第42話 2人の母親
「美澄さん、忘れ物ない?」
「大丈夫。化粧道具さえあればどうにかなるわ。太郎さんは?」
「車のキーがあれば大丈夫」
そう言ってリビングを出ると、ちょうど朝温泉から帰ってきた雷鳴坊と櫻子と出くわした。
「あら、今から出るの?」
「そう」
「いってきます」
「いってらっしゃい。儂もあとで行くから」
「父さんも?」
「あの2人が来るように画策せねばならんしな」
「変なことはしないでよ」
「わかってるわかってる」
「本当?」
「太郎さん、時間」
「あ、そうだった」
笑う雷鳴坊に不安そうな太郎坊の背中を押して、外に出る。
少しだけ暑いが、それでも風がここちのいい梅雨の合間の貴重な晴天だ。
「いい天気でよかったわね」
「でもきっとお天気雨が降るよ」
「なんで?」
「狐の嫁入りって言うじゃない」
「嫁入りするのは狸の絹子さんよ」
「嫁取りでも降るのかな」
「さぁ……」
そんなことを言いながら、2人で車に乗り込む。神社までは車で10分程度だ。
美澄たちの結婚式のときは、着付けだけしてもらって、自分で化粧をした。きっと今頃、絹子も着付けをしてもらっているのだろう。
「僕たちの結婚式が思い出されるね」
「あのときも晴れてたわね」
「今より寒かったけど」
「白無垢重たかったなぁ。絹子さん大丈夫かしら」
「胡一郎は今頃どきどきしながら待ってるんだよ」
「太郎さんもどきどきした?」
「したした」
ほんの少し前の話なのに、もう思い出話になっている。きっとこれからもそういうことはたくさんあるのだろう。
そう思いながら外を見ると、神社の駐車場への坂道を上っていっている。
駐車場はまだ空いていて、まだ親族の人たちは来てなさそうだ。
「あ、胡一郎の車がある」
「じゃあ胡一郎さんと絹子さんは来てるのね」
「朝早かったもんね。僕たちのときも」
「そうね」
神社の社務所の裏に、控え室はある。車を降りて、そこに向かって歩いていると、美澄はふとあるものを忘れていたことに気が付いた。
「あ」
「どうしたの?」
「忘れ物」
「なに?」
「竹刀」
美澄がそう言うと、ちょっと間が空いて太郎坊が笑う。
「なんで笑うのよ」
「だって美澄さんらしいなって」
「あの2人がいるのよ。もしかしているかもしれないじゃない」
「大丈夫だよ。今日は結婚式だし。僕もいるしね」
「でも雪芽さんにもらったお守り壊れちゃったし」
「僕だって天狗の端くれなんだから、美澄さんくらい守れるよ」
「頼もしいわ」
「本当にそう思ってる?」
「思ってるわよ」
2人で笑っていると、社務所裏の控え室のある建物に入っていくと、胡一郎が顔を出した。
「太郎、美澄さん。おはよう」
「おはよう、胡一郎」
「本日はおめでとうございます」
「ありがとうございます」
胡一郎は私服のままだから、今は絹子の着付けの最中なのだろう。予定では絹子の化粧をしている間に、胡一郎の着付けをすることになっている。
「あらぁ、太郎くんじゃないの。久しぶりねぇ」
襖が開いて丸い顔の黒留袖の女性が顔を出す。その顔は絹子にそっくりだった。絹子は柴助に似ていると思ったが、狸の一族はみな似ているらしい。
「おばさん、本日はおめでとうございます」
「ありがとうねぇ。こちらが太郎くんのお嫁さん?」
「はい。天堂美澄と申します。本日は絹子さんのお化粧を担当させていただきます」
「美澄さん、もうわかってると思うけど、絹子のお母さん」
「あははっ、似てるでしょう。狸っぽくて嫌になっちゃうわぁ」
明るい絹子の母親は、とてもあの柴助の嫁だとは思えない。
「おばさん、おじさんは?」
「拗ねてるだけよ。そのうち来るわ。来なかったら引きずっても連れてくるから」
そう笑い飛ばす絹子の母親に夫婦の力関係を見た気がした。
「太郎くんじゃないの! あらやだ久しぶり」
別の襖が開いて、同じく黒留袖の女性が現れる。細面に切れ長の目は、言われなくても狐の一族だと分かった。
「八尾のおばさん、お久しぶりです。本日はおめでとうございます」
「ご丁寧にありがとう。うちの人が色々と迷惑かけてごめんなさいね」
胡一郎の母親がそう言うと、絹子の母親のそれに乗る。
「そうよぉ。うちの人も太郎くんの奥さんにお面割られたんですって? もっと割ってやってちょうだい!」
「奥さんってこちらの方? まぁ綺麗なお嬢さんじゃないの」
「はじめまして。天堂美澄です」
「東京で美容部員さんしてたんですって? あとで私もお化粧してもらいたいわぁ」
「いいわね。私もお願いしたいわ」
太郎坊の言うとおり、母親同士は仲がいいらしく、2人できゃっきゃと化粧について話している。
「あの、絹子さんの着付けは終わってますでしょうか?」
おずおずと美澄が絹子の母親に聞くと、軽快な声が返ってきた。
「今終わったところですよぉ。あ、でも胡一郎くんはまだ見ちゃダメよ」
「わかってますって」
「じゃあお化粧に行きますね」
「いってらっしゃい、美澄さん」
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