第26話 忙しい時こそ

 全室のベッドメイキングを終え、階段で下に食堂のある一階に降りる。清掃は清十郎たちが終えているから、部屋の方はもういつでも団体客を迎え入れられる状態だ。

 食堂に行くと、清十郎と春之進しかおらず、まだ太郎坊は来ていなかった。

 忙しいから先に食べていようかと思っていると、栄子が美澄の肩を叩いた。

「若奥様は、坊ちゃん待ってあげて」

「え?」

「坊ちゃんも今日は忙しいから。百太、坊ちゃんはどこにいるの?」

「坊ちゃんなら大広間ですよ。呼びましょうか?」

 壁に目が現れ、百太がそう答える。忙しいなら昼食に呼ぶのも気が引けて、美澄は思わず断った。

「大丈夫です! 忙しいのに呼んだら悪いし」

「忙しいときこそ好きな人とゆっくりご飯くらい食べたいもんだよ」

「でも……」

「大丈夫。大広間の人たちも順番に昼休みとらないといけないから。百太、坊ちゃんを呼んで」

「はい」

 すうっと壁から目が消える。

 栄子は満足そうに笑うと、マミを連れて食堂に入って行ってしまった。

 これでは太郎坊を待たないといけないではないか。

 その間に美也と平花がやってくる。

「あら、若奥様どうしたんですか?」

「太郎さん待ってるの」

「仲睦まじくてなによりですわ。お先に失礼します」

 そう言って美也も平花も笑って食堂の中に消えていく。

 このホテルの中で美澄と太郎坊が夫婦であることは当たり前だが、こうなると見せつけているようで恥ずかしい。太郎坊が早く来ないからそわそわしていると、今一番聞きたい声が聞こえてきた。

「美澄さん!」

「太郎さん、お疲れさま」

「ごめんね。待たせて」

「ううん。今日は忙しいから先に食べちゃおうと思ったんだけど、栄子ちゃんに止められて」

「ええ、お昼は一緒に食べようよ」

「でも今日は……」

 忙しいからと言おうとした美澄を太郎坊が制する。

「どんなに忙しくても、食事は一緒にしよう?」

 懇願するような瞳に、美澄はなにも言えなくなる。

「わかったわ。そうしましょ」

「よかった!」

 分かりやすく、ぱあっと笑顔になる太郎坊にこれでよかったのだと美澄は思った。

「今日は忙しいんだから、早く食堂入ろう」

「そうだね。今日のお昼はなにかな」

「みんなチキンライス食べてるわよ」

「いいね。おヨネお婆ちゃん、お昼2つ!」

 太郎坊が厨房に声をかける。

 そうするといつも通りおヨネがお盆を2つ出してきた。

「坊ちゃん言わなくてもわかってるよ。坊ちゃんと若奥様は一緒だろ」

「そうそう」

「仲良くていいことだよ」

 そう言いながらおヨネがお盆にチキンライスを盛った皿を2つ置いてくれる。それにコンソメスープも2つ。

 ここでは太郎坊と美澄はセットなのだ。それは誰もがわかっているし、歓迎してくれている。

「おヨネ。昼を頼む」

 ちょうど入ってきた雷鳴坊がおヨネに声をかける。その後ろには櫻子がいる。

「はいよ」

 そうするとおヨネはそれ以上なにも言わずにお盆を2つだし、チキンライスを2つ、コンソメスープを2つ出してきた。

 いつも雷鳴坊は櫻子と一緒に食事をするから、慣れているのだろう。きっと美澄と太郎坊もそうなるに違いない。

 それはきっと太郎坊の理想の姿だ。

「美澄さん、食べよう」

「そうね」

「「いただきます」」

 いつも一緒にその言葉を言えるように。

 美澄はそう願ってチキンライスを頬張った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る