第17話  少しずつ知ること

「お腹空いたー」

「ぺこぺこっすよ」

 全部のベッドメイキングを終えた頃には、栄子とマミはすっかり仲良くなっていた。みんなで従業員用の食堂に行き、昼休みを取ることにした。

「今日のお昼はなにかなぁ」

「みんなで食べるの楽しいっすね」

「あ、若奥様は坊ちゃんが待ってるから別ですね」

「あ、そうだった」

「覚えといてあげてよ、若奥様ぁ」

「いいっすねぇ、アタイそういうの憧れるっす」

 屈託なく笑うマミに、そういうものかと美澄は思う。太郎坊とは一般的なお付き合いをしなかったから、恋人をすっ飛ばして家族になった気持ちの方が強い。

 だからいるのが当たり前だし、一緒に食事をすることもごく自然なことだ。うっかり忘れるくらいに。

「忘れるなんてひどいよ、美澄さん」

 だが、こちらはそうではなかったらしい。食堂の入り口で太郎が悲しそうな顔で出迎える。

「ごめんごめん。太郎さんと食べるの当たり前になってたから、うっかりしてた」

 美澄が太郎坊の傍に寄ると、後ろを通って美也たちが食堂の中に入っていく。

「はいはい。私たちは馬に蹴られないようにさっさと入りましょうね」

「なんで馬、なんすか?」

「人の恋路を邪魔するものは馬に蹴られるって言うからだよ!」

 3人それぞれがそう言いながら、食堂の中に消える。見るとすでにおヨネからお盆を受け取っているところだった。

「こ、恋路……」

「順番は逆だけどね」

「逆?」

 美澄と太郎坊の関係は、結婚から始まった。

 家族になったと美澄は思っていたが、太郎坊はどうやら違うらしい。

「僕は美澄さんが柴助のお面を割ったときからずっと恋してるよ」

「そ、そう」

「美澄さんは?」

「え?」

「美澄さんは恋してる?」

「わ、私は太郎さんのこと家族だと思ってるよ」

「及第点」

 ふわっと太郎坊の端正な顔が笑みを作る。その顔に赤面しない女性はいないだろう。それは美澄も同じだ。毎日見て慣れたと思ったのに、改めて身近で微笑まれると頬が赤くなるのを止められなかった。

「はいはい。夫婦のいちゃつきは自宅でやってくだせぇよぉ」

「若いもんはいいね!」

 さらに顔を近づけようとする太郎坊に、海坊主の潮と豆腐小僧の東吾が笑いながら後ろを通っていく。

「太郎さん、ここではちょっと……」

「帰ったら続き、ね」

「うん」

 そっと太郎坊から離れると、2人で食事を受け取る列の最後尾に並んでいる東吾の後ろに並んだ。

「太郎坊ちゃんは若奥様にお熱だね! いいじゃんいいじゃん」

 不意に後ろを振り返った東吾がそう言って笑う。男性従業員たちの中では一番若く見えて、太郎坊を見つけるとよく絡んでくるのだ。

「だって美澄さんは素敵だもの」

「そういうとこ旦那にそっくりだよ」

「それはやだなぁ」

「東吾! 坊ちゃん! くっちゃべってると冷めるよ」

 2人が話していると厨房の中からおヨネの叱責が飛ぶ。

 今日の昼食は中華丼と卵スープの組み合わせだ。

 太郎坊と美澄はおヨネから丼が乗ったお盆を受け取って、空いてる席に向かい合って座った。

 たっぷりの餡に種類豊富な野菜、それに海鮮が入っていて豪華な中華丼になっている。

「あ、うずらの卵、2個入ってる。美澄さんは?」

「私入ってないかも……」

「おヨネ婆ちゃん大量に作ってそれをご飯にかけてるから、うずらの卵あるかどうか賭けなんだよよね」

「そうなんだ」

 太郎坊の箸が自身の丼の中のうずらの卵を掴むと、それを美澄の丼に移す。

「太郎さん?」

「箸まだ綺麗だよ」

「そうじゃなくって、いいの?」

「いいよ。美味しいものは分けた方がもっと美味しくなる。僕らは家族じゃない」

「そうね」

 家族で恋人のような間柄で、出会ったばかりの友達でもあるようなそんな不思議な関係がここにはある。

「美澄さん、今日の夕飯食べたいものある?」

「うーん、なにかしら」

 夕飯は雷鳴坊と櫻子とは別に食べると決まっている。2人は遅くまで仕事をしているから、従業引用の食堂で食べることが多いからだ。

 早めに仕事の終わる美澄と太郎坊は、自宅でゆっくりと2人だけで夕飯を食べることになっている。それは雷鳴坊と櫻子の新婚の自分たちへの配慮でもあった。

「太郎さん、なにか食べたいものないの?」

「僕はハンバーグが食べたいな」

「なんだ、食べたいものあるんじゃないの」

「美澄さんが食べたいものがあればそっちがいいかなぁって」

「たまには自分を優先して」

「うん、だからハンバーグ」

「いいわよ。仕事終わりに挽き肉買ってくる」

「ちょっと待って」

「ん?」

 仕事が終わるのが5時だから、それからスーパーに行って挽き肉を買えばいい。タマネギはあったからあとは付け合わせを考えればいいだろうと思っていた美澄を、太郎坊が止める。家に挽き肉があった記憶はないが、もしかしてあったのだろうかと首を傾げると、太郎坊は思いがけないことを言い出した。

「僕が作るよ」

「え?」

「だから、ハンバーグは僕が作る」

「太郎さん、料理できるの?」

「大学4年間一人暮らしだったからね。たいていのものは作れるよ」

「早く言ってよ。もしかしたら私が作ったのより、太郎さんが作る方が美味しかったかもしれないじゃない」

「だって美澄さんの手料理が食べたかったんだもん。でも共働きで美澄さんだけに負担はかけられないから僕も作るよ」

 なんでもないようにそう言って、太郎坊が中華丼を頬張る。

 太郎坊が料理ができるというのは初耳だ。知らないことが多いなと思いながら、美澄も中華丼を頬張る。これも櫻子の調教のおかげなのかもしれないなと思いながら。

 知らないなら、これから知っていけばいい。

 そういえば好きな味噌汁の具は知っているが、好きな食べ物は聞いていなかったなと思った。

「ねぇ、太郎さん」

「なに?」

「太郎さんの好きな食べ物はなに?」

「美澄さんが作るもの」

 間髪入れずにそう帰ってきて、笑ってしまった。きっと雷鳴坊に好きな食べ物を聞いても「櫻子さんが作るもの」と答えるに違いない。

 本当に似たもの親子だ。

「じゃあ私と結婚する前は、好きな食べ物なんだった?」

「ケーキとか甘いものかな」

「お菓子作りはしたことないなぁ」

「ホットケーキとか作るよ。今度作ってあげるね」

「楽しみにしてるわ」

 好きな食べ物、好きな飲み物、お気に入りの場所、趣味。色んなことをこれから知ればいい。

 知る楽しみがここにある。

 次はなにを聞こうかと思いながら、美澄はコーンのたっぷり入った卵スープを飲んだ。

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