12:異世界人不平等起源論(前)

 うるさく照りつける日差しが世界を褪せさせている。すぐに汗ばんで、十秒おきに前髪を触ってしまっていた。


 その日は朝に手短なホームルームを終えてすぐに散会となった。夏休みのはじまりである。校舎の裏に広がるグラウンドでは、クラスメイトが二グループに分かれて何かを話しもめている様子。そのうちのひとりがボールを両手に抱えている。グラウンド脇の公道で、昨日と同じ帰路で、私だけで歩きながら彼らをながめていた。周枦島あまはしじま唯一の中学校では毎年恒例の、夏季休業中のグループワーク──そのはしりとして、ああやって親睦を深めるのもまた、夏のはじめにお決まりの風景だ。


 私はすぐに帰宅し、きのう父さんに言い渡された仕事の準備をしなければならない。ふいに止まっていた歩みをふたたび進める。


 ──よーし、じゃあこっちが先攻な!

 ──サッカーのルールってわかる? ラビーちゃん


 去年の今ごろ、私も親睦会としてのサッカーに加わっていたのを思い出した。脚も遅ければ球技のセンスも絶望的だったので、戦力として数えられるのは願い下げだったし、当時は最後までいやいやだったはずなのだけれど、今となっては何だかんだ良い思い出として回顧できる。ふしぎなことだ。


 ──一年前と比べて、ずいぶんと人が増えたなと思う。おかげで人の……ハシビトの名前をおぼえるのがうまくなった。私に限らずだろうけれど。


 サッカーボールを今手渡されて、得意げにリフティングを披露しだしたのが、一ヶ月前にやってきたハシビトのメロウ君。茶髪で背が高く、もののすぐにクラスの中心に居座る権利を得ていた。


 メロウ君の美技を拍手で迎えているのが、理子ちゃん、のりちゃん、京香きょうかちゃん。彼女らは人間で、私とも去年からのクラスメイトである。規ちゃんとは昔の家が近かったので特に幼いころから家ぐるみで親睦があって、去年も私をむりにサッカーへ引き込んだのをおぼえている。


 少し離れたところで体育座りをして、皆を伏し目がちに見守っているのが理生りおちゃん。夏なのに黒いジャンパーを羽織っていて、同じく無造作に伸ばした黒髪が鬱蒼とした雰囲気をつくりあげている。あんな調子だけれど、うちのクラスでは欠かせないパーソンのひとりだ──なんてったって、彼女は慈英じえい理生だから。


 慈英家といえば、去年までこの周枦島で村長を代々継いでいた名家である。


 去年まで。


 ──あんたも、本来は今日。私と一緒に──


「よーし、それじゃあキックオフなー!」


「ごめんなさーい!! キッコーフってなんですか!?」


 ひときわ目立つ水色の長髪が、だだっ広く獏とした校庭でこまかく踊っていた。出会って三日も経たないのに、あのクラスメイトの中で一番見慣れているような気がするのは、きっとずっと誰かにつきまとわれていたのが慣れない経験だったからだ。キックオフを高らかに宣言したメロウ君が、私の距離では聞こえない声でラビーに耳打ちする。ラビーは私の距離でも視えるわかりやすさで無邪気な笑顔をつくり、ありがとうございますっ! きっくおふだね、と、どこから湧いてくるのか不気味とさえいえる貴重な元気を振りまいた。


 ……ありがとうとかごめんなさいとか、皆の前ではちゃんと言えるんだね。


 人気者のメロウ君と、これから人気者になるであろうラビー。二人のハシビトを囲んで盛り上がる校庭から、私の目はいつしか焦点を見失っていて、昨日の日中をともにしたラビーの傍若無人なふるまいを思い出していた──そんなことしたって、いい気持になるはずもないのに、


「見てんじゃねーよ!!」


 ふいに視界が校庭の色を帯びた。気づけば向こうにいるメロウ君と目が合っていた。さらにあたりを見渡すと、騒がしかったグラウンドは一時停止していて、音が凪いでいて、刺すような視線を一点に浴びてしまっていることを自覚する。冷めた踊り舞台に取り残されたピエロ──私がソレになっていることを悟るころには、


 何か用か?


 と直接脳に響かせるようなずしっとした声が届いて、


 みんなが何やらなだめている人だかりの奥には、一人だけ状況を察していない水色がいて、

 彼女の顔が一瞬だけ垣間見えて。


 さっさと行けよ、人殺し。



 思わず鼻で笑ってしまった。



 人殺し、だってさ。勝手にこの島で生まれて呑気に遊んで無責任に中心人物気取っているあんたにこの葛藤がわかるものか。──なんて悲劇面で抵抗することもできたけれど。


「ラビー、このあと海岸行くからねー!!!」


 そう叫ぶ彼女を、クラスメイトは憑かれたように背後へ退けて、私を一様にもういちど睨んだ。──規ちゃんの表情は見えなかった。それだけで充分だと思い、私はかれらに背中を向ける。


 誰を憎んだって仕方がない。強いて言えば、本来私と同行するはずの理生がそっち側にいるのが──いや、もうやめにしよう。この堂々巡りに一度入ると私はしばらく還ってこれないから。


 だから、何も考えず目的地へ行く。

 ラビーもこの後行くと言った、あの海岸へ。



 これから殺す廠さんハシビトと会いに行く。



 後ろでサッカーボールを蹴りあげる鈍い音がした。







 ハシガリは夕方から夜に行われるのが通例で、その日の昼は何も飲み食いしてはいけないという決まりがある。とは言っても待ち合わせまで少し時間があるので、昨日の昼にも訪れた場所にふたたび、なんとなく、足を運んでいた。


 ハンバーガーショップ『TOSYO』の外からでも見える厨房は、いつになく薄暗かった。店前の看板にCLOSEDの文字はなかったけれど、店へ近づくといつも聞こえる揚げ物が弾ける音がしなかっただけで、いつもの日常がそこにはないことを知ることができた。──そしてようやく、ここに自分がいることの悪趣味さを理解する。


 しょうさんは常日頃から、そして私が来店するといつも、自分は人間であるとしつこく口にした。むろん、周枦島の趨勢に鑑みれば当たり前だ──廠さんが実はハシビトであったとなれば、なおさら。


「確かに──」


 いつも『TOSYO』をひとりで切り盛りしていた若い廠さんは、自分の生い立ちについてぼやかすことが多く、例えば高校を卒業してからの進路や、両親の誰何については口にすることを嫌がった。中二の私はそれをさばさばとした大人らしさだと、いいなと思っていたのだけれど、そうするのではなく、過去を持たないハシビトらしさと捉えるには悪趣味さが足らなすぎた──ということか。


 なんの前触れもはなむけもなく、忽然と営業を止めてしまった──そしておそらく再開することのないハンバーガーショップの、寂しげながらんどうさすらも、廠さんらしいと思えてしまった。




「うわー、誰もいない。いいねえ」




 看板の前で立ち尽くす私を、霞んだ声が横切った。


 真昼間のこの辺りはいつも人通りが少ない。きゅっと鼓動が早まったのをすぐにお

さえて、店前のテーブル──昨日私とラビーが座っていた、そこを見ると。


 白い人間が腰を下ろしていた。


 そういう第一印象だった──まつげに落ちた汗をぬぐってもう一度、その姿を確かめる。真っ白で長袖のポロシャツに灰の混じったチノパン。この夏場に肌を見せないのがやや不自然なことを除けば、ラフでどこにでも居そうな格好だけれど、シャツと全く同じ色の髪──絵の具でそこだけ塗り忘れたのかってくらい真っ白が肩口にまで流れていて、陽の光を綽綽と照り返していた。


 そこまで二十秒くらい観察していても解らないことがあったので──無人のハンバーガーショップの店先でひとり佇んでいる横顔に、私は近づいた。


「あの──」


「ん? どうした? キミも昼食かい」


「えっと、いえ……私は」


 ようやく目が合って、その声をしかと耳にして、それでもなお、男性だと確信するのに数瞬を要した。その間、ふいに凝視していた彼の顔は、とにかく島に似つかず、白い。吸い込まれるように大きな赤い目はユキウサギを連想させた。


 と、彼が無言で私を見ながら首をかしげていることに気づく。私の次のことばを律儀に待ってくれていたのか。あわてて口を開き、


「その……この店、今日はやっていないと思います」


 今日は。


「えーっ、そうなのか。だって普通に入れるじゃないか」彼はふわふわとした声で天を仰ぎ、「まぶしっ」と両手で赤い目を覆った。そしてそのままの姿勢で、


「困ったなあ。せっかく島に来たんだから、島らしい開けた食事をしたいと楽しみにしていたんだけど」


 島に来たんだから、とその人は言った。


「えっと……この島の人じゃないんですか?」


「うん、そうだよ。今日が初めて」


 男性にしてはやや長めのストレートヘアーが、浜風に乗って踊っていた。


 観光客の類が極端に少ない(そりゃ観光するような珍しいモノもないし)周枦島だけれど、彼のことばをそのまま受け取れば、いつもならば貴重な旅人と理解することができた。できただろう。


 でも──


「あなたは」


 この時点で私はすでに、ひとつの邪な推論を浮かばせていた。


「どこで生まれたんですか?」


 なんだそれは、と彼は笑い、座っていたベンチを立った。


「まず聞かれるのが生まれ場所っていうのは普通じゃないね。しかもぼくは別に、そんな突飛な出自をしてない。普通に、トウキョウ生まれの二十歳だよ。──ねえ、せっかく答えたんだから、キミも顔を上げてくれよ」


 思わず、伏せていた目線を彼のチノパンからぐいっと昇らせる。


「すると少女は驚いたように伸びあがり、再びぼくのことを見つめた」


「その──」


「いいんだよ。ぼくがこの島の人間でないとすぐに解って、警戒してしまったんだろう。あり得るコトだ──ねえ、この島の子でしょ? 名前はなんて言うの」


 彼は私をじっと見つめているのに、どこか遠い世界で一人喋っているような雰囲気がして、戸惑いながらも──


「レナ。ふうん」彼は口に手を当てて考えるような仕草をした後、「いいねえ。ぼくは刺すような陽気の離れ島で、レナという少女に出会った」


 そう言って彼は、かがんで私と目の高さを合わせる。立ち上がって解ったけれど、彼は年上の男性らしく背が高い──おそらく父さんよりも。


 紅い目がきゅっと細まり、白いまつげが覆いかぶさるのを見て、男だけれど、美しい──素直にそう思った。トウキョウ本土はこんな人だらけなのだろうか。


 ──そうだ、彼はこの島の人間ではない。出自もはっきりとある。だから

「それで、レナという少女に訊きたいのだけど」


 思わずはっと言いそうになり、口元を両手で抑える。それだけでも不審な仕草だと自覚し、顔があつくなる──ほぼ初対面の人から至近で話しかけられただけで、どうしてこんな。


 彼は何も言わずつづけた。


「この辺に昼食をとれる場所はない? ──お店なのか家なのか判断できない場所が多くてね」


「えっと──」


 食事をとれる場所はいくつかあるものの、知り合いの親が半ば個人営業でやっているようなところが多く、一見さんの旅人用には仕組まれていないかもしれない。そんなようなことを説明したつもりだ。


「そうか。仕方ないね。では早めに宿へ行って、食事についてはおいおい考えることにしよう。──そうだ、せっかくだし、宿まで案内してくれないかな? 住所と宿の名前は知っているのだけど、あいにく地図がなくて困っていたんだ」


 それは、結構な一大事だ。この後のハシガリまでちょうど時間があるし、この男性を案内してあげるのもやぶさかではない。


 えっと、


「ぼくはハルマという」



 ハルマさん。



「うん、そうだ。レナという少女と偶然出会ったぼくは、こんな世界にあるはずもない運命の実在を、もう少しだけ妄信してあげることにした。親切な人間というのは重んじなければいけない──」


 そう言って、かがんだままだったハルマさんは私の手を取った。


 他人の手を、なんの躊躇もなく握ることができる人間。


 そうか。ハルマさんも──


「いやあ、本当に困っていたんだよ。さっきの道すがら、キミとは別の少年少女集団に会ったんだけど、案内を頼んでも無下にされてしまってね。キミは彼女らとは一緒にいないの?」


「それは──私はこの後、用事がありますから。あ、もちろん、案内はできます」


「用事。ふうん。いいねえ。働く人間は普通に偉い。そんな忙しいところ、助けてくれてありがとう」



 ハルマさんの手に引かれて歩き出した私は、すらっと伸びたポロシャツの背中を見上げながら、どっちが案内しているのか分からないな、と思いつつ。



 彼がまとっているある種の強引さは、本来あまり得意じゃない。予告なしに手をとるようなところは、なんとなくラビーに通じると感じる。



 それでも──彼はこの島の人間じゃない。トウキョウという明らかに違う世界の出自を持つ。今の私には、あまりに効き目が強すぎる。



 ほどなくしてハルマさんが告げた住所を聞き、思わず声を漏らしてしまった。


 十五分ほど歩き、目的地に着く。今となっては見慣れた、私の住む屋敷だった。






「あああああ晏司あんじ様とてっ手をつないでええええ?? ふっ不敬な!!」


 というのは戸口で待ち構えていた美由みゆさんの第一声だ。無機質な使用人をここしばらく演じてくれていたのに。


「不敬だなんて、そんな」横のハルマさんがふわふわと笑った。「彼女はぼくが迷っているところを案内してくれたんだよ。レナという少女がいなかったら、ぼくは来るはずもない料理を炎天下で待ち続けていたところだった」


 と、丁寧にフォローしてくれたのも空しく、完全にキャラを壊した美由さんがハルマさんをそそくさと引き剥がし、お部屋はあちらです、と手のひらで指示した。


「いやあ、本当に助けられただけなんだけどなあ。五夜さんはもういるの?」


「はい、晏司様とのお打ち合わせに際し、先に役所のほうへ向かっております」


「そうか、ではぼくもすぐに向かうよ」


 私にあえて隠すようにオトナの会話をしていらっしゃるものの、全部聞こえている。聞こえているけれど──晏司サマ、と美由さんは言った。この屋敷に移り住み、私がハシガリを担うようになってから、何度も父さんや美由さんから聞いていた名前。詳しい模様は解らないけれど、枦堂はしどう家がこのように成り上がった──と言っていいのだろう──ことと深く関係しているお偉い方だというのはほとんど確定的だった。そこから私は勝手に、貫禄と威厳を備えた政治家のような人物を想像していたのだけれど──


「それじゃあ、今日からしばらくここに泊まることになるから、よろしくね。用事、頑張ってね。偶然出会った人間が、まさかゲストハウスに住む娘だったとは。数奇な運命にしかし何一つ動じる素振りを見せず、ぼくはレナという少女に手を振った」


 飄々とした、やけに文学的な話し方をするこの白くて若い人が、晏司様──晏司ハルマさん、ってこと?


 いまいち腑に落ちないまま、私は手を振り返──そうとしたところで、美由さんからの殺気だった目線をすんでで察知し、両手をおなかの前で合わせてお辞儀をする。


 顔をあげると、ハルマさんの紅い目が、首を傾けた拍子に白い前髪に隠れた。神々しくて、まぶしかった。



 *



 今度は学校のグラウンドを通らないように、遠回りをするとちょうど海岸に着く頃に陽がかげり始めた。


 レールの舗装をまたいで乗り越え、砂利の下り坂をゆっくりと進む。砂浜を少しいったところに木製の小屋があり、あたりは丁寧に雑草などが刈り取られていて、屋根の下で涼むことができる。



 六畳くらいの、その空間で。回り込んで中に入ってみると。


「あら、早かったね──レナちゃん」


「廠さん」



 私と待ち合わせていたその人物と。


 ああ、そうか──同じく海岸に居ると言った、ハシビトが横になって寝ていた。


 ハシビトって言ったけれど。この小屋でハシビトじゃないのは、私だけなんだっけ。



 そんな茶化した調子を無理やりインストールして、私は廠さんに話しかけようとしたところまでは良かった。良かったのに。


 あなたの表情ぜつぼうさえ目にしなければ、完ぺきだった。


 

 本日最後の汽船が、背後で海原を揺らす音を聞いた。


 *




「それじゃあ、あの子が五夜さんの娘さんなんだね。本当に偶然だ」


「ええ──」


「すると用事というのは──」


「ご推察の通り、本日はハシガリがございます。晏司様のご尽力もあって、枦堂家がハシガリを受け継げるようになりました」


「いやあ、五夜さんの頑張りのおかげだよ。ぼくは何もしていない。というか、そっか、ハシガリっていうんだね。こっちでは」


「左様です──本土では異世界人、と呼んでいるでしょうか。月に一度、島の繁栄のために、ケガレなき少女がハシビトの死を見届ける──代々続いてきた儀式です」


「ふうん。こっちではそういう物語なんだ」


「──?」


「いやあ、この世界に物語はたったひとつしかないと思っているんだ。心を奪われるような、美しい物語はね。この島でのそれは、これじゃない。ぼくはそう言って、神聖なる地にたったひとりで向かう、美しく孤独な少女に思いを馳せた」


(続く)

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