第8話 愛され旦那様
美澄がホテルで働き出して一週間経った。
その間にベッドメイキングを覚え、チェックイン、チェックアウトの受付の仕方を覚えていった。
一昨日は休みの前ということで栄子が遊びに来て、夜遅くまで太郎坊と一緒にテレビゲームで遊んだ。太郎坊となにかこうやって遊ぶとしたことがなくて、美澄は栄子にこっそり感謝した。
もちろん昨日は太郎坊と一緒に2人で朝寝坊をして、櫻子が作っておいてくれたおにぎりを昼ご飯に食べた。もうすでに朝ご飯といえる時間ではなく、2人で笑って昼ご飯ということにした。
「栄子ちゃんは今日も仕事って凄いわね」
「栄子は妖怪だからね。少々寝ないで大丈夫」
「そうなの」
「寝るより遊んでる方がいいんだって」
「へぇ」
2人でおにぎりをもくもくと食べて、夕飯の買い物に行って、夕飯を一緒に作る。
同じホテルで働いているとはいえ、業種が違うと会う時間が重なることは稀だ。こうやって一緒にいることが出来る休日は付き合う期間がなかった2人が、相手をよく知るための時間になっている。
「天狗っていうから鼻が長いんだと思ってた」
「僕の鼻は普通だよ」
「そうね」
夕飯までの間、買ってきたシュークリームを食べながらそんな話をする。綺麗な鼻筋をした太郎坊の鼻をちょんっと触ると、くすくすとした笑いがこぼれた。
「くすぐったい?」
「そうだね。なんで天狗の鼻が長いか知ってる?」
「知らないわ。飲んだり食べたりも大変そう」
「あれは若気の至りなんだよ」
「なにそれ」
こっそりと内緒話でもするように、太郎坊が顔を近づける。櫻子似の端正な顔は、結婚して二週間経ってもまだ慣れない時がある。
「天狗といっても見かけに特徴がないからね。父さんが若い頃鼻を伸ばして、顔を赤く染めたのが始まりだって聞いてる。それが天狗の世界で流行ってそれが今に伝わってるんだって」
「お義父さんっていくつなの……?」
「さぁ?」
「太郎さんは私より一つ上なんでしょ?」
「そう。それは本当。ハーフってほんど人間と変わらないよ」
「そういうものなのねぇ」
「美澄さん、クリームついてる」
「やだっ」
慌ててテーブルの上に置いてあるティッシュで口元を拭うと、太郎坊が声を出して笑った。
「なんで笑うのよ」
「かわいかったから」
「三十路女掴まえて可愛いはないわね」
「そういうもの?」
「そういうもの」
「でも美澄さんは可愛いよ」
可愛気がないとかつての恋人たちには言われてきた。仕事をすれば男より業績を出し、剣道をすれば男だって打ち負かした。
「可愛気がないってずっと言われてきたわよ」
「そんなことないよ。剣道してる美澄さんが素敵だし、ホテル仕事をしてる美澄さんは凛々しくてやっぱり素敵だし、こうやってプライベートは可愛い」
「あ、ありがとう」
「柴助の面を割ったのなんて素敵すぎだったよ。あれ見て僕は絶対この人と結婚しようと思ったんだ」
「太郎さんってちょっと変わってる」
「美澄さんの魅力は僕が知ってたらいいよ」
そう言われると、美澄はなにも言えなくなる。この天然タラシは女の趣味が少々ズレているのかもしれない。
だって妖怪のお面を割った姿を見て、結婚したいと思われるなんて思わなかった。
「もっと美澄さんの素敵なところ言おうか?」
「も、もういい!」
慌てて遮って、美澄は残りのシュークリームを食べた。
それが昨日の話。
遊んで、そんな話をして、前日より少しだけ近づいた距離がある。
ホテルの中でも太郎坊と目が合うと、嬉しそうに笑ってくるようになった。それを美也や栄子に揶揄されるまでがワンセットだ。
「いってらっしゃいませ」
櫻子と一緒にチェックアウトをした客を見送って、今度は栄子と一緒にベッドメイキングをしにいく。
途中で掃除担当である垢舐めの清十郎に出会った。
「若奥様ぁ!」
「清十郎さん、おはようございます」
「おはようございます!」
清十郎は声がでかい。よく日に焼けた色黒のおじさんという感じで、妖怪だと言われないと分からないのは他の従業員と同じだ。
「あの小さかった坊がこんな綺麗な嫁さんつれてくるなんてなぁ」
「いえ、そんな……」
「若奥様ぁ! このホテルでなにか困ったことがあったらこの清十郎にお任せくだせぇ」
「あ、ありがとうございます!」
そう言って、清十郎は空いている部屋に入っていく。ちなみにこのやりとりも最初に会ってからずっと言われている。
どうやら太郎坊は従業員から大層可愛がられているようだ。
そうして栄子と一緒にベッドメイキングを終えると今度は美也とチェックインする客のチェックをするのが午前中のルーティンワークになっている。
「今日は週末でもありませんから、そんなにお客様は多くありません。7組14名様になってます」
「はい」
「ちなみに全員妖怪です」
どうぞと見せられたリストには名前の横に妖怪の名前が書いてある。
雪男、砂かけ婆、木霊、一つ目小僧、提灯お化けなどなど。
「全部見たことありません」
「大丈夫です。みなさま人間の姿で参りますので」
「はぁ」
「木霊などは春の山を栄えさせた力を補給しに行くのでしょう」
「そうなんですか?」
「山の精霊ですから。山が生い茂るのは彼らの力です」
「へぇ……」
「妖怪は案外そばにいるものですよ」
「そうですね」
もしかしたら同級生に妖怪がいたのかもしれない。通りすがりの人が妖怪だったのかもしれない。それくらい当たり前の妖怪はいるのだ。
このホテルに来て、美澄はそれが当たり前だということを学んだ。
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