第25話 雪女の慰安旅行

「さぁ、今日は忙しいわよ」

 櫻子がそう言いながら、自宅からホテルへの廊下を歩く。それについて行くのは雷鳴坊と太郎坊、それに美澄だ。

 今日はタイミング良くみんなの支度が終わったので、全員一緒の出勤となったのだ。

「団体のお客様でしたっけ?」

「そうよ。しかもただの団体客じゃないわ」

「え?」

 団体客が来ることは随分前から聞かされていた。貸し切り状態でこのホテルに泊まると。

 だが、どんな妖怪なのか、それとも人間なのかまでは聞いていなかったなと美澄は思った。

「雪女よ」

「雪女……ホテル凍っちゃいませんか?」

「それは大丈夫よ。向こうも人間に化けてくるから。でも暑さに弱い人間って感じだから、こちらも対処してあげないといけないの」

「そうなんですか」

「雪女の慰安旅行なのよ。毎年この時期にやるの」

「慰安旅行?」

 会社の慰安旅行だろうか。雪女だけがいる会社や団体がこの世に存在していてもおかしくはない。このホテルで働き出して、美澄はそう思うようになった。

「東北の方に雪女の団体があるのよ。冬場は観光客に吹雪を見せたりするんですって。で、春になったら店じまいして慰安旅行するの」

「へぇ……」

「いいわよねぇ、うちも慰安旅行したいわ」

「そうだねぇ、来年辺り休館して行こうか」

 そんなことを雷鳴坊と櫻子と話していると事務所に着いた。事務所には風邪が治った青次が復帰したことで、経理に戻った平花が顧客リストをチェックしている。

 だが、経理に戻ったはずの平花は人間に化けて顔があり、きちんと化粧をしていた。美澄が教えたとおりのやり方で。

「おはようございます。平花さん、顔どうしたんですか? 裏にいるのに化けてるの珍しいですね」

「おはようございます、若奥様。団体客が来るので手伝いに表に出されるんです……」

「いつもは栄子の手伝いなんですけど、今年は化粧もきちんとしているのでお客様の相手ができます」

 表に出るのを嫌がる平花と表に出る従業員が増えて嬉しい美也の間には、とてつもない温度差がある。美澄はあえてそれには触れず、顧客リストをのぞき込んだ。

 雪子、雪乃、雪絵、雪美、小雪、沙雪、深雪、などなど雪の付いた名前がずらっと並んでいる。

「……これは間違えそうですね」

「だから何度もチェックしないといけないんです。こちらが向こうから提出された部屋割りです」

 美也が差し出した一枚の紙には、変わらず雪の付いた名前が2人一組で並んでいる。深雪と雪美など間違えそうで、絶対に間違えてはいけないと美澄は気を引き締めた。

「団体客のときは僕や父さんも表に出るから、なにか困ったことがあったら言ってね、美澄さん」

「ありがと」

 太郎坊が表に出るのは珍しい。いつもは事務所で労務管理をしているのが太郎坊の仕事だ。

 それほどまで忙しい団体客ということだろうか。

「チェックアウトの客は少ないので、若奥様は栄子たちを手伝ってくださいませんか?」

「わかりました」

 マミが来てからベッドメイキングの仕事より、チェックアウトの客の対応をすることが多くなった。その日の客の量によって頼まれるのはまちまちだが。

 栄子たちを手伝うべく、事務所を出てエレベーターホールに行く。そこで美澄は壁に声をかけた。

「おはようございます、百太さん。栄子ちゃんたちはどこにいますか?」

 そう問いかけると、壁に目が現れて美澄の問いに答える。

「おはようございます、若奥様。栄子なら7階にいますよ」

「ありがとうございます」

「いえ、いつでも呼んでください」

 従業員の誰がどこにいるのか百目の百太に聞くのが一番手っ取り早い。従業員もお互いの居場所を百太に聞くのが当たり前のようで、壁に向かって声をかけているのをよく見かける。

 美澄もそれに倣って声をかける術を覚えた。ベッドメイキングをしている栄子の居場所。困ったときに聞きたい美也の居場所。そしてたまに百太から教えてくる昼時の太郎坊の居場所など。

 エレベーターで7階まで行くと、栄子とマミが部屋を行ったり来たりしてシーツを剥がしているところだった。

「おはよう。2人とも」

「あ、若奥様おはよう!」

「おはようございまーす!」

「いつもと段取りが違うみたいだけど、どうしたの?」

 いつもなら一部屋ずつシーツを剥がして、新しいシーツを整えるのに、今日は廊下に全ての部屋から剥がしたシーツが置いてある。

「今日は雪女の慰安旅行の日だからね!」

「?」

「雪女に普通のシーツは暑いから、ひんやりパットを敷いてあげるんだ。枕もそう。あとタオルケットが必要」

「いつもと違うのね」

「そうなの。マミちゃんがいてくれて助かったよ」

「照れるっすよぉ」

「今日は団体客だけだし、ほとんどの部屋を使うから大変なんだ」

「手伝うわ」

「じゃあ若奥様は、リネン室からひんやりパットとタオルケット出してきて。昼休みまでに終わらせるよ~」

 栄子の言うとおりにリネン室に行くと「冷」と書かれたビニールの中に求めていたものが入っていた。使われる前に洗濯されたものらしく、清潔感が漂っている。

 それをビニールから出して、各部屋に持って行く。そうすると栄子とマミが綺麗に整えてくれるのだ。

 3人の連係プレーで7階はすぐ終わり、同じ要領で下の階もやっていく。

 途中、4階で清掃をしている垢なめの清十郎たちとかち合った。

「栄子、今日は早ぇなぁ」

「今年はマミちゃんと若奥様がいるからね」

「マミもちゃんと役に立ってんだな」

「当たり前よ!」

「雪女ご一行はかしましいからなぁ」

 そう清十郎がぼやくと、狢の春之進も同意するように笑う。

「女が何十人と揃うとそりゃあ、かしましいでしょうな」

「あいつらすぐ氷付けにしようとするんだぜ。こわやこわや。んじゃ儂らは下の階に行くけぇ、ここの階よろしゅう頼みますわ」

 口を動かしながらも手はしっかりと動いているのが流石というところか。清十郎と春之進は4階の清掃を終えて、下の階に行く。

 2人がいなくなったら今度は栄子とマミ、それに美澄の出番になる。

 上の階でそうであったように、栄子とマミがシーツを剥がしている間に、美澄がリネン室からひんやりパットとタオルケットを出して各部屋に配っていく。

 そうして剥がされたシーツを美澄がリネン室に入れておくと、洗濯狐の引左が洗ってくれるのだ。

 宿泊室のある3階まで終わると、美澄たちの仕事はひとまず終わる。時間はちょうど昼前をさしていた。

 2階は大広間があるから、今頃夕食に向けての支度がされているのだろう。普段は団体客などいないらしく、みんな気が急いている気がする。

「ちょっと早いけど、昼休みにする?」

「そうしよ。昼休みが終わったら、アタシとマミちゃんは大広間の用意を手伝いに行くよ!」

「わかったっす!」

「アタシたちが忙しいのは団体客が来るまでだから! がんばろ!」

「はい!」

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