第33話 狐と狸があれやそれ

 もうすぐ梅雨入りというニュースが日本を駆けめぐりだした頃、天堂ホテルを揺るがす大事件が起こった。

 ことの起こりはある日の昼休みだった。

 いつもの通り美澄と太郎坊は一緒に昼食を食べていた。この日の昼食メニューはわかめうどんとちくわ天で、うどんをすすっていると太郎坊が傍らに置いていたスマートフォンが鳴ったのだった。

 あまり鳴ることのないそれが鳴ったことに、太郎坊自身も驚いて見ると、どうやらメールが来ていたらしい。

「幼なじみからメールが来てる」

「幼なじみ?」

「うん、小中高と一緒」

「そんな幼なじみがいたのね」

「結婚式は身内だけでしたから呼んでないし、最近は全然会えてないから、美澄さんに教えるの忘れてた。ごめんね」

「ううん。私の友達も地元はほとんど疎遠になっちゃったし。あとはみんな東京だし」

「仕事し出すとそうなるよね」

「うん。それより幼なじみさんはいいの?」

「ああ、今から来るって」

「来るってホテルに?」

「うん」

 太郎坊の「友達」と呼べる人に会うのは初めてだ。知らない太郎坊に会えるようで、少しだけ楽しみだった。

 わかめうどんとちくわ天を平らげて、2人でごちそうさまを言い、片付ける。米とぎ婆のおヨネにもごちそうさまを言うと、食堂を出て、事務所に戻る。

 美澄の午後からの仕事は受付だ。

 まだ昼休みの時間はあるから、事務所で太郎坊とお茶を飲んでいると、ろくろ首の美也が首だけ伸ばして事務所に顔を出した。

「坊ちゃん、お客様ですよ」

「こいちろー?」

「そうです」

「美澄さん、幼なじみが来たみたい。一緒に来て。紹介するよ」

 美澄の手を取って、太郎坊が事務所を出る。その様子は少しだけ嬉しそうだ。

 受付に行くと、1組の男女がいた。

 細面につり目だが、優しげな雰囲気の男性と、丸顔にたれ目の可愛い感じの女性で、対照的な2人だなと美澄は思った。そしてどこかで見たことがある気がするとも思った。

「久しぶり」

「久しぶり、こいちろーあれ、絹子もいる」

「お久しぶり、天堂くん」

 女性の方も太郎坊と知り合いなのか、親しげな雰囲気を出している。

「2人とも僕の奥さんの美澄さん」

「初めまして。美澄といいます」

「八尾胡一郎です」

「芝山絹子です」

「美澄さんは2人に会うのは初めてだけど、父親に会ってるよ」

「え?」

 太郎坊がそう言うと、絹子が申し訳なさそうに頭を下げる。

「その節は父が申し訳ありませんでした」

 それにつられるように、胡一郎も頭を下げる。

「うちの父も申し訳ないことを……」

「え? え? どういうこと? 太郎さん」

「2人の父親は胡左衛門と柴助だよ」

「ええ!?」

 狐の胡左衛門と狸の柴助は天堂ホテルにとって天敵だが、美澄にとっても因縁の相手だ。

 太郎坊に初めて会った日に、柴助のお面を割ったから今の美澄がある。だけど娘にとって、それは許し難いことかもしれない。

「絹子さん、お父様のお面を割ってしまって申し訳ありません……」

 そう謝ると控えめで驚いた声が聞こえてきた。

「いえいえ! 美澄さんが謝ることではありません!」

「え?」

「父が悪いのです。このホテルを手に入れようなんてことを考えるから」

「そうですよ。うちの父も美澄さんに殺気を放ってしまったようで、申し訳ないです」

 2人とも父親とは違って物腰が低く柔らかい。あまりにそれぞれの父親と違っているので、本当に息子、娘なのかと疑ってしまう。その考えが顔に出ていたのか、太郎坊が横で笑う。

「2人ともれっきとした妖怪だよ。狐の妖怪の胡一郎と狸の妖怪の絹子。胡一郎とは小学校から一緒で、絹子とは高校が一緒なんだ」

「そうなんだ……」

「僕も絹子もこのホテルを手に入れたいなんて、これっぽっちも思ってません。太郎坊とは小さい頃から仲がいいし、このホテルはこのままでいいと思っています」

「胡一郎がそう言ってくれて嬉しいよ。ところで今日はなにしに来たの? 久しぶりに顔見に来たわけじゃないんでしょ」

 太郎坊が聞くと、2人とも少しだけ照れたように頷く。

「実は結婚式をここであげたいと思って」

「わーおめでとう! ついに結婚かぁ」

 胡一郎の言葉に、太郎坊が嬉しそうに声を上げる。

「付き合って長いもんね。ご両親からのお許しは出たんだ」

「いや、それが……」

「ん?」

 口ごもる胡一郎に、絹子が口を開く。

「まだ言ってないの。お父さんたちには」

「ええ!?」

「母さんたちは歓迎ムードなんだけど、父さんたちはアレだから、まだ言えてなくて……」

 胡左衛門と柴助が一緒にいるところは見たことないが、犬猿の仲であることは言葉の端々でわかった。

 そんな2人の息子と娘が結婚したいと言い出したらどうなるか、美澄にもなんとなくわかる。それは太郎坊も一緒らしく、悩ましげな横顔が見えた。

「じゃあ、胡一郎は絹子のお父さんにご挨拶に行ってないの?」

「うん。まだいけてないんだよ。お互いの母さんは知ってるけど、父さんたちには口止めしてもらってる段階」

「でもいつかは挨拶しないといけないでしょ?」

「そうなんだけど……」

「うちには他の狸の妖怪たちもいるし、胡一郎くんになにするかわからないし……」

「じゃあここで顔合わせの挨拶をしたらどうでしょう?」

「え?」

 3人の会話に口を挟んだのは美澄だった。

「ここなら絹子さんの心配する人たちはいませんし、お互いのご両親とおふたりでゆっくり話せます。なにかあったらお義父さんも太郎さんもいますし……どうでしょうか?」

「美澄さん、ナイスアイデアだよ! 流石僕の奥さん!」

「それいいかもしれない」

「胡一郎くん、そうしよう! 私お父さんにここに来てって言うから」

「そうだね。ここなら雷鳴坊様もいるから安心だし」

 こうして今週末に胡左衛門と柴助を天堂ホテルに呼んで、両家の顔合わせをすることになった。

 美澄は竹刀を用意しておこうと心に決めて。2人の結婚が祝福されるものでありますようにと願わずにはいられなかった。

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