9 望めばいいのでしょう?
しばらくして、フェイシーの青い花は村中の評判になった。フェイシーにほしいものを伝えれば、なんでも出てくる。手に入れた人は喜んでくれるから、フェイシーも満更じゃない気持ちになって、前よりも笑顔が増えた。家に訪ねてくる人も増えた。おばあちゃんも話す人が増えて、「しんどい」と愚痴を言いながらも、最近は元気そうだった。
ある日、家を訪れ、にこやかに話しかけてきた女性がいた。
「ねえ、私の家まで来て。あなたを招待したいの」
「今からですか?」
「もちろん、今から」
外を見ると、雨が降りそうな曇り空だった。でも女性はフェイシーに、家まで来てほしいという。おばあちゃんは、
「行ってみなさい」
と言ってくれたから、行くことにした。
家の中に入れられる。食べ物がたくさん並んでいた。七面鳥、パン、ミルク……「ぜひ食べて」と言われたが、フェイシーは「喉が通らないので」とおばあちゃんに教わった断り文句を口にした。
「私の料理が食べられないの? 若いんだから、たくさん食べなきゃダメでしょう?」
「すみません」
「……」
女性は黙って眉を顰めていたが、急に今までの話がなかったようにニコッとスマイルになった。
「フェイシーちゃん、青い花が、なんでも叶えてくれるって本当?」
信じてくれるのは嬉しいものだ。フェイシーは口元を緩めて話した。
「はい。青い花は願望を表すと言います。だから私は、みんなの願望を叶えたいと思っているのです」
「私のも、もちろん大丈夫ね?」
「大丈夫です。どんな願いですか」
フェイシーが尋ねると、彼女はしばらく楽しそうに悩んでいたが、やがて思ったことをとりとめなく話し出した。
「そうね、家の収入がもっと上がって、パパさんがもっと偉くなって、息子が賢くなって、それからもっとオシャレな服とアクセサリーと……」
彼女はペラペラと話し始める。ちょっと虫が良すぎるかな、とフェイシーは思った。でも、それが願いだ。そして叶えることが、私にできる唯一の魔法なのだとフェイシーは自分に言い聞かせる。誰かの願いが、大きすぎるとか小さすぎるとか言って文句をつけるのは、何かが違うような気がしたから。
フェイシーはいつものように青い花を作ろうとした。淡い光を放つ美しい花が、胸の間に咲きますようにと、祈る。
でも、何も起こらない。
「こんなこと……」
不安が胸元を通り過ぎる。こんなこと、今までにあっただろうか。私の焦りに気づいて、彼女はいらだちを声にのせる。
「どうしたの? ほら、今言ったよね? 早く花を頂戴」
「少々待ってください……」
しかし、どうやっても出てこない。彼女の目から光が落ち、表情がこわばっていく。できないなんて言いたくない。でも、どうして……わからないけれども、正直に打ち明けるしかない。
「すいません、できないようです」
「できない?」
私はビクッと震えた。彼女は態度を一変させる。わざわざおばあちゃんの家まで来て招き入れたのが時間の無駄だったと言いたげに、怒鳴り散らす。
「嘘つきだったの、役立たずね! 家になんで入れたんでしょ。さっさと出て行きなさい」
私はびっくりして、何か言おうとした。
「あの」
「早く。もう用はないよね?」
外は雨が降っていた。フェイシーはそれ以上、何も言わずに、玄関まで行った。彼女は部屋に篭ったまま出てこようとはしなかった。フェイシーは振り返り、沈黙に向かって謝った。
「あの、ごめんなさい……」
返答は返ってこない。フェイシーの声は虚空へと消えた。青い花を存在理由にしていた私は、自分を否定されたように思えた。
近くの納屋に走り出す。雨粒が髪や服に沈み、寒さと重さを感じる。納屋に入ると、そこに先客がいた。痩せ細った老人の男性は、白髪が混じり、シワが刻まれ、人生の疲れが顔ににじみ出ていた。フェイシーを見たが、またぼんやりと雨雲を眺めていた。
「私はお役に立てないのでしょうか」
しばらく黙っていたけれど、私は感情をどこかに吐き出してしまいたくなって、話し出した。
「ん、どうしたのかな」
と老人が愛想で尋ねる。
「先ほど、あそこの家の人に怒られてしまいました」
「ああ、あそこか」
老人は顔を引きつらせた。
「あそこは夫婦そろってクレクレ言ってな、周りに嫌われているんだ。気にしなければいい、気にしなければ」
彼は初めて私を見た。それから慰めものを見つけたように、わずかに好意的な視線を送った。
「でも、立派になってほしい息子さんがいると言っていました」
「息子? いたっけなあ?」
「え……」
「うん、いない、いないはずだけどなあ」
嘘をつかれていた? フェイシーはそんなことをする人がいるのかと驚いた。でも急に魔法の力を失って、青い花が出なくなったわけではない。フェイシーのせいではないとわかると、少しばかりホッとしてしまった。それで判明した。彼女の本当の願いではなかったから、青い花は出てこなかったのだ。
「本当の願いは、何だったのでしょう」
彼女の姿を思い浮かべた。嘘をつかれた。でも、嘘をつくまでに悲しいことになってしまっている心を助けられなかった。
「あんた、お人好しだね」
「そうかもしれません」
と私は返す。老人は自分の伝えたいことを、フェイシーが理解しきれていないと思ったようで、さらに非難めいた口調で語り始めた。
「大体、ああいうタイプは、人をひざまずかせたいとか、全てが自分の思い通りになってほしいとか、本心はそんなところだろう。全部外側、外見のことに価値を感じているんだ。『あれがあったら』なんて条件づけて考えるタイプだよ。そんなことじゃ、いつまで経っても幸せにはなれないよ」
老人は唾を飲み込んで、それから雨を見ながら続けた。
「何事も程よく、がいいんだ。あんたみたいに、尽くしているつもりが、便利屋みたいに使われているだけかもしれないぞ」
「便利屋……」
フェイシーはか細い声で言いかけたが、すぐに首を振った。
「そんなことありません」
と否定しながら、フェイシーはショックを受けていた。
お人好しと言われるならまだいい。でも便利屋……本当にそうなのだろうか? 私が願望を叶えることができるから、私ではなくて、私の能力をあてにして、ニコニコと笑顔で近づいてきているだけなのだろうか? さっきの人みたいに……。
そんなこと、信じたくなかった。胸がゾワゾワする。私はみんなの笑顔が見たいと思った。でも、それさえエゴなのだろうか?
怖いんだ、と私は思った。チョーカーを外したら、蝶に戻ってしまう……。人間じゃないと言われることが怖い。だからいい人であろうとしている。親切にしようとしている。打算的に考えていたんだ、と気がついて、ちょっぴり自己嫌悪に陥りそうになる。
「でも、変わることで得られる幸福もあると思うのです。環境が変わることで、人も変わっていく……」
私が言いかけると、それを遮って、
「お嬢ちゃんはまだ若いから」
と話し始めた。
「自分の力で何でもできると、ちょっとは思っているんだろう。でもね、生きているとわかるんだが、結局のところ、自分一人の力だけでできることなんて、ちっぽけなことなんだよ。人を使うのが上手い奴らは、大きなことができるんだが。あいにく、わしは一匹狼だからね。人を使うのも、人に使われるのも嫌なのさ。で、こうしてぼろ家で暮らしているわけだ」
「……夢は何ですか」
「夢? そんなものを追ったところで、この生活が変わるわけじゃないんだ。やるだけ無駄だよ」
「でも、信じたかったんですよね。少なくとも、信じていた時期があったんじゃありませんか。夢は叶うって」
「……」
「自分を縛っているのは、自分だけなんだと思います」
「お嬢ちゃんは本当にお人好しだな」
吐き捨てるように、ぼそっといった。苦しげな表情だった。
「お人好しだ」
と繰り返す。その言葉が罪のように、フェイシーに重くのしかかっていくように感じた。一縷の望みが欲しかったのは、フェイシーの方なのかもしれない。最後にまた、馬鹿の一つ覚えみたいに言ってしまった。
「おじいちゃんの夢、教えてください」
「そうかいな。……いや、でもなあ、ずっと嫌なこともあんまり起きないで、このまま暮らしていけりゃあそれでいい」
青い花は出てこなかった。フェイシーは雨宿りをやめた。
フェイシーは雨に打たれた。蝶人形であるこの体は、雨に打たれても風邪をひかないのだろうか。フェイシーは自虐的な興味から、確かめたくなった。おばあちゃんが仕立ててくれた服も、染みが広がるように濡れていく。
「幸せとはなんでしょう」
願望を叶えても、幸福になれるわけではないのか。手に入らないことの方が、幸福なんてこともあるのか。
フェイシーの頬を雫がしたたっていく。
空はどこまでも、灰色が広がっていた。
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