第22話 またまた嵐の予感?
ベッドメイキングを終わらせた美澄たちを、食堂の前で待っていたのは太郎坊だった。
「お疲れさま」
「坊ちゃん、若奥様返すね~」
「いいっすね! 一緒にお昼!」
栄子とマミはそう言って、先に食堂に入ってしまう。あまり入り口で立っていても邪魔だろうと、美澄は太郎坊を連れて中に入った。
「美澄さん、ホテルの仕事には慣れた?」
「ええ、慣れたわよ」
「ここは妖怪ばかりだから、人間の美澄さんは慣れないこと多いだろうと思って」
「みんないい人ばかりだから。デパートの方が気を張ってた気がするわ」
「それはよかった」
安堵した表情をして、太郎坊がおヨネに声をかける。
「おヨネ婆ちゃん、お昼二つ!」
「坊ちゃん、今日もお嫁さんと一緒でいいねぇ」
「うん」
「坊ちゃんは大盛りにしとこうね。夜までしっかり働きな」
「ありがと」
「あの小さかった坊ちゃんがお嫁さんもらうたぁねぇ……ちゃんとしてるんだろうね」
「なんのことかな」
そう冷やかしながら、おヨネがお盆を二つ出して、その上にチャーハンの盛りつけた皿を乗せる。今日のスープは野菜たっぷりの中華スープだ。
食堂には雷鳴坊と櫻子、清十郎と春之進、それに引仕がいた。
「あ、お父ちゃん!」
「おう、マミ。ちゃんと働いとるか?」
春之進の姿を見つけて、マミが声をかける。その娘の姿に、春之進も頬を緩ませた。
「もちのろんよ! お父ちゃんこそちゃんと働いてる?」
「もちろんだとも」
「おうおう、オレがみっちり清掃ちゅーもんを叩きこんどるから心配いらねぇぜ、お嬢ちゃん」
そう言うのは垢なめの清十郎だ。春之進が来るまで、風呂掃除から客室の掃除、それに庭掃除まで1人でしていたというのだから驚きだ。
やはりここは妖怪の従業員ばかりのホテルだ。
「太郎さん」
「なに美澄さん」
「もしかして私がこのホテルに慣れるために、仕事中も色々話しかけてくれたの?」
2人で向かい合って席に座る。
マミは春之進の横、栄子は引仕の向かいに座ったのが見えた。
「だって、普通の人間は妖怪と仕事したことないでしょ? うちはみんな公表してる系職場だし」
「そうね」
もしかしたらデパートにも妖怪はいたかもしれない。それでも彼らは偏見を恐れて、公表したりはしない。
ここはそれができる希有な職場だ。
仕事中に他愛のないことで話しかけるのも、昼休みになると美澄のことを待っているのも、太郎坊なりの気遣いだ。
それに気が付いてしまったら、美澄はなにも言えなくなった。
「櫻子さん、はい、あーん」
「ここではやるなって言ってるでしょ」
背後でそんなやりとりが聞こえてきて、気遣いになにか含まれているものがあるかもしれないなと思わざるをえないが。
「美澄さん?」
「なんでもない。冷めちゃうから、食べよう」
「そうだね」
「「いただきます」」
チャーハンはパラパラで、お店で食べるような味だった。中華スープもしっかりとした鶏ガラ醤油味で、野菜がとろとろに煮込まれている。
「美味しい」
「おヨネお婆ちゃんのチャーハンも美味しいんだよね。中華料理屋で食べるみたい」
「うん。そう思った」
「美澄さん」
「あーん、は、しないわよ」
「あ、聞こえてた?」
「うん」
義両親の会話を聞いて、太郎坊も言い出すかなとちょっとだけ思った。そうして顔を見たら、やって欲しそうな顔をしているものだから、ちょっとだけ笑ってしまった。
「美澄さん、僕の考えてることわかったんだ」
「顔に書いてあった」
「じゃあ家で」
「それくらいなら」
「憧れだったんだよね」
「なにそれ」
「好きな人にあーんしてもらうの」
かつて美澄に恋人がいたように、太郎坊にも彼女の1人や2人いただろう。なんてたってお互い30を越えている。彼女たちにもそうしてもらったのだろうか。それともそれは結婚相手にとっておいたのだろうか。後者なら嬉しいと美澄は密かに思った。
2人で他愛のない話をしていると、パタパタと足音が聞こえてきた。
「この足音は平花かな」
「聞き分けられるの?」
「小さい頃から聞いてるからね」
「走ってどうしたのかしら……」
「お腹空いてるのかな」
「そんなことで走るかしら」
のんびりとそんなことを話していたら、食堂に平花が顔を出した。
「旦那様!」
「どうした、平花? そんなに慌てて」
「胡左衛門が来たんです!」
その言葉に、食堂が緊迫感に包まれる。
「こざえもん?」
問う美澄に、太郎坊が緊張した面もちで答える。
「狐の頭領だよ。柴助と同じくこのホテルを欲しがってる」
「胡左衛門は玄関か?」
「は、はい!」
「狸の次は狐か……厄介だな。すぐに行こう」
雷鳴坊が立ち上がって、平花と一緒に食堂を出て行く。
「狐の頭領なら引左さん、行かなくていいんすか?」
柴助の一件を知らないマミが、引左にそう聞く。聞かれた引左は真っ青な顔になり、大きく首を振った。
「無理無理無理無理! 同じ狐でも無理よ! アタシはただの洗濯狐だもの」
「そんなもんすか」
そんなマミと引左がそんなやりとりをしていると、太郎坊はすっと立ち上がった。
「太郎さん?」
「僕も行く」
「私も行くわ」
ここからホテルの正面玄関までは受付を通らないといけない。そこには竹刀がおいてある。また柴助や春之進のときのように、役に立つこともあるだろう。
そう考えていると、そんな考えを見抜いたのか、太郎坊が釘をさしてきた。
「美澄さん、竹刀はダメだよ」
「え?」
「そんなものが通用する相手じゃない」
「でも……」
「来るのはいいけど、受付から出ちゃダメだからね」
「……わかった」
真剣な顔でそう言うものだから、美澄も了承するしかなかった。竹刀が通用しない相手とはどんなものなのだろうか。
食べかけのチャーハンを置いて、太郎坊が食堂を出るのを追いかける。
事務所を抜けて、受付に出ると、雷鳴坊と対峙している1人の男性が見えた。
ぴしりとスーツを着こなした、細面で痩身の男性。年の頃は妖怪だから分からないが、外見だけでは雷鳴坊と同じくらいだろうか。
吊った目が狐らしさを見せていて、狐の妖怪だと言われても頷ける。
「急に来て、どうした? 胡左衛門」
「柴助が来たと聞いてな。狸に先を越されたとなっては狐の顔が潰れる」
「柴助はうちの嫁御に返り討ちにあったがな」
「ああ、人間の娘御らしいな」
和やかに話しているようだが、周りの空気はぴりぴりとしている。まるで剣道の試合中のようだと美澄は思った。
平日の昼間に客はほとんどいない。
チェックアウトの客はいなくなり、チェックインの客もまだいない。ラウンジでお茶をする客も平日の昼間はいなくて、ホテルのロビーには雷鳴坊と胡左衛門2人が対峙している状態になっている。
「さて、雷鳴坊」
「なんだね、胡左衛門」
「いつになったらこのホテルを明け渡す?」
「そのつもりはさらさらないぞ?」
「子息はどういうつもりかな?」
胡左衛門の狐の目が、受付にいた太郎坊と美澄に注がれる。その視線から守るように、太郎坊が美澄を庇う。
そうして太郎坊が受付から出て、雷鳴坊の後ろに控えるように立った。
「胡左衛門殿、お久しぶりでございます。雷鳴坊が一子、太郎坊にございます」
「ほう、大きくなられたな」
「ありがとうございます」
「雷鳴坊よ、子息にホテルを任せるのは酷ではないか? 半分は人間。自由にさせてやるのも親心というものではないか?」
「流石狐。口が立つな」
「なんとでも」
ニチャァと胡左衛門の狐の目が歪む。
「私はこのホテルが欲しいだけだ。雷鳴坊、そなたが譲れば丸くおさまるのだぞ? 従業員の妖怪たちも悪くはせぬ」
「そんなにホテルが欲しいなら、自分で作ればよかろう?」
「わかっておらぬな。この場所が欲しいのよ」
ここは九州から出雲へ行く妖怪たちの立ち寄り場所だ。出雲まで程良い距離で、ここを拠点にして出雲参りをする妖怪たちも多い。それを胡左衛門は言っているのだろう。
「この町にもう一つホテルを建てても収益は大したことはない。このホテルがある限りな。だったら、このホテルを欲しがるのは当然であろう?」
「強欲だな」
「狐だからな」
2人の周りの空気がパチッパチッと音を出す。霊力が漏れているのだとただの人間の美澄にも分かった。
「ホテルを壊さないといいのだけど」
いつの間にか櫻子が横に立っていた。
「お義母さん……」
「大丈夫よ。あの2人を信じてなさい」
「はい」
美澄も受付の下に隠していた竹刀を握りしめる。自分から出て行くことは、太郎坊と約束したからしないが、なにかあれば櫻子と自分の身くらいは守りたいと思った。
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