第23話 もう大丈夫

 雷鳴坊と胡左衛門の膠着は続く。

 先にそれを破ったのは胡左衛門だった。

「あれが、例の嫁御かな?」

 胡左衛門の狐の目が美澄を見据える。それだけで動けない気がして、美澄は竹刀を握る手に力を込めた。

「ほう……あれが柴助の面を割った竹刀か。よく使い込まれている。だがそれは私にはきかないよ、お嬢さん」

「……」

 動けない。声が出せない。なにか術にかかったのだろうかと恐怖が襲ってくる。隣で櫻子が名前を呼んでくれるが、応えられなかった。

「美澄さんには手を出さないください」

 太郎坊の声が聞こえて、ふっと動けなかった身体が緩まる。

 見ればいつの間にか移動したのか、受付のすぐ前に太郎坊がいた。

「たろう、さん」

「大丈夫だから」

「うん」

 櫻子の手を借りて、美澄が置いてあったパイプ椅子に座る。膝ががくがくして、しばらく立てそうにもなかった。

「胡左衛門。うちの嫁御に手を出すな」

「殺気を出されては見過ごせまい」

「ただ人間の娘御ではないか」

「そうだな」

 くつくつと胡左衛門が笑う。

「今日はこの辺にしておこうか。ホテルを手放す前には声をかけておくれ」

「手放すつもりはない」

「どうかな」

 胡左衛門が踵を返す。

 その姿を見た平花がドアマンとしての仕事をしようと、玄関に近づく。

「のっぺらぼうか……」

「ヒィ!」

 狐の目で見られた平花が、小さく悲鳴を上げる。胡左衛門はそれには反応せず、淡々と出て行った。

「平花、大丈夫か?」

「は、はひ」

 今にも崩れ落ちそうな平花を雷鳴坊が気遣う。

 そうして受付にいる櫻子に声をかけた。

「櫻子さん! 塩! 塩持ってきて」

「もちろんあるわよ!」

 常備しているのか、いつのまにか櫻子が塩壷を持って美澄の横にいた。

「狸の次は狐なんて縁起の悪い……櫻子さん、塩いっぱい撒いといて!」

「お客様が来るから撒くのは少しよ」

 冷静な櫻子に、思わず美澄から笑みがこぼれる。

「美澄さん、大丈夫?」

「ええ」

 太郎坊が受付のカウンター内に入ってきて、そっと肩に触れる。それだけで随分と安堵できた。

「今日は早く上がっていいよ」

「大丈夫よ。もうあの人来ないだろうし」

「そりゃそうだろうけど」

「狸の次は狐って、やっぱり私の厄年のせいかしら……」

「美澄さん」

 太郎坊の両手が美澄の頬を包む。

「それは違うって言ったでしょう? 厄年のことは天狗の加護でどうにでもなるって」

「どうにもならないこともあるかもしれないじゃない。家は泥棒に入られるし、お父さんは骨折したし、お母さんは財布を落としたし、航平は婚約破棄されるし。天堂の家にもそんなことがおきたら私……」

「僕も父さんも天狗だからそうそう骨折しないし、母さんは父さんがいるから財布を落としてもすぐ見つけられる。うちは百目がいるから泥棒も入れない。それに僕は結婚したからもう婚約破棄なんかされない」

「太郎さん……」

「これからもまだなにか起きるかもしれないわよ?」

「僕だって天狗の端くれだからね。柴助や胡左衛門があんなことを言ってくるのは想定内だし、対処だってできるよ。だから安心して」

「うん……」

 頬を包む太郎坊の両手に手を重ねる。

 この人と結婚してよかったと、美澄は心から思った。

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