第28話 雪女の慰安旅行

 雪女ご一行が天堂ホテルに到着したのは16時過ぎだった。それを雷鳴坊、櫻子、太郎坊、美澄で出迎える。

「いらっしゃいませ。今年もお待ちしておりましたよ」

 雷鳴坊がそう挨拶すると、真っ白な髪を結わえた初老の女性が微笑む。

「ありがとう。私たちも楽しみにしてたのよ」

「出雲はお楽しみいただけましたかな?」

「ええ。冬の間使った霊力を回復することが出来てよかったですわ」

 雪女たちは東北を出て、出雲参りをして天堂ホテルに泊まり、九州で遊ぶというプランらしい。女性ばかり20名が楽しそうにバスから降りてくる。

「あー疲れた」

「温泉入りたーい」

「夕飯なにかしらねぇ」

「食事は19時からみたいですよぉ」

「それまで温泉入ろう」

 雪女がというより女性が20人集まるとかしましい。20代から60代くらいの女性だが、全体的に雰囲気が似ていて、美しい顔立ちをしていた。おそらくそれが雪女の特徴なのだろう。

 その中で一番若そうな雪女が、太郎坊が見つけて声をかける。

「あ! 太郎坊ちゃん!」

「雪芽さん、ご無沙汰してます」

「久しぶりー会うの楽しみにしてたのよ」

 そう言うと雪芽と言われた女性は、太郎坊に抱きついた。美澄は思わず、その光景を凝視してしまう。

 そして胸につきんと痛みが走ったことを知った。

「雪芽さん、僕もう既婚者なんですから、気軽に抱きつかないでください」

「そうなの!?」

「妻の美澄さんです」

 いきなり紹介されて、美澄が慌ててぺこりとお辞儀する。

「妻の美澄です。以後よろしくお願い致します」

 そう言うと雪芽よりも先に周りの雪女たちがわぁっと声を上げた。

「やっだ、そうならそうと早く言ってよぉ」

「あはは、雪芽お気に入りの太郎坊ちゃん取られたね」

「可愛いじゃない」

「肌綺麗ね。化粧品なに使ってる?」

「太郎ちゃん優しい?」

「浮気されたらお姉さんたちに言いなよ」

「おばさんの間違いじゃない?」

「きゃははっ」

 右から左からと様々な雪女たちが口々に言っていく。どうやら太郎坊は雪女たちから可愛がられているらしい。

「あの小さかった太郎ちゃんがねぇ」

「坊ちゃん私のお膝で寝ちゃったの覚えてる?」

「懐かしいわねぇ」

「太郎坊ちゃんももう既婚者かぁ」

 そう言いながら、雪女ご一行様はホテルの中に入っていく。雪芽からなにか言われるかと思ったら、他の雪女たちが引きずって中に連れて行った。

「びっくりしたでしょ。みんなおしゃべりで」

「ちょっとね」

「嫉妬した?」

「へ?」

 突然聞かれたことに、変な声が出た。

「雪芽さんに抱きつかれて」

「……」

「美澄さん?」

「……ちょっとだけよ」

 そう正直に言えば、とろけるように笑う太郎坊の顔がすぐそばにあった。

「今仕事中じゃなければ抱きしめてるとこだよ」

「恥ずかしいからダメ」

「雪芽さん、100歳越えてるよ」

「そうなの?」

「雪女だからね」

 座敷童の栄子だって年下に見えるのに、年上だ。妖怪の年齢は外見でははかれないと知ってるはずなのに、頭がまわらなかった。

「雪芽さんはあの中で一番若いんだよ。よく可愛がってもらった」

「なんで過去形?」

「だって今は美澄さんがいるからね」

「さ、さっさと入りましょう。まだ仕事は残ってるんだから」

「そうだね」

 まだとろけたままの顔をしている太郎坊を引きずって、ホテルの中に入る。ロビーでは雪女ご一行が部屋割りを見ながら、鍵を渡しあっているところだった。

 これから美澄と太郎坊の仕事は夕食の配膳の手伝いだ。大広間に20人分の座布団と机を出して、そこに料理を並べる。今日は雪女御一行しか客がいないから、それに専念できるのが美澄にはありがたかった。

 なんせ初めての団体客だ。

 やっと慣れてきたホテル業務だが、手抜かりがあるかもしれない。常連客の相手としてそれは絶対にしたくなかった。

 階段で大広間のある2階へ上がる。

 そこでは配膳担当である豆腐小僧の東吾が慌ただしく動いていた。今日は座敷童の栄子も狢の親子の春之進とマミも駆り出されている。

「坊ちゃん、若奥様、助かった!」

「なにすればいい?」

「座布団敷いて~」

「わかった!」

 美澄とマミで座布団を敷き、春之進と太郎坊で一人用の机を出していく。栄子がその机を拭いて、その間に東吾がおしぼりとお箸を持ってきた。

 それを全員で机の上に並べていく。おしぼりは雪女仕様か冷たかった。

「18時から夕食予定だから17時半には終わらせたいね」

 動きながら太郎坊がそう言う。確かに時間はあるようでない。これから食事を20人分運ぶのだ。それも細かい皿に盛りつけられたものが複数ある。それがどれほどの時間を要するのか、普段客の食事には携わらない美澄にはわからなかった。

「はーい、前菜の豆腐三種盛りだよ!」

 走りながら東吾が前菜の入った箱を持ってやってくる。それを置くと、また厨房へと帰って行く。

「走りながらよくこぼさないわね」

「東吾は豆腐小僧だからね。豆腐に関してはこぼさないよ」

 美澄が感嘆の声をあげると、太郎坊が自慢げに答える。その証拠に次に持ってきたビシソワーズの入った器は走らず、歩いて持ってきた。

「ええっと、前菜が手前で、汁物が右側……」

 調理場のおヨネが描いたと思われる料理の配置図を見ながら、皿を置いていく。太郎坊と栄子は慣れているのかてきぱきと動いているが、初めての美澄と春之進とマミは配置図を確認しながらだから、遅くなる。

「美澄さんと春之進さんとマミちゃんがいてくれてよかったね、栄子」

「そうだね、いつもなら坊ちゃんと東吾だけだもの」

 そう言いながらも太郎坊と栄子の手は止まらない。

「これで最後の刺身盛りだよ!」

 東吾が歩いて最後となる刺身盛りを盛ってきた。配膳に東吾も加わると、あっという間に夕食の準備が整った。

 今日の雪女御一行の夕食は、豆腐を使った前菜三種盛り、ビシソワーズ、刺身の盛り合わせ、メインは冷しゃぶ、握ってしばらくたった冷たい炊き込みご飯のおにぎり、食後のデザートはあんみつというラインナップだ。

 雪女ということで全部冷たいものばかりだ。

 普通の人間である美澄が食べたら、お腹が冷えてしまいそうだなと思っていると、太郎坊にぽんっと肩を叩かれた。

「太郎さん?」

「団体客は初めてだから、疲れたでしょ」

「大丈夫。慣れてないだけ」

 少々かわいげのない返答だったかなと言ってしまってから思ったが、言われた太郎坊はとくに気にした様子もなくにこにことしている。

「さすが美澄さんだなぁ」

「誉めてもなにもでないわよ」

「本心だって」

「……ありがと」

 空気を読んだのか、栄子が春之進とマミを連れて大広間から出ていく。

「じゃあ、アタシたちはこれで上がるから!」

「お疲れさま」

 これで大広間には美澄と太郎坊だけだ。

 今は静かだが、これから賑やかになるのだろう。

「美澄さんも今日はもう上がっていいよ」

「太郎さんは?」

「毎年この日は御一行のお世話なんだよね。お酒も入るし、小さい頃から相手してるから今更抜け出せなくて」

「私もいなくていいの?」

「いいのいいの。美澄さんはゆっくり休んで。いっぱいの雪女相手にすると冷えちゃうよ。母さんも来ないしね」

「そっか。じゃあ先に上がるね」

「お疲れさま、美澄さん」

 きゅっと手を握られて、離される。その体温が名残惜しく感じて、美澄は振り切るように大広間の襖に手をかけた。

 開けようとした瞬間、誰かに襖の向こうから開けられて体勢を崩しそうになった。

「美澄さん、大丈夫!?」

「ええ」

 ふすまを開けた向こう側には雪女御一行が5人ほどいた。今温泉に入ってきたのか、みんな浴衣姿だ。

 もちろん氷の浮いた温泉に浸かっていたわけだから、ほかほかとはしていないが。

「あー太郎坊ちゃん!」

「奥さんもいるー」

「なになに逢い引き?」

「太郎ちゃん今年もいい温泉だったわぁ」

「湯加減も最高だった!」

 静かだった大広間が一気にかしましくなる。

「雪芽さん、雪羽さん、雪真さん、雪絵さん、雪緒さん」

 太郎坊が一人ずつ名前を呼ぶと、雪女たちは嬉しそうに笑う。それは小さな子が拙い声で名前を呼んでくれたような雰囲気が込められていた。

 それは雪芽も同じで、可愛がっていた少年の成長を見守るようなまなざしがある。

「あの小さかった太郎坊ちゃんがねー」

「まさか結婚してるとは」

「今日はなれそめを肴にお酒飲むって決めてるんだからね!」

「今年は奥さんいるんだから早めに返してあげるわよ」

「奥さん、太郎ちゃん借りるわね」

「あ、はい」

 冷たい美人という印象の雪女たちだが、話し出すと気さくな女性たちばかりだ。

「あ、そうだ!」

 雪芽が太郎坊ではなく、美澄に近づいてくる。なんだろうかと身構えると、目の前に小さな水晶のような透明の石がついた根付けを出してきた。

「美澄ちゃんにこれあげるわ」

「ありがとうございます……綺麗ですね」

「それね、雪女の霊力を込めた雪の結晶なの」

「溶けたりしないから安心して」

「今うちの方で流行ってるのよ、厄除けに」

「奥さんもつけておくといいわよ」

 雪羽、雪真、雪絵、雪緒の順にかしましく喋ると、雪芽が慌てて声を上げる。

「ちょっと! アタシがあげたんだから、アタシに説明させてよ」

「いいじゃないねぇ」

「雪芽のケチ」

「もう! ということなんだけ、持っておくと守ってくれるから」

 きらきらとした透明な石は、雪女たちの美しさを表しているようだ。触ると冷たそうで、でも決して冷たくはなかった。

「それ太郎坊ちゃんも持ってるから、お揃いよ」

「ありがとうございます、雪芽さん」

「太郎坊ちゃんをよろしくね」

「はい」

 それから雪芽たちは大広間に入っていき、太郎坊はそれに続き、美澄は家に帰った。

 雪芽にもらった根付けは、スマートフォンに付けることにした。

 美澄のスマートフォンの待ち受け画面は愛用の剣道防具を撮ったものだが、ふと思い立って、結婚式の写真にすることにした。太郎坊が自分のスマートフォンの待ち受けを結婚式のときのものにしているのは知っている。だからこれはお揃いだ。

 そういえば太郎坊のスマートフォンにも雪芽にもらった根付けと同じものがついていた気がする。これで本当にお揃いだ。ケースも今度替えるときにお揃いにしないか聞いてみようか。それはちょっと恥ずかしいかもしれない。

 その夜美澄が寝る前に帰ってきた太郎坊に、スマートフォンに付けた根付けを見つかって抱きしめられた。どうやらお揃いであることに感激したらしい。

 待ち受けまでお揃いであることは内緒にした。いつかバレるかもしれないけど。

 こうして雪女ご一行は次の日、満足げに帰って行った。最後には雪芽や雪羽という若い雪女たちに美澄が抱きしめられるという光景もみられた。

 きっとまた来年もきてくれるだろうと思いながら、何度も手を振って、バスが去っていくまでお辞儀をした。

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