第6話 同居は突然に

「おはようございます」

「おはよう」

 2人でリビングに行くと、雷鳴坊がソファーに座って新聞を読んでいた。

「おはよう。太郎、美澄さん」

 キッチンでは櫻子が動いていて、美澄は手伝おうとそちらに行く。行く途中、雷鳴坊がこぼしたのは、

「今日も櫻子さんは素敵だなぁ」

 という言葉だった。

 太郎坊の顔は美人な櫻子似て、中身は雷鳴坊に似ている気がした。血が濃いというのはこういうことかと思いながら、美澄はキッチンに踏み入れた。

「おはようございます。お義母さん」

「おはよう、美澄さん」

 美澄と太郎坊の朝の日課が素振りとその見学なら、櫻子と雷鳴坊の朝の日課は一緒に朝風呂にはいることだ。

 天堂ホテルには大浴場とは別に家族風呂がある。温泉がひかれたそれは、宿泊客はチェックインから夜の12時まで使えるが、早朝には天堂家の貸し切りとなる。

 ほかほかとなっているソファーに座る雷鳴坊も、キッチンに立つ櫻子も若干ほかほかとしていて美澄はほのぼのとした気持ちになってしまう。

「今日の朝ご飯はなんですか?」

「卵焼きよ。お父さんも太郎も甘めが好きなの。美澄さんのご実家はどんなお味?」

「塩だけでしたね」

「あら、じゃあ甘めの卵焼きは口に合わないかしら。塩だけのも作りましょうか?」

「いえ! 大丈夫です。1人暮らしが長かったですし、東京にいたので甘めの卵焼き作ってました」

「それならよかったわ。無理にうちの味に染まる必要もないからね」

「ありがとうございます」

「天堂家の味っていうのは私の味なのよ。私には姑がいなかったから」

 卵を割りながら櫻子が笑う。

「私に出会ったときにはお父さん、もう立派な天狗様でね。独り立ちして長くて、ご両親がどこにいるのか分からない状態だったの」

「そうなんですか」

「おかげで好きに料理ができたし、のびのび子育てもできたわ」

 悪戯っ子のように笑う櫻子が、美澄は好きだ。突然嫁に来ることになった美澄を温かく迎え入れてくれて、無理なことは絶対に言わない。そしていつでも味方になってくれるという雰囲気を出してくれている。

「天狗がなのか、うちの男どもがなのか分からないけど、甘いのが好きなのよねぇ。だからお砂糖は多めなの。お匙でいうとこのくらい」

 説明しながら、櫻子が砂糖を卵液に入れる。砂糖入れについている匙に大盛りだ。卵も5個ほど入っているから、それくらい入れないと甘くないのかもしれない。

「そしてお塩がこのくらい」

 味塩をさらさらと全体にまぶすように振る。

「お醤油はこのくらいね」

 最後に醤油を卵液が入っているボウル2回して、カチャカチャと混ぜ合わせる。

 ほとんど櫻子の目分量と経験によるもので、すぐには同じ味が作れるとは思えなかった。それを察したのか、櫻子が笑う。

「美澄さんは美澄さんの味で作ればいいのよ。それで太郎に美味しいって言わせればいいの」

「そうですね」

「じゃあ、私は卵焼きを焼くから、美澄さんは味噌汁にお味噌入れてくれる?」

「わかりました」

 櫻子の手元でじゅっといういい音が聞こえてくる。それを手際よく丸めていき、形の綺麗な卵焼きができていく。

 美澄は冷蔵庫から味噌を取り出すと、すでに出汁がとられて豆腐と揚げが浮いているところに、味噌濾しを入れてその中にスプーンですくって味噌を入れた。

 味噌自体はこの辺りでよく食べられているやつなので、味は実家のものと変わらない。濃さを味見をしながら調節すると、ほどよい濃さになった。それを四人分のお椀によそう。

「お父さん、太郎。ご飯は自分でよそってね」

「「わかった」」

 訓練されたように雷鳴坊と太郎坊がやってきて、ご飯をよそったり、箸を並べたりしている。きっと櫻子の長年の経験によって培われたものなのだろう。2人とも文句の一つも言わず、手伝ってきて、実家の父親と弟に見せてやりたかった。

 ご飯、豆腐とお揚げの味噌汁、卵焼き、白菜の漬け物、それに昨晩の残りのポテトサラダ。

「「「「いただきます」」」」

 四人で声を揃えて、食事開始の合図をする。これも天堂家に来て初めてで、いいなと思ったことだ。

「あれ? 味噌汁の味がいつもと違う」

 ふと味噌汁を啜った太郎坊がそうこぼす。

 味噌汁の出汁は櫻子がとったが、味噌の量を調整したのは美澄だ。

「ごめんなさい。味噌の量がお義母さんと違うから」

 思わず謝ったら、返ってきたのは感激の声だった。

「これが美澄さんの味噌汁の味なんだね! これからはこの味がいいな。僕、好きだよ、この味」

「そ、それならよかった」

 ほっとして、美澄も味噌汁を啜る。

 櫻子の味に比べられたらどうしようと思っていたが、太郎坊は美澄の味も気に入ってくれたようだ。

 美澄も一人暮らしが長かったから料理は一通りできる。だが、自分1人のための料理は適当だし、味付けだって毎回違った。それに、忙しい仕事の合間にぱぱっと作れるものがほとんどだった。

 ようは料理自体に自信がないのだ。

 人に出して美味しいと言ってもらえる自信がない。

 それなりに食べられるものは作れても、美味しいと言ってもらえるものはまた別の話だ。

 それが太郎坊の口に合ったのならよかった。

「これは早々に二世帯にせねばならんな」

「そうだね。僕は美澄さんの料理が食べたいし、父さんは母さんの料理が食べたいんでしょ」

「すみません、お義父さんのお口には合いませんでした?」

「いや、美味しいよ。でも愛する人の手料理が食べたいと思うのはまた別の話だからね」

 つまり雷鳴坊は美澄の料理の味に関係なく、櫻子の手料理が食べたいのだ。

 似たもの親子はこんなところまで似ているのか。

 そう思っていると、目の前に座る櫻子が笑って言った。

「大丈夫よ、うちの男どもは自分でご飯作れるくらいには調教してあるから」

「はぁ……」

 冗談なのか本気なのか、櫻子は澄ました顔でポテトサラダを頬張っている。

「作ってもらっといて文句は言わせないから」

「頼もしいです」

 美澄の性格上お淑やかな妻になんてなれない。

 櫻子のように頼れるしっかりした妻の方が憧れる。気が強いのも、勝ち気な性格も、太郎坊はきっと受け入れてくれるだろうが。

「太郎さん」

「うん? どうしたの?」

「さっきお義母さんから卵焼きの味付け習ったから、今度作るわね」

「うわーそれは楽しみ」

「お義母さんと同じ味になるとは限らないわよ」

「いいよ。美澄さんの味付けであれば、それが嬉しい」

 ちらりと櫻子を見ると、テーブルの上で小さく親指を立てていた。

 これも縁だと飛び込んだ結婚だったが、義両親も太郎坊も優しいし、毎日が新鮮で楽しい。

 一週間ほどで、この生活にも慣れてきた。

 そうして、美澄は今日からホテルでも働き出すのだ。

 美澄にホテル従業員の経験はない。しかも周りはほとんど妖怪と聞いている。結婚式のときに配膳して回っていた青年も、料理を作ってくれた人たちもみんな妖怪なのだろうか。

 まだ美也以外まともに会っていないから、今日がはじめましてだ。

 人間である美澄が受け入れられるかは分からないが、雷鳴坊や太郎坊が受け入れたのだからきっと大丈夫だろうという根拠のない自信があった。

「美澄さん、今日から仕事頑張ってね」

「もちろん!」

 太郎坊からの激励を受け、美澄は卵焼きを頬張った。

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