第9話 河童、来訪

「美澄さん。ちょっといいかな」

 受付に声をかけたのは、雷鳴坊だった。

「どうぞ、午前中の仕事は終わりましたから」

 そう美也に言われて、美澄は受付を出て、雷鳴坊の後に付いていく。 

 雷鳴坊はラウンジに入ると1人の男性の前に座った。

「待たせましたな」

「いえいえ」

 雷鳴坊より年上に見える初老の男性がそこには座っていた。頭にベレー帽をかぶり、杖を持つ細身の老人は、優雅にコーヒーを啜っている。

「美澄さんもどうぞ、座りなさい」

「はい。失礼します」

 そう言われて、美澄も雷鳴坊の横に座る。

「紹介したい方がいてね。九千坊殿だ」

「九千坊です。綺麗なお嬢さん」

「天堂美澄と申します」

 九千坊もまた妖怪なのだろうかと思っていると、すっとベレー帽が脱がれて、そこに禿げた頭が出てきた。

「儂は河童なんだわ」

「九千坊殿は九州河童の頭目でね」

「なんのなんの。ただ長生きしとるだけ」

「それはお互いさまの話で」

「そうやな」

 笑い合う2人の妖怪に、きっとこの2人の年齢など聞かない方がいいのだろうなと美澄は思った。息子である太郎坊でさえ雷鳴坊の本当の年齢は知らないのだ。

 もしかしたら本人たちでさえもう覚えてないのかもしれない。

 そんなことをぼんやりと思っていると、不意に話題が美澄のことになった。

「今日は、太郎坊が嫁をもらっと聞いてな。顔を見たいと来たまでよ」

「恐れ入ります」

「ついでに風呂に入ろうと思ってな」

「それは是非どうぞ。お泊まりは?」

 部屋はまだ空いているはずだ。美也に言えばすぐに予約も取れるだろう。

 だが九千坊は笑って首を横に振った。

「今日は帰るよ、美澄さん」

「でも九州まで帰られるんですよね?」

「なぁに、泳げば一瞬よ」

「泳ぐ!?」

「河童の特技なんでな」

「左様ですか……」

 九州のどこに帰るのか分からないが、山口県と島根県の県境であるこの町から、九州はそこそこの距離がある。それをきっと河童である九千坊はするすると泳いでしまうのだろう。

「それと来月にな、子河童たちを連れて出雲に行きたいと思うとってな。空いとるじゃろうか?」

 コーヒーを啜りながら、九千坊がそう言う。どうやらそれが本題だったらしい。

「何名くらいが来るのかね?」

「10名の子河童じゃな。大広間に雑魚寝でもかまわん。みんな小学校に入ったばかりやらで、霊力が不安定になっておってな。出雲の神様の力を分けてもらおうと思ったわけよ」

「学校で化けの皮がはがれるわけにはいかんもんなぁ」

「そういうことやけん、どうにか都合つくやろか」

「まぁ今は閑散期やから、大丈夫やろ。美也!」

 雷鳴坊が受付にいた美也を呼ぶと、するすると首が伸びてきて、雷鳴坊の横についた。そうしてスマートフォンでカレンダーを出した雷鳴坊がある土日を指さす。

「どうしました?」

「来月のこの日、空いてるかな? 大所帯の合宿なんだが」

 美也がちらりと九千坊を見て、目礼する。

「九千坊様、ご無沙汰しております。いつもの合宿ですね?」

「ああ、急ですまんね」

「九千坊様はいつも急ではありませんか。そろそろかと思って空けておきましたよ」

「さすが美也!」

「褒めてもなにも出ませんよ。帰りに受付で人数を仰ってください。子ども用の料理も用意するように手配しておきます。もちろん胡瓜尽くしで」

「よく分かっておるやないの」

「それでは失礼致します」

 するすると美也の首が戻っていく。日頃はそんなに見せることはないが、改めてこうして見ると美也も妖怪なんだなと美澄は思う。

「本題は以上かな?」

 雷鳴坊がそういうと、九千坊は黙ってコーヒーを啜った。お茶請けには胡瓜の浅漬けがおいてあって、河童らしさがこんなところに見受けられた。

「美澄さんが柴助の面を割ったと聞いてな」

 唐突に話題を振られて、美澄が九千坊を見る。

「あれは痛快だった。太郎坊など、それを見て結婚を決めたと言っていたぞ」

「儂も見たかったのう」

 2人で笑っているのを見て、あれはそんなに凄いことだったのだろうかと思う。お面が割れたのは想定外だったが、お面であれば本人は傷つかないし、威嚇くらいにはなるだろうと思ったのだ。

 お面が割れて中から出てきた、狸そっくりの顔が驚いていて、それは今でも笑ってしまう。

「どんなお嬢さんが柴助の面を割ったのかと思ってな。まさかこんな細腕の綺麗な女性が出てくるとは思わなんだ」

「そうであろう」

「柴助の間抜け面、儂も見たかったのう」

 そう言って九千坊が胡瓜の浅漬けを食べる。ぽりぽりという軽快な音が周りに響き、それが止まると、コーヒーを啜った。

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