第39話 河童の合宿

「到着したようですね」

「そうみたいですね、賑やかになりそうです」

 子どもたちのわいわいとした声が聞こえてくる。それを制するのは年老いた男性の声だ。

「この声は九千坊様?」

 そう聞く胡一郎に、太郎坊が頷く。

「そうだよ。今日は年に一度の河童の出雲合宿の日なんだ」

「ああ、梅雨時期だもんな」

 全員でラウンジを出れば、ちょうど九州河童の頭目である九千坊が中に入ってくるところだった。

「九千坊様」

 美澄が声をかけると、目を細めてこちらを見てくる九千坊がいる。

「おお、これは美澄さんではないか。もう慣れたかね?」

「ええ、すっかり」

「それに胡一郎と絹子ではないか。大きゅうなったのう」

「九千坊様、ご無沙汰しております」

「親父たちは息災か?」

「はい」

「今日はどうした? 遊びに来たのか?」

「いえ、結婚式の打ち合わせにきました」

 胡一郎が答えると、九千坊は嬉しそうに笑った。

「ほっ、これはめでたい! だが、よくあの親父たちが許したのう」

「まだ許しはもらえてなくて……」

「ふむ……」

 胡一郎の言葉に、九千坊が子河童たちの集団を見る。10人の子たちはみな、おしゃべりをしながらロビーの床に座って待っていた。

 まだ小学校に上がったばかりの幼い顔には、遠くへ来た不安と好奇心があって、どの子も黙ってはいない。

「ここにいる子河童たちはみんな我が子みたいなもの。甘えられたら嬉しいし、巣立てば寂しい。なに、親父たちは意地を張ってるだけよ」

「九千坊様……」

「まぁ爺の独り言と思って聞き留めておくれ。さて、美澄さん、チェックインをせねばな」

「はい。では、こちらにどうぞ。胡一郎さん、絹子さん、失礼します」

「はい、また来週お願いします」

 胡一郎と絹子に挨拶をして、美也と2人で受付に行く。太郎坊は2人の見送りに外に出て行った。

 天堂ホテルは全室洋室になっている。ツインの部屋を子河童たちにあてがって、シングルの部屋を引率である九千坊の部屋にすることが毎年恒例になっているらしい。

 誰が誰とどの部屋に泊まるかは、九千坊が事前に決めていたから、あとは部屋の鍵を渡すだけだ。

「九千坊様、こちらが鍵になります」

「おお、ありがたい」

 5つの鍵を渡すと、九千坊は床に座ってお喋りをしている子河童たちに声をかけた。

「今から鍵を配るから、呼ばれたら取りにおいで。夕飯はしおりに書いてあるとおり6時半だ。それまでに風呂に入っておれ。このホテルで悪さをしようとしたら、百目の百太が見ておるからな。すぐ分かるぞ」

「はーい!」

 九千坊から鍵をもらった子たちは、エレベーターに駆け出したり、階段で上に上がろうとしたりと散っていく。

「今日明日と騒がしいと思うが、一つよろしく頼む」

「はい!」

「おお、賑やかだと思ったら、到着したか」

 事務所のドアが開いて、雷鳴坊が出てくる。

「おお、雷鳴坊殿、今夜は世話になる」

「こちらこそ、毎年ありがとうございます」

「今夜どうですかな? 一献」

「いいですな。良い酒を用意しておりますぞ」

「それは楽しみなこと」

 雷鳴坊と九千坊の間で今夜の約束ができたところで、美澄は次の仕事に行くことにした。

「九千坊様、それでは私は失礼いたします」

「おお、まだ仕事があるのだね」

「ええ」

「またあとでな、美澄さん」

「はい」

 一礼して、美澄は二階にある大広間へ行く。そこでは雪女ご一行が来たときと同じように、机と座布団が出されていた。

「お疲れさま、なにを手伝えばいい?」

「あ、若奥様」

「お疲れさまっす!」

 大広間では座敷童の栄子と狢の娘マミが、机と座布団を配置しているところだった。

 上座に九千坊の座る場所があって、そこから丸く机と座布団を配置する。これも毎年恒例の置き方らしい。

 それを手伝って、次に一つずつ机を拭いていく。拭き終わった机に、栄子とマミがスプーンとコップを置いていく。

 今日の子河童たちの夕食はカレーと胡瓜だ。それも毎年恒例らしく、楽しみにしている子河童も多いらしい。

「胡瓜到着したよー」

 そう言って大広間に入ってきたのは、配膳担当の豆腐小僧の東吾だった。その手にはザルいっぱいに胡瓜が盛られていて、人数分より多い気がした。

「それ多くないの?」

 美澄がそう聞くと、栄子が笑う。

「ううん、全然。河童は胡瓜が好きだからね。子どもでも2、3本はぺろりと食べちゃうよ」

「そうなの!?」

「毎年このザルおかわりするよ! 昔は一人ずつ配ってたんだけど、みんなおかわりするから、取りに来る形式にしたの」

「すごいね……河童って本当に胡瓜が好きなんだ」

 そう言っている間にカレーのいい匂いがしてきた。カセットコンロを小脇に抱えて、東吾がカレーの入った鍋を持ってきたのだ。

「カレー持ってきたよ! 次はご飯!」

 東吾からカセットコンロを受け取った栄子が、長机の上に置いて火をつける。そうしてその上にカレーの鍋を置くと、東吾はご飯を取りにまた厨房へと行った。

「そろそろ温泉から上がる頃だから、みんな来るね」

 カレーの鍋を混ぜながら、栄子がそう言う。時計を見ると6時半までもうすぐだ。

「じゃあ、コップに麦茶ついどくっす!」

「お願い!」

 マミが麦茶をコップについで回る。あとはご飯が来るのを待つだけだ。

「お待たせーご飯だよ!」

「お皿も持ってきたよ」

 大きな炊飯器を軽々持ち上げる東吾と、プラスチックの皿を持って来た太郎坊が大広間に入ってくる。

「これで準備は終了?」

「そうだね。あとはちびっ子たちが来るのを待つだけ」

 太郎坊がそう笑うと、壁に目が開いて百目の百太の声がする。

「子河童たち、そろそろ来ますよ」

 百太の言葉通り、すぐに子どもたちの声が聞こえてきて、その姿が大広間に現れた。

「わーごはん!」

「カレーだ!」

「きゅうりいっぱい」

「おれね、3本はたべるよ!」

「ぼくも!」

 一気に子どもたちの声が溢れる。

「さぁ、みんなー並んで。カレー配るよ!」

 栄子がそう声をかけると、カレーの置いてある長机の前に列ができる。

 マミがご飯をよそって、栄子がカレーをかける。そうして渡してやるとみんな嬉しそうに受け取った。

 カレーの皿を受け取った子は、自分の席にカレー皿を置いて、胡瓜を取りに来る。どの子も2、3本持って行っていて、美澄は太郎坊に囁いた。

「ねぇ、あんなに持って行って食べれるの?」

「河童だからね」

「それが理由?」

「僕だって一本食べたらお腹いっぱいになるけど、河童は何本でも食べれるみたい」

「凄いね」

「ほっほっほ。胡瓜は河童の好物じゃからのう」

 後ろを振り返ると、温泉上がりの九千坊が立っていた。

「ここに来ればみなが子河童たちの面倒をみてくれて助かるわい」

「毎年のことですから」

「太郎坊も昔はこの子河童と同じくらいでのう。一緒にカレーを食べたもんじゃて」

「懐かしいですね」

 そんなことを話していたら、子どもたちから九千坊に声が上がる。

「きゅーせんぼーさまーはやくー」

「おなかすいたよー」

「まだぁ?」

「みな用意はできたようじゃの。では儂もカレーをいただくとしよう」

 子どもたちに急かされて、九千坊が栄子とマミのいる長机に行く。そこでカレーを受け取ると、胡瓜を3本持って空いている上座の席に座った。

「それではいただこうかのう。いただきます」

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