第30話 里帰り奥様

 家の前に車を止めると、2人で車を降りる。

 音で気がついたのか、玄関のドアが開いて美澄の母親が出てきた。

「あらー早かったのね。航平でも迎えに行かせたのに。太郎さん、ご苦労様」

「いえ、僕が送りたかったものですから」

「今ね、海苔巻き作ってたの。天堂さんにもお裾分けするわね」

 パタパタと母親が台所に行く音がして、代わりに美澄の父親と弟の航平が出てきた。

「おう、来たか。太郎くん、上がっていかんか?」

「午後から仕事がありますから。今度ゆっくり来ます」

「そうか。まぁ遠慮なく来てええから」

 父親がそう言うと、航平が美澄の持っている袋を目敏く見つけて歓喜の声を上げる。

「あ、姉ちゃん。萩野屋の袋持っちょる!」

「今日のおやつに食べようと買ってきたの」

「きなこのやつは?」

「入ってるわよ」

「やった!」

 航平に萩野屋の袋を渡してやると喜んで、受け取る。

「太郎さんは食べていけないのか。残念」

「今度はゆっくり来るから」

「オレ兄ちゃんって憧れだったんすよ。だから今度一緒に呑みましょ」

「いいね。僕も一人っ子だったから兄弟憧れたよ」

「姉ちゃん抜きで」

「ちょっとなんで私抜きなのよ」

「男同士の話したいじゃん。ねぇ義兄さん」

「そうだね」

 そんな話をしていると、母親が玄関に顔を出した。その手には海苔巻きを入れていると思われる紙袋を持っている。

「はい! これ天堂さん家におすそわけの海苔巻き! まだちょっと温かいから。常温で冷ましてね」

「ありがとうございます。今日の夕飯にいただきます」

「やー太郎さんみたいなイケメンが息子になってくれて嬉しいわぁ。美澄みたいな跳ねっ返りをもらってくれてありがとねぇ」

「美澄さんは僕にはもったいないくらいの素敵な女性ですよ」

「よかったわねぇ、美澄」

 狭い玄関に笑い声が木霊する。

 これが自分の家族だったなぁと美澄はしみじみと思った。

「じゃあ、美澄さん。明日迎えに来るから」

「うん。忙しそうなら送ってもらうから」

「大丈夫。迎えに来るよ。お義父さん、お義母さん、おじゃましました」

 そう言って太郎坊が外に出る。車に乗って発車させ、見えなくなるまで見送った。

 結婚してから家では仕事場でも一緒にいたから、ほんの一日でも離れているのは初めてだ。少しだけ寂しさを感じながら、そして振り返ればいる家族に懐かしさを感じて、美澄は両親と航平と一緒に家に入った。


 なにかあると佐伯家では小さな庭で焼肉をするのが定番になっている。

 入学式や卒業式、合格祝いに卒業祝い、美澄が東京に出てからは帰省すると必ず一日は焼肉だった。

 美澄の結婚が決まった週末もこの小さな庭で焼き肉をしたし、結婚式の前の週末も焼肉をした。

 佐伯家にとって、焼肉は大事なときにするものだ。

 ということで、結婚して家を出た美澄が帰ってきたからと今日の夕飯は焼肉と海苔巻きだった。

 海苔巻きは祖母から母親に受け継がれた味で、作り方は美澄も教えられて一応作れる。今度天堂の家でも作ってみようか。

 いつか来る航平のお嫁さんもその味を受け継ぐのだろうかと思っていると、庭では父親と航平が焼肉の準備をしている。

 その庭で小さい頃は素振りをしたものだ。今よりたどたどしく、しかも回数もこなせなかったけど、よくやっていた。試合で負けて泣きながら素振りをしたこともあるし、ボール遊びをしていた航平の頭に素振りの竹刀が当たって泣かせたこともある。そのときは素振りをしている美澄の周りを彷徨いた航平が叱られていた。

「なんか手伝うことある?」

「ないな」

「ねーな。姉ちゃんは母さんの方のでも手伝ったら?」

「はいはい」

 いつもはカチンと来ていた航平の生意気な口答えも今日は懐かしく思う。

 母親のいる台所に行くと、肉と酒をクーラーボックスに入れているところだった。

「手伝うことある?」

「もうないわね。野菜は切ったし、海苔巻きも切った……このクーラーボックス庭に持って行くの手伝ってちょうだい」

「箸と皿は?」

「これこれ」

 母親は戸棚から紙皿と割り箸を出して、クーラーボックスの上に置く。そのまま母親とクーラーボックスを庭へと運んだ。

「準備できた?」

「火起したよ」

「母さん肉」

「はいはい。何から焼こうかしらね」

「オレ豚バラ!」

「私ハラミ!」

「どっちもたくさんあるからしっかり食べんさい」

 こんなやりとりもほんの数ヶ月前には当たり前だったのだ。

 家族みんなでビールを片手に焼肉を食べる。当たり前だった光景に、今は太郎坊がいないことが不思議でたまらなかった。

「航平、彼女できた?」

「まだー誰のせいで婚約破棄されたと思っちょるん」

「私の厄のせいだっての? アンタが不甲斐ないからやろ」

「痛いとこつくなぁやぁ」

「男は30過ぎても引く手あまただからいいわよね」

 航平は地元の高校を卒業して、地元の企業の営業として就職した。剣道ではなくサッカーを好んでやり、チームプレーが好きな性質は地元に仲間が多い。だからか、地元から一度も離れることなくここにいる。

 航平は美澄の3つ年下だ。この小さな田舎町では結婚しててもいい年になる。同級生には結婚して家を建てたものもいるという。

 それに焦りがあるのも知っているし、婚約破棄の傷が癒えていないのも知っている。30年姉弟をしているのだ。わかることはたくさんある。

「姉ちゃんはええよなぁ。行き遅れのとこ太郎さんに貰ってもらって」

「人をものみたいに言わんでっちゃ!」

 天堂の家ではあまり聞かれないこの地の方言が飛び交って、美澄も方言を使っていた高校までの自分を思いだしてくる。

「ほら2人とも、肉が焼けるまで海苔巻き食べんさい」

「はーい」

「母さん、ビールある?」

「あるわよ。美澄は?」

「私もビール」

 プルタブを開けて、ビールを飲む。まだ夏には早い時期だから少し肌寒いけど、焼肉にはやはりこれが合う。それに海苔巻きを食べるといつもの味でほっとした。

「肉焼けたぞ」

 父親のその一言で、美澄も航平も網で焼けている肉に箸を伸ばす。小さい頃はそれはそれは戦争だったが、酒を飲むことを覚えた今は昔ほどガツガツと食べることもない。

 それは航平も同じらしく、ビールを飲みながら、ゆっくりと肉を味わっている。

 肉を焼いて、ビールを飲み、肉を食べる。

 それはいつものちょっとだけ特別な日の光景と変わらない。

「美澄」

「なぁに」

 キャンプ用の椅子に腰掛けた母親が、チューハイ片手に美澄を呼ぶ。

「結婚生活どう?」

「あ、それ聞きたかった!」

 そう母親が聞くと、面白いものでも見つけたかのように航平も聞く。航平のことはあとで酒で潰すと決めて、美澄はこの家を出てからのことを考えた。

「そうだなぁ、みんな優しいし、仕事も楽しいよ。ホテル業は初めてだけど、接客は変わらないし、前の仕事をいかせることもある。お義父さんもお義母さんも好きなようにやらせてくれるし」

「あんたねぇ、ホテルと結婚したわけじゃないんだから」

「へ?」

「太郎さんとはどう? うまくやってる? あんたたちお付き合いって期間がほとんどなかったから大丈夫かなーって思ってたのよ。ねぇ、お父さん?」

「天狗様の言うことじゃけぇ、間違いなかろうもん」

「お父さんだって心配しちょったやないね」

「そりゃあ、まぁ」

 もごもごとなにか言いたそうにビールを飲む父親に、雷鳴坊とは違うもっと濃厚な親密さを感じる。この庭には血の繋がりがあって、30年以上一緒にいる絆が確かにあった。

 でもそれは、きっとこれから太郎坊と築くものだ。きっと30年後にはこんな庭の風景があの家でも見られるかもしれない。

「太郎さんとは仲良くやってるよ」

「それならいいんだけど」

 あの家に嫁いで、太郎坊と結婚できてよかったと思っている。雷鳴坊も櫻子も優しいし、仲も良好だ。仕事も慣れたし、周りの従業員たちも美澄のことを受け入れてくれている。

 太郎坊は毎日美澄のことを素敵だと囁くし、相変わらず仕事中に会うと笑顔がこぼれ、昼食は一緒にとっている。

「ねぇ妖怪と暮らすってどんな感じなん?」

「普通の人と暮らすのと変わらないと思うけど」

 航平の一言に、そういえば太郎坊は天狗のハーフだったなと思い出した。ここに来る途中にもそんなことを言っていた気がする。でも一緒にいる限りそれは忘れがちなことだ。

「太郎さんは太郎さんだもの」

「姉ちゃんの惚気だ」

「そんなことないわよ」

「いーや、惚気だった!」

「あんたこそパンケーキの一つも焼けないとモテんよ」

「太郎さん作るん?」

「太郎さんだけじゃないわよ。お義父さんも朝ご飯作ってくれるわ」

「あらーええわねぇ。うちの男どもは焼肉のときしか動かないから」

「「……」」

「片付けもしてくれる」

「じゃあ、明日の朝ご飯お願いしてみようかしら」

「やだよ。お母さんのご飯がいい」

 料理をほとんどしたことない父親と航平の料理を、久しぶりの帰省に食べさせられたくない。どうせなら舌に馴染んだ味がいい。

「姉ちゃんナイス」

「航平もお父さんも家事くらいできた方がいいよ」

「まぁ……できないよりはできた方がいいとは思うけど」

「そうだな……天狗様がするなら……」

 ぼそぼそと2人でそう言いながら、焼肉の片付けを始める。庭のことは父親と航平に任せて、美澄は母親と一緒に皿などをゴミ袋に入れて、リビングに引き上げた。

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