く残っているくらいだった。

 自分の中で信じられないという思いを抱いた時、

――これは夢ではないだろうか?

 という意識を持つ。現実逃避に近いイメージがあり、感覚をマヒさせたいという意識が働くのだろう。

 逆に、

「あなた誰?」

 と言われたい感覚に陥ることもあるのかも知れない。

 自分の方なのか、相手の方になのか、話をしたくない理由があり、それでも顔を合わせてしまった時、相手から、

「あなた誰?」

 と言われた方が、気が楽だと思うこともある。完全に逃げているのだが、ひょっとするとあの時まりえから、

「どなたでしたっけ?」

 と言われた時も、心のどこかで顔を合わせてしまったことへの後悔があったのかも知れない。

 その日、おやじさんを見かけたことを、すぐに忘れてしまうような気がした。忘れてあげないといけないという思いもあってか、忘れないといけないと思うと、思ったよりもアッサリと忘れてしまっていた。

 そのことを思い出すと、きっと心の中の雲が綺麗に晴れるような気がしていたが、それはかなり後になってからではないかと思えた。まずは忘れてしまうことが今の段階での事実であり、朝の時間すら、あっという間に過ぎてしまったかのようだった。

 朝早起きした時というのは、時間が経つのが早いもので、あっという間に夕方になっていた。

 退社時間が近づいてくると、

――今日は、区切りのハッキリしない一日だった――

 と、感じた。

 ただ、逆に時間の区切りがハッキリとしない時ほど、後から考えると一日が長く感じられるというものだ。

 時間があっという間に過ぎた日は、後から考えると、えてして一日が長かったりするものだ。今までずっとただの錯覚だと思っていたが、実際は区切りのハッキリとしない一日だったというのが理由だったのだ。

 区切りのハッキリとしない日は、一日が終わると、記憶からすぐに消えてしまいそうになる。それを消さないようにしようと思うから、余計に記憶に残るのだ。

 ただ、残った記憶は残像として残っているだけで、しかも区切りがハッキリしないほど印象に残ることは何一つなかったのだろう。

 そんな日が記憶の中で一番曖昧なのかも知れない。一日を繰り返していると考える対象になるのは、そんな日だとすれば、少々の違いはあっても、印象として同じだと思えば、繰り返しているように感じるだろう。それが、

「一日を繰り返しているのではないか?」

 と、最初に感じたきっかけだったのかも知れない。

 まわりの人に話してみたが、誰一人として信じるわけもない。しかも、数日も経たないうちに皆話したことすら忘れている。跡形もなく忘れているのを見ると、記憶を失うことに、何か見えない力が働いているのではないかとさえ感じるのだった。

 定時になって会社を出ると、いつものように西日が眩しかった。足元の影がどこまでも伸びている。ビルの谷間のギリギリの高さでとどまっている時に見た太陽はなかなか沈まない。ろうそくの消える寸前に、力強く燃え盛る炎を見ている時のようだった。それでも力尽きると、暗くなるまでが早い。最後の力を振り絞ったあとというのは、他愛もないものであった。

 部屋に帰ると、ちょうど宅配便の人がやってきていた。お届け物があるらしい。

「あれ?」

 差出人を見ると自分になっている。どうやら、骨董品屋で買ったものを届けさせたようだ。

――記憶にないんだが、中身は何だろう?

 横に大きなもので、奥行きの薄いものだった、明らかに絵画であることがは分かった。中身も大体見当が付いたが、買った記憶がないのに、どうして届いたというのだろう?

 中身は大時計を買った時に一緒に見た西洋の城を描いた絵だった。確かに気になっていた絵だったが、買おうとまでは思わなかった。暗い部屋に暗い雰囲気の絵があれば、怖いと思うのが分かっていたからだった。怖がりなところのある修には、絵を飾るだけの勇気は持ち合わせていなかったのだ。

 それでも記憶にないところで購入してしまったのだろう。その時、自分がどんな心境だったのかを思い図ってみたが、思い浮かぶものではなかった。

 だが、絵を見ていると少しずつ思い出してくるものがあった。

「この絵は僕を呼んでいた気がするな」

 おやじさんとも、絵の話をしたように思う。おやじさんも自分の部屋に絵を置いていると言っていた。最初は怖くて置くことを躊躇っていたそうだが、置いてみると怖いという感覚よりも、部屋全体が思っていた部屋とまったく違った世界が開けてきた気がしたとも言っていた。もし絵を購入するきっかけがどこかにあったのだとすれば、その時の会話が大きな影響を持っていたに違いない。

 絵は、やはり大時計の近くに置くのがいいだろう。大時計は窓際の棚の上に置いているので、その奥の壁に掛けるようにしよう。そこ意外に絵を置く気がしないし、大時計と切り離すことは怖い気がしたのだ。

――この絵と大時計は、まるで対になっているかのようだ――

 似ても似つかぬものだが、時を刻む時計の音と、絵の中から伝わってくる息吹のようなものが調和することで、部屋の中にまったく違った別の部屋の様相が飛び出してくるように思えるのだった。

 薄暗い絵の中が、時を刻む音で、次第に暗くなっていくように思えた。しかし、決して真っ暗になることはない。限りなく夜に近づくことがあっても、日が暮れることは永遠にないのだ。

「この絵は眠らない絵なんだ」

 と思うと気持ち悪さを感じたが、今まで眠っていた部屋が目を覚まし、修の中で忘れてしまったものを思い出させる効果を持っているとしたら、大いに興味をそそられる絵であることは間違いない。

 今日、骨董屋のおやじさんを奇しくも電車の中で見たことは、偶然ではなかったのではないかと思わせた。

 絵がおやじさんを見せてくれたのか、おやじさんが、絵をこの部屋に飾るように示唆してくれたのか、どちらにしても、絵とおやじさんを見たことは、切っても切り離せない事実だったのだ。

 次の日も、早く目が覚めた。

「まさか、同じ日を繰り返している?」

 と感じたが、どこかが違っていた。昨日ほど眠気を感じないのは、二日目ということもあり、身体が慣れてきている証拠であろう。

 目が覚めるまではあっという間で、顔を洗って戻ってくると、

「やはり、昨日の繰り返しではない」

 とハッキリ感じた。

 その理由は、部屋に大きな絵が飾られていたからで、絵は確かに昨日運ばれてきた西洋の城が載った骨董品屋で数日前に気になった絵だったのだ、

 修はホッとした気分になり、フッと溜息をついた。

「あれ?」

 溜息をついた瞬間に、溜息をつく前の自分と違う人間になってしまったかのような錯覚に陥ったが、本当に錯覚だったのだろうか?

 しばし、そのまま一歩も動かず佇んでいたが、あまり長く動かないと、今度は本当に金縛りに遭ったかのように、動けなくなってしまうような気がしたことで、時間がそのまま止まってしまうのではないかと思い、大時計を見た。

 大時計はいつものように力強く時を刻む音を響かせながら、秒針は規則正しく動いていた。

「よかった」

 今度は、安堵はしても溜息はつかないようにしないといけない。

 そういえば、子供の頃に同じような経験をしたことがあった。安堵の溜息を洩らした後に、何となくまわりの景色が変わってしまったように思えたことだ。

 まるで夢を見ているかのように、まわりの人が修を不審者のような目で見た。思わずその場を立ち去り、洗面所で顔を洗って戻ってくると、さっきの様子はウソのように、まわりは修を気にすることなく時間を刻んでいたのだ。

 皆が皆同じような目で見ている時、その顔は皆同じ顔に見えた。表情だけでなく、顔も同じだったのだ。そして、時間が固まってしまったかのように、その場から立ち去ることを選択しなければ、そのまま時間とともに、自分も凍結し、時間の網の中から逃れることなどできないと思った。

 だが、今度は誰も修のことに気付かない。見えていないなどありえないはずなのに、目が合ったと思っても、その視線は、修の後ろに向いているのだ。明らかに存在に気付いていないようだ。

――まるで石ころだ――

 道端に落ちている石は、目に触れているのに、誰もそれだけを注意して見ることをしない。たくさんある中の一つということもあり、一つに集中できないというのも、人間の習性なのかも知れないが、それよりも、

――そこにあって当然――

 というものであれば、視界に入っていても、意識することがないという考えだ。

 その時の修は、自分を納得させるのに、石ころを利用した。それだけまわりの風景に溶け込んでいるということだと悟ったのだ。

 もし、その時に石ころになった自分を想像し、まわりを見ることができていたら、少しは今の心境も違っていたかも知れない。

 その頃に感じていた疑問が、今形を持とうとしている。どのような表現をしていいのか分からないため、夢で見せたり、幻影のような見せ方になっているのだろう。

 最初こそ、不思議な世界に戸惑ったが、そのほとんどが、修の想定内のできごとであった。次に起こることを予期できたのだ。予期できたということは、それだけ余裕も出てくるのだろうが、さすがに同じ日を繰り返しているなどという発想は、いきなり目の当たりに突きつけられると、頭の中がパニックになるというものだ。

 それでも、夢で見ていることだと思ってみると、今まで想像したことがなかったのが不思議なくらいだった。

 夢が想定外であれば、それは実際の世界のことでも起こることなのかも知れないと思ったりもした。

 夢だと思っているわけではないが、感覚がマヒしてくるのは、夢を見ている感覚に似ているのではないかと思う。それが自分の知っている世界でのできごとでなければ、納得できてしまうのは、どこか人生に諦めの心境があるからかも知れない。

――自殺?

 自殺する人の心境を考えてみた。普通に考えれば、

「痛い、苦しい」

 まず、この思いが頭を過ぎる。

 そして、この世への未練を考えて、死んでも死に切れないと思うから、自殺を思いとどまるのだろうか?

 それとも先にこの世への未練を考えてしまうのだろうか。

 修だったら、先に、

「痛い、苦しい」

 を考えてしまうだろう。ここで自殺を思いとどまるのかも知れないと思った。むしろ、この世への未練など、どこにあるというのだろう。将来のことなどハッキリもしない。漠然と、

「これから楽しいことがいっぱい待っている」

 などと言われても、

「はい、そうですか」

 と言えるものだろうか。先のことで悲観するから自殺を考えているのに、そんな人に対して、楽しいことが待っているなどという説得は、まるで釈迦に説法の類である。

 ただ、自殺を考えてしまうのは、先のことに希望が持てないからだと思っていたが、それだけではないような気がしてきたのだ。

 自分の知っている世界で、今まで考えたこともないできごとが起こり、夢の世界だとして理解できなくなった時、感覚がマヒして来れば、人生に対して諦めが生じるのかも知れない。それがそのまま自殺という発想に繋がってくるわけではないのだろうが、大きな発想の転機になることもあるだろう。そう思うと、心中する人の気持ちも分からないわけでもない。先を考えるというよりも、生きることに諦めを感じているからというのが、自殺の原因だからである。

 奈々子の兄も心中だという。手紙の内容を見ると、明らかに人生に諦めが感じられ、疲れてしまっているのが、手に取るように分かる。

 しかも、同じ世界で別の世界を想像しているような書き方もあり、修の考え方に似ているところがある。それだけに分かりやすく、逆に分かりにくいところがハッキリしているように思う。

 まったく同じ考えというのもありえないことなので、どこかに違いがあるはずだ。そこからマヒしてしまった感覚がよみがえってくることもあり、

――同じ考えでも違いがあると、そこから自分を顧みることもできるんだ――

 と思うようになっていた。

 これが仲間意識であり、今までの修にはなかったものなのかも知れない。

 ただ、そう考えると、少し怖くもなってくる。自分にもいつ自殺を考えるか分からないところがあるということだ。

 人は自殺を考えるところまでは、誰にでもあるように思う。ただ、本当に自殺する人は少ない、やはり、

「痛い、苦しい」

 であったり、

「この世への未練」

 というものが邪魔するのだろう。

 今の修の場合は、それ以上に人生への感覚がマヒしてしまっているように思う。

――人生の楽しみとは何なのか?

 まだまだこれから目標を持って、達成のために努力する?

 この惰性に満ちた毎日の中で、何を達成するというのか、しかも同じ日を繰り返してみたり、巻き戻してみたりして、自分の意志の働かないところで、暗躍しているものがあるのは、何かを悟らせようとする力が働いているように思えてならないからだった。

 自殺をする人のほとんどは、覚悟を超越しているのであろうが、超越した先にあるものは、

――感情のマヒ――

 以外の何者でもないと思える。

 ここ最近ずっと、身体に疲れが溜まってきているのを意識していた。今までにも疲れを感じることは何度もあったが、それには理由があった。高校時代にしていたバスケットの疲れが溜まった時、受験勉強による睡眠不足と精神的な欲求不満から来ているものと、明確な理由があったのだが、今は明確な理由が見つからない。

 同じ日を繰り返していることで、身体に余計な緊張が走ったために、疲れが鬱積しているからではないかというのが一番大きな理由ではあるが、それだけだとは言いにくい。

 リナの話では、毎日どこかで自分と同じ考えの人に出会うような話をしていたように思う。

 そういえば、今日は本当に今日なのだろうか?

 おかしな言い方だが、自分にとって、一日を当たり前に過ごした場合の「今日」かどうかである。

 同じ日を繰り返している感覚は確かにあった。二度目の同じ日は、あっという間に過ぎていった。そして、その次の日に、自分のことを覚えている人が少なかったのも事実だ。その時に感じたのが、

――自分を知っている人が、どんどん少なくなってきている――

 という感覚だ。

 この感覚は、実は以前からあった。同じ日を繰り返しているのではないかという疑念を感じるよりも前からである。

――どうして自分を知っている人が少なくなっていると思ったんだろう?

 実際に人から、

「あなた、誰?」

 と言われたわけではなかった。言われたのは、同じ日を繰り返していると思うようになってからで、同じ日を繰り返すことで、進むべく道が分かれてしまったのではないかと思ったからだ。

 自分を知っている人が少なくなったと感じたのは、漠然とした感覚ではあるが、最初にどこで感じたのかということは覚えている。

 あれは、駅前の交差点だった。そう、リナを最初に見かけたあの交差点である。

 リナとの出会いは、交差点が始まりだったが、それ以前からリナとは出会えるような予感があったのかも知れない。リナと出会って、時間を繰り返していることの意識を強め、そして、まりえとの出会いを予知してくれた。予言と言ってもいい。予言は的中し、まりえに対して特別な感情を抱いた。

 しかし、それ以前に、交差点に対して特別な感情を抱いていたのは事実で、それが、

――自分を知っている人が、どんどん減ってきている――

 という感覚だった。

 交差点の中にいると、誰もが自分だけのことを考えて行動している。もちろん、集団で行動している人も少なくはないが、すれ違う人に対して、誰も感情を抱くことなどなかった。

 当然のごとく、知らない人同士がすれ違う。ひょっとして知っている人がいるかも知れないなどと、誰も思っていないから、知っている人がいても、無視して通り過ぎているのが日常茶飯事なのかも知れない。

 修にしてもそうだった。だが、知っている人が少なくなっているかも知れないと感じてから、交差点を通る時は、視線を意識するようになった。自分もまわりに視線を浴びせ、それに対して返ってくるかも知れない視線に期待もしたりしていた。もちろん、限りなくゼロに近い期待であることは分かっていた。分かっていても送り続けるのは、知っている人が減ってきていることへの反発の意志があるからだろう。

 返ってくる視線が皆無に近いと、それが続いていくうちに、感覚がマヒしてくる。少々のことでは驚かないようになったのも、そのせいではないだろうか。その頃から、今まで気にもしなかったものに興味を持つようになってきた。骨董品など、そのいい例ではないだろうか。

 修は、パラレルワールドを考えた時、極端な世界を思い浮かべた。今まで自分の想定内でしか発想できなかったが、想定外の発想も交差点を思い浮かべることによってできるのではないかと思ったのだ。

 それは今までタブーとされてきたことへの思いであった。特に感じているのは「死」についてである。

 神聖で犯すことのできないものだと思っていた「死」、それは神の領域で、人間が入り込んではいけないものだと思っていた。想定外のことを思い浮かべるには、神の領域に入り込む必要があると思ったのだ。

 交差点で毎日会っている人が急に消えてしまうと、それは別の世界での「死」を意味していると思うようになった。一日でも会わなかったりすると、次の日に現れたとしても、その人は、まったくの別人ではないかと思うのだ。

 もし声を掛けたとしても、相手は知らないだろう。なぜならその人は一度死んでいるのだからである。

 だが、一日を過ぎると、また現れるというのは、「死」というのが自分の想定しているものではないという発想である。記憶をすべて消されたまま、肉体はそのままに、もう一度違う人間として生まれ変わっている。同じ人間に見えても、目の前の人は違う世界から飛んできているからなのかも知れない。自分を知っている人が減ってきていると思うのは、ずっと一つの世界にいるからで、他の世界の人が交差点の中で、文字通り交差しているなどと思ってもみなかったからだ。

 天国や地獄を思い浮かべる時、「あの世」という言葉を使う。人間は死んだら、魂だけが天国か地獄に行くものだと信じられていて、それを決めるのは神の領域の問題だと信じている。

 だが、果たしてそうなのだろうか? 天国と地獄という二つだけの世界の存在だけで片づけられないものだと修は思うようになった。

 パラレルワールドと、「死」というものを一緒に考えてしまうと、却って混乱してしまうのかも知れないが、一緒に考えてしまうと、今まで理解できなかったことを理解できるようになり、さらに納得もできるのではないかと思うのだ。

 まわりとのかかわりをあまり意識したことのない人は、特にパラレルワールドに嵌りやすいのかも知れない。次の日に、同じ世界を繰り返しているように感じたり、知らない人が急にまわりに増えたり、知っている人が減ってしまっていたりするのも、普段まわりを意識していない人が急に意識することで、まるで我に返ったかのように感じてしまうからであろう。そう思うと、「死」というものを意識できる人は、人とのかかわりをあまり意識していなかった人ではないかと感じるのだった。

 死を選んだ奈々子の兄の日記を見ても、人とのかかわりがあった人間だとは思えない。自分だけで生きてきて、自分で勝手に死を選んだように思えるのだが、奈々子には悪いのだが、修にはそれが自分勝手な発想には思えなかった。必然の中にあり、死を選んだことはその人にとっての「潔さ」だと思うのだった。

「人は誰でも一度は死ぬんだ」

 と思うからなのだが、ここでまたもう一つ、新たな疑念が生まれてきた。

「一度は死ぬ」

 という言葉は、一度しか死なないと決まっていることなのに、おかしな言い回しだと、どうして誰も思わないのだろう?

 ひょっとして、この言葉の言い回しが本当で、

「人は一度以上死ぬ」

 というのが正解なのではないだろうか。

 一度死んで、生まれ変わるという発想はできないわけではないが、あまりにも突飛な発想なので、納得できるところまで考えが及ばない。したがって、最初から想定外の発想だと思うことで、そこまで考えてきたことを、すべて打ち消してしまうのだ。

 無意識に打ち消してしまうのであろう。そうでなければ、途中まででも考えたことを、

「もったいない」

 と思わないからだ。

 時間を使って発想したのだから、少なくとも時間に対して、もったいないという発想が生まれてくるはずである。それもないということは、無意識に考えを打ち消しているという発想が生まれてくるのも無理のないことであろう。

 そうなると「死」というものへの発想がすべて変わってくることになる。

 自然に死ぬことと、事故でやむなく死ぬこと、人から殺されること、そして、自らで命を奪うこと。死には様々な過程があるが、それぞれに行先も違ってくるだろう。だが、中には生まれ変われるものがあるとすればどれなのかと、修は考えてみることにした。

 自然に死ぬことが一番生まれ変わることのできるものなのかも知れない。いわゆる寿命の全うであるから、訪れる死に対しては一番神の意志に近いからだ。

 事故の場合も、本人の意識の働いていない場所での出来事で、死んだ人間が一番自分が死んだことを分かっていないかも知れない。あの世へ行くにも迷ってしまい、彷徨う可能性は大である。ちょうど同じ時期に生まれた赤ん坊に魂が乗り移ることができれば、生まれ変わりに成功できるのではないかと思うのは、危険な発想であろうか。

 修は、最近になって、中学生くらいの女の子を意識するようになった。それは、リナと出会ってからのことなので、本当に最近のことである。

 それでもひと月以上前くらいからのことのようで、それだけ思いが濃いのかも知れないと思った。

 今年、三十歳になったが、それまでは同年代か、年上に憧れることが多かったが、付き合うのは、二つくらい下の人ばかりだった。

 極端に年下に興味を持つことがなかったのに、急に年下に興味を持つようになったのはなぜだろう?

 何か、忘れてしまったことの中に、中学生の時のトラウマがあったのかも知れないと感じた。それが嫌な思い出だったのかどうか、覚えていない。

 時々中学時代のことを思い出すのだが、中学時代というと、あっという間に通りすぎたという記憶しかない。小学時代から思えば、中学時代は憧れだったのを覚えている。憧れの中学生になり、友達も増やしていこうと思っていた記憶はあるのだが、そこからは少しずつ記憶が薄れていったようだ。記憶が薄れるということは、それだけ時間もかかっている。

 時間が掛かったということは、それだけ中学時代の時間を長く感じていたということなのかも知れない。

 確かに小学生の頃は、一日がずっと続くのではないかと思うほど、時間が掛かっていた。早く大人になりたいという思いが強かっただけに、じれったかったというのが本音であった。

 中学生になると、成長期ということもあって、一日の長さが不安定だった。長く感じることもあったが。あっという間だったこともあった。その時初めて時間の感覚の違いが精神的なもので感じることだと思ったのを思い出した。

 中学時代に忘れてしまったトラウマが何だったか、今必死に思い出そうとしている。しかし、簡単に思い出せるものではないが、最近の経験が、それを容易にしてくれるような気がするのだった。

 高校時代になると、小学生の頃からのイメージがそのまま繋がっているように思える。中学時代をただ通り越しただけのように思っていた。中学時代の三年間が何だったのかなど、考えたこともなかった。

 高校の時の三年間が、本当は中学時代に感じるものだったような気が、今はしてきていた。何事においても、晩生だと思っていたがそれは中学時代を飛び越えて高校生になってしまったからだと思うのだ。

 中学時代がなかったなど、ありえない。だが、なかったようにしか記憶にないのは、封印してしまったからであろうか。それともその時に、今と同じような発想があり、今思い出したことで、中学時代の記憶を思い起そうとしているからなのかも知れない。

 中学時代というと、身体の成長期であり、精神的な成長が身体に追いついていけるかどうかが問題ではないのかと、冷静に考えれば思うのだ。

 精神的な成長は、子供の頃の記憶になるのか、大人としての記憶になるのか微妙なところだ。修はそれを子供の頃の延長だと思っている。ただ、実際の中学時代には、大人の仲間入りだと思ったはずだ。その考えの相違が、今記憶の中でポッカリと大きな穴を開けているのかも知れないと思う。記憶の相違というのは、そういうところから生まれるのではないだろうか。

 中学時代のことを、今の段階で思い出すということを考えれば、今何を大きく考えているかということを思い起せば、答えは見えてくるのではないかと思えてきた。

 では、今何を大きく考えているかというと、

「同じ日を繰り返している」

 という感覚と、

「死」というものに対しての意識の二つではないだろうか。

 そう考えてみると、中学時代のことが少し思い出されてきた。

 確かに中学時代、死にたいと思ったことがあった。その理由は今すぐには思い出せないのだが、確かに死について考えたことがあったのは事実だ。だから、

「痛い、苦しい」

 という思いと、

「これから、もっといいことがあるかも知れない」

 という将来への希望という意味で、考えることができたのかも知れないが、思いとどまったのは、ただ、死ぬ勇気が持てなかったからだろう。中学生とはいえ、死ぬ勇気を持てなかったのは、恥かしいことのように思えた。だから、死のうと考えたことと、死ぬ勇気が持てなかったことが自分の中で記憶の封印を試みたのだろう。それがトラウマとなって今まで思い出すことができなかったのだ。

 もっとも、思い出そうともしなかったのは、その時代が自分の中で思い出してはいけない記憶として暗黙の了解になってしまっているのだ。思い出すことをしない方がいいという警鐘を鳴らし続けていたのだろう。

 中学時代というと、テレビドラマなどで、自殺を試みる話を見たりすると、そのことが夢に出てくることもあった。夢の中で、勝手にストーリーを作り上げ、

「よく知らない話をここまで発展させて想像できるものだ」

 と思うほど、想定内ではありながら、想像できるギリギリまでできてしまう発想に、我ながら驚かされたものだ。

 中学時代が暗黒の時代だと思っているのは、苛めがあったからなのかも知れない。自分ではあまり記憶にはないが、苛められていたのは事実のようだ。高校時代になって、自分を苛めていた連中が、今度は自分に一目置くようになったことで、中学時代の陰凄な記憶が一気に封印されてしまったのだろう。一目置かれることは自分にとって成長の証のようなものであり、苛めを否定することは矛盾を生んでしまうので、否定せずに気にしないようにするには、記憶を封印するしかなかったのだ。

 高校生からの記憶が修にとっての大人の記憶であり、中学時代は暗黒の時代として思い出そうとしなかったのが、今までのバランスを築いてきたのだ。

 死にたいと思ったことが記憶の中になかったわけではない。それは中学時代のことではなく、もっと最近のことで、大学生の頃だった。理由は女性にフラれたというもっと恥かしい記憶であったが、その時の記憶は残っているのだ。

 中学時代の死に対して勇気が持てなかった時の方を恥かしいと感じたのに、大学時代はフラれた程度で死にたいと思ったことに対しては恥かしいと思わなかった。恥かしいというよりも、フラれたことのショックが大きく、死にたいと思ったのも一瞬で、死を考えたことに対して、それほど感慨が深いわけではなかった。

 今、部屋にある大時計、時計の刻む音を聞いていると、懐かしさを感じていたのだが、それがいつの時代への懐かしさなのか、ずっと分からないでいた。それが中学時代の封印されてしまった記憶の中にあるという発想が、どうしてなかなか出てこなかったのか、それだけ中学時代の記憶というものが、封印された事実よりも強烈に自分から切り離そうとしている何かがあるのかも知れないとさえ思ったほどだ。

 中学生の女の子を意識するのは、中学時代に戻りたいからではないだろうか。封印してしまった意識の中に、好きな女の子がいたのかも知れない。それが本当に自分の初恋の女の子で、しかも、封印するに至る原因が彼女にあったのではないかと思うのだ。異性を意識し始めたのは高校時代からだと思っていたが、中学時代にはすでに異性を意識し、好きになった女の子もいるのかも知れないと思うと、自分の中で、何かが狂ったとすれば、中学時代だったのではないかと思うようになった。

 もし、中学時代の記憶が普通に残っていれば、今感じているような、

「同じ日を繰り返している」

 という意識や、「死」に対しての特別な思いなどを感じることはなかったかも知れない。中学時代を今さら思い出すのは、何もなければ勇気のいることだ。それでも思い出さなければいけないと思うのは、マヒしていた感覚に、感情が戻ってきたからなのかも知れない。今さら感情が戻ってきて、どうすればいいのか分からないが、徐々にでも思い出す中学時代は、今だから思い出さなければいけない時代だったに違いない。

 今、部屋の中にある西洋の城を描いた絵、あれをいつか見たという記憶があったが、これも中学時代だったかも知れない。どこかの美術館で見たのだが、この絵と同じ日に、時計の絵を見たのも思い出した。時計が歪んだ絵は、有名な欧州の画家が描いたものを見たことがあったが、その時の絵は日本人のあまり有名ではない人の描いた絵だった。

「模倣作品じゃないか?」

 と、誰もが思うのだろうが、修はそうは思わなかった。その絵は明らかに修の意識を刺激した。その日の夜に夢に見たことも、今だから思い出せたのだ。

 その絵は西洋の城の絵の隣に飾ってあった。同じ作者の作品ではないようだが、並べ方にも疑問を感じながら見ていると、城の絵まで、修の中で何か意識の扉を叩く音が聞こえてくるようだった。

 死にたいという意識を持っていた時に見た絵だったように思う。学校から見に行った美術館の絵ではあったが、美術館に入った時と、出てきた時では意識が違っていた。変えたのは、この二つの絵だったのだ。

 美術館を出てきた時、死にたいという意識はほとんど失せていた。その記憶は残っているのだが、その前後の記憶が繋がらない。今も昔も美術に興味はないが、その時だけは興味というよりも見たこと自体が、自分の意識に変化を与えたということで、センセーショナルな出来事だったとして封印された記憶が教えてくれた。

 中学時代の記憶が次第に明らかになってきたが、ショッキングな意識も徐々に思い出されてきた。

 学校の帰りに廃墟があった。そこにはスクラップがたくさん捨ててあったのだが、ほとんどが、家電だった。今だったら、

「違法投棄だ」

 と、意識はしても、横目に見て通りすぎるだけだろうが、その日は精神的に何か嫌なことがあった。確かクラスで友達と喧嘩したのではなかったか。喧嘩にもならないほど仲がいいと思っていた人と衝突したことで、相手に対しての不満よりも、自分に対しての憤りの方が大きかった。不思議な感覚を味わっていたのだろう。吸い寄せられるように近づいていくと、そこに一人の少年が冷蔵庫のところで眠り込んでいるのに気が付いた。

 そんなところで寝ていると、扉が閉まってしまい、そのまま他のスクラップと一緒にプレスされてしまうのではないかという最悪の発想が浮かんだ。これも普段であれば、ここまでのことは想像しないだろうと思うようなことである。

 あまりにも深い眠りに思えたので、起こすには忍びないと思った。起こして文句を言われると割に合わないという思いがあったのも事実だ。

「俺には関係ない」

 と思うのが一番気が楽だった。最悪の状態になどなるわけはない。思い過ごしに過ぎないのだ。

 修は考えすぎてしまうところがあり、いつも最悪のことを考えるところがあった。それは小学生の頃からずっと続いていることで、高校生でも同じだった。今もほとんど変わっておらず、それこそ、

「死ななきゃ治らない」

 と思ったほどだった。

 最後の判断になると、考えが思いとどまってしまい、その一歩が先に進めない。この性格がいつから根付いてしまったのかハッキリと分からなかったが、中学時代のその時だったと思えば納得がいく。忘れてしまった記憶が結びつく過程で思い出す感覚だった。

 その日、街は大騒ぎになった。一人の子供が夜になっても帰ってこないからだという。

 近所が騒がしいということで親に聞いてみると、

「近所の男の子が、鬼ごっこしていて行方不明になったんですって」

 思わず、修は息を呑んだ。

――あの時の子だ――

 本当にその子だったのかどうかは、問題ではなかった。違ったとしても、そのまま危ないと思いながら放置してしまったことに変わりはないのだ。

 少年は、結局見つからず、行方不明のまま警察に委ねられた。警察が捜索すると、スクラップ工場の中の冷蔵庫から次の日に見つかり、重症ではあるが、命には別条がないということだった。

 修は胸をホッと撫で下ろし、自分が悪いことをしたという意識が、しばし吹っ飛んでいた。感覚がマヒしてしまったからだった。

 しかし、親の話を聞いてまたしても、修は愕然としてしまった。

「命は助かったとしても、あの子のショックは相当なものでしょうね。このままあの家庭が今までどおりの幸福な家庭に戻ることはないと思う」

 他人のことだとここまで冷静に分析できるものなのかと思った。そして親に対して「冷徹人間」というレッテルを貼る原因になった。

「俺がやったんだ」

 本当は自分がやったことだとは思っていない。仕方がないことだと思っているのに、自分がやったという意識が離れない。このギャップが実はトラウマの真の正体だった。

 仕方がないことだという思いと、自分がやってしまったという思い、中を取って、

「あの時に誰かに話していれば」

 という当然の発想が生まれていれば、少しは罪の意識も違ってくることだろう。そう思えなかったことが大きなトラウマを生み、記憶を大きく欠落させる原因になってしまったのだ。

 トラウマとは意識の中でずっと自分を見張っているものだと思っていたが、記憶の封印の方を向いて、表に出さないように見張っている役目もしているということを、まったく意識したことがなかったのだ。

 その時の修のことを知っている人が一人だけいた。その人は修が好きになった女の子で、まさか彼女が修の苦しみを分かっていたなど、しばらくは気付かなかった。

「秋山君、苦しそうね」

 彼女の言葉が最初、何を意味しているのか分からなかった。ただ、今まで話をしてくれたこともない女の子が、しかも好きだという意識のある女の子から言われたのだから、心臓が破裂しそうにビックリしたのだ。

「どういうことだい?」

「私知っているんです。あなたがこの間の行方不明になった男の子を、最初に発見していたのを」

「えっ」

 一番知られたくない相手だと思っていたが、知られてしまったのであれば、今まで意識していた相手だという感覚がマヒしてきたくらいだった。

 彼女に対していた恋心が急に萎えてきて、次の一言に何が待っているのか、怖くて仕方がない自分を感じた。指先は痺れるし、何を言われても、返答などできるはずはないという思いでいっぱいだった。

 それにしても最初に言われた、

「苦しそうね」

 という言葉、それを聞いた瞬間、彼女から明らかに見下されている意識が芽生えたのに気が付いた。このまま彼女と関わりを持つことは、一生このまま見下されることになるのだと思ったのだ。被害妄想であるのに違いないが、被害妄想を感じるのは彼女だったからだというのも事実で、やはり彼女は修にとって、特別な存在であったことには間違いはない。

「秋山君は、そんなに自分を追いつめることはないって、もっと早くに言いたかったんですけども、なかなか言う機会がなくて、今になっちゃったんですよ。」

 裏を返せば、いかに言えば、修に対して威圧感を与えながら、自分が支配できる立場を保てるかを考えていたので、話しかける機会を逸してしまったとも言えるのではないか。その時から、修のトラウマは記憶から引っ張りさせないほどの奥に封印されてしまったのだ。

 誰も修を助けることはできない。自分で意識や記憶を封印するしかない。それが修の見つけた結論だったのだ。

 彼女に対しての記憶も当然失せていた。だが、彼女が修の好きなタイプの女性の原点であることには違いない。思い出したということは、ひょっとして、この後どこかで出会えるのではないかという思いがあり、少し慌てた気分になったこともウソではない。興奮というより、当時のときめきを思い出したいという思いだ。忘れてしまったことを思い出したいなど今までに思ったことはない。どうしてそう思うのか、自問自答を繰り返したが、記憶から消してしまったものを思い出すことへのリスクは分かってるつもりなのに、それ以上に彼女と話がしてみたかった。それは自分がこれまで記憶を封印してきたことが、どういう意識から生まれたのかを、彼女と話すことで分かるかも知れないと思ったからだ。

 部屋にある絵を見ていると、彼女のことも思い出す。その時の彼女の悲しそうな顔を見た時、初めて「死」というものを意識した。それは、その時の少年が死んでしまっていたら……、という意識からであったが、まだその時は、自分の死について考えていたわけではなかった。

 自分の死について考えたのは、いつが最初だっただろう?

 中学時代だったのには違いないが、その後にも何かショッキングなことがあったように思えた。

 それも彼女に会えれば分かるかも知れないと思った。しかし、もう一つ感じているのは、

――すでに彼女と会っているのではないか?

 という思いだった。相手が気付いているかどうか分からないが、もし修が気付けば、きっと彼女も気づくに違いなかった。

――リナに会ってみたい――

 リナがひょっとしてあの時の彼女ではないかと思った。最後に話した時に彼女が言っていた言葉を思い出したからだ。

「私はきっと秋山君が今後悩んだり考え込んだりすることがあると、私も同じような悩みを抱えるような気がするんです。その時、どこかのタイミングでお会いすることができると思うんですが、秋山君か私のどちらかが、この言葉を覚えていれば、本当の再会ということになるんでしょうね」

 と言っていた。

 物忘れが激しく、しかも中学時代の記憶が欠落している修だったが、この言葉だけは、しっかりと頭の中からよみがえってきた。

「そうだったらいいね。僕はきっと君のことをずっと忘れられない気がするんだ」

「どうして?」

「忘れたくないからさ」

「ありがとう。でもその意識が却って記憶を封印することに繋がるのかも知れないわね。いい? 記憶というのは、限界が来ると封印されるものなのよ。覚えておくといいわ」

 記憶の封印という発想は、修のオリジナルな発想だと思っていたが、どうやらそうでもないようだ。

 修は、中学時代の記憶が少しだけだとは思うが思い出されたのを感じると、今リナと会えば、どんな気持ちになるのか想像してみた。

 この間のリナとの再会は、まったく知らない者同士が、共通の不思議な力を話しただけのものだったが、以前からの知り合いだということになると、話が違ってくる。漠然とした同じ日を繰り返しているという発想も、実は知っている相手だということで、ある意味、特定された人との間で繰り広げられている「狭い範囲」の出来事ではないかと思えてくるのだった。

 ただ、なぜ今リナと出会ったのだろう? リナのおかげで、まりえと仲良くなれた。しかし、まりえと仲良くなってリナはどう思っているのかが分からない。

 ただ、それも修がこの世界での自分のことだけを考えているからそう思うのだろう。もし違う世界に自分がいて、その自分がリナと付き合っているのであれば、リナが他の世界の自分にも幸せになってほしいと思うのは自然なことだ。少しおこがましい考えだが、前向きな考えと言えるかも知れない。

 しかし気になるのは奈々子の方だった。

 奈々子との出会いや、彼の兄の話をリナは分かっていなかったのだろうか?

 ひょっとして、まりえのいる世界と、奈々子と一緒の世界では、違う世界なのかも知れない。同じ日に出会ったわけでもないのだ。その間に同じ日を繰り返した記憶もある。まりえからも、

「どなたでしたっけ?」

 と言われたこともあったではないか。次の日には一日飛び越えて元に戻ったのだと思ったが、本当に元に戻ったのだろうか? 一度道を違えてしまったのだから、その後に修正されて戻ったとしても、同じ地点に着地できているという保証はない。動いている場所でジャンプして、普通に着地すれば、むしろまったく違うところに降り立ったと思うのが当然ではないだろうか。修はそのことをまったく理解していなかった。

 修に限ったことではない。この発想は誰もが思い浮かぶことではないだろう。パラレルワールドの本当の恐ろしさは、実はここにあるのではないだろうか。一つの謎を解いたとしても、さらに謎が潜んでいる。安心している暇はないのだ。一つのことで安心してしまうと、永久に抜けられない堂々巡りを繰り返し、パラレルワールドの「罠」に引っかかってしまうだろう。

 今言えることは、罠から抜け出すには、リナの力が必要だということだ。だが、本当に抜け出したいと思っているのだろうか。少なくともまりえと一緒にいる修は、幸せだと思っているはずだ。今の幸せを壊したくないという思い、一番分かっているのは、罠から抜け出そうと思った修だった。

 奈々子と一緒にいる修にしても同じで、今の自分の立場を放っておきたくはないという思いがある、それは奈々子に対して感じている恋心のようなものを確かめたいと言う気持ちがあるからだ。

「中途半端に終わってしまいたくない。そして兄の死についても、ハッキリと知りたい」

 という思いもある。

 そして、今考えている自分にしてもそうだ。中学時代の記憶を思い出しかかっているのは、何か理由があってのことだろう。それを確かめることなく、このまま元に戻ったとして、後悔しないとは言いきれない。

 リナに会いたいと思うのは、罠を抜け出したいという思いからではない。リナに会って確かめたいことがある。今は漠然としているが、それが分かれば、それぞれの自分の気持ちに整理が付くような気がしたのだ。

 そういえば、リナとは、あの時の二度しか会っていない。それぞれの自分が歩き始めたことで、会わなくなってしまったのかも知れないと思ったが、果たして本当にそれだけであろうか。他にも理由があるように思えてならない。

「リナが俺と会うのを避けている?」

 何かを伝えるために修の前に現れたのはないかという思いを抱いている。そして、伝えるのがリナの役目で、それ以上は、修と関わるのを避けていて、もし出会ってしまえば、パラドックスが崩れてしまうと思っているのかも知れない。そこにどんなパラドックスが潜んでいるのか分からないが、修にはもう一度、リナと出会わなければならないという思いに駆られるのであった。

 もう一度、あの交差点に行ってみよう。時間は夕凪の時間、仕事が終わってすぐに向かわないと間に合わなくなる。

 急いで会わなければいけないという気は不思議にしてこないのだが、会いたいというもう一つの気持ちの方が強いくらいだ。会いたいと思うのは、自分の気持ちを確かめたいからで、リナのおかげで気持ちを通じ合わせた、まりえであったり、同じ会社で毎日顔を合わせながら気持ちに気付かなかった奈々子であったりと、出会いを重ねてきた中で、リナへの気持ちと、リナが自分をどう思っているかということを確かめないと気が済まなくなってしまっていたのだ。

 仕事を早めに切り上げて、急いで会社を出るのを、奈々子がどんな気分で見ていたのか分からない。奈々子の視線を気にすることなく、文字通り一目散に会社を出た修は、交差点でリナと出会った日のことを思い出していた。

 自然な出会いだった。二回目は確かにリナに会いたい一心ではあったが、出会い自体は自然だったように思う。今日のように急いで行かないと出会えないという意識はなかった。どうして、今日は急がないといけないと思ったのだろう。

 夕凪の時間に合わせなければいけないという確固たる証拠もない。ただその時間に合わせなければ、もし出会えなければ後悔が残る気がしたのだ。後悔とは意識の中で、

「やれるはずのことをしなかった」

 という思いを抱いた時、感じるものなのではないだろうか。

 交差点までは、思っていたよりも時間が掛かった。会社を出てから駅に向かうまではあっという間だったのに、電車に乗ってから後は、結構時間が掛かったようだ。一つの目的に向かって進んでいる間に、それぞれのターニングポイントで、いつもに比べて時間の掛かりがまちまちだというのもおかしなものに感じられた。

 電車の中では扉の近くに立って車窓から流れる景色を見ていたが、いつもよりも、景色が小さく感じられたのが気になっていた。

 景色は遠くに見えるものほど遅く流れていくと言う当たり前のことを、今さらながらに気付かされた気がしていたが、近くに見える光景も、その日はゆっくりと感じられた。そのくせ電車のスピードに変わりはない。線路の軋む音に変わりがなかったからだ。

 目に見えているものよりも、耳で感じる方が正常に感じる。スピードが遅いわけはないという固定観念が、目に見えるものよりも耳で感じる方を優先させたのだ。

 間違いないという感覚を自分の正常な意識として正しく認識させるために、本来なら目で見たものを優先すべきなのに、耳を優先させたのは、理屈で自分を納得させることが一番だと感じたからに違いない。

 そう思った時に、次の瞬きで、目で感じる現象も正常に戻っていた。目の前を流れる風景もいつものように早かったのだ。

 そんなことを感じているうちに、あっという間に降りる駅に近づいていた。

――いつもよりも早かったような気がする――

 きっと余計なことを考えたからなのかも知れない。

 電車がホームに滑り込んでくると、思ったよりもホームには人がいた。降りる人はそれほどいなかったのに、普段と二本ほどしか時間が違っているわけではないのに、これほど光景が違いとは思ってもいなかった。少しだけ早い分、学生が多い。乗車してくる客のほとんどが学生であることから、客層の違いで乗降客の人数の違いは当たり前だった。今日はそんな当たり前のことを、いちいち感じさせられる日だったのだ。

 駅を降りると、夕日が最後のあがきで、ろうそくの消える炎の寸前のように明るく輝いていた。日が落ちると、冷たい風が吹いてくるのが分かっているので、夕日の暑さが、今は身に沁みるかのようだった。

 ここから交差点までは、不思議と慌てる気にはならなかった。落ち着いた気分は、何かの覚悟を思わせるようで、

「もし、会えなければ、それも仕方がない」

 とまで感じていた。

 交差点の光景が、目を瞑れば浮かんでくる。そこに果たして現れたリナの顔が、シルエットで浮かんでいたのだ。

 前に見た時よりも大きく見えるのは、逆光になっているからかも知れない。人通りの多い交差点で、まわりの人の姿がかすんでいるほど、リナの姿には後光が差していた。ゆっくりと歩いてくるその姿は、まるで修が現れるのを最初から分かっていた落ち着きのようだ。

 修はリナの姿を見ると、笑顔を見せた。リナも笑顔を見せているのだろうと思うと、今まで差していた後光が晴れて、想像通りのリナの笑顔がそこにはあった。

「お久しぶりです」

 先に口を開いたのはリナだった。

「俺が来るのを分かっていたのかい?」

「ええ、そろそろ来られる頃だって思っていました」

「俺が最後に声を掛けた時、どなたでしたっけと答えたのは、君かい?」

「ええ、そうですわ。でも、あの時は、あなたに私をこれ以上意識させないようにしないといけないという思いがあって、そう言ったんです」

「どうしてなんですか?」

「修さんは、私のことを忘れてしまった方がいいと思ったからなんですよ。あなたの思っている通り、私はあなたの中学時代の同級生だった女の子です。あなたがいろいろ苦しんでいるのをずっと見てきたつもりだったんだけど、最近のあなたを見ていると、もう一度会いたいという気がしてきたんですよ。私は自分の気持ちを整理できないところまできていたのかも知れません」

「じゃあ、どうして俺に他に自分を思ってくれている人がいるって教えてくれたんですか?」

「まりえさんは、あなたや私と同じで、パラレルワールドの存在を自分で意識していたんですよ。あの人も私はずっと以前から知っていて、彼女のことも何とかしてあげたいと思っていた。私はまりえさんにもあなたにも、パラレルワールドではない世界で知り合ってほしかったんですけどね」

「普通に出会えば、恋心は抱かなかったかも知れませんね」

「そうですね、あなたたちを会わせたのは、少し失敗だったかも知れないと思いました。で、そのあとあなたは、奈々子さんとそのお兄さんの話を聞いたんですよね?」

 リナは、奈々子のことも知っているようだ。一体、リナは修のどこまで知っているというのだろう?

「あなたが買ってきた絵のことも知っています。あの絵は、実は私の家にあったものなんですよ。あなたが私の家に以前遊びに来た時に見たことがあったはず。だから、見覚えがあって当然なんですよ」

「俺があなたの家に遊びに行ったことがあったんですか?」

「ええ、私の家族は昔から大きな屋敷に住んでいたんですけど、ちょうどその頃に没落して、私は家族と一緒に逃げるように街を去ったんです。だから、あなたの記憶の中からも消えていた。でも、その頃の記憶が完全に封印されてしまっていたのは、私にも分かりませんでしたけどね」

 あまりにも唐突な話と、どこまで自分のことを知っているのだろうという話とで、少し感覚がマヒしかけていた。自分が自分ではなくなるような感覚が、マヒに繋がっているのかも知れない。

 リナは続けた。

「でも、今日はあまりあなたとお話をしている時間がないんです。申し訳ないんですが、もう一度ここに来てくれますか?」

「いつ来ればいいんですか?」

「それは、多分あなたが今から以降に感じることで分かってくると思います。実は、今の私にもそれは分かりません」

「何とも、腑に落ちないところが多いですので、俺は君の話を全面的に信用しているわけではない。でも、今は君を信じるしかないと思っているので、その言葉を信じます。本当はいろいろ知りたいことがあってきたんだけど、今度は話してくれるのかな?」

「ええ、あなたのご期待に添えられることを私も祈っています」

 そう言って、リナは踵を返して来た方向へ歩いて帰った。

 リナの話を聞いていて、本当にビックリした。ここまで知られているということにもビックリしたが、それ以上に、リナにも僕のことで分からないことがあるような言い方をしたのが気になった。

 とりあえず、まりえに会ってみたいと思った。

 そのまま、喫茶店まで歩いてみたが、いつもより表から見て、店が暗く感じられたのは気のせいだろうか。いつものように扉を開けて中に入ると、まりえはいなかった。

「今日、まりえちゃんは?」

 と聞くと、

「まりえちゃんはね。三日前に辞めましたよ」

 と言われ、ビックリした。

 まりえと会ってから一週間くらいが経っていた。辞めたと聞いた時、その一週間がさらに以前のことであったかのように思えたのだ。

「一体、どうして?」

「理由は聞かなかったんだけど、少し暗かったのだけは覚えているよ。だから、あまり聞かなかったね」

 まりえとは、結構難しい話をしたような気がするが、どんな話をしたのかを、今となってみればすっかり忘れてしまっていた。いや、忘れたわけではなく、二人だけの世界を濃密に作り上げたことで、彼女がいなくなった瞬間、記憶の奥に封印されたのかも知れない。封印するにも限界があるので、忘れてしまったと思うのも無理のないことだった。修はまりえとの会話を無理に思い出すこともせず、その日は、夕食を喫茶店で済ませ、家路につくことにした。

 まりえのことを気に掛けながら家に帰ると、部屋の前に一人の女性が立っているのに気が付いた。

「まりえ?」

 まさか、さっき辞めたと聞かされたまりえが家の前に立っているなんて、自分が望んでいることが展開されたことに喜びよりも驚きの方が強かった。正直、ゾクッとしたくらいだった。

 修はまりえに近づくと、笑顔を見せた。だが、その笑顔は引きつっていたように思う。まりえも同じように笑顔を見せてくれたが、まりえの笑顔も引きつっていたのだ。

「どうしたんだい?」

「修さんに会いに来ました。私が喫茶店を辞めたことがご存じですか?」

「ええ、店の人に聞きました」

「ビックリしたでしょう?」

「少しビックリしたけど、でも、今ここにまりえちゃんがいる方が、もっとビックリしているんだ」

「ええ、実は大時計と、絵を見に来たんですよ」

「この間、骨董品屋で買った? その話、したっけ?」

「私は聞いた気がしました」

 修には記憶はなかったが、まりえが聞いたというのであれば、したのだろう。だが、わざわざ見に来たというのは、どういうことなのだろうか?

「どうぞ」

 と、言って修はまりえを部屋に招き入れた。

 最近、誰も部屋に入れたことがなかったので、まるで自分の部屋ではないかのような雰囲気を感じたが、暖かな空気が漲りそうで、久しぶりに部屋に息吹がよみがえったような気がした。

 大時計の隣に絵は置いてある。少し大きいので壁に掛けることはせずに、下に置いていたのだ。

 まず、大時計が気になったのか、まりえは手に取って時計を見ていた。耳を近づけて、時を刻む音をウットリしながら聞いているように思えた。修も時々同じように耳を当ててみる。それほど時計の音が気になる時があったのだ。

「ただ聞いているだけでも心に響きそうな音ですね」

「まったくそうだよね。僕も骨董品屋さんに入った時、最初に目についたのが、この時計だったんですよ。少し高かったけど、やっぱり買ってよかったと思っています」

 この時計は完全に、この部屋に馴染んでいる。骨董品屋以外の他の部屋にある雰囲気を感じないほどだ。もし想像できるとすれば、中学時代に行ったというリナの家のような大きな屋敷だけだろう。西洋の城の絵が似合うような家だ。当然、この大時計も似合うに違いない。

「まりえちゃんは、時計が好きなのかい?」

「ええ、昔から好きでした。家にも、これよりは小さいけれど、少し大きな置時計があって、最初は皆時計を気にしていたんだけど、次第に誰も気にしなくなって、最後まで気にしていたのは私だけだったんですよ。でも、ある日父親に捨てられちゃいました。私はとてもショックだったですね」

 時計に限らず、自分が大切にしていたものを勝手に捨てられるとショックである。自分の所有物ではないのでしょうがないのだろうが、相談の一つもあっていいのではないだろうか。

 まりえは続ける。

「私はそれから、しばらく家族と口を利かなくなりました。そのうちに家族の考えていることが分からなくなったんです。それが次第にまわりの人皆が分からなくなって、その頃から同じ日を繰り返しているんじゃないかって発想が生まれてくるんです」

「まりえちゃんが、同じ日を繰り返していると思うようになったのも、その頃からなのかな?」

「ええ、そうなんですよ。自分がまわりを信じられなくなると、まわりが次第に私の存在がまるで薄くなったかのように接してくるんです。最初は意地悪かと思ったんですけど、一人じゃなくて、皆なんですよ。その時から、私も皆のことが意識から薄くなっていって、その頃から忘れっぽくなったんです。それからですね、同じ日を繰り返しているんじゃないかって発想に至るようになったのは」

 まりえには、時計に対しての思い入れがかなりあるようだった。

 修もまりえの話を聞いていて、自分には時計とは因縁がないと思っていたのに、何か忘れていることがあるように思えたのは、時計のことではないかと思うようになった。確かに中学の時の記憶がないのは、少年の失踪に関わることが大きかったが、その時と前後して、時計の記憶が何か影響しているように思えてならなかった。

 中学時代の記憶が欠落しているのは、少年の失踪の時からだと思っていたが、実は違ったのかも知れない。時計のことが気になっているとするならば、少年の失踪からそう遠くない過去に、時計のことで記憶を欠落させる何かがあったのだろう。

 だから、少年の失踪の時には、すでに記憶の欠落が始まっていて、感覚がマヒしていた時期だったようだ。そのために少年がいなくなった時、

「夢を見ているようだ」

 という感覚になり、実際に見たはずの少年の姿を幻だと思ってしまったのだろう。欠落した意識がさらに欠落し、まったく覚えていないところだけが問題だと思っていたが、覚えているところも、ところどころ、間違った意識を持っていた。そのために意識がゆがめられ、同じ日を繰り返しているような錯覚が身についてしまったのだ。

「マイナスにマイナスを掛けると、プラスになる」

 という感覚に似ているように思うのは、中学時代に理屈っぽいところがあり、それが数式に当て嵌めて考えるところだったことがアダとなったのかも知れない。

「そういえば、私、この時計をどこかで見たことがある気がするんです」

「骨董品屋ではなく?」

「ええ、かなり昔のことなんですけど、子供の頃のことだったかも知れませんね。そこにある絵も実は見た記憶があるんですよ。でも、同じ時期ではなかった気はするんですけどね」

「絵はいつ頃見たんだい?」

「確か、高校の頃だったと思うわ。この絵を見て、中学時代まで絵画に興味がなかったのを後悔したくらいですからね」

「誰かの家で見たのかい?」

「時計は確か、誰かの家だったと思います。でも絵は喫茶店で見たんですよ、私が喫茶店でアルバイトをしたのは喫茶店が好きだからなんですけども、喫茶店が好きになった理由は、この絵を喫茶店で見たからだと、今でも思っています」

 まりえは時計の横の絵を見ながら、目を細めるようになっていた。その表情は無意識のもので、時計に比べて絵を見る時の表情は、まるで他人事のようだった。

 時計はどこにあったのだろう? てっきりリナの家にあったものだと思っていたが、違ったのだろうか。西洋の城の絵は、似たような絵がたくさん出回っているだろうし、喫茶店などで飾るにはちょうどいいかも知れない。だが、喫茶店に飾ってある絵をいちいち気にして見ている人は、よほど絵に造詣の深い人でないといないだろう。それこそ、

――路傍の石――

 そのものではないだろうか、目の前にあっても目立たない。気配を感じないので、あっても気づかない。喫茶店の中の絵には、存在感があるが、そこにあるというだけで、内容までは意識する人は少ないだろう。

 まりえの表情を見ていて、どこか他人事に見えるのは、意識して見ていても、どこかに「路傍の石」を意識するものがあるからだろう。他人事に見える視線は、冷ややかで、その分、無意識に感じられる。他人事というのは、いい加減というよりも、無意識な気持ちの表れなのではないだろうか。

「まりえちゃんは、絵を描くのかい?」

「ええ、最近よく描くんですよ」

「どんな絵を描くんだい?」

「前は風景画が多かったんですけど、最近は人の顔を描くようになったんです。この間も近くの交差点で絵を描いていたんですけど、面白いもので、毎回同じ風景に見えるんですよ。これも同じ日を繰り返している反動のようなものじゃないかって思うんです」

「それは、同じ風景を見るから、同じ日を繰り返しているような錯覚に陥るんじゃないかい?」

「そうかも知れませんね。でも絵を描いている時の私は、頭の中に残像が残っているんですよ。残像が残るから絵が描けるんですけど、その残像がまったく一緒ではないんです」

「それはどういう意味だい?」

「同じ大きさの風景なんですけども、残像になると、次第に小さくなっていくように感じるから不思議なんですよ」

 修は、今日の電車の中での風景を思い出した。最初は次第に風景が小さくなり、近くのものがどんどんゆっくりになっていく風景を見た。内容は違うかも知れないが、まりえの話を聞いていて、今日の電車の中での光景を思い出したのは、偶然ではないように思えてならない。

「今度、見せてもらおう」

「ええ、ぜひ。私も秋山さんに見てもらいたいと思っていたんですよ。秋山さんが絵に造詣が深いという意味ではなく、私の描いた絵を、秋山さんがどう感じるかが知りたいんですよ」

 修も絵に造詣が深ければ、もっと違った意味で、まりえの絵を見てみたいと思っただろう。そして絵を見て、それなりの評価をするかも知れないが、それがまりえの望んでいることだとは思えなかった。評価してもらいたいというよりも、絵を見て何かを感じてほしいと思っているのかも知れない。その思いがあるからこそ、まりえが絵を見た時に他人事のような顔ができるのではないかと思うのだ。

 絵を立体的に見ることができるとすれば、絵の中に入り込んで、絵の方からこちらの世界を覗いているようなイメージを捉えることができるだろう。子供の頃に見た夢で、空が割れて、その向こうから人が覗きこんでいるのが見えた時、自分が絵の中にいて、絵を見ている人には、絵の中の動きが見えないという錯覚を抱かせるのを感じた。

 明らかに絵の中と、表から見る世界は、それぞれの方向から見ているというだけではなく、まったく違った世界が出来上がっているのを感じさせるのだ。

 絵の中が平面であり、表が立体であるというのは、表から見ている理屈だ。絵の中に入りこんだ人がいないのだから、分かるはずもない。逆に絵の中の世界から表を見ようとしても、見えるものではないだろう。四次元の世界を創造することはできても、実際に見た人はいないので、証明はできない。それは二次元世界から三次元世界を見た場合でも同じであろう。

 だが、夢という世界が、その二つを結ぶカギだとすればどうだろう。発想はいくらでもできるのだろうが、同じ日を繰り返しているという思いを抱いているまりえが描く絵はどのようなものか、見てみたいものだ。

 同じ日を繰り返しているという感覚は、平面と似ているかも知れない。日にちを重ねることが高さを重ねると考えると、堂々巡りの同じ日は、高さを重ねない。イメージとして平面を思い浮かべたとしても無理もないことだ。

 まりえは修の部屋で時計の音を聞きながら、絵を眺めていた。最後まで絵に対しては他人事のような視線を送っていたが、しばらくすると、頭を何度か前に傾けながら、納得しているかのように見えた。

「私は、絵を見ていると、夕日を思い出すんですよ」

「どうしてなんだい?」

「絵の中の世界から、表を見ている気分になった時、空を見るでしょう? その時の空が夕日を想像するんですよ。夕日以外には想像できないというべきかしら。風のない夕凪の時間を思い浮かべてしまうのね」

 まりえの口から夕凪という言葉が出てくると、ドキッとする。

 さっきも

「交差点で絵を描いている」

 という言葉が口から出てきた時、自分が感じているキーワードと同じものだと感じると、ドキッとしてしまう。

 まりえが描いた絵を見てみたくなった。そこに何が写っているのか、何となく想像がつく。

「絵を描いている時の私って、本当の自分だと思うんです。じゃあ、普段が違う人なのかって思うと、それも自分なんですよ。ただ、本当の自分とは程遠い自分。でもそんな自分が一番表に出ていて、私の印象を形作っているんですよね」

「そんな姿を見てみたいね」

「そうでしょう? 私も本当の自分を見てみたいんですよ。自分というのは、鏡のような媒体がなければ見れないものじゃないですか。だから余計に自分の姿を客観的に見ることができる表からの目のようなものがあればいいなんて夢みたいなことを考えてしまうんです。そんな時に、絵の中から自分を見たら、どうなんだろう? なんて考えたりしたんですよ。だから、今も絵を見る自分が客観的にしか見えていない気がするんです」

 まりえのそんな話を聞きながら、修は、城の絵を見てみた。

 そこにはよく見ると、城に続く階段があり、そこに一人の男性が急いで駆け上がっているのが見えた。

 彼は身体に甲冑を纏い、頭には兜をかぶっている。手には槍を持っていて、城に向かって駆け上がっている。

 城からは、数十人の同じような武装した集団が出てきて、どうやら、戦闘が始まりそうな予感がある。

「一対数十人」

 明らかに攻め手の方が不利だった。

 それを分かっていて攻め手は挑んでいるのだ。

 それが分かってくると、次第に先頭部分が拡大されて見えてくる。男の形相までが一瞬だけだが見えた気がした。

「覚悟した男の顔というのは、あんな表情なのか」

 と思うほど、目は一点しか見えておらず、まわりから攻撃されたら、まったく気付かないだろうと思うほど、猪突猛進だった。

 すぐに全体像が映し出され、今度は城側の兵士の顔も垣間見ることができた。こちらはさすがにそこまで目が血走っているわけではなく、さすがに人数的な優位が、それを証明していた。

 ただ、それでも映像としてハッキリしているわけではなく、最初はそれがなぜなのか、分からなかった。

 そしてまた全体像が映し出される。

「うわあああ」

 という声も聞こえてくらいで、まるでテレビのモニターを見ているような感じがしていた。それだけ他人事なのだが、こんな見え方ができるはずもなく、

「絵を見ながら、夢を見ているのだろうか?」

 と感じたほどだった。

 今にも始まる激闘を想像していたが、よく見ると、映像には秒単位での残像が残っている。ハッキリと見えてこない理由はそこにあったのだ。

 それでも修は目を凝らして絵を見つめた。見れば見るほど残像が目に残ってしまう。色が重なってしまうことで、次第に何が何か分からなくなり、明らかに戦闘が行われているはずなのに、確認することができない。

――やはり夢なのか――

 夢は無理なものを見せようとはしないものだ。どんなに怖い夢でも、最後の瞬間には目が覚めてしまうものであった。楽しい夢を見ている時にも同じことが言えるので、夢というのは、辛いことも甘いことも最後までは見せてはくれないものであった。

 夢を見ていると、時々、残像のようなモノを感じることがあった。これがまさしく今の残像のようなものだった。起きてから、どんな残像だったかなどハッキリ覚えていないのは、夢が幻の類だからではないだろうか。潜在意識が見せる夢はしょせん架空世界のものだと無意識に感じていたが、ハッキリと悟ったことがないのは、それではあまりにも夢に対して希望がないからであった。

「夢に希望を持ったって、しょうがないじゃない」

 と言い聞かせてみたが、その通り、それでも夢を抱くことは悪いことではない。人は目標や希望があってこそ、頑張れるからだ。

 悟ってしまうと寂しいものだ。同じ考えの人がそばにいてくれて、お互いに切磋琢磨できればいいのだろうが、なかなかそういうわけにもいかない。夢に対して悟りを抱いてしまうと、今度は夢に希望を持とうとした時、何か夢が反抗するのかも知れない。

 夢の世界と平面の世界をイメージしてしまうと、平面の世界は動くことのできない緊迫の世界に思えてくる。夢の世界は、緊迫の世界と自由に動けるようにしてくれるというのに、

「希望が持てない」

 などという勝手な悟りを開いてしまっては、せっかくの世界が台無しになってしまうであろう。

 同じ日を繰り返したり、平面を自由に動けたりするのが、夢の世界での出来事だとすれば、夢の世界が与えてくれるものに対してどのように対応すればいいのか分からなくなっていた。

 まりえが、どこまで悟っているかは分からないが、ある程度修に近いところで悟りを開いているように思う。だが、決定的なところで違っているように思うのは、どうしてもまりえとの距離が縮まらないからだ。

 どちらかというと奈々子との距離の方が近い気がする。兄を亡くしたことで、距離がぐっと縮まった気がしたのだ。まりえとは、しょせんどこまで行っても平行線、しかし、適度な距離を保っているので、それ以上近づくこともないが、離れることもない。これほどいい関係はないと言ってもいいだろう。

 奈々子の兄が書いた遺書らしきもの。あれは、同じ立場であれば、自分が書いていたかも知れないと思うほど、気持ちが分かる気がした。

 もし、今奈々子の兄の気持ちが一番分かる人がいるとすれば、修本人以外にはありえない気がしたのだ。

 奈々子の兄が死んだことによって、今の自分の考えが、より異次元に近づいているような気がしてならない。異次元とは、想像はできそうなのだが、実際に信じることができるかどうか分からない世界のことをいうのだと修は思っていた。近づいたということは、信じることができる何かを見つけたのではないかと思うのだった。

 死を目の当たりにしたことがないから、勝手なことが言えるのかも知れない。

 学生時代に死にたいと思ったことはあったが、実際に行動に起こすまでの覚悟を持っていたかというとどうであろう?

 決意と覚悟を考えると、同じものに思えるが、果たしてそうなのか?

 決意と覚悟という言葉、覚悟の方が重たいイメージがある。死に対して使う言葉とすれば、覚悟の方であろう。決意というと、これから自分が目指しているものに対して、どれだけの覚悟ができているかという意味で使われる。そう考えると、覚悟という言葉には、ニュアンスと使う範囲とで開きがある。言葉上の覚悟というと、後ろ向きでネガティブな使われ方が多いが、広義の意味では、決意の中にも覚悟という言葉が使われる。

 決意と言うと、前向きなイメージが強く、ダーティな覚悟という言葉があるおかげで、決意という言葉は、綺麗なイメージが付きまとっている。

 決意と覚悟という言葉のように、人間関係においても、同じような関係を持っている人がかなりの確率で存在しているように思えてならない。

 そこには上下関係であったり、主従関係のようなものが存在し、同じ高さで見ることのできない相手に対して、ダーティな部分と、綺麗な部分に切り分けて、それぞれの人に割り当てるようなイメージが存在しているのだろう。

 修の場合は、覚悟ほどダーティなイメージを抱いて生きているわけではないが、決して綺麗なところばかりを歩んできたわけではないと思っている。煮え湯を飲まされたこともあれば、信じた人間に欺かれたこともあった。それでも感覚をマヒさせることで、辛さを半減させてきたが、果たして、それだけのことだったのだろうか。

 死にたいと思っても死に切れなかったのは、死ぬことが怖かったというのが一番の理由だが、死ぬことで誰かが得をするのではないかと思うと、死んでも死に切れないと思いがあったのかも知れない。

 その思いが死ぬことを怖がった自分を正当化させる理由の一つになったのも事実で、なるべくこの思いは密かに気持ちの中で封印させておくべきものだったであろう。封印させた思いを夢をして記憶の中に残していたことで、死にたいと思ったことを忘れずにいるのかも知れない。

「一歩間違っていれば、奈々子の兄のように俺は死んでいたのかも知れない」

 と思った。

「間違えば」

 なのだろうか? 間違えなかったから、死なずに済んだのかも知れない。得てして人間はそういう表現を使う。死ななかったことがよかったに違いないはずなのに、それを、

「間違えば」

 などという言葉で片づけようとする。思わず苦笑いをしてしまいそうだ。

 中学時代の少年を行方不明にしてしまったことを後悔してか、記憶から削除しようとしたができずに、結局記憶の奥に封印してしまって、実際に今まで思い出すことはなかったのだが、そんな記憶を呼び起こすと、死にたいと感じた時の自分が、どんな心境だったのか、想像もつかない。

 遠い記憶の中には、まるで遠近感が取れないかのように、昨日のことのように思い出せることが、相当前のことだったり、相当昔に思えることが実は昨日のことだったりする。記憶の錯綜なのだろうが、これも何が影響しての錯綜だというのだろうか。

 元々、遠近感を意識するようになったのは、絵を描き始めてからのことだ。絵を漠然と見ているだけでは分かるはずはない。遠近感を意識するには、自分で絵を描く前に、キャンバス上のバランスを考えるところから始まるではないか。絵を描くことは、意識の中での絵、つまり二次元のバランスを考えることが必要なのである。

 次元には、それぞれにバランスがある。自分たちの暮らしている三次元でもバランスを必要とする。時間という概念が次元という概念に結びつかないが、それでも時間を意識している。想像する四次元は、時間を次元に取り込んだものだ。

 ということは、二次元の世界から三次元を見た時、意識としては高さという概念は存在しているのだが、それが次元と結びつかないことで、次元を飛び越えることができない。そう思うと、二次元で身体を動かすことも可能ではないかと思うのだ。

 それが一種のパラレルワールド、つまり次元と次元の狭間には無数のパラレルワールドが存在しているという考え方である。パラレルワールドを一つの次元だけで考えていると、いつまで経っても、パラレルワールドの存在を意識することができても、理屈を理解することは永遠にできないのではないだろうか。

 初めて、パラレルワールドを意識した時、その時を思い出すのは難しかった。パラレルワールドを意識した時から、自分の考えが無数に広がった気がしたからだ。頭は一つしかないのだから、今考えている自分が本当の自分であることに違いはない。ただ、その時に自分の前にいた女性は一体誰だったのだろう?

 まりえでないことは確かだと思っていた。まりえは、パラレルワールドを意識することで出会ったリナに促されて意識した相手だった。目の前にいたとしても、それは意識していない彼女であって、修が意識することで、まりえも修を意識し始めたのだ。

 いや、お互いに同じ疑念を抱いていて、お互いに探していた相手に出会えたのだ。少なくともまりえはこの出会いをただの偶然だとは思っていないだろう。もちろん修もただの偶然などとは思っていない。まりえとの出会いは約束されていたものだと思っている。

 相手がまりえでなければできない話もいっぱいある。話した内容は氷山の一角だ。時間が経つにつれ、話したい内容はどんどん増えていく。それだけお互いにパラレルワールドを意識しているということだろう。会っていない時は意識していないが、会って話を始めると、話が止まらなくなるに違いない。

 奈々子に対しては、今までお兄さんという存在が邪魔していたという意識があった。死んでしまったことは気の毒だが、奈々子にとっても修にとっても、これから先のことを考えるとありがたいことであった。奈々子はすぐにその気持ちを認めようなどできなかったが、兄の遺書のような日記を見てから、すぐに気持ちが入れ替わったようだ。修に日記を見せたのも、気持ちの入れ替えをしたかったからなのかも知れない。奈々子との間にも偶然というものはない、必ず何かしらの必然性が存在しているのだ。

 リナとの出会いも、もちろん偶然などではない。ただ、主導権は完全にリナに握られている。修がリナと会いたいと思ったとしても、それはリナが操作しているのではないかと思えるほど、主導権は完全にリナのものだった。男としてはプライドが許さないと思っても仕方がないほどなのに、修は心地よさすら感じている。まりえや、奈々子に対しての思いとは正反対の思いをリナに抱いているのだった。

 今、目の前にいるまりえの後ろ姿を見ていると、まりえを追いかけている自分の姿が想像できる、追いかけても追いかけても追いつくことのできない思いは、まりえが本当に自分の求めている相手であるのかどうか疑問であった。

 まりえの行動パターンは、修の想定外であることも多かった。まさか、喫茶店を辞めているというのもビックリしたし、辞めたと聞いたその日に目の前に現れるなど、想定できるはずなどないだろう。

 まりえには、伝染病のイメージを植え付けられた。元々がリナの言葉で意識し始めたまりえだった。目の前にいて、一番近しい女性を思い浮かべた時、奈々子とまりえが浮かんだが、奈々子は近すぎる存在に思えた。しかも兄という存在も、無視することはできなかった。

――人は死んだらどこに行くのだろう?

 奈々子の兄が自殺したというが、自殺を敗北と捉えるには、彼の遺書は自信に満ちていたように思える。死んでもなお、この世に影響を与えるだけの力を持っているかのような自信が、一体どこから出てくるというのだろう。

 死ぬほど好きになった女性からフラれて、生きているのが辛いと思うことがあっても、本当に自殺する人はなかなか聞かない。確かに失恋し、お先真っ暗の状態で死を意識しても行動に起こすまではないのだ。

 死ぬのが怖いという意識があるからだろうが、それは

「痛い、苦しい」

 を味わいたくないという思いよりも、覚悟ができないからだろう。生きていても望みはないと思っているくせに、何の覚悟がいるというのか、考えてみれば不思議だった。

 死んでしまって、生きている人から同情されるどころか、きっと

「情けない」

 と思われるであろうことは分かりきっているが、それを辛いと思うとするならば、あの世から、こちらの世を見ることができると思うからであろうか。

 修は、死にたいと思ったことがないので分からないが、もし死にたいと思ったとすればどんな思いをするかということは考えたこともあった。その時は「痛い、苦しい」という思いを飛び越えて、最初から生きている人間から何と思われるかを考えてしまった。あの世からなら、こちらの世を見ることができると信じていたからだった。

 今もその思いに変わりはないが、それが死を思いとどまる理由とは思えない。

 今の修の考えは、

「死ぬも生きるも紙一重」

 という思いだった。

 それは、パラレルワールドの発想に似ている。

 次の瞬間には、限りない可能性が秘めているという考えから行けば、必ず生きているという可能性はどれだけなのだろう。次の瞬間には命がなくなっている可能性は限りなく皆無に近いが、ゼロではない。さらに次の瞬間に可能性は広がっている。ただ、それは自らが命を操作するという可能性ではなく、偶然、いや運命というものに作用されるとすれば、紙一重という考えもまんざら乱暴なものではないだろう。

 結果としては同じ死ではあるが、運命によるものと、自らの手で運命を曲げるものとでは大きな差があるのかも知れない。しかし、別の考え方として、自らの手で運命を曲げているというが、本当は自らの意志すら、運命の悪戯なのではないかと思うと、発想はかなり変わってくるだろう。

 運命を変える分岐点があるとすれば、死ぬことではないだろうか。そう考えると、死んだ後に、この世にまったく影響を及ぼさないというわけではないはずだ。

「肉体が滅びても、魂は生きている」

 という考えに類似しているもので、修もその考えには賛成だった。死んだ後にどこに行くかというよりも、どれだけこの世に影響を及ぼしていられるかという方が、大きな問題だと思うのだった。

 修は、奈々子の兄の存在を意識しないと言えばウソになるが、遺書のような日記を見ることで、

――俺と似たような考えなんだな――

 と感じた。

 必要以上に意識する必要はない。自然に接していれば、奈々子が自分を好きになってくれるという自負さえあった。

 奈々子はきっと兄を好きだったのだろう。考え方も含めたところで好きだったのであれば、きっと今の修の考えも分かってくれると思った。兄を失った奈々子のそばにいるのが修だということも、ただの偶然ではないような気がする。

 奈々子のことを好きになったのも本当で、それは奈々子のそばにいる自分が偶然ではないという可能がその思いを強くした。

 奈々子を大切に想う気持ちは、まるで彼の兄の気持ちが自分に乗り移ったのではないかと思うほどの気持ちであった。同情からではないが、自分の中にもう一人いると思うと、それは本当の恋なのかも知れない。

 まりえに対しての思いは、後ろ姿のイメージが強い。

 追いかけても追いかけても見えるのは、後ろ姿だけだ。後姿は時として大きく見える。別に近づいているわけではないのに、そう感じるのだった。

 まりえと修の追いかけっこを、横から客観的に見ているもう一人の自分を感じる。その姿は走っても走っても前に進んでいないように見える。だからこそ決して距離が縮まることがないのだ。

 まるでスローモーションのように見える光景は、修だけが見ているのだろうか?

 そう思うと、二人の向こうから、誰かが見ているのが見えた。まさしくそれはまりえではないだろうか。

 まりえの姿はじっともう一人の自分を見ている、走っているまりえの表情は実に楽しそうなのに、それを見ているまりえは、まったくの無表情だ。

 無表情のまりえがこちらに気付いて、顔を向けた。その表情は、

「あなただって、同じように無表情じゃない」

 と言っているかのように見え、かすかにニヤけたその顔は、気持ち悪ささえ感じられたほどだ。

 確かに、走っている修の顔には充実感のようなものが感じられる。言葉で言い表せないような充実感が漲っているのは、その表情から感じることはできた。

 まりえの無表情な雰囲気は、恐ろしさにも繋がる。自信に満ちた表情は、まりえには似合わない。いつもどこかオドオドした表情で修を見上げてくれる雰囲気が、まりえだと思っていたからだ。

 まりえも同じなのかも知れない。見上げていたいと思っている相手に、自分が見下げるようなイメージ、ただ、決して相手に情けなさを感じているわけではないので、どんな心境なのか分からない。無表情な雰囲気も、見続けていれば、少しずつ考えていることが分かってくるような気がするから不思議だった。

 逆を言えば、それは相手にも言えることで、まりえには修の考えていることも分かってきているのかも知れない。ただ、それが今、修が本当に考えていることなのか分からないが、まりえの考えている方が真実に近いように思えてくるのは、自分に自信がないからなのかも知れない。

 リナとまりえと奈々子、彼女たちは修の中で同じ世界で成立しているのだろうか?

 それぞれに素敵なところがあり、愛している自分を感じるのだが、元々一人を好きになれば、他の女性を気にすることのない修だった。そんなことを考えながら数日が過ぎ、まりえが描いた絵を見せてくれる日がやってきた。

「なんだ、この絵は」

 思わず声に出して言ってしまったが、

「絵がどうしたというの?」

 まりえはこれが普通の絵だと思っているのだろうか?

 修の前にあるその絵は、明らかに数秒刻みの残像が残っていて、最初はどう見ればいいのか分からなかった。

「そうか、そういうことか」

 修は瞬きをして、一瞬だけ絵を見るようにした。目を瞑っていて、一瞬目を開けて、すぐに目を閉じる。そして、瞼に残った残像が、一瞬の絵を頭に刻み込む。最初に刻まれた絵には、修が写っていた。そして次にもう一度同じことをして刻まれた絵にはリナが写っている。そして次には奈々子だった。さらに最後には、まりえだったのだ。

 残像の残る絵は、完全に浮かび上がっていて、立体感を見せている。こういう見方は修にしかできないのだろうが、他の人には、この絵がどのように見えるか気になってしまった。

――こんな絵、ありえない――

 そう思って、最後に次の絵を見ようとした時、修は自分が違う世界で、目が覚めたのに気が付いた。

 その世界は目の前がまっくらで、次の瞬間には、身体が動けなくなっていた。意識が朦朧としてきて、

――俺はこのまま死んでしまうのだろうか?

 という思いが、いつまでも続く気がした。

 修は、これから死を迎えるのではない。まりえの描いた絵を見ながら、絵の中に入り込んでしまったのだ。

 残像が可能性を引き伸ばし、そのまま修を絵の中へと誘ったのだ。

 そう、修の見ている世界は、いかにも絵の中の世界だったのだ。

 だが、悲観することはない。いずれは絵の中から出られるのだ。そのためには、誰か他に同じ日を繰り返している人を探し、その人に自分が感じたのと同じ感覚を味あわせ、そして絵の中に引き込むことをすれば、自分は表に出られるのだ。

 それにしても、修を絵の中に引き込んだ女は三人の女を使うことで、一人を押し込んでしまったのだ。

 本当は奈々子だったのだろう。彼女が絵から逃れられなくなった理由は、兄の死にあったのだ。

――兄の死を、一番分かってくれそうな相手――

 それで白羽の矢が立ったのが、修だったのだ。

 修の中のパラレルワールド、それは本当に自分が作り上げた世界だったのだろうか?

――パラレルワールド――

 つまりは、異世界の可能性を感じる世界、

――異能性世界――

 と言う世界が、修の運命を決定づけていたのだった……。


                 (  完  )

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異能性世界 森本 晃次 @kakku

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